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第六話~次なる地は~


第六話~次なる地は~



 光和七年(百八十四年)



 甘陵王劉忠を首尾よく救い出し、ついには甘陵国に駐在していた黄巾賊の主力を蹴散らすことに成功した劉逞は、張郃と関羽に民の慰撫を命じていた。同時に韓当と夏侯蘭に命を出して、未だに残っているだろう黄巾賊の残党狩りを行わせていたのである。

 なお、皇甫嵩から援軍として派遣された傅燮はといえば、甘陵国内より黄巾賊の脅威が激減したこともあり、皇甫嵩の元へと戻ったのであった。

 何はともあれ必要なこととして動いていた劉逞であったが、助け出された劉忠の希望もあり彼と面会する。しかして甘陵王家において血の繋がる肉親と言えるのは、もう劉忠と崔儷の二人しか残っていない。劉忠の息子とその妻、そして崔儷の父母。それから、崔儷の他にもう一人いた孫は黄巾の手によって害されており、彼らは一様に泉下へと旅立っていたからだ。

 しかし助け出されたのはいいが、劉忠は数ヶ月にも及ぶ拘留がたたったようで、中々なかなかに衰弱している。そのことは、劉忠自身も認識していた。そこで彼は、自分の代理として同じ皇族となる劉逞を指名したのである。血筋的には孫ということで崔儷が適当なのかも知れないが、残念ながら彼女には無理であった。それゆえに、曲がりなりにも教育を受けている劉逞に代理を頼んだというわけである。そしてそれこそが、治安維持などの命を甘陵王家と関係がない部外者の劉逞が出せた理由でもあった。


「甘陵王殿、お体の具合は大丈夫ですか?」

「うむ。少しは良くなった」

「それは何より。よかったですな、蓮姫殿」

「はい」


 嬉しそうに答える崔儷に対し、劉逞も小さく笑みを浮かべていた。


「では常剛殿。済まぬが、引き続いて我の代理をお頼みいたす」

精々せいぜい、務めさせていただきます」


 劉忠との面会から翌日、劉逞は盧植らと共に立案した計画通りに甘陵国内の治安維持と鎮定に邁進する。この計画は甘陵奪還後に緊急的に行っていたものと違い、しっかりとしたものである。そのこともあってか、翌月下旬の頃になると甘陵国内の鎮定は大分進んでいたのであった。

 無事に劉忠の代理としての役目を一定の範囲とはいえ果たし漸く彼らも一息がつけた頃、広宗攻めを行っている皇甫嵩からの書状が届く。そこには、こちらへ合流するようにとの旨が記されていた。

 確かに、広宗に籠る黄巾賊の抵抗が激しいとの報告は、劉逞も受けている。しかし優勢か不利かといわれれば皇甫嵩率いる討伐軍の方が優勢であり、時間さえ掛ければ広宗を落とせるのではないのかと考えていたのだ。これは劉逞だけでなく盧植も同じであり、必ずしも根拠がないという話ではなかった。

 となれば、どのような意図があって書状などが来たのかと頭を捻る。まず考えられるのは、戦力の集中であろう。劉逞らの活躍で甘陵国における鎮定の目処もたった以上は、このまま駐屯させるよりも効率がいいからだ。


「やはり、戦力の集中か?」

「今となっては、それほど別動隊を組織する意味がありませんから」

「で、あろうな」


 ともあれ、召集を掛けられた以上は無視をするわけにもいかない。そこで劉逞は、劉忠に会って諸々もろもろの引継ぎをしてから甘陵国より離れる予定であった。幸いにして劉忠の容体は、治安の回復と比例するようによくなってきている。お蔭でこの頃には、ほぼ健康といっていいぐらいに体調を戻していたのだ。

 それゆえに、政務などを引き継げたとも言える。とはいえ劉忠もそれなりに年齢を重ねているので、黄巾賊の蜂起が起きる前よりは体力などを落としていたのは事実である。その点には気を付けるようにと、医者から指摘されていたことが不安の要素であった。


「甘陵王殿。申し訳ありませぬが、我らは彼の地より離れます」

「そうか……今まで感謝する」

「若輩ゆえの至らなさは、ご寛恕していただきたく思います」

「何を言われるか、十分であったわ。常剛殿の活躍、楽しみしておるぞ」

「甘陵王殿もご壮健であられますよう。では」


 そう言ってからうしろを振り向いた劉逞は、静かに劉忠と彼の傍らにいる崔儷の前から辞する。そのまま自陣へ戻ると、兵と共に甘陵から出発して広宗へと向かうのであった。

 因みに、劉逞が気付くことはなかったが、彼の甘陵より出立する姿を崔儷が見送っていたのであった。



 鉅鹿郡と甘陵国の境を越えた劉逞の軍勢は、無事に広宗へと辿り着いていた。軍勢は副将の韓当に任せ、趙伯や趙雲や夏侯蘭らを伴って皇甫嵩の本陣へと赴く。到着したことと訪問する旨は既に通達しておいたので、大して待たされることもなく皇甫嵩との面会へ望むことが叶っていた。

 その皇甫嵩がいる討伐軍の本陣だが、将兵が多くいる。事前に聞いていた規模からおおよその予測はたてていたのだが、それよりも多く感じるのだ。洛陽なりから援軍でも派遣されたのかと見当をつけた劉逞は、同行している盧植に尋ねる。すると、彼はその言葉に賛同していた。

 多少なりとも気分が高揚しながら劉逞は、皇甫嵩のいる天幕へと入る。するとそこには、やはり見慣れない人物がいる。どうやら援軍で間違いなかったかと思いつつ着陣の挨拶を行おうとしたのだが、皇甫嵩の表情を見て劉逞は眉を寄せてしまう。それというのも、彼の表情に憂いのようなものが滲み出ていたからだ。

 冀州の戦況としては押し気味であるので、どんなに悪く見ても五分である。それでありながら、総大将の皇甫嵩が憂いているというのは納得できない。ゆえに劉逞は、思わず眉を寄せてしまっていた。


「左中郎将。その、いかがした?」

「ああ、常剛様。その潁川で、少し」

「……潁川と言うと、右中郎将か」


 右中郎将の役職を拝命しているのは、朱儁である。彼は豫州、特に潁川郡の黄巾賊討伐を命じられていた。豫州に入った頃はさして問題でもなかったのだが、潁川郡に入った頃になると彼は劣勢となってしまう。何と黄巾賊の将となる波才によって、逆包囲されてしまっていたからだ。

 このことは劉逞も一応把握していたが、戦場が違う為にあまり気にしていなかった。せいぜい、続いて情報を集めるぐらいしか行っていなかったのである。しかし、朱儁は皇甫嵩とは同僚である。皇甫嵩は堅実であり朱儁はいささか派手ではあるが、なぜかこの二人は息があっていたのだ。

だから劉逞も、この時点ではただ同僚のことを憂いているのだと劉逞は思っていたのだが、それはある意味で正しくあり同時に間違いでもあった。と言うのも、皇甫嵩の元へ一つの命が届いていたからである。その命を届けたのは、急遽東中郎将に任じられた人物である。その者の名は、董卓仲穎といった。

 彼は涼州出身であり、異民族の羌族などとの戦いに功を上げて并州刺史や河東太守などを歴任した人物となる。その彼が何ゆえにこの地に命と共にきているのかといえば、皇甫嵩へ新たに与えられた命にその理由がある。その命とは、危機に陥っている朱儁の救援であった。

 だがそうなると、この冀州での役目を誰かに引き継がなければならなくなる。そこで皇甫嵩の後継として選ばれたのが、董卓というわけであった。つまり皇甫嵩が憂いていたのは、朱儁の危機もさることながら優位に進めていた冀州での戦の趨勢についてであったのだ。 ここで総大将が変わったことで、方針の変更が出るかも知れない。それでうまくいけばいいが、もし付け込まれるとここまで積み上げてきた優位が覆されてしまう可能性があった。

 だからといって、朝廷からの正式な命となれば反古にすることなどはできない。何せ皇帝直々じきじきの命であり、無下にするなど言語道断であった。


「知っておられましたか。兎も角、我は豫州へ向かわねばなりません。あとのことは、東中郎将に任せたいと考えています」

「その旨については承知した、左中郎将」

「それと常剛様には、別の話がございます」

「別の話?」


 心当たりがないだけに、劉逞は首を傾げていた。


「常剛様には、官位が与えられました。東中郎将」

「うむ」


 劉逞は無官である。本来ならば常山王の息子でしかも軍権をほぼ任されていることから、諸侯王での都尉に当たる中尉になっていてもおかしくはない。しかし劉暠が、息子には何れ朝廷へ出仕させようと考えていたこともあって中尉は与えていなかったのだ。

 その朝廷の役職についても、若くして遊学に出ていたことから今までどうにもならなかったのである。そしていざ故郷へ帰ってきてみれば、世情における不穏さが報告されてしまったので役職についても棚上げしていたのだ。ついには黄巾賊の蜂起もあって、この時に至るまでその機会に恵まれていなかった。

 そこで常山国から鉅鹿郡、さらには甘陵国での戦における活躍もあり、ついに役職を与える運びとなったのである。

 因みにこの動きには、父親の劉暠と甘陵王である劉忠の意向も多少は汲まれている。何せ二人とも皇族であり、無視するには朝廷といえどもはばかられたからであった。

 そして劉逞へ与えられた役職、それは騎都尉であった。


「謹んで拝命する」

「これからも励まされますよう。とのことにございます」

「うむ」


 ここに劉逞は、騎都尉に就任する。それを見届けたあとで皇甫嵩は、兵を纏めて広宗より離れて豫州へと向かっていった。こうして皇甫嵩が豫州へと出陣した本陣、そこには当然だが幾人かの将がいる。しかして中心となるのは二人であり、それは言うまでもなく劉逞と董卓であった。

 二人以外では郭典など各郡の太守などが多少の兵を抱えているが、この二人が抱えている兵数とは比べるべくもない。当然だが、軍議の中心も劉逞と董卓となる。事実上、討伐軍の大将と副将と言う立ち位置になっていたのだ。


「ところで、東中郎将。広宗の攻めはどうするつもりだ?」

「基本的には、左中郎将の方針を引き継ぐつもりです。それよりも常剛様には、幽州へ行っていただきたく」

「幽州だと? そのことはやぶさかではないが、何ゆえだ?」

「実は、幽州の鄒校尉から援軍の要請が届いております」


 ここで董卓の言う鄒校尉というのは、鄒靖のことである。彼は校尉として軍を率いて、幽州で黄巾賊の討伐を行っている人物であった。その鄒靖から何ゆえに別の州にいる軍勢に要請がくるのかというと、そもそも皇甫嵩の担当が冀州と幽州であったからだ。

 黄巾賊を率いる張角が冀州におり、それゆえに軍勢も多かったが為に彼は冀州を主に戦場としていたのである。しかし黄巾賊が冀州での戦でいささか劣勢に陥ったことが、巡り巡って幽州へ影響を及ぼしてしまっていたのだ。

 そもそも幽州での官軍と黄巾賊の戦いを比べた場合、黄巾賊の方が優勢となっている。やはり黄巾賊が蜂起して間もなく、幽州刺史の郭勲と広陽郡の太守であった劉衛が討たれてしまったことが大きかったのだ。それでも先に述べた鄒靖と彼の率いる軍の活躍もあって盛り返していたのだが、ここにきて冀州での戦に破れた黄巾賊の一部が幽州へと雪崩れ込んだばかりか合流してしまったのである。これにより思わず兵を増やした幽州の黄巾賊は、鄒靖を押し返し再び優勢へ状況を持っていったであった。

 一方で鄒靖だが、彼は幽州の軍だけでは足りないとして義勇兵などを募って兵数を増やしていた。しかし、ここにきて黄巾の兵数が増えてしまったので、ここから再び盛り返すとなるといささか難しい。そこで鄒靖は、ついに皇甫嵩へ援軍を頼んだというわけであった。


「なるほど。その状況では、致し方ないか」

「では、お頼み致します」

「承知した」


 こうして劉逞は、援軍として幽州へ向かうことになった。

 広宗から故郷の常山国へ入った劉逞は、そこで数日軍勢を留めている。表向きは休息であったが、実質は父親の劉暠や常山国へ残していた程普と趙翊などとの意見を擦り合わせるという目的があった。

また、騎都尉へと推薦を行ってくれた父親へ感謝する為でもある。もう一人の推薦者であった劉忠へは、書状ではあるが礼をしているので問題はないのだった。


「安心せい。甘陵王へは、我からも書状を出しているのでな」

「感謝致します、父上」


 これまでのことやこれからのことなどについて話し合ったあと、劉逞は常山国を発つ。そして、中山郡を経由して幽州の涿郡へと入っていた。その理由は鄒靖がここに本陣を置き、広陽郡の奪還を狙っていたからである。何せ広陽郡には、幽州の治府がある薊が存在していたからだ。ゆえにこの地を奪還できれば、一気に勢力挽回できる。とはいえ、そんなことは黄巾賊側も分かっている。だからこそ、蜂起と共に広陽郡を攻略して支配下に置いていたのだ。

 何はともあれ、劉逞は鄒靖の元へと向かったのだが、そこで思わぬ人物たちに会うこととなる。何と、彼のいる本陣に知り合いがいたのだ。その知り合いというのは、劉逞がまだ成人を迎えていなかった頃からの知り合いである。

 実は盧植だが、彼は劉逞の師をしながらであったが、小さいながらも私的に塾も開いていたのだ。流石に劉逞と共に旅へ出る前に閉ざしてしまったが、まだ私塾を行っていた頃は弟子を多少なりとも抱えている。そして当然だが、その弟子の中には劉逞や趙雲や夏侯蘭の名もあった。

 そして当然だが、他にも盧植の元に通っていた者がいる。その兄弟弟子といえる人物が、鄒精の元にいたのだ。果たして鄒靖の元にいた兄弟弟子というのが、劉備玄徳に公孫瓚伯圭である。また、盧植の弟子ではないが、劉備との関係から知り合いであった簡雍や田豫もまたいたのだった。

 まさか彼らが鄒靖の元にいるとは夢にも思ってもみなかった劉逞は、驚きをあらわにする。その様子を見て、劉備と簡雍はしてやったりとばかりである。その一方で公孫瓚と田豫は、申し訳なさそうな顔をしていたが。

 だがその二人が浮かべた表情のお陰で、劉逞は自分を取り戻す。それから軽く咳払いをすると、鄒靖へ着陣の挨拶を行っていた。すると鄒靖から、劉備と公孫瓚の紹介を受ける。彼からの話によると、劉備と簡雍と田豫ともう一人。劉逞も全く知らない一人の男たちで義勇兵を組織し、鄒精の旗下となっていたのだ。そして公孫瓚だが、彼はそもそも涿県の県令である。ゆえに鄒靖の命により、旗下の将として働いていたのだった。


「これで、反撃できます」

「微力を尽くそう、校尉」


 こうして劉逞は幽州奪還を目指して鄒靖と共に、まずは広陽郡解放の戦を始めることになったのであった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 公孫瓚と劉備登場! 張飛は?… そして関羽が主人公の元にいるので 桃園の誓いはないですな まあ、桃園の誓いは演技の創作ですけど
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