第四十三話~洛陽での政争~
第四十三話~洛陽での政争~
光熹元年(百八十九年)
無事に皇帝劉弁との面会を終えた劉逞は、それから数日後に劉備の屋敷へ赴いていた。但し形としては劉備が招いた体を取っており、彼もしっかり供応役を勤め上げていた。その日を楽しく過ごした劉逞だが、翌日からは積極的に洛陽の情勢把握に努めている。劉逞は匈奴と隣接する并州を扱う者として、洛陽へは簡単に何度も訪れることはできない。勿論、情勢を把握する為に洛陽に密偵を入れてはいる。だが、自分の目と耳で直に確かめるのでは、また違ったものが見えてくるかも知れない。そう考えた結果、劉逞は今月末までは洛陽に滞在することにしたのだ。本来ならば、出産が間近に迫っている崔儷の元へと戻りたかった彼といては苦渋の決断と言っていいだろう。しかしながら劉逞はその決断を、すぐに後悔することとなっている。その理由は、洛陽で得られた情勢にあると言っていい。劉逞の耳に入ってくる情報と言えば、何進たち外戚とそれに与する者たちの動きと宦官の動き。そして既に始まっている、外戚と宦官による対立に関する物ばかりであったからだ。
「……あきれてものも言えぬ。ほんと、魔窟というか魑魅魍魎の巣窟というか。結果として我は、亡き先帝に感謝せねばならぬかも知れぬ」
「……確かに、そうかも知れません」
「であろう、仲徳」
劉逞共に報告を目にしている程昱も、ある程度は認識していた。しかしながらこれほどとは、いささか予想を超えていたのである。これは、早々に自身の認識を改めるべきだとして気持ちを切り替えていた。この臨機応変さは、流石は程昱であると言えるだろう。なぜか知れば知るほど憂鬱となりかねない洛陽の情勢であるが、知らなければ対策を取れないのもまた事実である。いささか気落ちしつつも劉逞らは、情報の把握に努めていたのであった。
前述したように月末まで洛陽に滞在したが、得られた情報は碌な物がなかったのである。それどころか、このまま滞在を続けると外戚と宦官の対立に巻き込まれかねない。何よりこれ以上洛陽に滞在し続けると、無暗に宦官を刺激する可能性がある。それでなくても十常侍の一人である宋典は、劉逞を嫌っているのだ。
果たしてその理由だが、それは以前宋典が主導した策にある。彼は劉逞から、盧植を引き剥がそうとしたのだ。しかし偶々洛陽にいた皇甫嵩が涼州へ向かう前に対処したことで宋典は目論見をはずされたわけだが、彼はいまだその件で皇甫嵩もさることながら劉逞に対しても恨みを持っているのだ。ただ、何が何でも恨みを晴らしたいとまでは流石に考えていない。しかし、洛陽へ劉逞が居続けられると腹立たしいのは事実である。ゆえに宋典は、劉逞に落ち度がないかと探りを入れてきている。そのせいもあって、そろそろ回りが五月蠅く感じてきたのであった。
「あやつはどこまで、自分勝手なのだ」
「あの輩では、致し方ありますまい」
劉逞の言葉に対して、淡々と答えた董昭である。劉逞としても、董昭の言葉には同意するところではある。しかし、宋典の逆恨みに付き合わされる当人としては、たまったものではないのだ。
「公仁よ。それで恨まれているこちらとしては、いい迷惑なのだが……まぁ、よいわ。どのみち、そろそろ洛陽から并州へ戻るつもりであった。それに父上も、常山国へ戻ると言っている。我も父上に合わせて、洛陽から出るとしよう」
「それがよろしいかと思われます」
それから数日後、劉逞は父親の劉嵩と共に洛陽から出立したのである。洛陽を出たあと、宋典が憂さ晴らし気味に何か仕掛けてくるのではないかと警戒していたこともあり、劉逞はいささか遠回りとなるが常山国経由で并州へ戻るつもりであった。だが幸いなことに、宋典から刺客などといった物騒な策を仕向けられることはなかったのである。いい意味で予測がはずれたことに安堵した劉逞であるが、だからといって即座に安心はしない。少なくとも、司隷を出るまでは気を抜く気はなかった。ただ、これは結果として杞憂だといっていい。宋典としては、洛陽に劉逞がいたことで気分を害していたのである。その対象となる劉逞が洛陽より出てしまえば、それでよかったのだ。
ともあれ、無事に常山国へ父親を送り届けた劉逞は、母親に挨拶してから常山国を離れる。そして無事に并州太原郡にある州治府のある晋陽へと戻ってきたのであった。
「玄徳、済まぬな。そなたにまで付き合わせた形となってしまった」
「お気になさいますな、常剛様。それでは我も、西河郡へ戻ります」
「玄徳、少し待て」
立ち去ろうとした劉備に対して劉逞は、礼の意味を兼ねて財貨を与えていた。劉備としても、断る理由もない。素直に受け取ると、今度こそ西河郡へ向けて晋陽から立ち去ったのであった。
劉逞が去った洛陽では、何進を筆頭とする外戚と宦官の対立が加速していた。それを証明するように、驃騎将軍の地位にあった董重が捕らえられている。彼は何進たち抑え権勢を握る為に、叔母で亡き劉宏の母親である董太后と手を携えいた。しかし、それでも抑えられることはできないとして、何と十常侍とまで手を組んでいたのである。当然ながら何進は、董重という存在を不満に思う。よりにもよって十常侍と手を組んでいるのだから、それはなおさらである。そしてついに、その不満が顕在化。遂に何進は、董重を捕らえるべく兵を動かしたのであった。
「董重を捕縛せよ!」
『はっ』
まさか実力行使に出てくるとまでは思っていなかったこともあり、呆気なく董重は捕らえられてしまう。彼は獄へ入れられたばかりか、驃騎将軍も解任させられる。するとこの扱いを恥と感じたのか、董重は自決を選んだのであった。
「驃騎将軍も討たれた、か」
「はい。ですが、これで事態が鎮静化するということはないでしょう」
「で、あろうな」
溜息混じりに劉逞が、盧植の言葉に同意していた。寧ろ、これからが本番といってもいいかも知れない。新皇帝が即位して一ヶ月、外戚と宦官の対立はいよいよ本格化すると思われた。洛陽からの急報を聞いてそのように考えた劉逞に対し、さらなる知らせ飛び込んでくる。しかしこちらは董重の件のような悪いものではなく、逆に朗報といっていい。その知らせとは、崔儷がついに産気づいたという内容であったからだ。その瞬間、劉逞の頭の中から董重のことなど消し飛んでいたという。いかに漢の重鎮とは言え、劉逞は董重と全く面識がない。その面識がない董重と、自身の第二子が誕生するという事実。どちらがより重要かなど、今さらでしかなかった。
慌てて劉逞は、崔儷の元へ向かう。しかし、既に出産の準備に入っていたこともあって会うことは叶わなかった。仕方なく劉逞は、まんじりとしない気持ちを抱えながら出産が無事に終えるのを待つ。だが、落ち着いていたのかというとそうでもない。椅子に腰を降ろしたり、意味なく辺りをうろついたりしていた。実は劉逞、そう時も経たずに生まれると思っていたのである。何せ長男が生まれた時、劉逞は張純を討つ遠征から戻る途中であった。つまりこうして我が子の誕生を待つのは、初めての経験なのである。不安に駆られつつ劉逞は、武の師でもある趙伯へ話し掛けていた。
「の、のう勲圭。子が生まれるというのは、時間が掛かる物なのか?」
「そうですな……幸いなことに、我が二人の息子は安産でした」
「し、子幹はどうだ?」
「時と場合によりましょう。時が掛かる時は、それこそ一日以上掛る時もあるそうです」
「そ、そうであったのか……子を産むというのは、思った以上に大変なのだな」
結局、陣痛が始まって第二子が生まれるまで半日以上掛かってしまう。それだけの時を掛けて女の戦いを乗り越えた崔儷は、酷く疲れ切っていた。それでも彼女は、いい笑顔を浮かべていたのである。さて生まれた子供だが、一人目と同じように男である。それは即ち、甘陵王家の後継が正式に誕生したことを意味していた。
「蓮姫、よくやった。義祖父殿もお喜びとなるであろう」
「はい……」
明けて翌日、劉逞は無事に第二子が生まれた旨を記した書状を持たせた使者を、両親と甘陵王で義祖父となる劉忠へ派遣する。両親は勿論喜んだが、劉忠の喜びようはその比ではなかった。それこそ躍り上がらんばかりに、喜びを表したのである。文字通り、喜色を全身から溢れさせていたのであった。
「これで、我が甘陵王家も存続できる。家祖たる威王様にも顔向けできるというものだ!」
威王とは、初代甘陵王となる劉理のことである。彼は光武帝が再興した漢の三代目皇帝に就任した章帝の曾孫である。劉理は甘陵王を二十五年務めたあと亡くなり、甘陵王の地位は息子が継いでいる。しかし在籍四年で急死し、その後に甘陵王となったのが劉忠であった。その劉忠も、前述したように去年の年末辺りから怪しかったのである。もし崔儷が妊娠したという知らせがなかったら、今年を乗り切ることができたかどうかも知れなかったのである。つまり劉逞と崔儷の第二子は、甘陵王家だけでなく甘陵王たる劉忠の命をも意図せず救ったこととなる。
因みに初代常山王である劉昞は、章帝の弟に当たる人物であった。
劉逞に第二子が誕生した翌月、何と董太后が急死したのである。年齢も相応に重ねていたので寿命も考えられるが、その辺りがどうもはっきりしていない。洛陽で起きている宦官と外戚の権力争い中ということもあって、もしかしたら何進……いや皇帝劉弁の実母となる何皇太后に弑されたのではないかという憶測も流れていた。ともあれ董重に続いて董太后まで亡くなったことで、何進は標的を宦官の一本に絞り込んだとも言える。だがここにきて何進は、宦官を本当に誅殺していいのかと迷い始めていた。しかし、何進の腹心となっていた袁紹が、弱気になり始めていた何進に対してある進言をする。それは宦官を討つ為に、洛陽へ兵を入れると言うものであった。だがこの進言には、曹操や陳琳と言った者たちが反対の意を示す。それでなくても洛陽は、外戚と宦官の主導権争いによって政情が不安定となっている。ここにきて要らぬ兵力を洛陽に招き寄せると、さらなる混乱が生じるかも知れないことを彼らは恐れたのである。しかしそれでも袁紹は諦めることなく、再三再四何進を説得し続けたのである。それにより迷いを吹っ切った何進は、ついに宦官の排除を決断したのであった。
「本初! そなたの申す通りである、諸豪族を洛陽へ集めよ!!」
「流石は、大将軍にございます。ついに決断されたのですな」
「うむ」
それから間もなく、何進の名で諸豪族を呼び寄せたのである。袁紹の目論見としては、大将軍という権威と諸豪族を味方に付けることで得られる実質的な兵力。この二つを駆使することで、宦官を朝廷より排除することを目指したのだ。だが、何進が打った手はそれだけではない。何進自身も実質的な力を持つべく、王匡や橋瑁や鮑信に命じて兵を集めさせたのである。また、集めた兵を維持する為に、曹操や陳琳に兵糧を集めるようにも命じたのだ。兵を洛陽へ入れることに反対した彼らであるが、ことここに至っては覆すことは難しい。不承不承ながらも、命には従ったのだ。しかしてこのような大規模な動きとなれば、宦官が察知しないわけがない。張譲ら十常侍は、何進の妹となる何皇太后を密かに味方とするべく動き始める。俄かに風雲急を告げ始めた洛陽、しかしてその情勢は劉逞へも知らされたのであった。
「……子幹よ。これは、不味くはないか」
洛陽より届いた知らせに目を通したあとで、劉逞は盧植に渡した。やがて彼が読み終えた頃を見計らって、劉逞が尋ねる。するとゆっくりと視線を知らせから離した盧植が、じっと劉逞の顔を見つつ口を開く。しかしてその声には、少し疲れたような色合いが感じられていた。
「常剛様。洛陽は、いつ暴発してもおかしくはありません」
「で、あろうな。我も、そう思う。しかし、まだことが起きてはいない以上、動くことはできぬ。并州内ならばまだしも、州の外へはな」
実は、何進からの書状だが、劉逞の元には届いていないのである。いや、劉逞だけではない。劉虞や劉焉、陳王となる劉寵などといった皇族や宗室に対しては出されていないのだ。その理由は下手に皇族や宗室を加えてしまうと、権力を握れなくなるのではと何進が懸念したからである。特に劉逞や劉虞は、実績と名声を共に持ち合わせている。権力を手中に収めたい何進としては、ことさらに呼び寄せたい相手ではなかったのだ。
「子幹。念の為だ、兵をある程度集めておくぞ」
そう言ったあとでの劉逞の表情は、決して良いものではなかったのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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ご一読いただき、ありがとうございました。




