第四十四話~洛陽の政変 一~
今回、話が洛陽で起きた政変ということもあり、劉逞は出てきません。
あしからず。
第四十四話~洛陽の政変 一~
光熹元年(百八十九年)
かくして洛陽は、一触即発の状況となっていた。
理由の一つは、再三再四袁紹からの進言を受けていた何進が、ついに宦官の排除する動きを始めたからである。そしてもう一つの理由は、宦官である。彼らがついに、何進へ対抗する為の手段の確保に成功したからであった。しかしてその方法というのが、何皇太后である。彼女は新皇帝の劉弁が即位すると間もなく、摂政となっていた。その何皇太后を張譲や趙忠を中心とした十常侍が、ついに味方へと引き入れたのだ。しかも十常侍は、彼女だけでなく異父兄となる何苗までをも味方に引き入れてしまう。これにより何進対宦官という対立構造に加えて、何兄妹の間においても対立構造が生じてしまったのだ。
さて、宦官であればもはや容赦する気もない何進であったが、流石に血を分けた妹や義理の兄弟で昔馴染みでもある何苗との対立までは望んでいない。しかしながら、今になって穏便な手を打つなどというのも難しかった。それは既に兵や兵糧を集めているばかりか、力ある諸豪族に対して召喚を促す書状を送っているからである。それゆえに何進は、懊悩することになる。だがそれこそ、十常侍が望んだ状況であった。
「頃合いであろう、仕掛けますぞ」
『うむ!』
十常侍は頷きあうと、ついに動き始めたのであった。
大いに懊悩し、心身共に疲れて始めているという何進の様子を聞き、何皇太后も悩み始めていた。宮中にいる彼女に取り、十常侍というより宦官の存在は無視できない。それゆえに何皇后は、宦官でも特に力を持つ十常侍との関係を修復したのである。しかしそのことが、兄の何進が懊悩するほどに追い詰めるとは思ってもいなかったのだ。この事態は、正直に言って予想外でしかない。そこで何皇后も、どうにかしなければ、悩むこととなっていたのである。その時、彼女に対して張譲が、何進を救う為にと称してあることを囁く。それは、何進と十常侍の間で和解することであった。耳打ちされた何皇太后としても、前述したように兄である何進とわざわざ対立したいとは思っていない。息子である劉弁の為にも以前のように手を取り合いたいと思っていた。しかしながら、現状では難しいのも理解できてはいる。だが十常侍と兄の何進が和解してくれるならば、それに越したことはなかった。そこで何皇太后は、張譲から進言された通りに和解の席を持つべく何進へ書状を送ったのである。勿論彼女は、それこそが十常侍の策略であることなど全く知らなかった。
果たして半ば袂を分かった形となっている妹からの書状に、何進は訝しがりながらも目を通す。そこには、十常侍との間で和解の席を設けたい旨が記してあった。いかにして何一族で発生してしまった対立構造を解消しようかと悩み抜いていた何進であっただけに、この妹からの提案は雲間から光が差し込む光明のように思えてしまう。しかも、書状には十常侍が大いに譲歩すると読み取れる内容が記されているのだ。これこそ天の配剤と考えた何進は、宮中で行われる十常侍との会談に臨む旨を袁隗や袁紹や袁術や荀爽や曹操らに伝えたのである。
「大将軍! あまりにも危険です!!」
「その通りですぞ!」
開口一番、荀爽が何進に対して警告する。その直後、袁隗もこれまた追随していた。この二人が反対の意を告げたことでそれ以上口を開く者はいなかったが、それでもこの場を覆う雰囲気から曹操や袁紹や袁術なども反対していることは何進にも理解できたのである。それでなくても洛陽では、いつどこで想定外の事態が起きるか分からない雰囲気となっている。その中心となっているのは、言うまでもなく宮城であった。その宮城へ、僅かな供しか連れずにしかも丸腰で赴くというのだから反対しない方がおかしい。しかし何進は、意志を曲げることはない。それでも赴くとして、彼らからの忠言を聞こうとしなかった。
前述しているように、何進は実の妹や血は繋がっていないとはいえ兄弟となる何苗との間で骨肉の争いなどしたくはないと考えていたのである。そしてこれから行われる和解の席こそ、いわば最後の機会なのだ。この機会を逃せば、もうお互いに引くことはできない。行きつくところまでいかない限りは、事態の収束など望めなくなってしまうのだ。それゆえに、何としてもこの和解の席を実現させて兄弟間の対立を終わらせたいのである。それに宦官との和解が上手くいけば、無駄な血も流さずに権力を掌握できる。その意味でも、何進は和解の席を実現させたかったのだ。
しかし、袁隗らからしてみれば、既に後戻りはできない状況なのである。十常侍と和解の席など開いたところで成功などする筈もなく、寧ろ殺されに行くようにしか思えないのだ。だからこそ、彼らは必死に何進を止めたのである。だが何進の思いは殊の外強く、翻意させることはできない。それどころか、より頑なにさせてしまったのだ。そして、ついに自分の思いを理解すらせず執拗に諫言をしてくる彼らに対して、何進の怒りが炸裂したのであった。
「……そなたらの考えは、よく分かった。下がれ!」
「遂高様。よくお考え下さい。これは間違いなく、張譲ら宦官の策です」
「次陽。ではそなた、我が妹が宦官どもに騙されていると、そういうのか」
内心では、袁隗らもそうだと頷きたいという思いで溢れていた。しかしそのようなことを言えば、物理的に首を飛ばされかねない。もう彼らにできることは、下を向き沈黙するしかなかった。そして彼らの仕草を見れば、何進にも袁隗たちがどのような思異を抱いているかなど推察することは容易い。それ為であろう、何進の眉は怒りを表したように上へと向いていた。とはいえ、何進もそこまで愚かではない。少なくとも彼は、一時の感情で袁隗たちの命を奪おうとまでは思っていなかった。特に袁隗は名門たる袁家を束ねる存在であり、そして袁紹と袁術も袁家次代の惣領かもしれないのである。まだ、袁紹と袁術のどちらが袁家の家督を継ぐかは分からない。そのような事情があるからこそ、不当に扱うわけにはいかなかったのだ。
「下がれ」
「遂高様!」
「下がれと言ったのが、分からないかっ!!」
目の前の机を叩きながら発せられた怒声に、彼らも従わざるを得ない。何せこのままでは、本当に首を討たれかねないと思えたからである。仕方なく頭を下げてから部屋の外へ出て行く彼らを、何進は不機嫌そうに見送っていた。やがて彼らが部屋からいなくなると、何進は妹に対して返書を出す。間もなく届いた返書から了承の返事を受けた何皇太后は、喜んで張譲ら十常侍へと何進が了承した旨を告げたのである。その内容を聞いた十常侍は、深く頭を下げる。だがその時、十常侍たちが浮かべていた表情は、悪辣としか思えなかったのであった。
三日後、いよいよ家臣と宦官の和解の席が設けられたのである。その当日にも、袁隗たちは何進に対して諫言を行っている。しかし、その言が受け入れられることはない。彼らは落胆したまま、宮城へと向かう何進を見送るしかなかった。
そして何進はというと、問題なく宮城へと到着してしまう。しかしながら彼は、何皇太后が設えた十常侍との和解の席へ到達することはできなかった。その理由は言うまでもない、張譲ら十常侍が用意した刺客に囲まれてしまったからである。元は一般庶民の何進だが、仮にも大将軍となっている人物だ。曲がりなりにも、身を護る術ぐらいは身に着けている。しかし寸鉄すら帯びていないこの状況で、刃を持つ刺客に対抗できるほどの腕前なのかといわれると、そこは首を傾げるしかなかった。
「我を大将軍と知っての狼藉か!」
何進はせめてもの威厳を込め、まるで刺客たちを威嚇するように声を張り上げる。しかし、彼らが答える筈もない。それどころか、少しずつ包囲の環を縮めていた。この場を張り詰めた緊張感が覆う中、ついに刺客たちが躍りかかる。何進には三人が襲い掛かり、同行している供の二人にもそれぞれ二人ずつ襲い掛かったのだ。
標的とされた何進は、どうにか一人目の攻撃を避けることには成功する。しかし続いて行われた第二の攻撃、さらに続く第三の攻撃に至っては流石に避けられないでいた。第一撃目を避けた直後の第二撃によって、何進は腕を半ばぐらいまで切り付けられてしまう。続いての第三撃に関しては、かろうじて致命傷を避けたぐらいの動きしかできなかった。寸でのところで急所への一撃は避けることができたので、致命傷とまでは至っていない。代わりに何進は大きく傷を負っており、もはや機敏に動くことはほぼ無理と言って差し支えがない状況にまで追い詰められてしまった。それでも何進は、せめてもの抵抗を示すように刺客たちを睨み返す。だが、それぐらいで怯むような者たちならば刺客としてこの場にいることはできない。彼らは何進へ止めを刺すべく、一斉に襲い掛かったのであった。必死に刺客たちからの攻撃を避けようとした何進だが、彼にはもうそれだけの力が残っていなかったのである。相次いで刺客の刃を自身の体に埋められてしまった何進は、まるで何かを掴むように手を伸ばしながら絶命したのであった。
こうして首尾よく何進を打った十常侍は、即座に次の手を打つ。その手とは、軍の実権を掌握することであった。彼らは揃って政治力はあるが、実質の力となる兵力に関してはその力は及んでいない。だからこそ大将軍である何進が、十常侍に対抗できていたのである。決して、外戚であるという血筋だけではなかったのだ。しかしながら大将軍を暗殺したことで、十常侍の力が今まで及ばなかった軍に対しての影響力を生む絶好の機会である。ここが勝負どころだと感じた十常侍は、恐れ多くも詔を捏造したのだ。つまりこの偽の詔をもって、軍の実権を握ろうと試みたのであった。しかしながらその試みが、あえなく失敗することとなるとは彼らは夢にも思っていなかったであろう。動き始めた張譲らは、既に味方となっている少府の許相や元大尉の樊陵をも動かすことで、偽の詔を出すことに成功した。ついには偽の詔を金看板とし、軍の掌握を図るべく司隷校尉の地位にあった袁紹や虎賁中郎将である袁術などといった何進の部下たちに命を出したのである。しかし、彼らの殆どがその命に反抗の意を示す。いや、反抗どころの騒ぎではない。彼らはついに兵を挙げ、何進の仇を討つとして逆に宮城へと進軍したのだ。
「大将軍の仇を討て! 身の程知らずの宦官どもに、天誅を!!」
『応!!』
偽とはいえまさか詔に逆らうなどとは夢にも思っていなかった十常侍であり、袁紹や袁術を中心とした挙兵に対して碌な対応がとれないでいた。彼らは唯々、右往左往するだけでしかなく、敵討ちに燃える何進の部下たちとその彼らが率いた兵により、次々と討たれていくのであった。
元々、政治力だけでのし上がった宦官たちである。彼らにまともな武力などある筈もなく、将どころか兵にすらも勝てるわけがないのだ。既に獄死している蹇碩のように、武に覚えがある宦官もいないわけではない。だがそのような者は、本当に極一部でしかない。大抵の宦官は、武力など持ち合わせてはいないのだ。
そのような宦官たちが最後に頼れるもの、それは言うまでもなく皇帝である。皇帝こそ漢の最高権力者であり、皇帝の命に逆らうものなどいないというのが常識だからだ。張譲や趙忠などの十常侍は、生き残る為に皇帝という切り札を利用する為に劉弁の元へと急ぐのであった。
かくて劉弁の元には、正室と姉弟が揃っていた。正室の唐姫と妹の万年公主、それから弟の劉協である。袁紹たちが宮城へと踏み込んでまもなく、三人もまた十常侍と同じような理由から皇帝の元へ集まったのだ。その彼らのところへ、十常侍が現れる。すると口々に、袁紹らを抑えるようにと懇願を始めた。
そもそもからして騒動が起きた理由が分かっていなかった劉弁であったが、十常侍たちの態度から外戚と宦官の対立が顕在化したことを推察したのであった。
「そなたたちが原因であろう?」
「陛下!」
「朕は知らぬ」
まさかあっさりと切り捨てられるとは思ってもみなかった十常侍であり、一様に彼らは呆気に取られてしまう。だが、いつまでもそのままとはならなかった。少しずつであるが、喧騒が近づいてきているからである。何とか意識を取り戻した十常侍は、必死に説得を試みるも劉弁は聞き入れなかった。
いよいよ喧騒が間近まで迫ると、十常侍たちは強硬手段に出る。それは、劉弁と劉協を力ずくで確保したのだ。流石に正室の唐姫と万年公主までは無理だったが、それでも劉弁と劉協を確保したのである。たとえ宦官といえども、大の男が十人である。とてもではないが、逆らいきれるものではなかったのだ。
こうして切札を確保した十常侍であるが、先に劉弁が取った様子から自身たちの意向に従わせるのは難しいと判断する。兎にも角にも、説得している時間がない。そこで十常侍は、劉弁と劉協を連れて逃げ出す判断をした。その彼らが目的地と考えたのは、京兆尹である。そこには下火になったとはいえまだ鎮定がされていない涼州の反乱に対応する為、皇甫嵩が軍と共に駐屯している。彼らを後ろ盾として、事態の収束を図るつもりであった。皇甫嵩と宦官は決して仲がいいわけではないが、彼の持つ漢に対する忠義は本物である。皇帝たる劉弁と陳留王である劉協が共にいれば、間違いなく救助し味方になると判断していた。
その後、どうにかして馬車を見付けると、宮城というより洛陽から逃げ出した彼らであるが、ことはそう簡単に成功とはならなかったのである。間もなく袁紹たちに気付かれてしまい、追っ手を差し向けられたのだ。まだ距離こそあるが、このままでは必ずしも逃げ切れるとは思えない。するとその時、十常侍の張譲と段珪が思わぬ行動に出る。何と、他の十常侍を犠牲にしたのだ。走っている馬車から他の者を、蹴落としたのである。いきなりのことに、何名かの十常侍が乗り込んでいた後続の馬車が巻き込まれてしまう。幸いなことに直前で避けることはできたので、轢くという事態は避けられていた。しかしながら、これにより後続の馬車は足を停めざるを得なくなってしまう。この隙に、皇帝と陳留王。そして、張譲と段珪が乗る馬車は速度を上げていたのである。つまり張譲と段珪は、自身たちが助かる為に同僚を囮としたのだ。
果たして思惑通りとなったわけだが、張譲と段珪の運もそれまでであった。何と彼らが乗る馬車の行く手を、数千はいる兵によって塞がれていたからである。後ろばかり気に掛かり、前への注意が疎かになっていたこともあって、気付くのが遅れた馬車が急に止まろうとしたことで転倒してしまう。投げ出された劉弁と劉協、張譲と段珪は何とか立ち上がろうとしたが、ままならない。投げ出された時に負った傷の為かそれとも地面へ投げ出された衝撃の為か判断できないが、思うように力が入らないのは事実である。そんな彼らの元へ、幾許かの将兵が近付いてきたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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ご一読いただき、ありがとうございました。




