第七十四話~反董卓連合 十八~
第七十四話~反董卓連合 十八~
初平元年(百九十年)
損害を受けた袁紹の兵を除いた軍勢は、早々に動き始めていた。当然ながら、虎牢関に籠っている徐栄と李蒙もその動きには反応している。それでなくても、反董卓連合軍において事実上の総大将である劉逞が自ら兵を率いているのだ。この機会を逃すなど、徐栄と李蒙もあり得なかった。よしんばこの戦で劉逞を討ち果たすことができれば、一気に情勢が動く。それゆえに二人が、いや虎牢関に籠る将兵の全てが色めき立つのも当然であった。
しかしてそのような状況にありながらも、徐栄の胸の内には一抹の不安のようなものが渦巻いていたのである。その理由が、ここにきて積極的に動いている劉逞の存在にあった。今まで後方にあって、戦に関しては諸侯に任せていた。それであるにも関わらず、今までの動きが嘘であったかのように自ら兵を率いている。そこには、何かの裏があるような気がしてならなかった。しかも劉逞の家臣には、盧植を筆頭に知謀の士も多い。そのことが、余計に徐栄に不安感を覚えさせていたのだ。とは言え、その不安が何であるのかと言われれば、答えようがない。強いて言えば、表現のしようがない焦燥感のようなものが胸中に渦巻いていたのであった。
「いかがした?」
「あ、その……いや、何でもない」
「そうか?」
「ああ」
いささか雰囲気がおかしかったことを察したのであろう、李蒙が徐栄へ声を掛けてきた。その時、徐栄は自身が抱く焦燥感にも似た感覚を伝えようとしたのである。しかしながら、結果として徐栄は伝えることを諦めてしまう。その最大の理由は、上手く説明できそうにもなかったからであった。自身でも、どうしてこのような思いを抱いているのかが分からないし理解できない。それゆえに、他所である李蒙へ上手く説明できそうになかったからだ。それに、問い掛けた李蒙としても、何となく徐栄から違和感を覚えたから声を掛けたに過ぎない。しかし徐栄が何でもないと言っている以上は、それ以上追及する気もなかった。何より、今は虎牢関の眼前に布陣を終えている劉逞たちの軍勢の方が気に掛かっている。前述した袁紹の率いていた軍勢と、華雄を失うという事実と引き換えにかなりの一撃を与えられた韓馥の軍勢の分だけ兵は減っている。しかしそのことを考慮に入れたとしても、展開している敵の兵数は味方を上回っている。その上、兵を率いているのは、劉備や孫堅や曹操などといった歴戦の強者である。李蒙の身の上には、自然と武者震いが、起こっていたのだ。
「兵の数も兵を率いる将も、相手にとって不足なし。のう」
「……ああ、そうだな。確かに」
事実、李蒙の言う通りである。前述した様に劉備にしても孫堅にしても、幾多の戦場を経験した者たちである。そして前述した二人に比べれば経験という意味では若干劣るものの、曹操も鮑信も侮ることはできない。しかも彼らを率いているのは、黄巾の乱からまるで彗星のように登場し、あっという間に功名を上げた劉逞である。しかも彼は、まだ若いながらも先に上げた将たちを見事に纏め上げているのだ。つまり、他のことに囚われていて勝てる相手ではないということではないということになる。それゆえに徐栄は、自分の頬を叩き意識を切り替えると、目の前に展開する軍勢に集中したのであった。
その一方で劉逞率いる軍勢はというと、今か今かと号令を待ちわびていたと言っていいだろう。しかし大将を務める劉逞は瞑目しており、しかも腕を組みながら身動ぎ一つしていない。その様な彼の持つ雰囲気が伝播でもしたのか、兵の心うちにある逸る気持ちとは反比例するように、軍勢は静寂に覆われている。寧ろ、虎牢関に籠っている徐栄と李蒙の軍勢の方が、ともすれば騒がしかった。
ところで劉逞は、何ゆえに虎牢関へ未だ兵を進めないのか。それは彼が、ある知らせを待っていたからであった。すると程なくして、劉逞の本陣へ趙燕が現れる。彼は主の前で跪くと、たった一言だけ報告した。果たしてその報告とは、劉逞で待ち望んでいた物であり、張邈と曹操と韓当が無事に虎牢関の裏手に抜けたというものであった。
「敵には……悟られてはおらぬのだな」
「はい」
「分かった」
報告内も目を瞑り腕組み続けていた劉逞であったが、趙燕からの報告を受けた直後には目を見開き腕組みも解く。それと同時に、腰に佩いた剣を抜いて一言命じていた。
「全軍、突撃!」
『おおー!!』
ここに、結成された反董卓連合における虎牢関を巡る最後の戦が幕を開いたのであった。
まるで堰を切ったかのように、一斉に動き始めた敵勢。その様子に、徐栄もすぐ反応していた。
「いいか! この虎牢関は、難攻不落である。落ち着いて戦えば、落ちることなどない!」
『応っ!!』
攻め寄せる兵の多さと士気の高さにいささか委縮した兵であったが、徐栄の檄を受けて間もなく落ち着きを取り戻す。その直後、李蒙から出た命に従い、彼らは矢を放ったのである。間もなく、「ざぁ」という音と共に戦場へ矢が降り注いでいく。しかし、将も違えばこうも違うのかと思ってしまうぐらい、劉逞の兵は被害をものともせずに虎牢関へと近づいて行った。それなりの犠牲を出しつつも、虎牢関へと取り付いた兵は打ち破るべく攻め寄せていく。しかし徐栄と李蒙が率いる兵もさる者、的確に反撃していた。
「敵ながらあっぱれと言うほかはない。流石は、劉常剛様率いる軍勢よ」
「……確かに」
前哨戦とも言えた、袁紹と韓馥の軍勢と干戈を交えた時とはあからさまに違う。士気の高さも兵を動かす巧みさも、とてもではないが比べ物にはならない。業腹ではあるが、李蒙も徐栄の手放しとも言える称賛に同意するしかなかった。因みに、徐栄と李蒙で反応が違うのかと言うと、それは両者の立ち位置の問題である。中郎将と言う地位にある両者であるが、彼ら自身の持つ意識としてはまるで違っていたのだ。徐栄は、自身のことを漢の臣だと内心では思っている。それに引き替え李蒙はというと、自身のことを董卓の家臣だと考えていたのだ。つまり徐栄は、あくまで皇帝である劉協を守る為の戦だと感じているのに対し、李蒙は董卓の為の戦だと感じているのだ。それならば、なぜに董卓の命に徐栄が従っているのかと言えば、董卓が相国の地位にいるからに他ならない。どのような事情があるとしても、董卓が相国であることに変わりはない。だからこそ、命に従っているというわけである。もっとも、全部が全部そうだというわけでもない。割合としては小さいものの、下手に董卓の不興を買いたくはないという思いも確かに存在しているからだ。しかし徐栄の中で大きな割合を占めるのは、やはり自分は漢の臣であるという思いに他ならなかった。
しかしながら、徐栄と違って李蒙は、自身を董卓の臣下であると認識している。その彼が、どうして徐栄の称賛を受け入れたのか。それは、彼もまた一人の将であったからだと言えるだろう。こうして連合という、全てが自身の旗下にはない筈の将兵すらもこのように見事纏め上げている劉逞の将としての器を否定することは難しかったのであった。しかしながら、それはそれである。自身があくまで董卓の家臣である以上、主の命を危険に晒すなど看過できるわけがなかった。
「だが、負けるわけにもいかぬ」
「当然だ!」
両者の立ち位置、及び仕える相手が違うことはお互いに分かっている。しかしながら、洛陽に敵を入れないという目的では一致している。それゆえに二人の行動に、齟齬が発生することはない。虎牢関を守る姿勢は、決して違えることはない……筈であった。しかしながらその直後、思いもかけない場所から騒ぎが発生する。その場所とは、驚いたことに虎牢関の後方であった。
「どうした!」
「わ、分かりませぬ!!」
「馬鹿者! すぐに人を派遣して確認させろ!」
「は、ははっ」
騒ぎを聞き咎めた徐栄からの指示を受けて、すぐに人が派遣される。その様を視界の端に収めつつも徐栄は、李蒙へ騒ぎが何なのかを問い掛けていた。しかしながら問われた彼も、答えを返すことなどできない。それは李蒙も、騒ぎの理由が皆目見当がつかないからだ。どのみち、派遣した者が帰ってくることを待つしかない。徐栄と李蒙は、虎牢関防衛の指揮を執りながら、騒ぎの正体を確かめる為に派遣した人物を待ったのである。それから暫く、数名の人物が息せき切って戻ってくる。しかも驚いたことに、何名かは怪我を負っているのだ。いずれも軽傷であり、行動に支障が出るほどでもない。しかし、傷以上に気に掛かることがある。それはどうして、後方に向かった者が傷を負っていたのかということである。しかも彼らは一様に、息せき切るぐらいに慌てている。何とも言えない不安感が、徐栄と李蒙の胸中に渦巻いてきたのであった。
「も、申し上げます! 後方にて、戦いが起きております!!」
『……え?』
報告された意味が理解できず、徐栄と李蒙は思考が停止してしまう。それぐらい、その報告は二人に対して、驚きを齎したのだ。それから暫く、攻城戦を行っている最中であるにも関わらず徐栄と李蒙は身動ぎ一つできずにいる。その間、虎牢関を挟んで二方向から上がる鬨の声だけがこの場に届いていた。
「…………はっ! 呆けている場合ではないわ!!」
「お、おう。そうであったな」
「すぐに、救援を出さ……ねば……」
だが、そう言った徐栄の言葉が尻すぼみにしぼんでいく。その理由は、どこから兵を抽出するかということに他ならなかった。今現在、虎牢関正面から劉逞による攻撃を受けている。その攻撃を凌ぐ為に、虎牢関に籠っているほぼ全ての兵力を傾けているのだ。もしここから虎牢関の裏手を救援する為に兵を抽出しようものなら、正面からの攻撃を支えきることはかなり難しくなってしまう。しかし、裏手から攻撃を放っておけば、やはり虎牢関が落とされるのは間違いなかった。
「我が行こう」
その時、徐栄に対して李蒙が進言する。と言うか、この状況では徐栄か李蒙のどちらかが向かうしかないのだ。それに、まだ二人の周りには、ある程度の兵が残っている。彼らが事実上、虎牢関に残された最後の自由が利く兵だと言っていい。もう虎牢関には、守将と副将を守る兵ぐらいしか残されていないのだ。その後、その数少ない兵を率いた李蒙が、虎牢関裏手へと向かうのであった。
さて、話は劉逞の総攻撃の号令が出る少し前まで遡る。首尾よく、間道を抜けて虎牢関の裏手へと抜けた曹操と張邈はかねてからの取り決め通り、劉逞へ報告の使者を出した。こうして使者を送り出した曹操と張邈だが、兵を伏せてすぐに虎牢関へ攻撃を仕掛けることはしていない。それは、虎牢関正面からの攻撃が始まるのを待つ為であった。劉逞が率いる兵による正面からの攻撃が始まれば、当然ながら虎牢関に籠る敵将兵の耳目はそちらに集中することになる。それは即ち、それ以外の場所の警戒が緩むことを意味していた。果たして思惑通り、虎牢関裏手の警戒は疎かになる。それでも一応、門番や兵は残っているが、決して多いとは言えない。これならば、奇襲を仕掛けけるには打ってつけであった。
「この好機、逃すまいぞ」
「孟徳、分かっておる。みな、仕掛けるぞ! 突撃ー!!」
曹操の声に呼応して、今の今まで伏せていた兵が一斉に虎牢関の裏手の門へ向けて攻勢を掛ける。彼らは遮二無二に、門を突破するべく攻撃を仕掛けたのだ。その攻勢を受けて、虎牢関の裏手に残っていた兵は驚きを隠せない。味方は正面の攻撃を凌ぐべくかき集められていることもあって、守備の兵は少ないからであった。おおよその推察でしかないが、戦力比としては一対三どころか、一対四。いや、もしかしたら一対五までぐらいはあるように思える。しかも完全に奇襲を受けていることもあって、士気は下がることはあっても上がりはしない。それでも彼らは、簡単に敵の突破を許すわけにはいかなかった。守備の為に唯一残っていた将は、徐栄と李蒙へ状況を伝達する為の人を派遣した上で、少しでも時間を稼ぐ為に絶望的ともいえる戦いへ突入したのであった。
別連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」も
併せてよろしくお願いします。
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