第六十七話~反董卓連合 十一~
第六十七話~反董卓連合 十一~
初平元年(百九十年)
冀州魏郡の鄴から出陣した劉逞は司隷へと進軍し河内郡に入ると、山陽の地を目指した。山陽には、雍城と蔡城という二つの城がある。劉逞はそこに駐屯することで、袁紹が大将として率いている河内郡からの軍勢の後詰をするつもりであった。しかしながら、山陽の手前にある修武という地へ到着する少し前に王匡が董卓の策によって敗れたとの知らせが届いたのである。だが幸いなことに、袁紹が率いる河内郡から攻め込む本隊に損害を被ってはいない。あくまで先鋒から被害が出たというものであった。だがそれであるにも関わらず、味方の士気は下がってしまったという。しかもこの事態に際し、袁紹も進軍に及び腰になったという知らせまで合わせて飛び込んできたのだ。
これには、劉逞も怒りを覚える。先鋒を率いていた王匡が破れたこと、これはまだいい。いや、決していいわけではないのだがそれでも失点を取り返すことはできる。何せ勝ち負けは、戦の常である。たとえ負けたとしても、次に勝てばいいだけだからだ。しかしながら、一戦もしていない袁紹が及び腰となったというのはいただけない。劉逞が怒りを露にしたのも、当然であるといえた。
「それでも名門袁家の人間か! しかも袁紹は、宗家に近いのだろうが!!」
思わず報告を床に叩きつけながら、劉逞は言葉を荒げてしまった。流石に劉逞の家臣たちも庇い立てはできず、黙っているしかない。それから床に叩きつけた報告を踏みにじっていた劉逞だったが、少しでも気持ちが落ち着いたのか椅子に腰かけたのである。それでも苛立たしいのは間違いがないようで、そのことを証明するかのように自身の太ももに置いた指を忙しなく動かしていた。それから暫くの間、劉逞は指を動かしながら目をつぶっていたのだが、やがて目を開く。そのまま立ち上がると、ゆっくりと口を開いたのであった。
「このまま、進軍する。行き先は……隰城だ!」
「隰城ですか。して常剛様、その後はいかが致しますか? この状況では、黄河の渡河は難しいかと思われますが」
「分かっている、伯喈。もはや当初の予定通りに動くのは、無理だろう。だから、南に向かうつもりだ」
隰城とは河内郡の郡治府である懐にある城で、現在は袁紹が河内郡より攻める部隊と共に駐屯している。当初の予定では河陽津を確保しあとで黄河を渡河し、その後は洛陽へと進軍するつもりであった。しかし今回の戦の結果、洛陽近辺で黄河を渡河できる地はことごとく董卓の軍勢に抑えられてしまっている。これでは河内郡から洛陽へ攻め込むのは、彼が述べたように難しくなってしまっていた。そこで劉逞が考えたのは、まず袁紹の軍勢と合流する。その上で河内郡からの侵攻は取り止めて南に向かうというものであった。ならば南に向かうという意味は、何を指しているのか。その答えは、劉備率いる軍勢にあった。要するに劉逞は、酸棗から虎牢関へ攻め込むはずの劉備率いる軍と合流するつもりなのである。この四路に分けていた軍勢の内で二つの軍勢を合わせることで戦力を増強し、そして虎牢関を落として洛陽へ攻め込もうと考えたのであった。
だが、なぜに劉逞は方針を変えたのか。いかに王匡が手痛い損傷を受けたとは、彼らはあくまで先鋒でしかない。軍全体から考えれば、それ程の手痛い損害とは言えなかった。それであるにも関わらず当初の方針を変えた理由、それは劉逞が袁紹たちを当てにできないと判断したことにある。今までも碌に戦いもしなかったこともさることながら、先鋒が損害を受けたぐらいで戦そのものに及び腰となっている。とてもではないが、一軍を預けていようとは思えなくなってしまったのだ。ゆえに劉逞は、攻め口を一つ減らしてでも自らが指揮する兵の数を増やそうとしたのだった。
すると劉逞の言葉にあえて疑問を唱えた蔡邕は勿論、盧植や程昱などといった彼ら軍師たちも劉逞が述べた言葉の持つ意味を正確に察していたのである。既に述べたが、現状では黄河という大河を董卓側に押さえられてしまっている。これでは、河内郡から攻めるのは厳しい。ならば、劉逞の考えも決して悪いわけではなかった。
「それもよろしいかと。これで、敵の矛先を変える意味も出ます。我らも虎牢関へと向かいましょう」
「うむ」
流石は盧植……いや、我が軍師たちだと劉逞は感心する。それと言うのも、盧植を筆頭とした軍師たちの様子から劉逞は、自身の言葉の持つ意味を察したことを理解したからだ。その証拠に、誰も反対の意を示してはいない。それどころか、盧植の言葉に頷いているのだ。ともあれ軍師たちの理解を得られた劉逞は、曹操と韓馥を呼び寄せる。それから、つい先日起きた「河陽津の戦い」と名付けられることとなる戦の結果と、袁紹の率いる軍の士気が落ちた旨を知らせる。そして劉逞は、先に述べた考えを二人に告げたのだ。
果たして話を聞かされた曹操も韓馥だが、二人も反対はしない。現状では、河内郡から黄河を渡河することは難しいと判断した劉逞と同じ考えだからだった。
「承知しました」
「しかり」
曹操と韓馥の賛同を得られたことで、ついに方針が決まる。すると劉逞は、すぐに袁紹と劉備へ使者を差し向けたのであった。すると距離の関係もあって、先に使者が到着したのは袁紹である。そして使者から劉逞の命を聞いた時、袁紹は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべていた。もはや自分には兵を任せられないと、言われたに等しかったからだ。
「いかに皇族とはいえ、我を……名門袁家の次期当主であるこの袁本初を愚弄するか!」
「お気持ちをお沈めください。ここで仲違いはできません、あの董卓に付け込まれます。ここは、堪忍にございます」
ほんの少し前まで戦に対して及び腰であった人物とは思えないぐらい怒りを露にした袁紹に対して諫めたのは、軍師の一人である郭図である。流石にここで劉逞へ反発しようものなら、袁紹にそして自身の身に何が降り掛かるか分からない。上手く立ち回ることができれば問題などないが、流石に楽観視できる状況ではないのだ。なればこそここは我慢をし、いずれ鼻を明かしてやればいい。そう判断したからこそ郭図は、袁紹を諫めたあとにそのような言葉を続けたのである。すると袁紹は、その言葉で幾分でも気持ちを落ち着けることができた。郭図の言った、あとで劉逞の鼻を明かすという言葉が存外気に入ったからである。何せこと戦に関して言えば、劉逞の評価は高い。その劉逞の鼻を明かせるとすれば、この場は怒りを抑えて留飲を下げるのも悪くはないと思えたからであった。
「……公則、分かった。今は従おう」
「流石は袁本初様。ご賢明な判断にございます。」
「うむ」
郭図の言葉に、まんざらでもない顔をする袁紹であった。
その後、袁紹は郭図の進言もあって彼は使者へ劉逞の命を了承する旨を伝えている。すると使者は、劉逞の元へ取って返した。戻ってきた使者より返答を聞いた劉逞は、すぐに進軍を開始する。やがて目的の隰城へと到着した劉逞は、約定通り袁紹が率いていた軍勢を吸収したのであった。またその頃には、劉備の元へ派遣した使者も戻ってきている。こちらは袁紹と違い、臍を曲げるようなこともなかったのである。何せ劉備は、同じ師を持つ兄弟弟子である。しかも黄巾の乱が一まず終結して暫くしてからはずっと、上司と部下という形に今まであったのだ。それだけ長い付き合いもあるが、そもそも劉備には劉逞に対して特段反意を持つ理由がない。それより何より、虎牢関を攻めるに当たり戦力が増強されるのだ。寧ろ劉備としても、有難い話である。なればことさらに、反対する理由はなかったのであった。
ともあれ、無事に袁紹が率いていた軍勢を吸収した劉逞は、隰城にある程度の兵を残すことで河内郡が董卓から攻め込まれないような手筈を調える。その後、劉備が率いている酸棗に駐屯していた軍勢と合流するべく、南下を開始した。そして劉逞が率いる軍勢と劉備が率いていた軍勢が合流を果たすと、旗下に吸収し進軍を再開する。その間に命令系統の一元化を図り、総大将である劉逞が率いる軍勢へと変わっていったのである。その頃に一大軍勢となった劉逞が率いる軍は、無事に虎牢関の近くへと到着したのであった。
すぐに陣を敷いた劉逞は、諸将を呼び寄せる旨を通達すると同時に斥候を虎牢関へと派遣している。確かに劉逞は、虎牢関に籠っている将が徐栄と李蒙であることは認識している。しかし進軍中に、さらなる援軍が虎牢関へ到着しているかも知れない。そのことを危惧しての斥候の派遣であったが、その行動が図に当たることとなる。その理由は、戻ってきた斥候からの報告にあった。
「何? 援軍だと?」
「はい。虎牢関には確かに「華」の旗印がございました」
「……と言うことは、華雄か」
華雄は董卓家臣の内で、もっとも武に優れているといわれる武人である。また将としても、決して油断できる人物ではないとも言われていた。いささか逸るところがあり、懸念あるがそのことを加味しても侮れないことに間違いはなかった。するとその様子を見た袁紹が、小さく不敵な笑みを浮かべる。それから一歩進み出ると、劉逞へ進言したのであった。
「常剛様! ここは、一気に攻めるべきです!!」
「待たれよ、本初殿」
「何ゆえか? 我らは虎牢関を攻めるべく、こうして兵を集めたのであろう? それとも常剛殿は、華雄がごとき援軍に怯えたのか?」
厚顔無恥とは、正にこのことである。袁紹こそ緒戦で董卓の軍勢に敗れたばかりか、数ヵ月に渡って小競り合いぐらいしか仕掛けなかった諸侯の一人である。その人物から怯えたと言われるとは、甚だ心外であった。その気持ちが一瞬でも漏れてしまった劉逞の視線が、そして雰囲気がきつくなる。その雰囲気に飲まれたらしく袁紹は、無意識に体を震わせてしまっていた。しかしその仕草が、劉逞に自身の様子を気付かせることとなる。ここで味方を怯えさせても意味はないと考えた劉逞は、すぐに視線を切る。そのまま目を瞑ると、思案気な様子を醸し出していた。するとその時、曹操が口を開く。彼は汴水での戦いで被った損害を補填する為に一度軍を離れてはいるが、当初の役割であった参謀総長のような地位は以前のままである。つまり、表向きではあるが、反董卓連合軍の筆頭軍師のような立ち位置となっているのだ。
「なれば本初、そなたに先陣を切っていただきたい」
「それは、どういうことだ!!」
「何、一番槍の名誉を差し上げようと思ったに過ぎぬ」
「あ、いや。それは……」
曹操の言葉に、一瞬狼狽える袁紹。元々、劉逞へ対する小さな意趣返しという思惑での言葉でしかない。袁紹は、初めから自身が戦う気などなかったのである。そこにきて曹操から出たまさかの言葉であり、袁紹からすれば全くの想定外でしかなかった。それゆえに彼はいかにして曹操の槍玉から逃れようかと思案する。しかしながら曹操は、間髪入れずに言葉を続けたのであった。
「いずれ、栄えある名門袁家の当主へならんとするそなたである。まさかこの名誉を、断るとは思わぬが……いかがか」
「と、当然である! 先鋒の名誉、この袁本初がいただく! 御異存はありますまいな」
袁家次期当主を狙っている袁紹としてみれば、競争相手の袁術が兵を率いて南陽から攻め上がる手筈となっている現状、恐れているから戦いませんでしたなどという失態を見せるわけにはいかない。その袁紹からしてみれば、曹操の放った言葉を聞いて尻込みするわけにはいかないのである。だからこそ袁紹は、曹操の言葉を肯定したのであった。
「……よかろう。本初殿、そなたに虎牢関への先鋒を任せる」
「応っ!」
言葉だけ聞けば勇ましい返答を残して、袁紹は劉逞の天幕から出る。だがよく見ると、彼の足が少し震えている。しかしながら、誰もその点を指摘しようとしなかった。
なお、劉逞が袁紹の出撃を許可した理由、それは袁紹の態度に不快を覚えたからに他ならない。味方を怯えさせるのは不味いとした判断した劉逞ではあるが、それでも袁紹に対して不快感を持ったのは事実である。そこに来て曹操によって袁紹が出陣せざるを得ない状況を作り出したので、そこに便乗したのだ。とはいえ、そのことを袁紹に悟らせるわけにはいかない。だからあえて袁紹の言葉を聞いたあとで時間を置き、熟慮した上での判断だと思われるように仕向けたのだ。勿論、袁紹へ出陣を言い出した曹操や一部の将は気付いている。しかし、敵の出方を見るにはちょうどいい試金石だと判断し反対しなかったのである。因みに気付かなかった者が反対の意見を出さなかった理由は、藪蛇がごめんだからである。もしここで反対の意でも唱えようものなら、次には自分が先鋒を命じられるかも知れない。その様な貧乏くじなど、御免であった。
ともあれ袁紹は、虎牢関攻めの先鋒として出陣することになる。だが、流石に袁紹だけに任せるというわけにもいかない。そこで劉逞は、盧植たち軍師と相談する。劉逞自身は自らが率いる并州の軍勢を配置して後詰とするつもりだったが、他でもない軍師たちから反対されてしまった。ならばどうするべきだと尋ねると、盧植たちは韓馥を後詰に推薦したのである。諸侯の連合軍である以上は、諸侯に手柄を立てる機会はある程度譲るべきだと進言されたからであった。内心では、彼らが当てになどなるのかと思わないでもない。反董卓連合が結成された当初の頃はまだしも、その後に諸侯の軍勢が辿った経緯を鑑みてみればある意味では当然ではあった。
さりとて、盧植たちの言葉を切って捨てることも難しい。盧植たちが言うように諸侯の連合軍である以上は、やはり斟酌する必要があるからだ。とは言うものの、前述したように韓馥が……これは韓馥に限った話ではないが……当てになるかどうかも怪しい。そこで劉逞は、当初の考えでもあった自身の軍勢となる并州の兵を動かしておく。こちらは、殆ど念の為といっていいだろう。ともあれ劉逞は、たとえ予想外な事態が起きても、どうにか補える体制は調えたのであった。
別連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」も
併せてよろしくお願いします。
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ご一読いただき、ありがとうございました。




