第四十六話~退位~
第四十六話~退位~
光熹元年・昭寧元年・永漢元年(百八十九年)
皇帝である劉弁と陳留王である劉協を掌中の珠とした董卓が洛陽に入ったあとで行ったこと、それは主に二つとなる。まず第一手としては、軍権の掌握であった。洛陽で起きた政変の切っ掛けとなった何進の誅殺、そして政変のさなかで討たれてしまった何進の義理の兄弟となる何苗。二人の将軍が相次いで亡くなってしまったことで、彼らが握っていた兵力が半ば宙に浮いた状態となってしまったのだ。そこで董卓は、洛陽の治安安定を名目にして、彼らが持っていた軍権を吸収し掌握したのである。こうして得た軍事力を背景として行ったのが、政権の掌握であった。皇帝たる劉弁を手にしている董卓が亡き大将軍何進と亡き驃騎将軍何苗の軍事力が加わったことにより、声高に逆らえるものが洛陽にはいなくなってしまったのである。そのような董卓に対して、袁隗を筆頭とした名門の者たちには忸怩たる思いがある。しかしながら、政も軍も掌握した董卓に逆らうことはいかな名門である彼らとて難しかった。
こうして反対勢力となりかねない彼らを黙らせた董卓だが、だからといって名門の者たちを蔑ろにする気など全くない。寧ろ、積極的に優遇するつもりであった。幾ら洛陽を掌握したからと言って、董卓と董卓の家臣だけで全てを行うのは無理だからである。軍を率いることに関してならば十八番と言っていい董卓陣営だが、流石に政治までそつなくこなすというのは難しい。特に彼の家臣は、どちらかというと軍事や武に傾いている。無論、いないわけではないのだが、どちらかと言えば軍人が多いのだ。これは、彼らが涼州出身であることが大きい。別に涼州出身者が、押しなべてそうだとは言わない。だが、異民族の侵攻が相次ぐ涼州出身者に軍事を得意とする者が多いのは事実であった。この軍事を得意として政治を不得意とする事態を解消するのには、名門出身者を味方にする必要がある。だからこそ、袁隗が首領を務める袁一族などといった名門を優遇する気だったのだ。
その優遇策として、まず今回の政変により宮城に討ち入った者も含めて全ての者に許しを与える為に大赦を行おうとしたのである。このことを進言したのは、李儒であった。彼は元々、朝廷の官吏である。しかし黄巾の乱において董卓が中郎将職を解任された頃、お互いに面識を得たのだ。するとなぜか二人は、とても意気投合する。以降、表向きは朝廷の官吏として、実質は董卓の臣下として李儒は中央に居続けたのであった。しかし、董卓が洛陽を掌握したことで、この二重生活を続ける必要がなくなる。晴れて李儒は、董卓の臣下として合流したのであった。
このことに董卓は、酷く喜んでいたと言われている。その理由は、李儒の得意分野にあった。前述したように、董卓の家臣は軍事に強く政治に疎い者が多い。その中にあって李儒は、数少ない政治に強い人物なのだ。その李儒からの進言であり、しかも彼は董卓陣営の弱点である政治に疎い分野を補える。このような進言を、無下にするわけがない。早速にでも、董卓は実行に移ったのであった。
だがここで、一つの問題が立ちはだかる。それは、掌中の珠としたつもりであった劉弁の反応である。何と彼は、董卓の奏上を取り上げなかったのだ。そもそも劉弁は、外戚と宦官の共倒れといっていい今回の政変に対して、彼らの自業自得だと思っていたのである。それゆえに、大赦を行う理由とはならない。そう考えて、董卓からの奏上を取り上げなかったのだ。しかしそれでは、董卓に取って甚だ都合が悪いのだ。名門の者たちを味方とする為には、どうしても大赦が必要となる。とはいえ、相手は皇帝である。彼が否といっている以上、このまま押し通すのは難しい。どうしたものかと悩んでいる董卓に対し、解決策を提案したのはまたしても李儒であった。
「……皇帝を退位させる、だと?」
「はい、仲穎様。陛下では埒があきません。ここは、陳留王様に次期皇帝となっていただきましょう」
「それができるのであれば申し分ないが……」
「お任せください」
まるで何でもないような態度をとる李儒を見て、董卓は全て任せることにした。すると李儒は、まず劉弁の実母である何皇太后の元へ行く。そこで彼女に対して、静かに脅しを仕掛けたのだ。「このままでは、劉弁の為にはならぬ」と。
今まで後ろ盾となっていた十常侍ら宦官の殆どを討たれた彼女にとって、劉弁は最後の拠り所である。もし息子が失脚し亡くなろうものなら、自分もどうなってしまうか分からないのだ。その為にも、洛陽で唯一軍権を握っている董卓に逆らうわけにはいかない。ゆえに何皇太后は、李儒に言われた通り劉弁の説得に掛かることにした。
こうして何皇太后を動かした李儒は、それから劉弁にも会う。本音では会いたくもない劉弁であったが、董卓の使いとなれば無下に扱うわけにいかない。劉弁は不承不承であるが、面会に応じたのだ。しかしそこで劉弁は、まさかの体験をすることになる。何と李儒が、劉弁に対しても脅迫を行ったのだ。とはいえ、ただ恫喝をしたわけではない。彼が劉弁を追い詰める脅迫の材料としたのは、母親である何皇太后であった。
嘗て朝廷内にあって実質のところでは董卓の家臣であった李儒は、主君の為に色々と朝廷内を探っている。その際、彼はある情報を入手する。その情報とは、霊帝の実母であった董皇太后の死に関することであった。
霊帝死後、何皇太后は政敵であった董皇太后との争いに勝ったわけだが、そこで終わりではなかった。彼女は密かに手を回し、董皇太后を亡き者にしてしまったのである。つまり年齢の割には体調も崩しておらず、矍鑠としていた彼女が急死した理由こそ、何皇太后だったのだ。無論、彼女もできる限りその事実を隠蔽している。しかし偶然か必然か分からないが、よりにもよって李儒が董太后を亡き者とした人物こそが何皇太后であるという証拠を手にしてしまったというわけである。そこで李儒は、この入手した董皇太后謀殺の証拠を使い、遠回しに劉弁へ伝えたというわけであった。
もし劉弁が、暗愚であれば李儒の言葉も届かなかったかも知れない。しかし劉弁は暗愚とは言い難く、それゆえに李儒の言いたいことを理解してしまったのだ。無論、現役の皇帝として、陪臣からの脅しなどに屈したくはない。だが、その為には母親を事実上見殺しにすることとなってしまう。皇帝としての振る舞いを取るか、それとも孝の道をとるか悩みに悩んだ劉弁が決断したのは、後者となる孝の道であった。
「兄上。それは本気なのですか!」
「……うむ。協よ、そなたに皇帝の座を譲る」
「何ゆえにございますか」
「理由は……言えぬ」
「兄上!」
「言えぬのだ!!」
大きくはないがそれでも鋭い劉弁の声に、劉協は怯んでしまった。そして恐る恐る兄の顔を見た劉協は、驚きを露にする。それは、兄である劉弁の顔が、まるで苦痛をこらえているかのようであったからに他ならない。数えで十才にしかならない劉協であったが、それでも兄の劉弁が何らかの事情を抱えていることはおぼろげながらも理解したのであった。
「……承知致しました。兄上のご意向に従います」
「済まぬ、協よ。不甲斐ない兄を許せ」
まるで絞り出すかのような劉弁の言葉を、劉協は黙って聞いていたのであった。
弟との面会から数日後、劉弁は密かに李儒を呼び出すと彼の考え通りにする旨を伝えている。すると李儒は、とても恭しくそれこそ慇懃無礼に頭を下げたのである。これはもはや、皮肉以外の何ものでもなかった。そのような態度を取る李儒に対し、劉弁はきつく拳を握りしめる。いや拳だけでなく、唇も噛み締めていたのである。しかし李儒は、そのような劉弁を全く頓着せず静かに辞したのであった。
明けて翌月の朔日、劉弁は皇帝から退位することを宣言する。そして皇帝の地位は、その日のうちに弟の劉協へ譲る旨の勅を発布したのだ。これにより劉協は、第十四代皇帝に就任する。そして皇帝を僅か就任から五か月で退位した劉弁は、弘農王に封じられたのであった。こうして劉協を新皇帝に就けた董卓は、中央の掌握に本格的に乗り出す。まず、前皇帝となった劉弁が拒否した大赦を出さることを認めさせる。それと同時に、改元を行ったのだった。
そもそも改元だが、劉弁が皇帝に即位した際に行われており、今までの中平から新たに光熹へと変更されている。しかし先の政変が無事に終焉した祝いということもあり、元号が変更され光熹から昭寧へと改元していたのだ。その昭寧という年号も、こうして僅か一月もしないうちにまた替えられたというわけである。
なお、新たな元号だが、永漢であった。
なお、この大赦によって、袁隗たちが寸鉄を帯びつつ宮城に乱入した件も許されることとなる。袁隗は最悪、自身の命を免罪符とするつもりであったとも言われている。しかし大赦が出されたことで、袁隗が命を懸けてまで許しを請うという事態は回避されたのであった。
この洛陽で起きた政変の果てに董卓が掌握した件についての報告を受けた劉逞は、驚きを露にしている。董卓の若い頃の逸話や涼州で起きた反乱における戦については報告を受けていたので、将としては中々の人物であるということは把握していた。その董卓に、李儒という懐刀がいたことにさらなる驚きを隠せないでいたのである。しかもよくよく聞けば、李儒は朝廷の官吏であったという。いままで彼のことなど殆ど聞いたことがなかっただけに、その驚きは一入だった。
「李文優……まさか、このような者が朝廷にいたとは」
「我も驚きです。翁叔(馬日磾)殿など我の馴染みの者からも、聞いたことはありません」
「そうであろうな……子幹はこう言っているが、仲徳はどうだ?」
「いえ。我も全く」
劉逞が問い掛けた程昱は勿論、先に声を掛けていた盧植を除く者たちも全員揃って首を左右に振っていた。なお、この場にいるのは、先に上げた盧植と程昱の他に董昭と荀攸と田豊である。厳密にいえば、荀攸と田豊は他の三人と違って劉逞の家臣ではない。しかし使匈奴中郎将に就任して以来の付き合いということもあって、その立ち位置は殆ど劉逞の家臣であるといっても差し支えがない。その点で言えば、李儒とよく似ているとも言えた。
因みに劉備の場合、また少し立ち位置が違う。無論、度遼将軍と使匈奴中郎将という役職にある両者なので、公的には劉逞が上司であり劉備が部下であると言っていいかも知れない。しかしながら二人は、同じ師から学んだ同門でもある。その為か、仕事上の上司と部下というより気の置けない者同士という雰囲気が近い。勿論、公の場では、二人共々、そのような態度などは取らないのだが。
「……しかし弘農王様ですが、大丈夫なのでしょうか。この手際から見るに、李文優と言う男ですがかなりの謀略家と言えるでしょう。その男が、このまま弘農王様を放置するとは思えないのですが」
『むぅ……』
田豊の言葉に、劉逞以下揃って唸ってしまう。だが、それも仕方がないと言えた。何せ李儒は、皇帝の地位にあった劉弁ですら脅して見せたのである。その様な男が、次にどのような手を打ってくるのかを予想しろという方が難しかった。
「では常剛様。我が一族の者に動いて貰いましょう」
「公達の一族というと、荀家の誰かということか」
「はい、慈明様です」
「おお! 慈明殿か!!」
慈明こと荀爽だが、何進が死んだことで現時点ではどの派閥ということもないのだ。袁隗を筆頭とした袁家のように武力を用いて宦官を討ったわけではなく、寧ろ反対した為に袁隗からは距離を置かれている。そして荀爽自身、董卓を好ましく思ってはいなかった。ゆえにできれば董卓から離れようとしたのだが、名門荀家の一員ということでその行動が許されなかったのである。その為、本人の意向とは関係なくいまだに朝廷の一員である。荀攸は同じ荀家の一族ということで、その荀爽を味方へ引き込もうと考えたのだ。
「いかがでしょうか」
「慈明殿か……悪くはないな。それに我も、弘農王様や陛下のことは気に掛かる」
前述したように、劉逞は劉弁や劉協とも繋がりがある。頻繁にというわけではないが、実際に会って話したことがあるのだ。それだけに、全く気に掛からないということもないのである。これが目通りすらしたことがないとなれば、そうではなかったかも知れない。なまじ会ったことがあるだけに、かえって気に掛かってしまったというわけであった。
「確かに李儒の動きを十分気を付けながら、弘農王様や朝廷には接点は持っていた方がいいかと存じます。これから先、何があるか分かりませぬ」
「仲徳、どういうことだ?」
「董卓の意向を受けたとはいえ、李儒がどのような手段を用いたかまでは判明していませぬが、それでも皇帝陛下を退位させたのは事実です。それゆえにこれからは、何が起きたとしてもおかしくはありません」
『確かに』
その言葉に、発言をした程昱と劉逞以外の者が頷いていた。今回の一件では、一地方豪族でしかない董卓の手によって皇帝が退位されてしまった形である。つまり、漢の権威が地に落ちたといっても過言ではないのだ。それは即ち、何があってもおかしくはないということである。だからこそ程昱は、弘農王や朝廷との繋がりを持っておくべきだと意見したのだ。
何といっても董卓に関連して漢内部で何か事を起こすような事態となった際、その董卓によって不本意にも退位させられた前皇帝という存在は実に都合がいいのだ。勿論、今回の動きがただの無駄になるかも知れない。しかしそれでも、可能性は残しておくべきだと進言しているのであった。
「そ、そうか。そなたらが、そこまで同意するか……わかった。仲徳に公達」
『はっ』
「趙燕らを動かして構わぬ……頼んだぞ」
「はっ」
その後、程昱と荀攸は、趙燕とともに密偵衆から精鋭を選抜する。そして彼らを、洛陽と弘農王に封じられたことで弘農郡へと移動している劉弁のもとへと送り込んだのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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