第七話~幽州黄巾賊の撃退~
第七話~幽州黄巾賊の撃退~
光和七年(百八十四年)
涿郡の中にある良郷、ここに鄒靖は本陣を置いていた。それというのも良郷は、広陽に近いのである。皇甫嵩に援軍要請を行う以前から広陽郡の奪還を狙っていた鄒靖であり、この地に駐屯しているのもある意味で当然と言えた。そこにきて、漸く待ちわびた援軍が到着したのである。もはや、鄒靖に広陽郡奪還へと動くことに躊躇いなどなかった。
彼は援軍を率いていた劉逞と顔を合わせたあと、間髪入れずに広陽奪還の提案をしている。しかし到着直後であり、流石にその意見には劉逞も同意できない。兵たちの疲労を抜く為にも、二日の滞在を言い出していた。
すぐにでも行動を起こしたい鄒靖ではあったが、その一方で援軍の協力を得られなければ黄巾賊の撃破は難しい。ゆえに鄒靖は、内心でぐっとこらえると劉逞の申し出を受け入れたのであった。
しかしてこの官軍の動きについては、当然だが黄巾賊も把握している。幽州全体は別にして、少なくとも広陽郡は黄巾の勢力下であるのだ。その勢力下のすぐ近くで敵ともいえる軍勢が大規模に動いていれば、知られるのは当然の帰結であった。
その兵数から漢の本気度を感じた黄巾賊側は、迎撃をするべく広陽から軍勢を出す。当初は籠城をと考えていたのだが、敵に援軍が加わっていることで彼我の兵数差が少なくなっている。その状況では籠城を行っても、今までのように撃退するのは難しいのではとの思いが黄巾側に流れたからである。何より、兵数がかなり増えた相手を拠点に籠った状態で待ち構えるという事態に、黄巾賊側が耐えられなかったのだ。
専属の兵士であっても、押し寄せてくる敵を待ち構えることには精神的な圧力を感じるものである。所詮、元は農民が兵の大半を占める黄巾賊が耐えられる筈もなかったのだ。それゆえ、黄巾賊の大半は出陣を望んでいたというわけである。内心で恐怖を感じながら待つより、打って出てしまった方が楽となる。出陣さえしてしまえば、あとは敵と当たるだけだからだ。
つまり黄巾賊は、勝てる見込みがあって出陣したのではない。精神的に追い詰められたことで、安易な逃げ道として出陣したに過ぎなかった。そんな黄巾賊の動きだが、斥候によって劉逞や鄒靖に齎されることとなる。帰ってきた斥候から報告を受けた劉逞と鄒靖は、わざわざ出向いてきた黄巾賊を討つべく主要な将を集める。そして軍議を開いたわけだが、その席で事実上の軍師という立場に盧植はあった。
そもそも亡き大学者馬融の高弟として名を馳せていた盧植であるが、さらに劉逞の軍師としての名もこの黄巾賊との戦いで上がっていたからである。そして鄒靖も、盧植ならばと受け入れている。これがもし名の売れていない者であったならば、鄒靖も頑として受け入れなかったであろうことは想像に難くなかった。
「さて、いかにして討ち取るか」
軍勢の総大将を務める鄒靖はそう口を開いたが、彼の視線は既に盧植に向けられている。その視線を受けて盧植は頷くと、周辺の地図を机の上に広げた。この辺りは平原となっており、軍勢を展開するのはお互いに難しくはない。だが、それゆえに奇策は難しいとも言える。例外があるとすれば、平原の端の方に存在する森の存在であった。
「校尉殿。ここは、軍勢を三つに分けましょう」
「三つ?」
「ええ」
思わず問い返していた鄒靖に一つ頷くと、盧植は地図を指し示しながら説明を始めた。
主力となるのは、鄒靖の軍である。これまでも幽州の軍勢の主力となっていたこともあり、敵である黄巾賊も鄒靖の軍勢に対してそうした思いを持っている。だからこそ、彼らは主力となり得るのだ。
もう一つの軍勢は、劉逞が率いてきた援軍となる。この軍は戦場を回り込む様に進み、先に当たることになる鄒靖の軍勢と戦う黄巾賊を側面から急襲するのだ。しかしそうなると、盧植が三つに分けると言った意味が分からなくなる。ならば三つに分けた意味はどこにあるのかというと、実は鄒靖の軍も劉逞の軍も囮でしかない。本命は、もう一つの軍勢である。そしてこの軍勢を率いるのは、何と公孫瓚であった。
つまり盧植の立てた策とは、劉逞と鄒靖が率いている軍勢で黄巾賊を引き付けることで、黄巾賊側に周囲への警戒を薄れさせることにある。その隙を突いて公孫瓚が率いる兵によって奇襲を掛けて、敵を撹乱させるのだ。こうして浮足だたせることができれば、あとは個々の強さがものを言うからだった。
盧植の策を聞いて、鄒靖は賛同する。そして劉逞も、そして将として参加している劉備や公孫瓚からも否はなかった。そして劉逞に同行している趙雲や夏侯蘭、さらには劉備に同行している簡雍や劉逞が名を知らなかった男からも否定するような意見は出なかったのである。なお、劉逞が名も知らぬ男だが、名を張飛益徳といった。
なお、今回の作戦で本命となる公孫瓚が率いる兵だが、全員が騎馬で構成されている。圧倒的ともいえる速度を持って、前述した通り黄巾賊を混乱させることを目的としているからだ。しかも公孫瓚自身、馬を使った戦を得意としている。ならばこの状況で、騎馬隊を彼に着けない理由がなかった。
軍議を終えたあと、軍勢を止めたということもあってそこで夜を明かすことになる。その裏で公孫瓚は、夜陰に乗じて騎馬で森へ移動していた。そんな敵の様子など、黄巾賊に全く気付く様子はない。その証拠というわけではないが、黄巾賊もその日は停止して夜を明かしたのであった。
翌日、鄒靖が総大将となる漢の軍勢と幽州黄巾賊の主力が草原で対峙した。兵の数では、まだ黄巾賊の方が多い。だが軍勢を構成する兵の殆どは、雑兵といえる。そして将兵の練度という意味でも、漢の軍勢の方が上であった。
その両軍は暫くの間、黙って対峙していた。だが、どちらかともなく大将の腕が上がる。そして殆ど同時に、声を張り上げたのであった。
『掛かれー!』
『おおー!!』
漢の軍勢と黄巾賊が、各々の大将の命に従い動き始めた。しかも劉逞と鄒靖が二つに分かれたことで、黄巾賊側も合わせているかのごとく軍勢を分けている。ただしこの場合、分けたというより敵軍の構成に引き摺られた結果だと言っていい。つまり意図的に味方を分けたのではなく、敵が分かれたから自然とそうなってしまったのであった。
この敵勢の様子を見て、鄒靖は笑みを浮かべてしまう。援軍で味方が増えているところにきて、黄巾側がありがたくも軍勢を分けてくれたからだ。今までは籠城と兵数、この二つの要素で負けていたからこそ勝ちを拾うことが難しかったのである。だが図らずも、その二つの要素が持つ強みが薄れている。これで大分楽になった、鄒靖は内心でそう独白していた。 しかしながら、ここで徐ろに攻勢へ出るなどという判断を彼はしない。盧植の提示した策の通り、彼は黄巾賊を引き付ける役に徹しているのであった。
そして、一方の軍勢を率いる劉逞もまた、鄒靖と同様に黄巾賊を引き付けるだけに留めている。そもそもからして、師でもある盧植が提案した策である。その策の目論見が完全に潰されたというならばまだしも、現状は策の通りに戦場が推移している。この状況下で、わざわざ提示された策を壊すかのような動きをする筈がなかった。劉逞は、巧みに兵を動かして黄巾賊を翻弄する。その為、黄巾賊が周囲に目を向けるだけの余裕は生み出せていなかったのであった。
森に隠れている公孫瓚だが、身を潜めていた森の中から既に森の際にまで移動していた。そこで彼は、斥候として出した者の到着を待っていたのである。しかし内心では、焦れていたのだ。果たしてその気持ちは、分からないでもない。何せ遠巻きとはいえ、戦が始まっているのが見えているのだ。それであるにも関わらず、今はただ待つしかない。その事態に、歯噛みしていたからだった。
すぐに打って出たいが、それはできない。じりじりとした思いが公孫瓚の胸のうちで渦巻いていたのだが、ついに彼の元へ斥候が戻ってくる。その者の報告によれば、黄巾賊は目の前の敵を倒すのに集中しているようで、周囲への警戒はかなり低い。要は、完全に盧植のたてた策に嵌っている状態なのだ。その報告を聞いた公孫瓚は、右の掌に左の拳を打ち付ける。そんな彼の表情は、笑みよって彩られていた。
「全員、騎乗!」
自分の愛馬に跨りながら、公孫瓚は騎馬隊に声を掛ける。その言葉に従って、全員が馬に跨った。彼らは大将の公孫瓚を含めて、馬術が特に長けた者たちである。ゆえにその仕草は見事であり、誰一人として無様な姿を見せた者はいなかった。
「突撃だ!」
『おう!』
公孫瓚の号令一下、騎馬隊が森より打って出る。彼らは先頭を駆ける公孫瓚に従い、まるで一筋の矢のごとく黄巾賊へと突き進んでいった。
言うまでもないことであるが、騎馬隊による突撃となればその迫力は相当である。それゆえに、この騎馬隊の動きに対して気付いた黄巾の者はそれなりにいたのだ。気付いた黄巾賊は慌てて新たな敵の来襲に声を張り上げるが、その大半は戦場の喧騒によってかき消されてしまう。だが、全く聞こえなかったわけではないので、少しずつだが騎馬隊の急襲を把握していった。
やがてその報告が、黄巾賊を率いる将の元へと届く。しかしその頃になると敵騎馬隊はすぐそばにまで迫っており、とてもではないが命令が間に合う状況ではなかった。
「貫けー!」
公孫瓚の言葉通り、騎馬隊は真一文字に黄巾賊の横腹へと突撃する。そのまま乱戦になるかと思われたが、そうはならなかった。公孫瓚は、黄巾賊の一隊を横から貫き通すと、そのまま分かれているもう一隊へと突撃したからである。そしてこの敵部隊に対しても、公孫差が率いている騎馬隊はただ真直ぐに駆け抜けていったのであった。
しかしながらこの突撃により黄巾賊は、一時的とはいえ四つの集団に分かれてしまう。敵が四つに分かれたということは、一つ一つは鄒靖の率いる本隊の兵数にも、そして劉逞が率いる援軍の兵数とも数の上で劣るということに他ならない。つまるところ、各個撃破する状況が生み出されたというわけである。そしてこの生じた隙を、劉逞も鄒靖も見逃すはずはなかった。
機と見た二人は、先ほどまでとは違ってまるで火が噴き出すかのような勢いで攻め始める。公孫瓚率いる騎馬隊による奇襲というだけでも十分に浮足立ってきていたところに、一転した猛烈な攻めである。この状態に、雑兵が大半を占める黄巾賊が耐えるのは難しかった。
彼らは一人、また一人と兵が逃げ出し始める。それが数人となり、やがて十人からそれ以上になり始めるとそこが限界だった。黄巾賊は、悲鳴を上げながら雪崩を打って逃げ出し始めたのである。彼らは手にしていた武器すら放り投げて逃げ出すその様子は、狂乱と言っていいだろう。しかしだからと言って、劉逞も手を抜くなどしない。すぐさま韓当に命じて、追撃に移らせていた。
さらにこの動きに少し遅れた形だったが、鄒靖も追撃を命じている。劉逞旗下の兵も鄒靖旗下の兵も、同様に敵を次々と討ち取っていく。果たしてそこには、容赦というものは一切感じられなかったのであった。
四つに分かれた黄巾賊のうち、後方にあった二部隊は損害を被りながらもどうにか戦場より撤退に成功する。もっともそれは、最前線にいた二部隊をいわば犠牲にした結果であった。文字通り兵の半数を失った彼らは、不利であることを悟ったらしく駐屯していた広陽へは向わず、幽州の治府がある薊へと向かっている。そこに籠って、劉逞や趨勢の攻めを凌ぐ気であった。
判断としては、間違っていない。だが、彼らはたった一つ致命的な間違いを起こしていた。それは、被った損害の規模である。そもそも彼らは、幽州における黄巾賊の主力を率いていたのだ。つまり今回の戦は事実上の決戦であり、その決戦に敗れたことの影響を考えていなかったのである。
今までは漢の軍勢と戦い、負けないどころか勝ち戦をしていた。だからこそ、幽州での勢力を維持できていたのである。だが、この戦で半減以上の被害を受けている。こうなってしまうと、兵の増強などほぼ無理である。何より、味方の士気を維持することも難しくなっていた。ましてや、敵に劉逞の援軍が増えたことと今回の負け戦で兵数が彼我で逆転している。その為、ついには逃亡する者も出始めているのだ。
黄巾賊を率いる将である渠帥は、粛清することで逃亡を押し留めようとする。しかしそのことが、さらなる逃亡を招くことになっていた。そんな中、幽州の黄巾賊との決戦に勝利した鄒靖は、まず広陽へと入っている。これで今回の戦における一つの目標を果たした形であった。しかし、幽州の中枢となる薊の奪還はまだである。それを考えればまだ道半ばであり、まだ浮かれるには早すぎるとして気を引き締めていた。
彼の本音を言えば、すぐにでも薊へ進軍したいところである。しかし劉逞や盧植が休息を挟むべきだと反対したこともあって、それから三日ほど広陽で駐屯していた。そこで将兵から戦における疲れを抜くと、ついには意気揚々と薊へ進軍を開始したのだ。
しかも進軍の間、邪魔らしい邪魔などが入らなかったこともあり、問題なく目的地へ到着したのである。さっそく軍議を開いたのだが、そこで薊に密偵を忍ばせた劉逞から、敵の様子を知らされたのであった。
「校尉。薊では、逃亡が相次いでいるようだ。ゆえに士気は最低、兵数もかなり減っている」
「なるほど……これならば、我らだけでも十分ですな。それゆえに常剛様には、後詰をお願い致します」
鄒靖がこう言い出したのには、二つの理由がある。一つは、最終目的の達成こそ自らの手でしたいという思いである。そしてもう一つは、皇族とはいえ援軍である劉逞にこれ以上の手柄を与えたくないというひどく個人的な理由であった。
そんな鄒靖の考えに、盧植はすぐに気付く。しかし劉逞は、経験が盧植ほどにはないのでそこまで察しはよくなかった。しかし鄒靖が醸し出している雰囲気から、何となくだが想像はついていたのである。彼は少し考えたあと、不意に盧植へ視線を向ける。すると盧植は頷いており、その仕草が持つ意味を正確に把握した劉逞は鄒靖の言葉に異論を唱えることもなく承諾したのであった。
しかし、結果としてこのことが劉逞たちにとっての幸いとなったのは皮肉といっていいだろう。その理由は、鄒靖による薊への攻めが原因であった。戦が始まると間もなく、その混乱に乗じた形で幽州の黄巾賊を率いていた渠帥が逃亡を図ったのである。しかしながらその渠帥は、趙燕率いる部隊によって捕らえられてしまったのだ。つまり、後詰に回ったことで、図らずも手柄を立ててしまった形である。この報告をのちに聞いた鄒靖は、思いっきり眉を顰めていたと言う。
いささか、鄒靖には不本意な形となってしまったといえるだろう。だがそれでも広陽郡に跳梁していた幽州の黄巾賊は、鄒靖により蹴散らされ劉逞によって渠帥が捕らえられるという形を持って終了したのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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