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第五十五話~争乱への道 四~

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。


第五十五話~争乱への道 四~



 永漢元年(百八十九年)



 洛陽を出た曹操は、趙燕が派遣した案内人に従って并州へと向かった。しかし最短距離で向かってしまうと、董卓側に劉逞との繋がりを疑われかねない。特に李儒という存在が、その疑いに拍車をかけていた。そこで彼らは并州へ直接向かわずに、冀州を経由することにしたのである。旅程としては、まず河内郡に入る。そのまま冀州の魏郡に入り北上、趙国に入ってから進路を西に向ける。そして并州の上党郡を通過して州治府のある太原郡晋陽に到着するというものであった。


「さて、皮肉なものよ」

「孟徳、何がだ?」

「元譲、考えてもみよ。今回、并州に向かうに当たって一番危険なのは司隷なのだぞ。これを皮肉と言わず、何を皮肉というか」

「……確かにな。少なくとも十年ほど前であれば、并州が一番危険であった。それを考えれば、洛陽がある司隷の方が危険とは」


 洛陽がある河南尹はまだいい。しかし河南尹と河内郡の境、それから河内郡と冀州魏郡の境。この地には、賊の数が多いのだ。これは霊帝没後、立て続けに起きた朝廷の混乱が多分に影響している。政変に続く政変で、都市部はまだしも州境や郡境にまで治安の手を伸ばすことが難しくなってしまっていたのだ。その一方で、同じ冀州でも比較的治安が安定している地域もある。それは、常山国とその近隣の郡である。これには、劉逞の存在が影響していた。何せ劉逞は、冀州西部にある常山国出身である。その上、劉逞は黄巾の乱以降、立て続けに功を挙げている。しかも劉逞自身、皇族の一人となる。それだけに、冀州でも名声があったのだ。また、実際に州牧として治めている并州に至っては言わずもがなである。しかも近いところでは、反乱を起こした匈奴すらも短時間で鎮定しているのだ。そのような并州で、賊が出ようものなら瞬く間に鎮圧されてしまう。それならば、并州より出る方がましというものだったからだ。


「とはいえ、そなたも妙才もいる。信用しているぞ」

「任せておけ、孟徳」


 こののち、河南尹から河内郡に入る際に問題は起きなかったが、河内郡から冀州魏郡に入る際、つまり州の境を越える際には賊に襲われている。しかし曹操に同行している夏侯惇や夏侯淵、また従弟となる曹洪の働きもあって一行は無事に司隷から冀州へと脱出できたのであった。





 さて、時を少し戻す。

 それは洛陽を出た曹操の一行が、河南尹と河内郡の境を越えた辺りの頃合いである。ついに曹操が洛陽を離れたことを董卓、正確に言えば李儒の手の者が知り得たのだ。実は曹操、洛陽を離れる際に病気に罹患したと称して面会を全て断っていたのである。しかも、避客牌を門に掲げているのである。これでは、公的に訪問するのは難しい。何せ避客牌を掲げている場合、そのまま帰るのが礼儀だからだ。

 こうなると李儒としては、潜入させるより他に手はない。しかし曹操も、若き頃より情報の大切さを知っている男である。身の回りに対する警戒は、人一倍と言ってよかった。ならばなぜに、趙燕の侵入を許したのか。それはひとえに、趙燕の力量であったと言えるだろう。実際、幾ら広い漢全土とはいえ、密偵として趙燕を越える力量を越える者を探す方が難しいのである。そこには、劉逞の密偵衆を組織した盧植とその彼の仕事を引き継いだ程昱の存在が大きい。つまるところ、相手が悪かったのだ。


 話がそれたので、戻す。


 ともあれ李儒は、曹操の病気は怪しいと判断して公的にもそして裏からも手を伸ばしてどうにか情報を仕入れようとしていたというわけである。そしていよいよその努力が実り、曹操が屋敷にいないことを突き止めたというわけであった。とはいえ、既に洛陽よりの脱出を許してしまったあとでは、曹操に出し抜かれと同義である。このことを知った李儒は内心で怒りを覚えていたが、いつまでも怒りに身を任せているわけにもいかない。すぐに彼は気を取り直すと、曹操の行方を探させたのだ。すると程なくして、標的の足取りを見付ける。だがその足取りは、彼をして予想外であった。それと言うのも李儒の予想では、洛陽を出あとに曹操は故郷である沛国に向かうのだと想定していたからである。しかしながら判明した曹操の足取りはというと、河内郡へ向かったというものとなる。その報告に不審に思いつつもそのまま探索の続行を命じた結果、未確認ながら向かった先が報告される。その報告によれば、そのまま冀州へ向かったというものであった。

 この報告が届けられたことに李儒は、ことさらに眉をひそめてしまうことになる。洛陽から脱出した曹操は、北上して河内郡へと入り、そこからさらに冀州へと向かっている。何ゆえに曹操が、このような回りくどい進路を使っているのか分からないのだ。先に述べたように、追っ手を警戒するのならば真っ先に豫州へ向かう筈である。しかし実際は、豫州ではなく冀州に向かっている。しかながら曹操であれば、冀州に向かう理由があるのだ。それは冀州の東部にある渤海郡の太守に袁紹が任じられているからである。実はその袁紹も、董卓が洛陽に入ると暫くした頃に、洛陽から消えていたのだ。その理由は勿論、董卓に他ならない。袁紹からすれば、董卓のような者の下に付くなどご免だった。ただ、何進とどこが違うのかと問いたくなるが、そこは彼なりの思惑があるのだろう。ともあれ袁紹は洛陽から出て、勝手に故郷の汝南郡へと戻ってしまっていたのだ。

 この件を報告された董卓は、怒りに震える。しかしながら、その董卓を宥めた者たちがいる、それは何顒や周毖や伍瓊と言った者たちであった。彼らは、董卓の方針であった名家を優遇するという理由を挙げて説得したのである。自身が打ち出した方針であるだけに、董卓としても折れないわけにはいかない。仕方なく董卓は、己の感情を押さえつけて彼らの言う通り袁紹を渤海郡太守に任命したのであった。


「分からぬ。危急なればこそ、沛国へ向かうのが道理。しかし曹操は、冀州へ向かっている。袁紹がいるので分からなくもないが、それならば普通に動いていても問題はない。となれば、今回の暗殺未遂、王允も曹操も関わっていないのか? ……いや、それはないだろう。密かに行方をくらました時点で、怪しいのだから」


 どうしても整合性が取れない曹操の行動に、李儒は首を傾げざるを得なかったのである。これは李儒が、劉弁の行動を把握していなかったからに他ならない。幾ら母親のことがあったとはいえ、至極あっさりと皇帝の座から退いた男がまさか今回の董卓暗殺計画の黒幕だとは、流石の彼も予想外だったのだ。ましてや暗殺だけでなく、兵を調えさせるべく動いているなどとは想定すらしてない。だがあそこまで周到に皇帝の交代劇を演出して見せた男としては、手落ち以外の何物でもなかった。

 だが、これもある意味では仕方がないのかも知れない。何せ李儒の劉弁に対する印象は、凡庸な存在でしかないからだ。なまじ朝廷にいただけに、まことしやかに流れていた劉弁に対する噂を疑っていなかったのである。つまり李儒は、今は亡き霊帝の仕掛けた策に意識せずにはまっていたのだ。

 さらに言うと、李儒が下級役人でしかなかったことも影響している。彼自身は才ある人物なのだが、その才を生かせる環境になかったことが問題なのだ。実際、李儒の名が知られたのは本当につい最近のことである。今でこそ董卓の懐刀ふところがたな、董家切っての謀才の持ち主と認識され始めているが、数ヵ月前までは殆どの者が彼の存在を気にもしていなかったのだ。それこそ情報というものに力を入れている劉逞や曹操すら、李儒という人物に関しては知らなかったのである。その状況下で幾ら身近にいたとはいえ他の者が知るなど、まず有り得ないことであった。


「分からぬ。曹操め、何を考えている」

「文優様。危急の知らせにございます。曹操の行方ですが、魏郡で途絶えました」

「何だと!?」


 ここにきてまさかの知らせを聞いた李儒は、思わず声を荒げてしまったのであった。





 魏郡に入った辺りで行方をくらませていた曹操一行であるが、別に彼らが不慮の事故に襲われたなどといったことはない。それに実際、曹操の一行は順調に魏郡から趙国へ向かいそこから并州に入ると、太原郡の晋陽に向っていたのだ。ならばなぜに李儒の手の者が曹操たちの足取りを追えなくなってしまったのかというと、その原因は劉逞にあった。実は曹操が洛陽から多少の遠回りをしているとはいえ并州に向かっていると知った劉逞は、彼の身辺を守るための手を打ったのである。とはいえ、その手段そのものについては、既に程昱が動いていたのであるが。

 ともあれ、曹操らの動きについて報告を受けた程昱は、残っていた密偵衆の大半を動かしていたのだ。その彼らに程昱は、曹操の行方について調べているのは間違いない李儒の手の者への妨害や謀殺を命じていたのである。その間にも曹操たちは旅程を進めていたので、ついには李儒も情報収集どころか追跡もできない状態にまで追い込まれたのであった。


「いかが、なさいますか」

「……致し方ない。文優様に指示を仰ぐ」


 かくて追跡も情報収集も諦めた李儒配下の彼らは、一旦洛陽まで取って返したのだ。この動きを見極めた劉逞の密偵衆を率いていた王当は、洛陽にいる趙燕へ知らせを出しつつも魏郡や趙国にて撹乱する為の偽情報を残し流しておく。それから急いで、晋陽へと戻ったのであった。何せ晋陽に残している密偵は、本当にぎりぎりなのである。密偵だけでなく防諜にも関わり合いがある彼らが急ぎ戻ることは、当然のことであった。

 果たしてその晋陽では、密偵衆から二度目の報告を劉逞は受けていたのである。なお一度目はと言うと、前述した曹操の動きに対するものである。そして近騎亜の二度目の報告は、密偵衆の動きが無事に功を奏したことについてであった。何はともあれ劉逞は、曹操の身柄が無事に安堵されたことと、情報の撹乱が成功したこと安堵していたのであった。

 その報告から幾許かの日にちが経った頃、劉逞へ別の知らせが届く。その知らせこそ、曹操が無事に晋陽に到着したというものであった。果たして曹操たちであるが、董卓へ対する撹乱の意味もあってか、一まず町の宿を確保している。だが確保した宿のいるのは、実は彼らの偽物であった。ならば曹操たちは、どうしたのか。それは、宿を確保したその日のうちに変装した上で宿の裏手より密かに離れていたのである。そのまま、確保していた宿とは反対側にある事前に用意された家へと移動していたのであった。そのまま曹操たちは、夕暮れ時まで過ごすことになる。やがて薄暮となる頃合いを見計らって、密かに州治府へ移動していた。


「おお! 孟徳殿!! 無事で何より」

「常剛様の手引きのお陰もあり、無事にこの地にまで到達でき申しました」

「何の。孟徳殿一行の力があれば、我の合力などなくとも問題は出なかったであろう。だが、図らずも御節介させてもらった」

「そのようなことはありませぬ。まことに感謝しております」

「そうか。何であれ、無事であったのだ。まずは喜ぼうではないか」


 曹操の一行を手放しで迎え入れた劉逞は、彼らを歓待する。時節柄もあるので、それ自体は派手ではないし、豪勢とは言えない。それでも、劉逞の気持ちがよく分かる歓待であった。その歓待も、長時間に渡ったわけでもない。いわば逃避行であった曹操の旅程なので、必要以上に急いでいた。つまり、意識しているかは別にして疲労はある。劉逞もその辺りは考慮していたので、ある程度の時間で切り上げると曹操たちを用意しておいた寝室へと自らいざなったのであった。幾ら酒が入ったとはいえ、いつもよりは少ない。それであるにも関わらずいつも以上に酔いが回っていると判断した曹操は、劉逞の言葉に甘えて素直に寝室へと向かう。すると、やはり疲れがたたったのであろう。曹操以下、深い眠りについてしまったのであった。

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