第四十九話~盧植の旅 三~
第四十九話~盧植の旅 三~
永漢元年(百八十九年)
およそ十数年離れていた友人ということもあり、盧植と蔡邕は再会を喜び合っていた。それは、どちらかと言えば貧していると言って差し支えがない蔡邕が、質素ながらも歓迎の為の宴を催したことにも表れているだろう。決して豪華ではないが、それでも盧植一行を歓待しようという気持ちが溢れていたのだ。
その蔡邕と共に、一人娘の蔡琰も歓待に華を添えている。場を盛り上げる為に楽器を爪弾いたり酌をしてみたりと、かいがいしく動き回っているのだ。その様子を盧植は、微笑ましく思いながら眺めていた。彼にも子供は四人ほどいるが、全員が男である。長男は、劉逞の師になった縁から常山王である劉嵩に仕えている。そして次男だが、実は盧植と同じく劉逞に仕えていたのだ。ただ父親と違い、両名とも軍師としてではない。だが文官の一人として、内政の面から支えていた。そして三男はというと、実は劉備に仕えている。それというのも、劉備の周囲には武人の方が多いからだ。武力という面では申し分ないが、軍事とはそれだけではない。昔の縁から牽招を招いたりもしているが、それでも武に偏っていると言っていい。そこで劉備は、牽招を招きつつも師である盧植に相談していたのである。すると盧植は、自分の三男を送り出したのだ。まだ若いが中々の能力を持っており、流石は盧植の子供だと思わせるには十分である。将来はまだ分からないが、何れは盧植に比肩するかも知れないだけの才覚を持っているのではと思わせる人物である。最後に四男だが、まだ幼く数えで七才にしかならないので誰にも仕えてはいなかった。
「なるほど、女子を子に持つ親とはこのような心持となるのか」
「ん? 結局、女は生まれなかったのか」
「そうだ。全て男だ」
「なるほど。ならば、新鮮であろう」
「うむ」
二人のいい大人が、宴の席で甲斐甲斐しく動く蔡琰の姿にほのぼのとなっている。その姿は年齢もあって娘を見る父親というより孫を見る祖父といった感じであった。
そして、蔡琰に対して先に上げた盧植と蔡邕とは似ているようで少し違う視線を向けている一人の男がいる。その男とは、呂布であった。それというのも、彼には娘が一人いるのだ。年の頃なら七才になるかならないかぐらいの年齢であり、その意味では盧植と蔡邕と同じように蔡琰を娘のようにも見ていたのである。つまり盧植の一行が初めて蔡邕の家を訪れた際に、彼らの対応を行った蔡琰の姿を見送ったのも、晋陽に残している一人娘の面影が浮かんでしまったからであった。しかし同時に呂布自身がまだ気付いていないのだが、一人の女性としてどこか惹かれている面もある。実は数年前に呂布の妻が亡くなっており、しかも娘の子育て時期と重なったせいか、いわゆる男やもめであったのだ。
つまるところ呂布が太史慈から指摘された時に顔を赤らめ理由、それは娘と言う家族を思う気持ちが悟られたと思ったこと。そして無意識下でありながら、蔡琰を女性として見ていたからであった。
「どうぞ」
「うむ。忝い」
その時、蔡琰が呂布へ酌をした。すると呂布は、とても優しげな雰囲気を纏いつつ、微かに照れながらその酌を受けたのであった。
それから数日後、盧植は改めて蔡邕の家を訪ねていた。前回の訪問時は、歓待の宴を開いてくれたということもあって勧誘の話はしなかったのである。そして当然だが、今日は勧誘する為に訪問したのであった。殆ど待たされることもなく通された盧植は、前回の時と同様に蔡琰が入れてくれた白湯を一口飲んで口を湿らせる。それから一息置くと、蔡邕に対して劉逞へ仕えないかと話したのであった。
「伯喈殿、どうであろうか」
「……話としては嬉しい。しかし、常剛様に迷惑となるのではないか?」
「既に宦官どもは、力を落とした。そして董卓も、宦官を用いる気はないようだ。なれば、何ら臆するところなどない」
事実、何進を謀殺されたことに対し袁隗らが行った宦官への反撃と言う名の虐殺が行われたことによって、宦官に嘗て持ち合わせていた権力などはない。流石に宦官が全滅したわけではないが、十常侍が振るったような権力など望めるべくもないのだ。そのような宦官など、もはや怖くもない。ましてや劉逞は皇族であり、権力振るえなくなった宦官など歯牙にもかけない相手なのだ。
「確かに……その通りではあるか」
「うむ。だから伯喈殿、貴殿に含むところがないのであれば、常剛様に仕えてみてはどうだ? 彼のお方ならば、そなたに対しても決して無下な扱いはすまい」
「…………よかろう、子幹殿。老骨に鞭打ち、今一度庵より出ようではないか」
目を瞑り、暫く考えたあとで蔡邕は盧植の申し出を受ける決断をする。代わりに張昭という傑物を得たとはいえ、盧植は当初の目的の一人であった鄭玄を勧誘できないのである。それだけに、今度は成功したことに喜びを表したのであった。
「おお! そうか、そうか!!」
「子幹。これからも、よろしく頼む」
「勿論だ」
こうして無事に勧誘に成功した盧植は、蔡邕と彼の娘である蔡琰。また、彼の叔父に当たる蔡質やいとことなる蔡谷も共に并州へ向かうこととなったのであった。しかしながら、彼らの一行が順調に戻れたのかというとそうではなかったのである。その理由だが、何と盧植が倒れてしまったからであった。
それはちょうど、彼らの一行が盧江郡の郡治府のある舒へと差し掛かった時のことである。だが勧誘に成功した蔡邕が同行していたこと、これが幸いした。何と舒には、彼の知り合いがいるのである。しかもその知り合いだが、かなりの名家である。果たしてその家とは、何と周家であった。周家当主である周忠とも蔡邕は知合いなのだが、周忠自身は洛陽にて朝廷に仕えているので除外する。その為、別の知り合いの家に向かう。そのだが周家の分家筋に当たり、当主は周異という人物であった。その周異だが、嘗ては洛陽で県令を勤めていたこともある人物である。しかし黄巾の乱が起きると、すぐに官職を辞して郷里となる舒へと戻ってきたのだ。すると周異は、嘗ての知り合いということもあり、蔡邕を援助していたのである。とはいえ、宦官の目があるので表立ってではない。だがこの援助が、蔡邕たちを助ける一助となっていたのは間違いなかった。
「済まぬが、同行してはくれぬか」
「我が行こう」
そう言ったのは、趙伯である。彼は并州から来た面子の中で、倒れてしまった盧植を除けば最年長となる。仮に事情を説明するのであれば、趙伯ならば問題とはならないのだ。何せ彼は、盧植と並び武とはいえ劉逞の師である。その信用も、やはり盧植と同様なのだ。
兎にも角にも盧植を宿で安静にさせて看病は娘の蔡琰や数少ない侍女に任せると、蔡邕は趙伯を伴って周異の屋敷へ向かったのである。さて周異の屋敷だが、分家筋とはいえ揚州の名門となる周家の屋敷である。流石と言える、かなりの広さを持った屋敷であった。その時、蔡邕は訝しげな顔をする。それというのも、敷地内に屋敷が一つ新築されていたからだ。曲がりなりにも援助を受けているということもあって、蔡邕は何度か周異の屋敷を訪れたことがある。時には周異の願いから、彼の息子二人に講義をしたこともあったぐらいなのだ。その彼の記憶の中では、新築された屋敷に覚えがない。ということは、この一年以内に建てられたものであることが想像できた。
「いかがした、伯喈殿」
「あ、いや勲圭殿。何でもない」
新たに屋敷が建てられたことが気にならないでもないが、そのようなことなど後回しでいいことである。今は、倒れてしまった盧植の為に周異の力を借りなければならないからだ。急な訪問となってしまうが、それも致し方がない。まずは会わねば、話にもならないからだ。程なくして屋敷へ到着した蔡邕は、当主の周異に会いたい旨を門番に伝える。すると、問題なく会えることとなった。それでも暫く待たされることにはなったが、急な訪問にしてはとても早く蔡邕と趙伯は、当主の周異と面会できたのである。
「これは伯喈殿、急なお越しとはいかがされましたか」
「失礼とは思いましたが、さる事情があるまかり越しました」
「そうですか。いえ、別に気になさらずともよろしいです。それで、その事情とは一体何でしょう」
周異より話が振られた蔡邕は、ここで急遽訪問した理由を告げる。その話を聞いた周異は、蔡邕の頼みということもあってすぐに了承したのだ。これにより宿に残っていた盧植たちは、宿から周異の屋敷へと移動すると屋敷で治療を受けることとなる。そしてその時に周異の用意した医師というのが、何と華佗である。偶然にも華佗は、用があってこの舒にいたのだ。周異自身も華佗がいるということ自体は知っていたが、身内や知り合いに病に掛かっている者などいなかったのでそれ以上は何も動いていなかった。しかしまさか必要になるとはと驚きながらも、華佗がいたことには感謝して盧植の診察を頼んだのである。幸い用件についてはすでに終えていたこともあり、早速にでも訪問して診察した華佗だったが、その雰囲気はあまりよいものではなかった。
「華殿。我はどうであろう」
「倒れたこと自体は、疲労からくるものです。しかし……」
「しかし」
「臓腑に病があります。この病を治さねば、長くはありません」
「……そうですか……」
実は盧植には、心当たりがあった。今年の初夏ぐらいからだが、まれに痛むことがあったからである。当初は気のせいかと思っていたのだが、間隔こそ空いているが同じような場所が何度も痛むのだ。今回の旅でも上手く誤魔化していたが、数度ほど痛みがあったのである。だから華佗より伝えられても、盧植は内心で「ああ、やっぱりか」とどこかで納得していたのであった。
「して、盧殿はどうされますか?」
「どう、とは?」
「先ほども言いましたが、治さねば長くはありません。ですので、治療を致しますか?」
「え? え!? か、可能なのか!!」
華佗の言葉に、盧植は驚きを隠せなかった。まさか治療が可能だとは、思ってもみなかったからである。そのように驚いている盧植に対して華佗は、頷きながら返答したのであった。
「はい。治療は可能です。但し、開腹手術を行えばですが……」
「か、開腹ですと!」
まさか治療の為に、自身の腹を裂かれるとは夢にも思っていなかった盧植は素っ頓狂な声をあげてしまった。その声を聞いて、部屋の外で待っている者たちは、何があったのだろうと覗き込んでいる。流石に「開腹」の言葉だけでは、意味が全く分かっていないからであった。そのように覗き込んでいる者たちのことなど、盧植は気にもなっていない。華佗は気付いているが、邪魔をされなければ何も言うつもりがないので咎める気持ちもなかった。
「無論、痛みを感じることはございません。その上でお尋ねしています、治療をなさいますかと」
「因みに仮に治療を行わなければ、どれぐらい我は持ちますか?」
「そうですな……長くて三年、それぐらいでしょうか。しかもそれは、安静にしていればです」
「仮にもし、安静にしていなければ?」
「それは、何とも言いかねます」
華佗からすれば、盧植が日頃からどのような生活をしているか分からない。何せ今日、初めて診察したのだ。これより以降、それこそ盧植専属となり、四六時中共にあるというのならば話は別である。しかし、少なくとも現時点でそのようなことにはならない。なれば、いかに名医である華佗と言え盧植の命がどれだけ長らえるかなど言えるわけがなかったのだ。
腕を組みながら悩む盧植、そしてその盧植の前で身動ぎ一つせずに待つ華佗。その二人を部屋の外から見詰める、館の当主である周異や趙伯以下劉逞の家臣。そしてなぜかこの場にいる周異の次男と次男の同世代と思われる一人の男児という奇妙な空間ができ上っていた。
「……分かりました。華殿、お願い致します」
「承知いたしました。我が全てを持ちまして、ことに当たりましょう」
その後、部屋を除いている周異たちを含めて改めて説明が行われる。すると華佗のことを知っている蔡邕と張昭と屋敷の当主となる周異以外、即ち并州から来た者たちは趙伯を除いてこぞって反対した。しかし盧植の意志は固く、翻る様子は見られない。説得が功を奏さない中、当初から黙っていた趙伯はここで口を開いたのであった。
「子幹殿。意志は固いのだな」
「無論。我が寿命であるというならば諦めもする。だが病であるというならば、可能性があるというのならば……我は諦めぬ!」
「……分かった。子幹殿の意思を尊重しよう」
『勲圭殿!』
「まぁ、聞け。実際に治療を受けるのは子幹殿だ。その子幹殿が決断している以上、その考えを尊重する。よいな」
確かにその通りである。あくまで治療を行うのは盧植であり、その当事者が決断しているのだ。とはいえ、納得できるのかと言えばそうではない。だがもはや、どうすることもできそうにない。呂布以下、彼らは黙るしかなかったのだった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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