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第五話~甘陵国開放~


第五話~甘陵国開放~



 光和七年(百八十四年)



 怖いぐらい順調に進軍を重ねたこともあってか、劉逞はこの甘陵攻めを楽観視していたのである。だがその慢心を、師でありそして軍師たる盧植が文字通り拳でいさめていたのであった。


「たとえいかなる相手であろうが、侮るなど言語道断! 今この時ほど、我はそなたの師であったことを恥じたことはない!!」


 盧植は、身の丈八尺二分という大男である。その大男から言葉と共に殴られたこともあるが、何より幼少の頃より師と仰いでいた男からの一喝と一撃である。盧植も流石に士気を考慮して将兵がいる前ではなかったが、それでもこの言葉と一撃が劉逞の胸に届かない筈もない。何せ師である盧植との付き合いは、下手をすれば父親の劉暠より深いかもしれないのだ。

 そんな師からの叱責に、初めは呆気に取られていた劉逞の表情が少しずつだが歪んでいく。それは、盧植がここまで激怒していたことの意味を理解できたからである。そんな劉逞の心情を現すかのように、彼の目からは一粒二粒と涙が流れ出していた。


「……くっ。師父、申し訳ございません」

「分かればいい。分かればいいのだ」


 姿勢を正し、劉逞は師に対してこうべを垂れながら詫びを入れていた。そのような態度を見せる愛弟子を、盧植はまるで子供をあやすかのように頭を撫でている。そんな二人の様子を、趙雲と夏候蘭の幼馴染二人が物陰から見守っていた。

 明けて翌日、劉逞の雰囲気が一変していた。そもそも、盧植に殴られた頬の腫れがひいていないので見た目からして違っている。だがそれ以上に、劉逞から侮りも楽観も一切が消えていたからだ。見た目と雰囲気が全く違ったことに、家臣からもそして皇甫嵩から派遣された援軍の大将を務める傅燮からも戸惑いが感じられていた。

 なお、昨日の出来事を知っている趙雲と夏侯蘭であるが、まるで周囲と合わせるかのようにして驚きの表情を浮かべている。だがそれは演技であることを、幼馴染みの劉逞はすぐに見抜いている。しかし、そのことを口に出すようなことはしなかったのである。

 また劉逞だが、一切顔の治療をする気がない。彼はあえて、そのままにしていた。これは痛みを噛み締めることで、自身への戒めとするとの思いからである。何はともあれ、大将の雰囲気が変わったことは将兵らにも強く影響を及ぼす。その為か、つい先日まで軍の中に広がっていたある種の気の緩みは、急速に引き締められたのだった。



 盧植のお陰もあって侮りも楽観もかなぐり捨てた劉逞は、改めて甘陵の状況を確認する。すると、どうして自身が昨日まであのように軽く考えていたのか恥ずかしくなっていた。その理由は、甘陵から感じる雰囲気である。この一月の間、甘陵国内で対峙してきた黄巾賊の雰囲気とは全く違っていたからであった。

 しかしながらこれは、考えてみれば変でも何でもない。何せ甘陵国内で現在、まともな兵力を持つ黄巾賊など甘陵に立て籠もっている彼らしかいないのである。つまり、完全に追い詰められているのだ。今まで劉逞が蹴散らしてきた黄巾賊の一部も合流していることもあって。正に手負いの獣といっていいだろう。そんな相手に対して侮っていたなど、兵を率いる者としての自覚が足りないとしか言いようがない。正に、師の顔に泥を塗ったといっていいぐらいの失態だった。


「甘陵国内に存在する、黄巾賊最後の拠点……師から叱責を受けずに楽観視をしたまま攻めていたら、どうなっていたか……なぁ子龍、衛統」

「かなりの被害を被っていただろうな」

「しかり」


 本陣の外れに立って自身の失態を回想していた劉逞は、彼を守るように両脇に控えている二人の幼馴染に話し掛けていた。すると彼らからは、主に対して忖度など全くしていない辛辣な言葉が返ってくる。完全に態度も物言いも、家臣の言い方ではない。しかしそれこそ、今の劉逞が欲しい言葉であった。

 おもねらず、現状に対してたとえ厳しくとも進言をしてくれる。だからこそ、二人を傍に置いているといっていい。幼馴染みだからという理由だけで、二人を近臣としているわけではないのだ。


「きついな。だが……そうだな、それでいい。いや、それがいい」

『当然だ』

「ああ。そうだ……これからも頼むぞ」

『おうっ!』


 趙雲子龍と夏侯蘭衛統、この二人は生涯において劉逞の傍にあり続けた人物であった。喜びを分かち合うだけでなく時には諫め時には叱咤し、それこそ二人は死ぬまで共にあり続けたのである。

 友として、そして君臣としての絆を深めた劉逞と趙雲と夏侯蘭は、きびすを返すと本陣の中央にある天幕へと向かう。しかしてその本陣において、何やら騒ぎが起きていたのだ。訝しげに眉を寄せながら趙雲と夏侯蘭と視線を交わしたあと、劉逞らは天幕に入る。するとそこには、一人の女性と彼女を守るようにいる一人の男がいた。女性と言っても、劉逞より年下である。見た目から察するに、十代前半ではないかと思われた。


「いかかがした子幹」

「は。その、こちらのお方が……」

「失礼ではありますが、そなた様がこの軍の大将でありましょうか」


 盧植の言葉を遮って、男が話し掛けてくる。そのことに対して一瞬だが不快を現した劉逞ではあったが、それは文字通り一瞬だけであり、直後にはその不快感を消して対応していたのであった。


「その通りだが、そなたは何者か?」

「これは、失礼致しました。我は甘陵王様が家臣、季雍キヨウと申します。このお方は、甘陵王様のお孫様にございます」

「甘陵王殿の孫だと!?」


 甘陵王の家臣を名乗る季雍という人物から紹介された女性の正体が、甘陵王たる劉忠の孫であるという。正に寝耳に水であり、幾ら同じ皇族の劉逞であっても驚きを持ってして当然であった。確かに劉逞も、父親の劉嵩から劉忠に孫娘が一人いるということは聞いている。但し、会ったことはないので、目の前にいる女性が本物なのかどうかは判断できないでいた。


「お願いです、常剛様。お爺さまをお助け下さい!」


 まるで懇願するように、甘陵王の孫を名乗る女性が頭を下げていた。

 心情的には、味方をしたい気持ちはある。だが、彼女の身の上が確定できない以上、おいそれと答えるわけにはいかなかった。どうしたものかと視線を巡らすが、誰も反応を示さない。本当に困っていた劉逞だったが、そこで救いの神が登場する。心底困り果てていた彼を救ったのは、彼の家臣ではなかった。


「間違いございません。このお方は、甘陵王様のお孫様であらせられます」

「真か!」

「は。嘗て、仕事で甘陵を訪れた際に、お見かけ致しました」

「間違いないか」

「間違いございません」


 劉逞を救ったのは、董昭である。自身が言ったように、黄巾の乱が起きる少し前に甘陵王の孫娘を見掛けたことがあったのだ。これにより、彼女が甘陵王の血縁であることが証明され、彼女と彼女を守っていた季雍と共に本陣へ迎え入れられたのであった。





 さて劉忠の孫娘だが、名は崔儷蓮姫という。彼女は劉忠の娘が清河崔氏に輿入れし、生まれた女性である。その彼女からの願いは、先ほど言ったように祖父に当たる劉忠の救援であった。彼女は黄巾賊に屋敷が襲われた際、劉忠と父母と共にいたところだったのである。だが襲撃されたことが分かった劉忠は、季雍に命じて孫娘を守り逃れさせる手筈を整えたのだ。

 その後、どうにか逃げ遂せた二人は安全を求めて父親の実家がある東武城に向かおうと思案する。しかしながら国内は黄巾賊が活発に蠢いており、たった一人の護衛だけで崔儷が甘陵国内を移動するなどとてもではないが無理であった。その為、彼女は季雍に守られながら潜伏していたというわけである。そして、遂に甘陵へ劉逞率いる軍勢が現れる。ことここに至り彼女は、祖父の救出を懇願する為に赴いたという次第であった。


「分かりました。蓮姫殿。必ずや、お救い致しましょう」

「ああっ! ありがとうございます、常剛様」


 こうして崔儷より懇願された劉逞だが、元からその予定で甘陵国にまできているので全く問題はない。寧ろ、望むところであった。一まず、崔儷と季雍を下がらせるとすぐに軍議を開く。無論目的は、いかにして甘陵を落とすかについてである。実のところ、甘陵を落とすこと自体はできる。但しそれは、劉逞が率いる軍の被害を考慮しなければの話であった。だが、できうるなら受ける被害は少ない方がいい。何せ甘陵国内の黄巾賊をすべて駆逐したとしても、それで終わりではない。鉅鹿郡にいる張角が率いる黄巾の本隊がいる広宗を押さえ、張角や二人の弟を捕らえるなり討つなりしなければ、黄巾賊の跳梁も終わりを見せないのだ。

 しかも劉逞たちは、甘陵に立て籠もる黄巾賊の意識を自分たちに集中させつつその裏で劉忠を救出しなければならない。普通に考えれば、実行するのは難しいだろう。しかし幸か不幸か、劉逞の元にはこういった仕事をこなすことができる人材がある。言うまでもなく、趙燕が率いる者たちである。情報を重要視する盧植によって組織された彼らであるが、その組織が持つ性格ゆえにこのようなこともできるのだ。


「趙燕、できるな」

「お任せください。甘陵へ潜らせている者と連携を図ります」

「子幹。具体的にはどうするか?」

「……趙燕。火をつけ、騒動を起こすのだ。その混乱に乗じ我らが攻め掛かるので、その隙に甘陵王様をお救いせよ」

「はっ」


 それから幾日かしたのちの夜、趙燕に率いられた部隊が甘陵へと近づいた。新月を選んで行われたこともあって、黄巾賊に見付からずに潜入に成功する。その後、先に潜入していた者たちと合流を果たした趙燕は、劉忠が捕らえられている屋敷の近くに潜入。あとは騒動に乗じ、その隙に脱出を図るつもりであった。

 しかしてそれから二日後、甘陵がにわかに騒がしくなる。それもその筈で、軍勢を調えた劉逞の軍が今まさに攻め掛かろうとしているからに他ならなかった。甘陵に立て籠もる黄巾賊も、いよいよと覚悟を決める。しかしその時、思いもかけない事態が甘陵のあちこちでおきたのだ。それは言うまでもなくそれは、趙燕の命を受けた配下の孫軽が起こした騒動である。彼らの働きにより甘陵のあちらこちらから出た火は、徐々に広がっていく。こうなっては迎撃どころではない、まずは火を消さないといけないからだ。そこで立て籠もっている黄巾賊は、迎撃をする者たちと消火活動を行う者たちに分けていた。

 こうすると迎撃できる兵が減ってしまうが、火を消さなければ籠城どころか迎撃もできなくなってしまう。致し方ないとはいえ、苦渋の決断だった。しかしてその苦渋の決断も、あざ笑うかのようにさらなる事態が発生する。あろうことか、劉逞の主力が展開している甘陵の門がゆっくりと開いていくからである。これは勿論、趙燕の手の者が行ったことであった。



 劉逞は、ゆっくりと開いていく門を遠目にただじっと見つめている。そんな彼の視界には、あちこちから出ている煙も映っていた。想定された策が順調に推移していると判断した劉逞は、突撃を命じる。その命に従って、先鋒を務める張郃儁乂が兵を率いて門へと取りついた。

 彼は、劉逞が旅に出た頃の初期に知り合った人物である。元は趙伯の武名を聞いて現れたのだが、そこで劉逞らと交わるとすっかり意気投合したのだ。そればかりではなく、彼が誰にも仕えていなかったことを知った劉逞は旅に同行することを申し出ていたのだ。

 若いながらもその武は趙伯も認めるところがあったので、その申し出が認められた形である。張郃も皇族となる劉逞からの誘いであり、断らなかったのだ。こうして彼は最後まで旅に同行して、劉逞の故郷に辿り着く。そこでそのまま、仕官したのであった。

 その張郃率いる部隊が騒動を起こしていた趙燕の別部隊と合流したことで、完全に門が開いたのだ。すぐさま皇甫嵩からの援軍を率いている傅燮なども続いたので、門は完全に劉逞の支配下に落ちてしまう。こうなっては劉逞の軍勢を止めることなどできるわけがなく、次々と甘陵へ雪崩れ込んだのであった。

 その一方で、潜伏場所に残った趙燕もまた行動を起こしていた。あちこちから火が出たことで起きた騒動が劉逞の軍勢が投入されたことでさらに大きくなったと判断すると、一気に劉忠らが捕らえられている屋敷へ突入したのだ。これは完全な奇襲であり、しかも甘陵は火事と敵の襲来で上へ下への大騒ぎとなっている。さらにいえば屋敷を守っているのは、元農民の兵でしかない。趙燕やその配下のように荒事になれている者たちに太刀打ちする為には、技量などという色々いろいろなものが足りていなかった。

 屋敷を守っていた兵はあっという間に駆逐されてしまい、趙燕は完全に屋敷を勢力下におくことに成功する。こうして劉忠を救援した趙燕は、彼を守りつつ甘陵の屋敷より脱出した。その後、門を破り一番乗りを果たした張郃の軍勢に合流できたことで、劉忠の身の安全が完全に確保されたのだ。すると張郃は護衛の兵を追加し、劉逞のいる本陣へ趙燕と共に送り届ける手配を行ったのであった

 その張郃らによって攻められている甘陵だが、実は完全に包囲されていなかったのである。四方にある門のうちで三方は分厚い攻めがなされていたが、その一方で一つの門だけは他の三門に比べて攻めが薄いのである。しかしこれはわざとであり、そこにはある意図が隠されていたのだった。


「子幹。わざと門を一つだけ攻めを薄くして、そこから敵を追い出してその後に討ち取る。それで、いいのだな」

「窮鼠猫を噛むとのたとえもあります。追い詰め過ぎるのは、よくありません。我らの最終目的は黄巾の撃滅ですが、それを行うためには敵の勢力がまだまだ侮れません」

「焦りは禁物というわけか。わかった、雲長にやらせよう」


 雲長とは、劉逞が洛陽を見分したあとで立ち寄った解池で知り合った人物であり、名を関羽雲長という。彼はその人柄から、故郷で暴利をむさぼっていた塩商人がどうしても許せず自らの手で討とうとしていたのである。だが塩商人を討とうとする前に、解池に立ち寄った劉逞が件の塩商人の話を聞いて密かに官を動かしていたのだ。

 とはいえ劉逞が表立って動くのは、少々拙い。そこで今は亡き大学者馬融の愛弟子でもあり、儒学者としても名が響いていた盧植が代わりに動いたというわけである。また官吏側としても、あまりにも暴利をむさぼっている商人に対して釘を刺しておきたいという思いがあった。ここに利害が一致し、官吏は徐晃という名の郡吏を密かに派遣して協力したのである。その動きもあって件の塩商人は、関羽が塩商人を討つ前に捕らえられてしまったのだった。

 官吏から賊として追われることも辞さない覚悟をしていた関羽だったが、結果として荒事にならなかったことに感謝し劉逞というか実際に動いた盧植を訪問したのである。しかし、いざ訪問をしてみれば皇族がいたので驚きを隠せなかったという。その後、彼は、劉逞の許可を受けて行動を共にすることを決めたのだった。

 話を戻し、命を受けた関羽は、唯一押さえていない門の外にありじっと黄巾側の動きを待っていた。すると、いよいよその門が開いていく。同時に、ほうほうの体で黄巾賊が出てきたのだ。しかも先頭にいるのは、どうやら甘陵に籠っていた甘陵王を襲撃した黄巾賊の大将に当たる渠帥である。つまり甘陵国においての襲撃は民の自発によるものではなく、巧みに誘導された結果だったのだ。

因みに安平国の場合は、そうではない。あちらには、渠帥に相当する人物は派遣されていなかった。だからこそ、安平王を捕らえて殺したあとに常山国まで攻めるなどという暴走を、起こしてしまったのである。

 ともあれ門の外で待機していた関羽は、渠帥を見掛けると馬を操り接近する。彼の容姿などについては、趙燕の部下となる王当から聞き及んでいたので見間違うこともない。間もなく肉薄した関羽は手にしていた偃月刀の一振りで首を討っていた。その見事な腕前に、敵味方問わず見惚れてしまっている。しかし関羽は、周りになど頓着せず己が果たした使命を高らかに宣言したのである。


「敵大将! 関雲長が討ち取ったりー!!」


 この宣言こそ、甘陵国が黄巾賊より解放された瞬間であった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 張郃、関羽まで! もうこの時点で 趙雲、太史慈、張郃、関羽と三国志史上ベスト10にはいるような武神クラスに 程普、韓当という歴戦の勇士 軍師に盧植 血筋もバッチリだし このまま洛陽行けば天…
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