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第七十二話~反董卓連合 十六~


第七十二話~反董卓連合 十六~



 初平元年(百九十年)



 袁紹が率いている軍勢に対して執拗な攻撃を加えていた徐栄と李蒙であったが、そんな彼らの元へある報告が届けられる。すると両者は、揃って驚きの表情を浮かべてしまっていた。しかし次の瞬間には、徐栄と李蒙は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべたのである。果たしてその知らせとは、華雄が討たれたというものであった。

 前述したように、華雄の実力は董卓配下の将の中でも、武では一、二を争う実力の持ち主である。また、将としても決して劣っているというわけでもない男だ。その華雄が討たれるなどとは、流石に想定していなかったのである。しかも華雄を討った者が率いてきた将兵が、完全に自由となっているのだ。この状況下で、華雄を討った者が率いる軍勢に自分たちが奇襲でも掛けられてしまうと、そのまま軍勢が敗走しかねない。そうなってしまえば、洛陽まで障害となる規模の大きい城関は存在しないので一気に攻め込まれてしまうのは必至であった。

 その上、今は長安への移動中であり、その進捗はある程度は進んでいるだろうが、まだ完全ではない。その様な洛陽へ勝ちに酔った軍勢が現れたなら、どのような反応をするか分からないのだ。下手をすれば、略奪ばかりか、虐殺すら起こりかねないのである。そのような事態を防ぐ為にも、簡単に徐栄や李蒙たちが全滅するわけにはいかないのであった。


「引くぞ」

「……致し方ないか……」


 徐栄の言葉を聞いた李蒙は、いささか躊躇いながらも同意していた。その後、彼らは虎牢関への撤退に入ったのである。ただ、華雄が討たれたことで全滅を防ぐ為に撤退へと入った王方と違い、徐栄と李蒙はまだ余裕がある状態での撤退である。それだけに、形振なりふり構わずに撤退へと入った王方と違って、ちゃんと殿しんがりを配置しての撤退であった。



 徐栄と李蒙の攻勢によっておされていた袁紹及び彼の幕僚たちはというと、敵が撤退を開始したことで圧力が減り、ここにきて漸くであるものの余裕が出てくる。すると郭図から、旗下の軍勢を集結するべきであるとの進言があった。徐栄と李蒙から攻め込まれ劣勢に立たされていた袁紹としては、その言い分は至極最もだと言っていい。彼はすぐに、旗下の軍勢を纏める為の行動を開始したのだ。そのお陰もあり、どうにか軍勢の再集結には成功している。しかし負け戦であったことに変わりはなく、味方の士気は高くない。これではたとえこれから攻めに転じたとしても、虎牢関を落とすなどまず無理な話であった。


「ここは致し方あるまい、軍勢を纏めたあと後方に下がる」

『ははっ』


 方針を決めた袁紹は、撤退した徐栄と李蒙の追撃などは行わず、軍勢の再集結後は撤退に入ったのであった。一方で後詰の韓馥勢はというと、関羽の救援もあってどうにかこうにか混乱が治まりを見せ始める。そうなると、今まで戦場の混乱もあって正確に把握できていなかった韓馥の軍勢の現状が分かるようになる。その結果、判明したことは韓馥の存命であった。これはこれで嬉しい知らせではあったが、事情を知ると喜べなくなってくる。それは韓馥の状態が、決して予断を許せるものではないからだ。かなりの重篤であり、そう遠からず亡くなってしまうだろうということは、たとえ医者でなくとも誰の目からでも明らかである。この様に重篤と言っていい韓馥ではあるが、まだ意識だけはしっかりしている。その理由はとても皮肉であるが、彼を襲っている痛みが酷く気絶もできない状況ゆえであった。そんな韓馥であるが、どうにか後方へと移動している。率いていた軍勢自体は、家臣の程奐と趙浮が必至に掌握しているので、かろうじて壊滅とはなっていなかったのだ。ともあれ後方へと戻った韓馥は、知らせを受けた劉逞によって派遣された華佗により診察が行われている。しかしながら華佗の腕をもってしても、前述した様に完治させるなど無理な話である。せいぜい、亡くなるまでの時間を幾許か……それこそ一日か二日延ばすことぐらいしかできない。もっともこれは、華佗だからできると言っていいだろう。他の医者ならば、今日中にも亡くなっていたのは間違いなかった。


「常剛様。こ、この様な、状態で、誠にあいすみませぬ」

「よい。文節殿。無理はするな」

かたじけない」


 どうにか治療が終わった頃、劉逞と韓馥は面会を果たしていた。これは韓馥が希望したことであり、華佗の反対を振り切ってまで切望したのだ。劉逞としては、韓馥に対して不満の一つや二つ……いやそれ以上にある。だが流石に、間もなく亡くなると聞かされた韓馥に対し、そこまで鞭打つようなことをする気はなかった。実際、会ってみて分かったことだが、確かに韓馥の顔には死相が浮かんでいると言っていい。たとえ華佗より聞き及んでいなかったとしても、韓馥が長くないことを劉逞は容易に想像できてしまっていた。


「して文節殿、我に話とは何か?」

「……実は……わ、我が軍勢、常剛様に預けたいと」

「何だと? 本気で言っているのか?」

「我の体は、我が一ば……ん分かります。もう……長く、はない、でしょう。そこで……常剛様に我が軍勢をお、お預けしたいのです」


 韓馥には、子供がいない。だから、あとを託せる者がいないのだ。そこで韓馥は、劉逞に将兵を預けることにしたのである。彼は冀州においては、特に高名である。劉逞が冀州の常山国出身であり、皇族の常山王の一粒種であることに加えて、【黄巾の乱】以降に功名を挙げ続けていたことがその背景にある。その様な経歴を持つからこそ、劉逞ならば将兵を託せると考えてのことであった。なお、韓馥の行った推測と判断だが、当たりであると言っていい。そもそも劉逞からして、無駄に将兵を散らすような戦いなど気が進まないのだ。しかも今回の場合、亡くなった者より託されるという形となる。しからばなおさらに、彼らを使い捨てのような扱いをする気などならないからのだ。


「……よかろう。確かに文節殿の願い、この劉常剛がうけたまわった!」

「感謝……致します、常剛様」


 これにより、韓馥が率いていた軍勢は劉逞の軍勢に吸収されることになる。また韓馥は、冀州に残し自身の代理としている別駕従事の沮授を筆頭とする者たちにも書状を出しことの顛末を告げていた。冀州治府にてあとを任されていた者たちも、いわば遺言といっていい韓馥の意向には従うことを大勢として決めたのである。とは言え、全ての者が従ったわけではなかった。少数だが一部の者に関しては、韓馥の意向に従うのを是とはせずに野へと下ったのも事実である。しかし、主要な者たちは従うことを是としたのだった。なお、韓馥自身であるが、冀州に残していた沮授たちからの返書を待てるだけの時間は流石になかったのである。彼は冀州に残してきた者たちからの返書が届いたことを認めることもなく、陣没してしまったのであった。





 虎牢関へと撤収した董卓勢だが、被った損害は意外に大きかった。袁紹の率いていた先鋒へと攻勢をかけた徐栄と李蒙は、撤退を決めた際にもしっかりと殿しんがりを置いて行ったので、追撃を無難に躱したと言っていい。しかし、呂布に討たれてしまった華雄と華雄の代わりに軍勢を任されていた王方が率いていた軍勢の被害は相当なものであったのだ。その証拠というわけでもないのだろうが、王方自身がそれなりに深い手傷を負っている。このことからも、察することができると言っていい。事実、王方の容体だが、どうにか動くことができるといった具合である。とてもではないが、将として軍勢を率いるなど難しい状態であった。ましてや、武器などをもって大立ち回りをしろと言われてはまず無理である。要は、軍勢を預かっている将が、そのような状況に追い込まれるぐらい厳しい撤退戦であった。ともあれ重傷を負いつつも、どうにか虎牢関へと戻ってきた王方であったが、彼はなんと簡単な治療を施して貰うと、報告の為に徐栄の元を訪れたのである。かなり無理をしていることは誰からの目からも明らかではあったが、それでも王方は報告をと徐栄の元を訪れたのであった。


「貴殿。その怪我、大丈夫であるか?」

「な、何のこれしき」

「……そうか。このまま休ませてやりたいところではあるが、まずは報告を頼む」

「わ、分かっております」


 その後、王方は、痛みの為に時々とこどき表情を歪ませながらもどうにか報告を行う。しかし王方の頑張りもそこまでであり、どうにか報告を終えたあと、彼の意識は遠ざかってしまう。兎にも角にも、報告を聞き終えた徐栄は、王方に休ませるようにと申し渡していた。

 こうして王方が運ばれたあと、徐栄は王方が意識を取り戻したあとで洛陽へ移動するように追加の命を出している。前述した様に、とてもではないが、即座の戦線復帰は難しいであろうと判断したからだ。同時に徐栄は、今回の戦で生じた怪我人を後方へと下がらせることを命じる。のちに意識を取り戻したあとで徐栄からの命を伝えられた王方は、痛みの表情の中に悔しさと取れる表情も滲ませたと言う。だが、自身が負った怪我が重いことも理解していた王方は、不承不承ふしょうぶしょうながらも徐栄の命を受諾したのであった。


「承衡殿が討たれたことは痛いが、それでも被害と言う意味では敵の方が多いであろうな」

「それはその通りであろうな」

「しかし問題は、いいところ前哨戦であるというところだ」

「……それも、確かに……」


 徐栄と李蒙が言っていることだが、あながち間違いでもない。確かに袁紹の軍勢と韓馥の軍勢に損傷を負わせてはいるものの、まだ敵の軍勢には実質的な総大将となる劉逞や、彼の下で匈奴の軍勢や鮮卑の軍勢と戦を交えた劉備。他にも曹操や孫堅といった、それこそ一線級の将が控えているのだ。とてもではないが、一撃を与えたと喜べる状況にはない。しかも、彼らは援軍を期待できないのである。豫州からも孔伷の軍勢が侵攻しているし、南陽に駐屯している袁術の軍勢も動き始めたと聞き及んでいる。また皇甫嵩にしても、今までは動きを見せていなかった。一度は撃退した王匡率いる軍勢が動き始めている可能性があるとの情報があって動きが取れないでいるからだ。その上、総大将である董卓は長安への移動を指揮している筈である。この様な状況下では、流石に援軍など望める筈もなかった。


「やはり、ここは籠城か」

「うむ。そして折を見て、引かざるを得まい」


 虎牢関も難攻を謳われており、簡単に落ちるとは思えない。だからといって、援軍の当てが薄い籠城など勝ち目があるとは思えなかった。ゆえに虎牢関における防衛の大将である徐栄は、敵に痛撃を与え続けて出鼻を挫き、その隙に兵を引くつもりであった。無論、この方針に関して董卓からの許可を得ている。そうでなければ引いたが最後、徐栄や李蒙が董卓から討たれかねないからであった。


「こうしてみると、なおさらに承衡殿が討たれたのは痛い」

「とは言え、この状況で嘆いても致し方なかろう。せいぜい、奮起しようではないか」

「そう……であるな」


 勝ちか負けかと言われると、正直に言って微妙ではあるが、それでも一旦は敵を撃退したことに間違いない。あとはこの余勢を糧として、どうにか後方へ引く好機を得る為の戦を行うべく徐栄と李蒙は決意を新たにしていたのであった。

文中、華雄の字を「承衡」と表記しておりますが、

これは、拙作独自のものですのでご了承ください。



別連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」も

併せてよろしくお願いします。

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ご一読いただき、ありがとうございました。

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