第六十五話~反董卓連合 九~
第六十五話~反董卓連合 九~
初平元年(百九十年)
劉岱を筆頭とした兗州の諸侯の旗幟が不明となったことは、劉逞としても痛いところであった。そこで劉逞は、劉備を大将とした軍勢を派遣すると時を同じくして、使者を派遣していたのである。しかしてその役目を負ったのは、程昱であった。彼は兗州出身であり、しかも策士としても名を馳せている。事実、劉岱が刺史として兗州に赴任した際、彼が既に劉逞へ仕えていると知って、先を越されたと嘆いたぐらいであった。
そのことを知ってか知らずか、劉逞は程昱を派遣したのである。劉岱が刺史として兗州に赴任した時のことは程昱も知っていたが、彼自身はおくびにも出さずに黙って劉逞の命に服したのであった。
「お初にお目に掛かります、公山様。程仲徳と申します」
「うむ。そなたが東阿の策士か、会えて嬉しいぞ。そして、残念でもあるがな」
「恐縮に存じます」
劉岱から手放しに賛辞を送られた程昱であったが、彼は一切そのことには触れず頭を下げただけである。それゆえに劉岱からは見えていなかったが、賛辞を受けているにも関わらずその表情は微塵も動くことはなかったのである。程昱にとって主は、既に劉逞一人だと決めている。今さら劉岱からの賛辞を受けたところで、彼の心が動くこともないからだ。しかも程昱は、劉岱をそれ程評価していないのである。なればなおさら、賛辞を受けたところで心が揺らぐなどとあろう筈もなかった。
「……して、仲徳殿。そなたは、常剛殿よりの使者と言われたが」
「はい。我が主、劉常剛よりの使者として参りました」
そう前置きしてから程昱は、劉逞からの書状を懐より差し出す。その際、程昱の表情どころか雰囲気すらも変わらない様子を見て、劉岱はいささかの不満を覚えていた。その思いが出てしまったのか、劉岱は表情を顰めている。その様子を見て程昱は、内心で「やはりこの程度か……」と見切りをつけたのであった。
両者の思いは一まず置いておくとして、劉岱は書状を広げる。それからゆっくりと、内容に目を通い始めた。しかし読み進めるうちに、劉岱の表情は真面目なものへと変わっていったのであった。
その書状に掛かれていたことは、大きく分けて二つとなる。一つは、董卓と手を結ばないこと。そしてもう一つは、援助であった。果たしてこの援助というのが何を指すのかと言えば、それは兗州の東部の泰山郡で起きていることに由来している。反董卓連合に加わった劉岱であるが、その実、ある問題を抱えていたのである。その問題とは、青州できた黄巾賊残党の蜂起であった。兵を挙げてより瞬く間に青州内に勢力を広げた黄巾賊残党であるが、しかもその動きは青州に留まらなかったのである。隣接する徐州や兗州、冀州の極一部へと広がりを見せていたのだ。そのなかで最大の勢力だったのは、徐州へ侵攻した勢力である。しかしながら徐州へ侵攻した勢力は、討伐軍大将としてそして徐州刺史として抜擢された陶謙によって打ち負かされて青州へと追いやられている。また冀州へと侵攻した勢力はというと、こちらも押し返されていた。しかしながら、兗州だけは押し返すことができなかったのだ。
泰山郡の太守である応劭が大きな働きを見せたお陰で、侵攻してきた黄巾賊残党を泰山郡にて押し留めることに成功している。しかし、それが限界であった。そこで兗州刺史である劉岱は、自ら兵を率いて黄巾賊残党を蹴散らそうと考えていたのだ。しかし、その前に反董卓連合の話が持ち掛けられたのである。確かに黄巾賊残党を放っておくことは、決して宜しいことではない。だが、ことは天下国家の一大事である。しかも劉岱自身、先祖は漢の高祖である劉邦にも繋がっている。どちらを優先させるか、劉岱の中では決まりきったことであった。
話がそれた。
ともあれ劉岱は、反董卓連合に参画しては見たものの、緒戦で破れたことで畏れをなし、進軍することを躊躇っていたのだ。途中で曹操に発破を掛けられたものの、結果だけ見れば兵糧を食い潰して兗州の諸侯を中心に構成された軍勢を解散させてしまっている。そこで劉岱としては、この辺りで汚名返上、名誉挽回をしておきたいところなのだ。しかしながら、そう簡単には動けない。何せ劉岱は、既に兵糧を食い潰してしまっている。これでは、軍を動かそうにも動かせるわけがなかった。それどころか、日々の食料すらも怪しい雰囲気がある。間もなく収穫期ではあるが、そこまで持たせられるか実に微妙な量しか残されていないのが現状であった。
「こ、これは真か!」
「は。主は、公山様へ食料の援助を行いたいと申されております」
確かに書状には、劉岱から食料の援助の申し出が記されていた。流石に無制限とはいかないが、相応の量が約束されていたのである。これだけあれば、泰山郡にて押し留めた黄巾賊残党を押し返すだけの軍勢を組織することができる。ある程度の節約を心掛ける必要はあるが、それでも軍勢を起こすことはできるのだ。これこそ、天からの慈雨に等しい。とは言うものの、何の見返りもなく食料の援助を申し出てくる筈もない。だがその見返りは、既に書状に記されていたことであった。
「……そうか。それが董卓の件か」
「流石は公山殿、ご明察にございます」
ここで程昱は、あえて劉岱を持ち上げていた。前述したように劉岱は、汚名返上、名誉挽回の機会を探っている。ここで功を挙げれば、その機会を得られるのではと暗に告げていたのだ。
「なるほど。董卓と結ばなければ、いいのだな」
「はい」
今さら劉逞も、そして程昱も、劉岱に再び反董卓連合へ参画して貰おうなどとは露ほどにも思っていない。寧ろ、参画して貰わない方がありがたいとすら考えていた。だからこその、食糧援助である。ともあれ劉岱は、劉逞からの要請を受諾したのだ。ここに兗州の諸侯は、いまだに反董卓連合に参画している張邈と鮑信を除いて完全に連合から離脱したのであった。
劉岱の意志が固まった頃、劉逞の元にある人物が戻ってくる。それは、揚州で兵を集めていた曹操であった。揚州へと赴いた彼は、運よく揚州刺史の陳温と丹陽郡太守を務める周昕の協力を得られたのである。その為、順調に兵を集めることに比較的短時間で成功していたのだ。特に丹陽郡太守の周昕には気に入られたようで、何と弟の周喁を同行させているのである。その弟も兄に負けず才のある人物であり、曹操も周喁を気に入ったのか、彼を軍師にまで抜擢していたのである。それまで曹操の軍師と言えば陳宮ぐらいであったのだが、周喁を軍師に抜擢したことで漸く厚みが出てきたのであった。
「よく戻った、孟徳殿」
「兵五千を集めましてございます」
「うむ」
兵五千、これは曹操が反董卓連合の一人として兵を挙げた時よりも幾許かだが多い数となっている。それだけの兵を集めることができたのも、前述した通り揚州刺史と丹陽郡太守から親身な協力を得られたお陰であった。一方で劉逞だが、曹操が戻るのを切掛けとして大規模な侵攻を行う計画をしていた。現時点において、展開している軍勢はそれぞれ司隷河内郡と兗州陳留郡、豫州潁川郡と荊州南陽郡に駐屯している。しかし今までは、南陽郡に駐屯している袁術だけは動くことが叶わなかった。それは荊州での動乱が、収まっていなかったからである。何せ荊州は、下手に策を弄したことで最終的には孫堅に討たれることとなった前荊州刺史王叡の影響が残っていたからだ。しかし後継として、董卓の命で荊州に入った荊州牧の劉表が、南陽を除く荊州北部の鎮圧に成功したのである。すると劉表は、かねてからの約定通り、正式に反董卓連合の一員として参画を表明する。これで後顧の憂いが無くなったことで、袁術も漸く動けるようになったというわけであった。
なお、今あげた四軍とは別に、匈奴の軍勢もいる。彼らは劉逞からの要請で、漢との国境近くの領内で軍勢を集めていた。だがこれは、あくまで牽制の為である。并州方面に董卓の軍勢が進軍できないように、睨みを効かせる為であった。もっとも劉逞は、今回の一大攻勢に限らず匈奴の軍勢を使う気は今のところはない。兵力の信用度という意味では十分に高い軍勢ではあるが、それでも匈奴は他国に違いない。現状ではあくまで漢国内での問題なので、他国の勢力である匈奴をこれ以上、関与させるつもりはなかった。
「いよいよ、攻勢に出る」
「そうですか……ところで常剛様、皇甫将軍ですが、やはり首を縦には振りませぬか」
曹操の問い掛けを聞いた劉逞は、表情を歪めていた。前述した通り、洛陽近郊には皇甫嵩の軍勢がいる。長安に駐屯していた彼を、董卓が呼び寄せた為である。勿論、ただ呼び寄せただけではない。代わりの者として、朱儁を長安へ向かわせていた。その為、長安近郊の治安は保たれている。その為、涼州で勃発した反乱も皇甫嵩がいなくなった現状でも押さえつけられていた。
話を戻して皇甫嵩であるが、劉逞は彼に借りがある。盧植を劉逞から引き剥がそうと十常侍が暗躍した際に、皇甫嵩の働きで防がれたことがある。その借りを返すべく劉逞は、皇甫嵩に対して味方となるようにと働きかけをしているのだが、彼が了承しないのである。頑として受け入れず、正に暖簾に腕押し糠に釘の状況であった。
「……残念ながら、な。しかし、今攻勢に出なければ、こちらの士気は下がるばかりだ」
「陳留郡では撃退に成功したようですので幾らか戻っているようですが、これも一時的。いずれは、下降に転じますからな」
「そうだ。ゆえに今、一斉に攻勢を掛ける。この機会、逃すことはできぬ」
そう言いながらも劉逞は、何かを我慢するかのような雰囲気であった。果たしてそれも、当然である。ここで攻勢に出るということは、皇甫嵩と干戈を交えるということに他ならないからだ。しかし劉逞自身が曹操へと言った様に、今こそが攻め時である。情に流されて、大義名分を失うわけにはいかなかった。
「確かに、攻め時ですからな」
「そう言うことだ……孟徳殿。我らは一月後を持って、一斉に攻勢へ移る!」
「承知!」
こうして、洛陽を攻める為の作戦が発動することが決まったのである。とは言うものの劉逞は、ぎりぎりまで皇甫嵩に対する働きかけはするつもりだった。首尾よく皇甫嵩が了承すれば、それこそ一気に洛陽を陥落できる可能性が出てくるのである。いや、そればかりではない。かなりの確率で、董卓の首を上げることができるだろう。損害は少なく、最大の功をあげることが可能になる。それゆえに、まだ諦めるには早いというものであった。
「だが、あの義真殿だからな。上手くいってくれればよいのだが……はぁ」
曹操もいなくなったこの場所で、劉逞は溜息と共に一言漏らしたのであった。
別連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」も
併せてよろしくお願いします。
https://ncode.syosetu.com/n4583gg/
ご一読いただき、ありがとうございました。




