第六十二話~反董卓連合 六~
第六十二話~反董卓連合 六~
初平元年(百九十年)
補給物資である兵糧を携えて出陣した孫堅と張邈は、陳留郡にある酸棗へと軍を進めていた。なお鮑信だが、完治まであと少しだけだが時間が掛かるということもあり、今回の進軍には同行せずに鄴へ残っている。だが傷が治り次第、酸棗へ合流する運びとなっていた。しかして孫堅たちであるが、兗州の東郡へ入って間もなくある知らせが届く。その内容はと言うと、劉岱ら兗州の軍勢が既に解散しているというものであった。
さて、いかなることで、そのような事態となったのか。それは皮肉なことに、曹操や張邈や鮑信が酸棗より離れた為であった。かの地へ残っていた劉岱は、曹操や張邈や鮑信がいないことを幸いとして兵糧がなくなる前に軍を解散させる決定をしたのである。しかし、全員が全員その決定を受け入れたわけではない。張邈の弟で広陵郡太守となる張超や、東郡の太守となる橋瑁。さらには、鮑信の代理として軍勢を任されていた息子の鮑卲は反対したのだ。曹操が劉逞のところより戻ってくれば、兵糧に余裕ができる筈だというのが三人の言い分である。もっとも張超と鮑卲に関しては、それぞれの軍勢を率いる大将がいない以上、勝手に離れるわけにもいかないという事情も加味されての反対であった。しかしながら劉岱は、彼らの言葉に怒りを覚えてしまう。これがもし張超と鮑卲の二人からの物言いであれば、そこまでの問題とはならなかったかもしれない。しかし張超と鮑卲だけでなく、橋瑁が反対したというのが問題であったのだ。実は劉岱だが、橋瑁を酷く毛嫌いしていたのである。それこそ、蛇蝎のごとくであった。しかしこの点で言えば橋瑁も同じなので、もしかしたら同族嫌悪なのかも知れない。ともあれここで問題となってしまったのは、この二人の諍いが実力行使にまで発展してしまったことにあった。
それでも橋瑁はまだ、理性で自身の感情を抑えることができていた。しかしながら劉岱は、抑えることができなかったのである。彼は橋瑁憎しという感情に任せ、何と奇襲を行ったのだ。いかに対立している両者であったとはいえ、現状は味方同士である。その味方から攻められることになるとは、橋瑁も流石に予想していない。その結果、意表を突かれた形となり、抵抗する暇もなく討たれてしまったというわけである。こうなると、橋瑁と共に劉岱へ反対の意を示していた張超と鮑卲も慌てふためくこととなった。橋瑁のように討たれてしまうなど、まっぴらごめんだからである。そこで張超と鮑卲は、劉逞の元へと赴いている張邈と鮑信を頼る決断をする。二人は急いで自分が率いている軍勢を纏め上げ、さらには橋瑁が率いていた軍勢の残りも引き連れて鄴へと向かったのであった。
だが一つだけ、懸念がある。それは鄴へ向かく当たって、東郡を通ることであった。それというのも劉岱は、橋瑁を討つとすぐにそれまで東郡の太守であった橋瑁の代わりとして王肱を太守へと任じていたからである。しかしながら張超と鮑卲は、考えた末にあえて東郡を抜ける選択をしていた。その理由は、橋瑁が討たれたことにある。いかなる事情があったにせよ、太守であった橋瑁が討たれたことによる混乱は、東郡で間違いなく発生する。その隙を突けば、東郡は抜けられるだろうと考えてのことであった。そしてその考えだが、違う形で叶えられることになる。それは言うまでもなく、劉逞が派遣した軍勢と合流できたからであった。
「して張殿、本当に公山殿は軍を勝手に解散したのか」
「それは間違いない。それに兵糧はかなり減っていたので、どのみち解散は時間の問題だった」
「そうであったか……孟卓殿。ここは一度、善後策を考える為にも鄴へと戻った方がよいのではないか?」
「そう、ですな」
既に軍勢が解散しているのであれば、もはや現地へと赴く意味はなくなったと言えるだろう。それどころか、もはや彼ら兗州の諸侯がこちらに協力することも難しくなったと言っていい。そればかりか下手をすれば、身の安寧を図って董卓と誼を結ぶ可能性すらある。そのような者が近くにいる地へ碌な準備もせずにのこのこ赴くなど、黙って自身の首を敵へ差し出すのと大して変わりがない。そのような無駄死になど、ごめん被るというのが彼らの思いであった。
こうして、図らずも合流を果たしてしまった孫堅と張邈、張超と鮑卲の軍勢はこの地で反転する。彼らは念の為に、鮑信の家臣である于禁を殿としながらも、再び鄴へと舞い戻ったのであった。なお、孫堅からの知らせを受けて兗州で起きた事態を把握した劉逞はと言うと、思わず天を仰ぎ見たという。しかしてそれも、仕方がないと言えるだろう。兗州から進軍する筈の軍勢を率いていた劉岱が離脱してしまったことで、当初の戦略に大きな綻びが生まれてしまったからである。事態の立て直しを考えれば、劉逞の反応もやむなしであった。
孫堅の派遣した使者から話を聞いた劉逞は、すぐに冀州牧の韓馥と使匈奴中郎将である劉備。それから中山郡太守の郭典と、怪我の治療の為に鄴へ残っていた鮑信を呼び出している。現行において鄴にいる諸侯かそれに準ずる力を持つ者となると、この四人ぐらいだからだ。やがて呼び寄せた四人が揃うと、隠すことなく事情を話す。まさかの兗州勢の離脱に、彼らは一様に顔を顰めてしまったのである。
「程なく、文台殿らも戻ってくるだろう。そこで改めて話を聞くこととなるだろうが、取りあえずそなたらに話だけは伝えておきたくこうして呼び出したというわけだ」
「分かりました、常剛様。して我らは、いかが致しますかな?」
「文節殿。いや、文節殿だけではないな。全員、兵の掌握をしっかりしておいて貰いたい。また、事態を知った董卓からの甘言にも警戒をしていただきたい。よろしいな」
『承知しました』
劉逞の言葉に、韓馥と劉備と郭典と鮑信の四人は、揃って頷き了承したのだ。それから暫くすると、孫堅たちが鄴へと戻ってくる。そしてやや遅れて、襲撃を警戒して殿を任せた于禁も無事に鄴へと到着したのだ。すると劉逞は、改めて韓馥と劉備と郭典と鮑信の四人を呼び出すと、その上で孫堅からの報告を聞く。事前に報告されていたとはいえ、兗州から侵攻する予定であった軍勢が解散してしまったことに対する衝撃は大きい。しかしながら張超と鮑卲、それから一部とはいえ、亡き橋瑁が率いていた軍勢を吸収していたことは勿怪の幸いであろう。しかしながら、兗州に大きく空いてしまった穴を埋めねばならないことに変わりはなかった。
「さて、事情は理解した。我らに今必要なのは、迅速に兗州の穴を埋めることにある。そのことについては、貴公らも理解しているかと思われる」
劉逞の言葉を聞いた彼らは、一様に頷いている。そのことを内心で安堵した劉逞ではあるが、表情には出さず頷き返すとそのまま話を続けていた。
「そこで、急ぎ軍勢を派遣して再び酸棗へと軍を駐屯させたい。その派遣する軍勢を率いる者であるが、玄徳殿にお願いする」
「はっ」
元々、劉備は属尽であった。劉逞や盧植や公孫瓚、それから劉備と同郷になる高誘などは疑ってはいない。しかし逆に言えば、それ以外の者たちの中には疑っている者もいるのである。しかし皇族である劉逞が半ば後ろ盾となっていたので、表立ってそのことを指摘する者はそれほどいなかった。それでも諸侯の中にはいたのであるが、その者たちもおいそれとは言えなくなってしまっている。それは使匈奴中郎将と言う身分もさることながら、他でもない劉弁が劉備の出身に関しての話を聞いてその旨を認めたからである。属尽であるということ自体に変わりはないが、劉備は間違いなく皇帝である劉家に連なる人物だと認められたのだった。その劉備を大将とした軍勢だが、他にも孫堅と張邈と漸く動けるまでに回復した鮑信が同行して兗州へと向かうこととなる。また、張邈の弟である張超と鮑信の息子である鮑卲からも加わりたいという申し出があったので、彼らが加わることを許可している。また劉逞からも、援軍として自軍の将兵を捻出している。こうして軍勢を調えると、再度彼らは酸棗へ向けて出陣したのであった。
虎牢関に籠っている徐栄であるが、ただ籠っているわけではない。いつでも進撃へと移れるようにと、酸棗の状況についての情報収集は行っていた。そのお陰もあって徐栄は、劉逞より少し遅れはしたものの酸棗の現状について把握することとなったのである。
「……まさか、もぬけの殻とは思わなんだ」
「はい。ただ、気になることがあります。実は酸棗にて、争ったかのような形跡がございました」
「何だと!? 間違いないのか!」
「はっ。間違いございません」
「わかった。下がれ」
酸棗の情報を得る為に斥候として派遣していた者からの情報を聞いた徐栄は、その者を下がらせると考え込んでいた。仮に情報が正しいとすれば、考えられるのは同士討ちが起きたという可能性がある。しかしながら、そのようなことが起きる理由が分からないのだ。弘農王の激に応じた諸侯であり、一応彼らの目的は董卓の排除で一致している。確かにそれぞれの思惑はあるだろうが、だからといって同士討ちが起きる状況が発生するとは思えないからだ。それに聞き及んだ話によれば、董卓からの調略などは上手くいっていない。事実、戦が始まって以来、誰も董卓側に寝返っていないことを鑑みれば、その話は事実であると見て差し支えがなかった。しかしここにきて同士討ちが起きただけでなく、酸棗に駐屯していた全軍が雲散霧消しているという。どうにもその様な事態に陥った経緯が読めず、徐栄は悩みを深めてしまっていた。
そのような時、徐栄を訪ねて李蒙が現れる。彼は酸棗にて情報収集を行っていた斥候が戻ってきたと聞いて、徐栄から話を聞く為に現れたのだ。すると徐栄は、少し考えてから李蒙を招き入れる。初めは考えに集中したいからと後にして貰おうかと考えたのだが、そこでふと考えが変わったからである。それは自分だけでなく、他者はどう思うのかを聞いてみたいと思ったからだった。
「徐中郎将。斥候が戻ったと聞いたが」
「うむ。その通りなのだが、そこで貴殿の考えを聞きたい」
「我の? それは構わぬが……して、何を聞きたいのだ?」
まさか訪問したと同時に、訪問相手から尋ねられるとは思ってもみなかった李蒙であり、思わず訝しげに眉を顰めてしまう。しかしそれは僅かの間であり、次の瞬間には徐栄へ内容を尋ねていた。すると徐栄は、李蒙へ斥候が得てきた酸棗の現状をつぶさに伝える。黙って最後まで聞いていた李蒙も、その話には驚きを隠せなかった。
ともあれ、今は驚いている場合ではない。酸棗で起きている事態に対して、自身の考えを徐栄へ伝える時である。暫くの間、考えたあとで李蒙は、徐栄へ自身の考えを伝えたのであった。
「罠かどうかを警戒している、貴殿の危惧に対して我はそう見たが相違はないか?」
「うむ。その通りだ。ここにきて同士討ちがあったなど、どう考えてもおかしいではないか」
「その点については同意する。我らを誘引する為に、そのように見せ付けているかも知れぬからな。さりとて、このまま放置するということもどうかと思う」
「それは……そうであるな。であるならば、ここはいっそのこと酸棗。いや、陳留郡そのものを落とすべきだな」
李蒙の言葉を聞いた徐栄は、ついに軍勢を動かす決断した。このまま虎牢関で守っていたところで、事態は何ら解決しないという思いがある。これから先どのように推移しても、できうる限り有利な状況にしておく必要があり、その為にも陳留郡を押さえておくことは悪い話ではない筈だからだ。するとその話を聞いた李蒙が、出陣を願い出たのである。彼は「汴水の戦い」では要害である虎牢関に残っていたので、侵攻してきた曹操たちを撃退した徐栄の様に手柄を立ててはいない。このまま戦功なしと言う事態は、彼としても避けたいのである。また徐栄としても、悪い話ではなかった。この先、円滑に軍の運営を行うに当たって、李蒙と仲違いなどしては勝てる戦も勝てなくなってしまう。それに李蒙へ任せれば、自軍の損耗も回避できるのである。ここに両者の思惑が合致を見たことで、速やかに李蒙の出陣が決まったのであった。
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