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第五十九話~反董卓連合 三~


第五十九話~反董卓連合 三~



 初平元年(百九十年)



 反董卓連合軍勢が結成されてより一月半ほど経ったわけだが、しかし劉逞は相当に苛ついていた。その理由は、一向に進まない戦線の押上である。冀州から侵攻している軍を纏める袁紹、兗州からの侵攻軍を纏める劉岱、豫州から軍を率いて攻め寄せている孔伷。この三軍のうちで袁紹は、河内郡太守である王匡が反董卓連合軍に加わったことで司隷にまで進軍し駐屯している。たが、それ以上は進軍をしていないのである。また他の二軍も、司隷との境近くにてそれぞれ駐屯するも、侵攻していない点においては袁紹と同様であった。とは言うものの、全く戦を行っていないわけでもない。戦が始まった当初は、意気揚々いきようようと進軍していたのである。やがて荊州の抱えた事情によりそもそも進軍をしていない袁術が統率している軍勢を除いた三軍は、董卓の派遣した軍勢と干戈を交えていたからだ。しかしながらこの戦は、三軍共に勝ちを収められなかったのである。兵数で勝りながらも勝ちを収めることができなかった理由、それは実戦経験の差が如実に表れてしまったためであった。事実上の総大将を務める劉逞や、その劉逞と并州において長年に渡っていわば上司と部下の関係であった劉備と違って、彼らは戦らしい戦を経験していない。彼らが経験した戦など、黄巾の乱の際に戦った黄巾賊ぐらいである。黄巾賊は数こそ多かったが、殆どは軍人ですらない。つまり真面まともな経験を持つ兵との実戦など実は初めて、という者たちが多かったのだ。その一方で董卓の軍勢は、涼州で起きた反乱勢力との戦で相当な経験を積んだ者たちが多い。しかもその相手は、黄巾賊と違って真っ当な軍人と言っていい相手なのだ。要は烏合の衆との戦ぐらいしか経験していない勢力と、しっかりとした軍勢との戦を何度も経験した者たちの戦いであったということになる。その経験の違いを突かれた形となり、三軍が三軍とも緒戦を落としてしまったというわけであった。元からの兵力の違いがあるにも関わらずの負け戦であり、各軍勢へもたらしたその衝撃は大きい。しかも彼ら諸侯の殆どが董卓に対して「涼州の田舎者風情が調子に乗りおって!」などと高をくくっていただけに、なおさらであった。つまるところ諸侯は、負け戦に尻込みしてしまったというわけである。

 また、理由はそれだけではない。彼ら諸侯の大半は、労は少なくし獲物は大きく得たいと思っていたのだ。これにも理由があって、それは戦が終わってからのことを考えてである。彼らは……これは劉逞も考えていることなのだが……今回の戦いで首尾よく董卓を討てたとしても、それで漢国内の混乱が終わりになるとは露ほどにも思ってはいない。間違いなく、その後に争乱が訪れると予想しているのだ。その戦のあとに勃発すると思われる争乱を乗り切る為に、さらにはあわよくば争乱に勝ち抜き天下の盟主となる為にもできる限り力を温存しておきたいのである。それならばどうして連合軍に参画したのかと言えば、他者を利用して名声を得る為であった。たとえ董卓を討てなかったとしても、義挙に参画したというだけも名声を得られる。名家出身の者としては、理由としては十分であったというわけである。

 その一方で董卓からしてみれば、緒戦で勝ちを収めたぐらいで相手が積極的に仕掛けてこない事態などむしろ大歓迎であった。既に李儒の献策もあって、洛陽から長安への遷都を内心で決めている。その際に洛陽にある財を少しでも多く持っていきたい董卓としては、時間を稼ぐことができる現状など正に望んだ通りだと言えた。ともあれ、こうして攻め手と守り手の目的が奇しくも一致してしまったことで、緒戦以降は小競り合いぐらいしか起こらないという奇妙な膠着状態が生まれてしまっていたのであった。


「あの者ども、ふざけおって!」


 膠着状態である現状に苛立ちを隠せない劉逞だが、しかしながら戦を仕掛けようとしない諸侯へ対して頭ごなしに強く言えないでいる。実はこれこそ、連合軍が抱える最大の弱点であると言えた。あくまで彼らは、弘農王である劉弁が発した檄文に呼応して集まった者たちである。いわば有志の軍勢であり、劉逞の配下や家臣ではないのだ。しかもその弘農王にしても、元皇帝ではあっても現皇帝ではない。無論、諸侯も弘農王をないがしろにする気など持ち合わせてはいない。だがしかし、それだけしかないのも事実である。つまるところ彼らは、劉弁を神輿ぐらいにしか思っていないというわけであった。


「致し方ありません、常剛様。我が行きましょう」

「……行ってくれるか、孟徳殿」


 実は曹操だが、侵攻する四路に展開しているどの軍勢にも参画していなかった。その理由は、劉逞と共に本陣がある元氏にいたからである。彼は現代風に言うと、参謀総長とも言える立ち位置を劉逞から与えられていたのだ。劉逞の家臣には筆頭を務める盧植を始め程昱や董昭、蔡邕や張昭などといった知謀の士も多い。しかしながら彼らは、あくまで劉逞の家臣でしかないのだ。諸侯を集めた反董卓連合軍の軍師とするわけには、流石にはばかられたのである。そこで劉逞は盧植たちと話し合い、代わりの人物として曹操を抜擢したのであった。曹操としても名誉なことではあるので、その要請には応えていたというわけである。しかしながら前述しているように、事態は一向に進展を見せていない。既に兵を挙げてより、一月も以上も経っているにも関わらずである。流石にこのまま座視するわけにもいかず、ついには本陣に詰める曹操も動かないわけにはいかなくなってしまったのだ。

 劉逞としても、曹操を最前線に送る以上は助力を惜しむ気はない。与力として家臣数名を付け、彼らにも兵を率いさせるつもりだった。その上で、劉逞自身も軍を押し出し本陣の移動を行ったのである。無論、劉弁がいるので元氏を空にしたわけではない。劉弁を守るための兵として、自身が率いている兵の三分の一を残し、残り全てを出陣するつもりである。そして軍勢の進軍先であるが、魏郡治府のある鄴であった。

 その後、曹操は劉逞が派遣した与力の将と共に兗州の陳留郡酸棗へ向かっている。何ゆえに曹操が、本陣のある元氏からもっとも近い冀州からの一軍が駐屯している冀州魏郡の鄴へ向かわなかったのか。その理由は、兗州の情勢が一番不利だったからであった。

 ともあれ元氏より出陣した曹操の軍勢は、兗州の軍勢が駐屯する酸棗へと到着する。しかして曹操が目にしたのは、戦どころか宴を開いている諸侯の姿であった。表向きの理由は緒戦に負けたことによって低下してしまった士気の向上ということであるが、その実は現実逃避だと言っていいだろう。報告にあったことで一応は認識していたものの、いざ目の当たりにするとふつふつと怒りが込み上げてくる。前線からの要望にできる限りこたえるべく奮闘していた曹操だけに、その怒りは一入ひとしおであった。もっとも、その様な曹操の苦労など彼らは知るよしもないのだが。ともあれ、ここで怒りに任せても仕方がない。曹操は拳を握り締めつつどうにか気持ちを抑えると、ゆっくりと宴を開く諸侯の中へと歩みを進めていった。


「おう。これは孟徳。いかがした」


 宴席の最中に現れた曹操に対して声を掛けたのは、陳留太守の張邈である。彼は曹操や袁紹と親しく、親友と言っても差し支えがないくらいに仲がよかった。しかも張邈は、党錮の禁が起きたのちに清流派で特に評価が高かった者に対して贈られた称号三君八俊の一人として数えられたぐらいの人物である。その張邈すらも、宴席を開き董卓の軍勢と干戈を交えようとしていないことに曹操は落胆してしまった。


「孟卓よ。君すらもその体たらくか、情けない」

「……何が言いたい、孟徳」

「我に言わせると言うのか、孟卓。ならば、言ってしんぜよう。我らが義兵を挙げたのは、奸賊たる董卓を討ち果たさんが為! その義に応じ大軍が揃っているにも関わらず、緒戦に負けたぐらいで宴席を開き碌に戦おうとしていない。そなたら、一体何をしにここへ集まっているのか!!」


 曹操の喝に、だれしも言葉を返せないでいた。事実、緒戦に負けて以来戦らしい戦など全くしていない事実が厳然に存在している。その事実が存在する以上、言い返すことなどできはしないのである。だが、彼らとて面子がある。曹操からいいように言われて、ただ黙っているなどできるわけがなかった。しかも彼らは、張邈などといった好意的な人物は除くが、曹操に対して宦官の孫風情がという思いも無きにしもあらずなところがある諸侯もいる。そのことがことさらに、曹操の言葉を放っておくわけにはいかなかったのだ。


「なれば孟徳殿! そなたは、どうするがいいと考えているのだ」


 曹操へ問い掛けたのは、兗州から侵攻する軍を任されている兗州刺史の劉岱である。その劉岱へ対して曹操は、傲然と「戦を仕掛けるべきである!」と一言返したのであった。


「我が聞いているのは、そのようなことではない! 具体的にどうするのかと、問いているのだ!!」

「無論、ただ戦を仕掛けよ! などとは申しません。我に考えがございます」

「ほう? なれば聞こう、その貴殿の考えというものを」


 劉岱の言葉に頷くと、曹操は自身の考えを宴席に参加していた諸侯へ伝えたのであった。

 曹操曰く、洛陽を守る要害の一つである虎牢関を占拠して、洛陽に対して圧力を掛けるというものである。その後、奪還を目的に董卓が軍を派遣してくれば、虎牢関に籠り撃退する。仮に奪還の軍を派遣してこない場合、そのまま洛陽へ向けて進軍してしまえばいい。その際には、この兗州から侵攻する軍だけでなく、河内郡に駐屯する軍も豫州から侵攻する予定の軍も、そして荊州南陽から侵攻する予定の軍も全て洛陽へ向かえば董卓を討ち取ることも可能であるというものであった。

 曹操の考えを聞いた劉岱は、瞑目して自身の中で精査する。曹操の言った通りとなれば、四路から攻める軍の中で最初に大勝利を得たという名誉が得られる。しかもそこに勝利し、さらには董卓まで討てばもし自身が大将として纏めている兗州からの侵攻軍の将が董卓を討てなかったとしても、この戦が終えたあとでかなりの発言権を得られることは間違いない。確かに損害は受けるだろうが、それを考慮しても行う価値があるように思えたのだ。


「……よかろう。孟徳殿、そなたの考えに乗ろうではないか」


 こうして漸く、戦の口火が再び切られることとなったのであった。



 曹操によって兗州の軍勢が戦を行う決心を固めたその頃、鄴へと移動した劉逞を尋ねてきた人物がいる。その人物とは、何と長沙郡太守の孫堅であった。前述した通り紆余曲折うよきょくせつの果てに荊州刺史の王叡を討った孫堅だが、劉弁が董卓を討つという大事の前の小事としてしまったこともあり、少なくとも反董卓連合の中では表向き問題とはされていなかったのであった。なお、王叡の後継として董卓は、劉表を指名して派遣したことを記しておく。ともあれ王叡を討った孫堅は、当初は南陽から進軍する手筈となっている袁術を頼ろうと考えていた。四世三公を輩出した袁家の次期当主とも噂される袁術であれば、王叡を討ったという事実があっても後ろ盾として使えるだろうと考えたからだ。しかしその袁術も、他の諸侯と変わりはなく孫堅を小馬鹿にしたような態度である。いや、寧ろ他の諸侯以上であった。それでなくても、自分を抑えている孫堅である。このままで思い余り、王叡に続いて袁術を攻撃しかねない。しかしながら、流石にこれ以上問題を起こすわけにもいかないことも分かっている。かくして孫堅は、これ以上南陽へ留まることは避ける判断をする。そして彼が向かった先というのは、息子の孫策が世話になっている劉逞の元であった。

 届いた書状を読み、初めは息子の行動に頭を抱えた孫堅であったが、まさかここにきてその孫策の勝手な行動が生きるとは、夢にも思っていなかったのである。何はともあれ孫堅は、鄴へと移動した劉逞の元を訪れたのであった。


「弘農王様の激文に呼応して馳せ参じました、長沙郡太守を拝命しています孫文台にございます」

「我が弘農王様の代理として全軍を纏める、度遼将軍并州牧の劉常剛だ。まずは、こうして兵を挙げしこと祝着に存ずる。弘農王様も、さぞお喜びであろう」

「ははっ。この孫文台、必ず奸賊董卓を討ち果たさんが為に尽力致します」


 孫堅にとって、劉弁の掛けた恩義は大きいものとなっている。孫堅のしでかした王叡討伐という事実を劉弁が不問に付したことで、少なくともこの連合軍に参画している諸侯より、表向き何かを言われることはないからだ。もっとも、裏に回ればその限りではないのは、袁術の元へ孫堅がおとずれた際に記した通りではある。無論、腹立たしいことは間違いない。裏に回れば野蛮な田舎者だと揶揄やゆされてはいるのだから、それも当然であった。

 それはそれとして孫堅の率いてきた軍勢の扱いだが、劉逞としても正直困るところがある。もっともこれは孫堅のせいではなく、まともに董卓の軍勢と戦おうとしない諸侯のせいであった。膠着状態が各線にて発生している為、現状では緊急性が高い戦線が存在していない。つまり、孫堅を投入できるような戦場が存在していないのだ。要は完全な遊軍扱いであり、動かしたくてもどうしようもないのである。曹操が向かった酸棗次第では活躍の場面が出てくる可能性はあるが、逆に言えばそこの結末次第だと言えた。


「ともあれ文台殿にはいずれはいずこかの戦場へ向って貰うとして、いまは御子息と会われるがよろしかろう」

「常剛様。愚息のこと、誠に申し訳ありません」

「いや。我が師を心配ししてのことであると聞いている。なれば、こちらから礼を言わねばなるまい」

「はぁ……」


 これは必ずしも嘘ではない。少なくとも孫策は、その理由で盧植と同行していたからである。勿論、その様な理由など表向きでしかないことなど劉逞も孫堅も先刻承知せんこくしょうちではある。何せ孫策の真の目的は、父親と共に反董卓連合に参画すること。そして、劉逞を含めた天下の諸侯や豪傑とじかに接して見たかったからである。つまり盧植に同道していた周異や周瑜も、実は巻き込まれた形であった。但し、周瑜は孫策と似たような理由がある。彼は彼で、天下に名だたる某士との会合を密かに楽しみにしていたのである。そして劉逞の元には、周瑜の欲求を満たすに十分な者たちが、盧植を筆頭に複数いたことに喜んでいたのであった。

 その後、劉逞との面会を終えた孫堅は孫策と顔を合わせている。しかしながらその直後、孫策は父親の孫堅から雷と拳による叱責を頂戴して、目に涙を浮かべることとなったのである。


「この、勝手をしおって、馬鹿者が! 何の為にそなたたち家族を、揚州へと送ったと思っているのだ!!」

「…………」


 孫策からしてみれば、理不尽りふじんと思える叱責を受けて、彼は不機嫌さを隠そうとしない。ただ、顔合わせもあって孫堅の陣にいた周異は、気持ちが分かるのか苦笑を浮かべていたのであった。


「……まぁ、よい。今さら、揚州へ戻れなどとは言わぬ。折角だ、せいぜい学ぶといい。戦場というものをな」

「は、はい! 父上!!」


 正に喜色満面きしょくまんめんと言った笑顔を浮かべる孫策を見て、孫堅も周異と同じように苦笑を浮かべてしまう。そんな父親の様子など全く頓着していない孫策は、踊り出さんばかりに喜んでいた。


「調子に乗るな、馬鹿息子!」


 孫策は今一度、父親からの拳を頭に受けることとなる。すると彼は、頭を押さえながらうずくまると、涙目で孫堅を見上げたのである。しかしながら孫堅は、一切気にすることなどなかったのであった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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