第四十五話~洛陽の政変 二~
四十四話に引き続き、またしても劉逞は出てきません。
ご了承ください。
第四十五話~洛陽の政変 二~
光熹元年(百八十九年)
皇帝たる劉弁と陳留王たる劉協を実質誘拐してまで洛陽から逃げ出した十常侍、そんな彼らの前に立ちふさがった数千の軍勢、その軍勢を率いていたのは董卓であった。彼は涼州での反乱が下火となると、朝廷から褒美が与えられている。その褒美というのが、左馮翊太守。そして、前将軍の地位であった。幾ら下火になったとはいえ、まだ涼州での反乱自体が鎮圧されたわけではない。その為、功を挙げていた董卓に将軍と太守の地位が与えられたのであった。
その董卓の元に、大将軍の何進から書状が届いたのである。それは前述した、何進から地方の諸豪族に当てた召喚状であった。曲がりなりにも大将軍からの召喚であり、無下にすることなどできない。そこで董卓は、上司に当たる皇甫嵩に報告した上で召喚に応じるつもりであった。しかして董卓だが、その表情はあまり優れたものではない。その理由は、これから面会する皇甫嵩にあった。それというのも、皇甫嵩と董卓は仲があまりよろしくないからである。この二人だが、涼州での戦において策を巡って対立することが多かったからだ。
しかしながら、皇甫嵩も董卓も大人である。幾ら相手が気に入らないと言っても、そのことを理由にしてわざと敵に負けるような行動は起こすようなことはしない。だからこそ、涼州での反乱を下火にと抑えられたのであった。
面会の要請を受けた皇甫嵩が、董卓と面会する。そこでの面会理由については、皇甫嵩も知り得ていた。実は皇甫嵩の元へも、何進からの書状は届いていたのである。だが、前述したように、下火になったとはいえ涼州の反乱は終わっていない。そこで皇甫嵩は、何進からの召喚には断りの返信をしていた。なお、書状を出した何進も皇甫嵩が断るというのは織り込み済みである。皇甫嵩に対しても書状を送ったという事実があれば、それでよかったからだ。そのような何進の思惑は置いておくとして、今は董卓と皇甫嵩である。面会したあとで董卓は、何進からの召喚に応じると皇甫嵩に伝えたのだ。涼州の反乱を理由として、何進からの召喚を断った皇甫嵩である。だがそこに、董卓が応じる旨を伝えてきたのだ。そこで皇甫嵩は、大将軍何進からの命であればとして許可を出したのである。そこには、日頃から董卓との仲が拗れているということも少なからず影響していた。
「では、よろしいのですな」
「うむ。大将軍へよろしくと伝えてくれ」
「承知しました」
こうして皇甫嵩から許可を得た董卓は、軍勢を調えると洛陽へ出陣したのである。その彼らが、もう少しで洛陽に到達するといった地点まで進軍してきた時、まるで暴走しているぐらいの勢いでこちらへ向かってくる馬車を認めたのである。その報告を受けた董卓は、訝しげに眉を寄せていた。
「整修。そなた、確認してくるのだ」
「はっ」
主である董卓から命じられた楊定整修は、幾らかの兵を揃えて向かう。すると間もなく、目標の馬車が急制動を行い横転してしまう。誰もが予想していなかった事態に、確認を命じられた楊定は呆気に取られてしまった。僅かの間だが、とても静かな時間が流れる。やがて意識を取り戻した楊定が、まるで場を取り作るかのように咳払いすると、部下に命じて馬車の元へ向かわせたのであった。
張譲と段珪は、痛む体を叱咤しつつどうにか立ち上がっていた。幸いなことに、打ち身以外に大きな怪我はない模様である。だが二人にとっては、大した意味はない。近づいてくる者たちが、敵なのかそれとも味方なのか分からないからだ。その時、張譲の目に遠目であるが旗印が映る。そこには、董の一文字が記されていた。
「あ、あの董の旗印……まさか董仲穎か!」
「董仲穎ですと!?」
張譲の言葉を聞きつけた段珪が、驚きの言葉を挙げる。しかもその声には、若干の恐れが含まれていた。その理由は、董卓と宦官の仲にある。董卓は宦官を疎んじており、また宦官も蛮族と変わらない田舎者として蔑んでいたからであった。お互いに利用したこともあるが、それはそれぞれに利点があったからである。基本的には、どちらもお互いを嫌っていたのだ。とはいえ、張譲と段珪に取ってみれば、董卓を利用しないわけにはいかない。何せうしろからは、追手が迫っている。それに張譲と段珪はまだ気付いていないが、乗り込んでいた馬車は車軸が折れていてもはや使い物にならないのである。つまりここで董卓の庇護下に入らなければ、張譲も段珪もあとがないのだ。
「そなたたちは何者か」
「そちらこそ、何者だ!」
「ふん、無礼であろう! 流石は涼州の蛮じ……ゴホン」
張譲は思わず言いかけた言葉を飲み込み、誤魔化す様に咳払いをする。楊定も聞こえてはいたが、今は事情が分からないこともあり咎めるような態度はとらないでいた。だからといって、感情を抑えきれたわけではない。彼の眦が、不機嫌さを表すように上がっていたのであった。
「改めて尋ねる。何者か」
「う、うむ。そちらは、董仲穎殿旗下の者か?」
「いかにも、そうだ」
「そ、それは重畳。では、董仲穎殿に取り次ぎを願いたい!」
必死さが見えることに、楊定は眉を顰める。目の前にいる二人が、そこまで慌てている理由が分からないからだ。それより何より、まだ名乗りを上げていない二人の望みをかなえるつもりなどないのである。ゆえに楊定は、都合三度目となる誰何を行ったのであった。
「その前に、名乗られよ」
「これはしたり。我は張譲、そしてこちらは段珪である」
「じ、十常侍だと!? ……わ、分かり申した。すぐにご案内いたします」
「おお。それとあちらのお二方は、貴人であらせられる。決して粗略に扱わぬように」
張譲の言葉を了承した楊定は、すぐに董卓へ使いの者を走らせる。同時に、張譲と段珪。そして十常侍の二人が貴人といった二人を庇護下に置いたのであった。
こうして董卓が棚ぼた的に皇帝と陳留王を確保したその頃、宮城での騒動は粗方終わりを見せていた。しかし宮城内は、惨澹たる有り様である。何進が誅されたことを聞き、敵討ちと称して兵を率いて乱入した袁紹や袁術たちが原因であった。彼らがなまじ勢いのまま突入したこともあり、兵の統率らしい統率が取れていなかったせいである。その為、宮中にいた者は、宦官であろうが文官であろうがお構いなしに旗下の兵が討っていったのだ。そればかりか、中には宮女を略奪するなどしたものまでいたのである。これではもはや、野獣の群れと変わらない。そのような者たちによって、宮城内では血の雨が降り注いでいたのだ。そして彼らを統率しなければならい筈の袁紹たちは宦官を、より正確に言えば十常侍を討つべく先頭切って探索をしているのだからどうしようもない。そこ辺りで暴れている兵たちと違って、宦官以外には手を出していないことだけがましだと言える状況であった。
とはいったものの、いつまでたっても見当たらないことに袁隗や袁紹や袁術などは苛立ちを隠せないでいる。やがて彼らの元に、宮城から二台の馬車が走り去ったという知らせが届いた。すると袁隗と荀爽は、十常侍が馬車で逃げたことを推察する。即座に二人は、追っ手を差し向けたのであった。
差し向けられた追撃の者たちを率いていたのは、呉匡と董旻である。彼らは先行している馬車に追い付くべく、馬を走らせていた。やがて彼らは、進む先に遺体をふたつほど発見する。怪我も酷く、その為か完全にこと切れている。しかし顔だけは、どうにか判別することができた。果たして遺体の正体だが、十常侍のうちの二人である。逃亡する場所の足を軽くする為と、追っ手を引き付ける囮とする為に段珪によって馬車から蹴落とされた二人であった。
呉匡と董旻は何名かの者を残して、遺体の処理を任せると引き続いての追撃を始める。すると視線の先に、多数の者がいることを見つけたのだ。彼らも流石に警戒して、追撃の速度を緩める。そして慎重に近づいて行ったわけだが、間もなく使者が現れたことで安心したのであった。その理由は、董旻である。実は董旻、董卓の弟なのだ。その為、使者となった者の顔を知っていたのであった。
「おお! 段忠明ではないか」
「これは叔穎様、何ゆえにこのようなところへ?」
「うむ。我らは、逃げた十常侍を追ってきたのだ。そなたたちは、知らぬか?」
「十常侍にございますか……無論、知っております。ご案内いたしましょう」
「済まぬな」
その後、段煨に案内されて呉匡と董旻と董旻は張譲と段珪と顔を合わせることになる。しかし、面会した張譲と段珪との間で呉匡と董旻が会話することはなかった。それはなぜかというと、張譲と段珪は既に死亡していたからである。この場には、首桶に入った二人の首が置いてあるだけであった。しかも、置いてある首桶は二つだけではない。他にも、幾つか置いてあるのだから二人も呆気に取られてしまった。まさかの事態に、呉匡も董旻も呆気に取られてしまったというわけである。そんな二人に対し、董卓自らが説明したのであった。
董卓曰く、最初に接触したのは張譲と段珪である。しかも二人は、皇帝たる劉弁と陳留王を連れていたのだ。そこで董卓は、洛陽で何か事態が起きたことを察する。何進からの書状から推察するに、ついに外戚と宦官が衝突したのではと推察したのだ。そして董卓自身は、何進の召喚に応えて兵を率いてきたのである。ならば、彼のとる行動など想像に難くはなかった。
董卓は劉弁と劉協を確保すると、張譲と段珪を糾弾し問答無用で首を討ったのである。それから、後続の十常侍が現れると、彼らも同様に問答無用で討ったのであった。
「兄上! 真に陛下と陳留王様もおられるのですか!」
「うむ。安心するがいい」
董卓の言葉に、二人もひとまず安堵したのは言うまでもない。何せ皇帝と陳留王の無事を確認しただけでなく、何進の仇である十常侍の首も悉く得ているからだ。その後、董卓の軍勢に呉匡と董旻も合流する。彼らは皇帝と陳留王を奉じて洛陽へと戻ったのであった。
なお、洛陽への帰路の間、董卓は劉弁と劉協と会話を行っている。その時、董卓は、劉弁が思いのほか理知的なことに気が付いていた。伝え聞く噂とは違うその姿に、彼は内心で眉を顰めている。それというのも、思惑が外れてしまったからだ。せっかく、皇帝と陳留王という奇貨を手にしたのだから自身の立身出世に利用したいと考えていたのである。その意味では、先代皇帝である霊帝が存命だった頃にあまりいい噂を聞いていなかった劉弁の方が利用しやすいのではないかと思っていたのだ。しかしながら実際に会ってみると、噂とはかけ離れている。いかなる理由でそのような事態になっているかについては皆目見当つかなかったが、皇帝をある意味で神輿として祭り上げて自身の為に利用したい董卓としてはあまり歓迎できない事態には間違いない。こうなると、寧ろ弟の劉協の方が、幼いだけ利用しやすいように感じていたのであった。
追撃を指示した呉叶と董旻からの使者から、逃亡した十常侍を討ったこと。並びに、行方知れずとなっていた皇帝と陳留王を確保したことを知らされた袁隗たちは内心で安堵していた。これで、宮城に討ち入ったことを、皇帝からの命があったとして糊塗することが可能となったからである。本来であれば、寸鉄を身に纏って宮城内に入るなど許されるものではない。皇帝から特別な許可を得たものしか、武器を身に着けたまま宮城内に入ることは許されていないからだ。だが逆に言えば、皇帝さえ手中に収めてしまえばあとはどうとでもなるとも言える。それはたとえ皇帝の言葉が事後であったとしても、皇帝が前もって許可を与えていたとしてしまえばそれで済むからである。しかしながら、使者から続いて告げられた言葉に彼らは眉を顰めることとなった。
「董卓、だと!?」
「はい。十常侍を討ったのも、陛下と陳留王様を確保されたのも董仲穎様のお働きの賜物です」
『……』
これは、完全に思惑を外されたと言っていいだろう。追撃を指示した呉匡と董旻が十常侍を討てなかったとしても、劉弁と劉協をだけでも確保していれば問題とはならない。しかし董卓が確保したというのならば、話は別である。皇帝と陳留王を握られたということは、朝廷において主導権を握られたとほぼ同義である。しかもその人物が、涼州出身者である。袁隗や袁紹や袁術など名門出の者からしたら野蛮の田舎者でしかない董卓に、配慮する必要があるのだ。まだ袁隗であれば、袁一族を束ねるものとしての責任から、我慢することはできる。しかしながら、袁紹や袁術などからしたら業腹以外の何ものでもないのだ。
すると、他でもない袁隗から袁紹と袁術は注意される。決して軽挙妄動をするのではない、そう諭されたのである。流石に袁隗にまで注意を受けては、幾ら腹立たしかろうと苦虫を飲み込むしかなかった。
「あの田舎者に配慮とは……くそがっ!!」
「全くもってその通り!」
珍しいことだが、さきに述べた袁術とあとから述べた袁紹の思いが一致している。逆に言えば、日ごろから仲の悪い二人が思いを同じにするほど董卓に対して腹立たしさを覚えている証でもあった。
「いいか。何度でもいうが、短慮だけはするな! よいな!!」
「叔父上! 分かっております!!」
「しかり!!」
分かっているとはとても思えない表情を浮かべながら、袁紹と袁術は袁隗の言葉に了承する。その様子に袁隗は、内心で溜息をついてしまうのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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