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第五十一話~揚州周家にて~


第五十一話~揚州周家にて~



 永漢元年(百八十九年)



 劉逞のいる并州太原郡晋陽、そこにはある知らせが届いていた。その内容はどういったものか言うと、盧植が揚州で倒れたことや彼を蝕んでいる病魔についてであった。しかも、書状に記されていた内容はそれだけにとどまらない。今は盧植の一行が揚州の名門となる周家に厄介になっていること、そしてこのまま盧植は揚州に留まり治療を行うなどといった具体的なことも報告されたのである。


「……そうか。師は治療を決断されたのだな……相分かった。そなたには認めた返書を二通、持っていって貰うぞ」

「はっ」


 その後、劉逞は自身が言った通り書状を二通認めた。一通は、盧植に対してである。その書状には、見舞いの言葉や無事に治療を終えることを祈っているなどと言った旨が記されていた。さらにもう一通だが、あて名は周異である。今回の一件に対して、手を差し伸べてくれたことに対しての礼状であった。また書状を届けた趙燕の配下である密偵出もある使者に対して劉逞は、金銭を与えている。なぜに与えたのかというと、一つは盧植たちに対してであった。鄭玄の勧誘が失敗したことや、彼の変わりというわけではないが張昭という才ある者を勧誘できたこと。それから、目的通りに蔡邕及びその家族や一族の士官が成功したことは既に知らされている。つまり同行者が増えた状態であり、そこにきて病の治療の為に滞在を伸ばさざるを得なくなっている。当然ながら経費はかさむことになるので、補填の為であった。

 もう一つの理由は、周異に対してである。彼は前述したように、盧植が倒れた際、救いの手を差し伸べてくれている。その礼と盧植の滞在費を兼ねて、金銭を送ったのだ。そしてもう一つだが、これは書状を届けた密偵に対するものとなる。揚州からの距離と時間を考えると、かなり急いだことが分かる。その働きに報いる為、褒美として金銭を与えたのだ。

 まさか劉逞の手ずから褒美を与えられるとは思っていなかった密偵でもある使者は、思わず固まってしまう。それからややぎこちない動きで、褒美を受け取っている。そして、二通の書状と多額の金銭を持った使者は、即座に晋陽から揚州の舒まで取って返したのであった。

 こうして密偵を送り出した劉逞は、家臣たちを集めて盧植の現状を伝える。盧植が病に蝕まれていたなど初耳であり、一様に驚きを露にする。特に盧植の次男と、盧植の推薦によって劉逞の家臣となった韓当と程普の二人の驚きは、相当なものであった。


「父が……」

『し、子幹殿が……』

「うむ。知らせには、我も驚いた。だが、師が決断したのならば致し方なかろう」

「そう、ですな」

「しかり……」


 劉逞の言葉もあって盧植の身に降りかかった事態については受け入れている韓当と程普の二人だが、それでも彼らの声色から判断する限りとても心配していることが分かる。師である盧植を心底心配してくれていること、それは劉逞にとっても嬉しいことではあったが、できればこのような形で知りたくはなかったとも思ってはいた。但し、韓当と程普の二人だけが盧植を心配しているわけではない。他の家臣も、彼らと同様に心配している。ただ劉逞の家臣となったのが盧植の推薦という関わりが深いこともあって、この二人が特段態度に現れていたのだ。しかし韓当と程普以上だった人物がいる、それは言うまでもなく盧植の息子であった。正に自分の父親のことであり、その有り様は当然と言えるものであった。何はともあれ、盧植は治療の為に長期間離れることとなるのは間違いない。そのあいだ、筆頭軍師の地位を空位にすることははばかられる。それでなくても、董卓によって皇帝の代替わりが強引に行われたばかりであり、この情勢下ではなおさらに筆頭軍師の空位を良しとはできない。そこで劉逞は、程昱にその役目を与えたのである。元から次席軍師の立場にある程昱なので、人事としてはまっとうなものであった。


「承知致しました。誠心誠意、務めさせていただきます」

「頼むぞ、仲徳」

「はっ」


 こうして劉逞は、盧植の心配をしつつも、彼のいない穴を埋めることですぐに自身の陣営を調えたのである。同時に劉逞は、劉備と劉備に仕えている盧植の三男。そして、父親の劉嵩に仕えている盧植の長男に対しても書状を送り盧植の現状を連絡している。そして盧植の四男についでであるが、そこは同じ肉親である次男が連絡することとなっていた。

 その一方で必死に揚州へ戻った密偵でもある使者から劉逞の書状と金銭を受け取った盧植は、一まず金子をいただくように掲げる。それからすぐに、添えてあった状を読みだした。そこには記されていた文章であるが、それは主君と家臣としてのものではなく一人の弟子として師である盧植を心配する劉逞の思いが溢れている。その内容を見た盧植は、思わず嬉しくなっていたのであった。

 その後、盧植はともに旅してきた者たちを集めている。そして、彼らに対して、今後について改めて伝えたのであった。万全を期する為に一まず生家へと華佗が戻ったこともあり、まだ手術は行われていない。それでも三日後には、盧植は華佗の治療を受けることとなっていた。その結果が失敗成功のいずれであるにも関わらず、盧植の護衛として残る人物以外の面子に関してはこの揚州より離れて并州へ向かくこととなっていたのだ。その意味では、治療を施される前に劉逞からの返書が届いたのは、時期がいいとも言えた。


「我の身に万が一のことが降り掛かった際は、常剛様のこと頼む」

「縁起でもないことを言うでないわ、子幹殿。我らは揃って、常剛様に仕えるのであろう?」

「そう……だな。伯喈殿」


 蔡邕からの言葉を聞き、ともすれば弱気になっていた盧植は自分の気持ちを引き締めた。華佗より成功する確率の方が高いとは聞いてはいたが、それでも絶対というわけではない。それゆえ盧植は、知らず知らずのうちに気持ちが萎えていたのである。しかし蔡邕から発破をかけられたことで、萎えていた自身の気持ちを引き締めたのであった。



 蔡邕らとの話し合いを終えた盧植は、次に周異と面会する。そこで劉逞から届いた礼の書状と、同じく礼の意味を持つ金銭を手渡していた。あくまで蔡邕からの頼みということで、盧植たちを受け入れた周異であり、もとからそのような金銭を請求する気もなかった彼は驚きを隠せない。それでも皇族の一人からの礼であり、受け取らないわけにはいかない。周異は、静かにそしてうやうやしく金子を受け取ったのであった。

 それから四日後、華佗の執刀による手術が行われたのである。果たして結果は、手術を受ける盧植を含めた周囲の心配をよそに無事成功と相成った。そのことに趙伯以下劉逞の家臣たちは勿論、世話になっている屋敷の主でとなる周異や彼の二人の息子も喜んでいる。そのような周家の者とは別に、この周家に居候している家族も喜んでいたのであった。

さてこの周家に居候している家族の正体だが、何と長沙太守である孫堅の家族である。元から周異と孫堅は馴染みであり、その縁もあって今年の初めに周家からの申し出を受けた孫堅が自身の妻や子供たちを周家に預けたのである。つまり蔡邕に見覚えがなかった新築された屋敷とは、周家が招いた孫堅の家族を住まわせる為の屋敷であったのだ。

 因みに、孫堅の長男となる者は孫策という。数えで十五と若いのだが、その割にはかなり腕が立つ武人である。その為か彼は、盧植の同行者たちに対して手合わせを頼んでいた。周家に世話になっているということもあるが、何より孫策の腕が立つということもあって彼らは了承したのである。その結果はというと、崔琰と田疇に対しては勝率で言えば優位である。しかし呂布相手では、全敗であった。

 さて、その周家が用意した孫家の屋敷の庭では二人の男が対峙している。一人は孫堅の嫡子となる孫策であり、対峙しているのは孫策がやや負け越している太史慈であった。彼らはそれぞれ長柄の武器を手にしており、孫策は戦斧を太史慈は手戟を構えていた。無論、刃などはないので、厳密に言えば戦斧と手戟を模したものである。しかし金属の塊には違いがなく、真面まともに当たれば怪我は勿論、命を落としかねなない代物であった。

 なお太史慈が最も得意とする武器は弓であるが、別に弓しか扱えないというわけではないのである。たとえ弓を使用しなかったとしても、戦えないというわけではないのだ。それはそれとして対峙している二人だが、少しずつ間合いを詰めている。やがて戦斧の間合いに入ったかと思うと、孫策が戦斧を振るっていた。金属同士がぶつかる音が響いたかと思うと、互いの得物がかち合っている。しかしそれは一瞬であり、太史慈は戦斧を奇麗に受け流していた。これは、力量というより経験の差が出た結果である。太史慈は数えで二十五才となっているが、一方で孫策はまだ十五才でしかない。あと五年以上も経ち経験を積み重ねれば、また違う結果が現れるかも知れない。だが、現状ではまだまだ若い孫策の技量が劣ってしまう。しかし孫策は、体勢を崩されながらも戦斧を大きく円を描くようにすることで手元に戻そうとする。この辺り、類まれなる戦人の能力を持っていると言っていい。だからといって、武器を受け流されてことによる体勢の悪さは拭いきれない事実であった。


「……隙あり!」

「くっ、しまった!!」


 崩れた体勢を戻しきれていないことで生まれた僅かな隙を突いて、太史慈は間合いを詰めるとて手にしている手戟を振るった。彼が狙ったのは、孫策の持つ戦斧の柄を握る手の近くである。流石に手そのものを手戟で打ち据えては、孫策の手が使い物にならなくなってしまうかも知れない。そこで太史慈は、手の近くを打ち据えることで、戦斧を払うなり落させるなりしようと試みたのだ。そして彼の目論見通り、手の近くを強かに打ち据えられた勢いに負けた孫策は戦斧を手放してしまう。手放した戦斧は諦めて咄嗟に距離を取ろうとしたが、それよりも太史慈の動きの方が、早かった。大きく後ろへと飛ぼうとした孫策であったが、その直前に太史慈の持つ手戟の切っ先が孫策の首に当てられたのである。刃引きをしてあるとはいえ、切っ先は別で普通に尖っている。あと一歩でも太史慈が踏み込めば、手戟の切っ先が孫策の喉を貫くのは間違いなかった。


「それまでっ!」


 しかしてすぐに、審判役の趙伯からの声が掛かる。すると太史慈は、ゆっくりと手戟の切っ先を孫策の喉元から外している。すると、孫策と太史慈の手合わせを見学していた孫家の次男と三男が安心したかのように息を吐く。二人は、孫策の喉元に太史慈の武器が突き付けられたと認識した瞬間から、息を飲んでいたのである。しかし太史慈の武器が彼の手元まで戻されたことで、飲んでいた息が安堵の息となって吐き出されたというわけであった。

 その後、孫策の弟二人は、慌てて兄の元へと駆け寄る。二人の弟を受け止めた孫策は、彼らの頭を撫でながらも太史慈へ声を掛けたのであった。


「くそっ! また、勝てなかった!!」

「そなたのような年では、我に勝ち越すのはまだ難しかろう。ゆえに暫くは経験を積むほうがよい、さすれば貴公は強くなる」

「……なぁ、子義殿。貴公の主君は、貴公より強いのか」

「ふむ。そうだな。これだけは言える、伯符殿よりは間違いなく強い」


 常山劉家において最強は、間違いなく呂布となる。しかし、その呂布に対して手合わせして一番勝ち星を稼いでいるのは劉逞である。その意味で言えば、劉逞の方が太史慈より強いのだ。もっともにその劉逞も、勝率ではいまだに呂布を越えてはいないことを記載しておく。


「そうか……そなたや奉先殿だけでなく、常剛様も強いのか。天下は広いなぁ」

「そなたはまだまだ若いのだ、焦ることはない」

「子義殿の言わんとすることは分かる。だが、それでもなぁ」

「はっはっは。せいぜい、頑張ることだな」


 すると太史慈は、これで終わりとばかりにきびすを返す。その後ろ姿を、孫策はじっと見続けていた。

 因みに太史慈と孫策の手合わせの勝率だが、太史慈が述べたように孫策は負け越している。全敗中の呂布はまだしも、太史慈に対しては勝てる時もある。それだけに孫策は、太史慈が揚州より離れる前に攻めて勝率を五分にしておきたかったのである。だがこたびの手合わせで負けたことで、さらに難しくなったのは言うまでもないことであった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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