第四十八話~盧植の旅 二~
第四十八話~盧植の旅 二~
永漢元年(百八十九年)
襲ってきた賊を、鎧袖一触とばかりに盧植の一行は蹴散らしてしまった。そしていよいよ、徐州の治府がある東海郡の郯へと到着したのである。しかしながら、師の馬融が死したのちに青州へと移動した筈の鄭玄に会いに来た盧植が、なぜに徐州へ訪れたのか。それは至極単純な理由であり、鄭玄が徐州にいるからであった。
さて鄭玄が青州から徐州へと移動した理由、それは青州で起きた黄巾賊残党の蜂起が原因である。黄巾賊残党の蜂起を知った鄭玄は、齎されることは間違いないであろう災厄から逃れる為、弟子たちと共に青州から離れて隣の徐州へと避難したのである。その徐州でも黄巾賊残党による蜂起の影響は及んでいたので、同じ徐州でも黄巾賊残党の勢力が及んでいない南部。もしくは揚州まで移動しようと、鄭玄は考えていた。しかしながら鄭玄の一行がまだ徐州内に居る間に朝廷から命を受けて派遣された徐州刺史の陶謙が、徐州内から黄巾賊残党を駆逐。それにより鄭玄は、揚州まで移動することなく徐州に留まったのである。鄭玄が徐州内にいることを陶謙が聞きつけると、鄭玄を郯へと招いて自身の庇護下に置いたのであった。
「久しいな、子幹」
「康成。そなたも元気そうで何よりだ」
およそ九年ぶりとなる再会に、盧植も鄭玄も手放しで喜んでいる。暫く再会を喜びあったあとで鄭玄は、屋敷に盧植の一行を招き入れている。なおこの屋敷であるが、陶謙が用意したものであった。
間もなく屋敷に招き入れた鄭玄は、盧植一行を歓待する為の宴を開く。その宴には弟子たちも参加させており、中々な宴であった。
「お久しぶりにございます、師よ」
「おお、子義ではないか。母御はお元気か?」
「はい。とても」
「うむ。それは何よりだ」
自らの元より旅立った嘗ての弟子の元気な姿に、鄭玄は喜びを表す。しかも鄭玄は、酒の席ということもあってかても陽気となっていた。また鄭玄の弟子には、太史慈がまだ青州にいた頃からの知り合いもいる。その彼らとも太史慈は、再会を喜んでいたのであった。
そのような宴から数日、盧植は鄭玄へ劉逞に仕えないかとの勧誘を行う。以前、旅をしていた頃に劉逞と鄭玄は会っている。だから、それなりに人となりを知っている鄭玄ならば、勧誘は首尾よく成功すると思っていた。しかし、盧植の予想は外れることになったのである。
「……済まぬ。その誘い、受けることはできぬ」
「な、何ゆえか」
「我は徐州へ避難してから、徐州刺史殿に一方ならぬ恩義を受けている。刺史殿に仕えているわけではないが、さりとて恩義を返さぬうちはのう」
「…………そうか……」
盧植と鄭玄は、それこそ数十年に及ぶ付き合いがある。盧植の方がいささか年上となるが、年齢差など感じさせない付き合いがあった。それだけに盧植は、鄭玄という男について一番把握していると言っていい。だからこそ鄭玄が、意思を翻さないことなど彼の返事から十分に理解したのであった。同時に、説得も無理だということも同時に理解してしまったのである。仮にここでもし強引な動きに出たとしても、鄭玄は決して首を縦に振るとは思えない。下手をすれば、逃亡、すると思われる。そして実際、鄭玄は嘗て似たようなことを行っているのだ。
それというのも鄭玄は、三年ほど前だが何進に招聘されたことがある。彼も当初は断ったのだが、当時の青州刺史や北海郡太守が何進におもねり、権力を嵩に着て脅してきたのである。その為、鄭玄は仕方なく受け入れていた。一方でそのようなことなど知らない何進は、招きに応じた鄭玄を歓待している。しかし鄭玄は、これで何進の招きに応じたとしてその翌日には用意された屋敷より脱出して郷里へと戻っている。その一件を知っているだけに、盧植も無理強いするわけにはいかなかったのだ。
「済まぬな、子幹」
「いや。気にせずともよい」
「……だが、このままではそなたの面目が立たぬであろう。そこで子幹、我が一人紹介しよう」
「ほう。康成のお眼鏡に掛かる人物とは、誰であろうか」
「徐州彭城国に、張子布という者がいる。その者を、訪ねてみるがいい。紹介状は認めるゆえな」
「張子布殿と」
「うむ」
鄭玄の言う張子布とは、張昭のことであった。彼は若い頃よりその才で、徐州でも高い名声を得ていた人物である。僅か二十の若さで、孝廉に推挙されたぐらいであるから相当なものであるといえるだろう。それゆえ徐州刺史となった陶謙からも茂才の推挙を受けたのだが、張昭は一顧だにせず拒絶してしまった。このことに激怒した陶謙は、張昭を投獄したのである。しかし陶謙に仕え張昭の旧友でもある趙昱が取り成したことで、彼は許されて放免されたのだ。だが、陶謙から恨みを買ったという事実に変わりはない。その為、少なくとも陶謙が徐州にいる限りは張昭の才が生かされることはないと思われていた。
張昭という人物を知っている鄭玄からしてみれば、そのようなことは天下の損失だと言える。とはいえ、陶謙の恩義もあって自らが動くことも難しい。その時、現れたのが親友の盧植であった。彼……否。盧植と盧植が仕えている劉逞ならば、張昭を託せると考えたのだ。
そして盧植としても、他ならぬ鄭玄からの推薦である。一度も会ったことがない人物ではあるが、鄭玄からの推薦であればそこに疑う余地などなかった。人となりなど、会ってから確かめればいいのだから。兎も角、紹介状を貰うと盧植は、残念に思いながらも鄭玄と別れたのであった。
間もなく郯を出た盧植の一行は、そのまま彭城国へ赴いて張昭を訪ねた。その張昭だが、拒絶することなく盧植と面会していた。鄭玄からの書状もさることだが、訪問してきたのが盧植ということも張昭の気を引いたのである。儒家としても有名な盧植だが、黄巾の乱以降は劉逞の筆頭軍師としても名を馳せている。いや、寧ろ今となっては、劉逞の筆頭軍師としての方が有名となっていた。だからこそ、張昭は盧植と面会したのである。そんな盧植と張昭、二人の話は実に弾んでいたという。年が親子ほど離れている二人だが、そのようなことは微塵も感じさせなかったのであった。
「して子幹殿、本題に入りましょう。貴方様の目的、それは我の仕官ではありませぬか?」
「流石……とは申しませぬ。そなたならば」
「これは、過分な評価をいただきこの張子布、汗顔の至り」
そう宣う張昭だが、彼の表情を見る限り言葉と一致した様子はなかったとても。ひょうひょうとしており、汗顔の心持には到底見えないからである。しかし盧植はそのようなことを指摘せず、話を進めていた。
「して子布殿、いかがであろう」
「劉常剛様にございますか……いいでしょう。我も、あのお方は気に掛かる」
「では!」
「はい。この張子布。常剛様にお仕えいたしましょう」
張昭の言葉に嘘はない。黄巾の乱が始まると同時に現れ、幾ら皇族だからとは言え、僅か五年で度遼将軍にまで上り詰めており、それだけでなく并州牧にまでなっている。皇族ということで下駄をはかされている可能性もあるとも考えられるが、そのことを加味したとしても尋常ではなかった。
また、それだけではない。張昭とて、この徐州に居てはどうにもならないことは分かっているのだ。陶謙からの茂才を断ったことに後悔はないが、それでもどこかで己の才を試したいとも思っている。そこゆえ、徐州から遠く并州での仕官というのも悪くないと考えたのだ。盧植からの勧誘、そして遠い并州。この二つが、張昭に仕官を決断させたというわけであった。
当初の目的の一人であった鄭玄を引き込めなかったのは不覚であったが、その代わりに張昭という得難い才能を味方に引き入れたのである。この者であれば十分だと判断した盧植は、徐州から旅立つことにする。行き先は言うまでもなく、もう一人の目的である蔡邕の元であった。
張昭を加えた盧植の一行は、徐州を越えて揚州の州治府がある九江郡へと入っていた。そこには揚州刺史である陳温がいるが、別に知り合いでもないのでそのまま九江郡を南下して長江の下流、いわゆる揚子江へと向かい到着した。ここを渡れば、対岸は同じく揚州の丹陽郡となる。しかして盧植たちだが、そこで暫くの間だが長江を眺めていた。川の雄大さと言うか、そういったものに気を取られたからである。盧植たちに取り馴染みのある黄河も大河であるが長江……いや揚子江はそれ以上であった。
「……言葉が出ぬわ……」
「真に」
思わず漏らした盧植の言葉を聞いて、偶々近くにいた崔琰が言葉を返していた。やがて満足したのか、盧植たちはその場から離れている。そして一行が向かったのは、長江の渡し場であった。その渡し場から船で長江を渡り、丹陽郡に入るとそのまま進み会稽郡へと向かったのである。それというのも蔡邕が、会稽郡に居を構えているからであった。程なくして会稽郡に入った盧植の一行は、使いの者を派遣する。因みにこれと同じことは、実は鄭玄の時も行っている。だからこそ、鄭玄に会った時も盧植は問題なく速やかに彼との再会に望めたのであった。
宿泊用に取った宿で戻ってきた使いから蔡邕の都合を聞いた盧植は、伝えられた通りの日時で蔡邕の家を訪問することとなる。そして約束の日、一行は蔡邕の元を訪問していた。彼は桓帝と霊帝、二代の皇帝に仕えた漢の元重臣となる。しかし、彼が住む家は元重臣とは思えない。有り体に言えば、みすぼらしいと言って差し支えがなかった。
とはいえ、盧植としてはそう驚くものではない。蔡邕の現状については、既に報告を受けていたからだ。やがて到着した蔡邕の家の者に訪問した旨を伝えると、すぐに全員が通される。護衛の兵は流石に無理だったが、それ以外の者はどうにか受け入れていた。ある一室に通された盧植たちに対し、白湯を持った若い女性が現れる。しかし彼女は侍女などではない、れっきとした蔡邕の娘である。数えでまだ十三歳であり、名を蔡琰こと蔡昭姫と言った。
彼女は若いながらも才女として名を馳せており、知識ではまだまだ父に負けるが年齢からすればとても博識である。さらに言うと、彼女は弁術や楽器にも長けていた。また、あまり生活が裕福ではないこともあってか、華美な服を身に着けているわけではない。しかし、そのようなことが気に掛からないぐらいの雰囲気を持つ女性であった。
その蔡琰も部屋から辞し、盧植たちは彼女が持ってきた白湯を飲んでいる。しかしその中で一人、手にした白湯を飲まずに蔡琰が出ていった部屋の入り口を見ている男がいる。その男とは、何と呂布であった。そんな彼の様子に気付いた太史慈は、訝しがりながらも声を掛けたのである。
「いかがされた、奉先殿」
「え? あ、いや何でもない。気にしないでくれ子義殿」
「そうですか? 何もないのならばよいのですが……」
よく分からないが、体調が悪いようには見えない。何より本人が、「何でもない」といっているのだ。ならばこれ以上、追及する必要もないだろう考えた太史慈は、小さく肩を竦めてから呂布より視線を外していた。そして視線を外されたことに安堵して小さく息を吐いた呂布だったが、その直後にこの部屋に近づいてくる人物の気配を感じている。しかし感じたのは呂布だけではない、話していた太史慈は勿論だが、他にも趙伯と趙翊の親子や崔琰や田疇も感じていた。つまり、人の気配を捉えていなかったのは、盧植と張昭だけであった。
気付いていない二人以外の者たちが視線を投げかけるなか、家の主である蔡邕が現れたのである。だが六人分、都合十二の瞳を投げかけられていることに気付き、思わず立ち止まってしまっていた。
「う……」
別に彼らが脅したわけではないが、揃いも揃って武に覚えがある者たちである。特に呂布と太史慈と趙伯、この三人は別格と言っていい。その彼らからの視線を受けてしまえば、文官でしかない蔡邕を怯せるには十分と言える。しかしながら、それも盧植が声を掛けるまでであった。
「おお、伯喈殿。お元気そうだ」
「あ、ああ。子幹殿。それは、貴公も同じであろう」
久方ぶりに会った古き友人である盧植の言葉に蔡邕は、先ほどまで怯んでいたなどとは思えないぐらい穏やかな雰囲気を醸し出しつつ古き友との再会を喜んでいたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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