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第三十八話~匈奴遠征 四~


第三十八話~匈奴遠征 四~



 中平五年(百八十八年)



 出陣した匈奴の反乱分子を首尾よく討った劉逞は、数日の休息を挟んだあと単于庭へと退却した敵を追って進軍を再開した。やがて軍勢が単于庭近くへ到着すると、驚いたことに単于庭は半包囲されていたのである。するとその軍勢から、複数の一団が離れる。その複数の小集団は、ゆっくりと劉逞が率いる軍勢へと近づいてくるのが見て取れた。敵なのか味方なのか分からない相手に対して劉逞は、いつでも軍事行動へと移れるような体制を調えるべく指示を出そうとする。しかしてその直後、劉逞の元に伝令が現れたのであった


「何? 呼衍氏と蘭氏と丘林氏だと?」

「はい。それぞれの氏族を率いる長であるとのことです」


 確かに彼らは劉逞の動きに呼応して兵を挙げたわけだが、まさか単于庭を半包囲しているとは夢にも思っていなかった。とはいえ、それぞれの氏族を纏める長がきているというのならば、会わないわけにはいかない。劉逞は、於夫羅と呼厨泉を伴って彼らと面会することを決めたのであった。

 因みに二人を同行させた理由だが二つあり、一つは於夫羅が単于の地位にある為だ。そしてもう一つの理由だが、それぞれの一族を取り纏めている長の顔を劉逞が知らないからであった。


「面を上げよ」


 こうべを垂れて劉逞一行を待っていたそれぞれ一族の長に対して、劉逞が声を掛ける。すると彼らは、ゆっくりと顔を上げたのであった。とはいえ、先述したように劉逞は彼らの顔を知らない。すると劉逞の傍にいた呼厨泉が、彼ら全員がそれぞれの氏族を率いる長に間違いないことを耳打ちしていた。


「そなたらはこたび、よくぞ我らに呼応し兵を挙げた」

「いえ。全ては我らの不徳の致すところにございます」


 呼衍氏と蘭氏と丘林氏の三氏を代表する形で、呼衍氏の長が言葉を返す。なお、彼が代表する形となったのは、三氏の中で力が一番強いから……ではなく、三氏の中で最初に劉逞へ、引いては於夫羅へ付くことを決めたからであった。


「そうか。まぁ、こたびのことはそなたら匈奴内々きょうどうちうちのこと。深くは問わぬ」

『ははっ』

「我ら漢としては、変わらぬ関係を続けて貰えればそれでいいあとは、於夫羅殿に任せる」

「……承知致しました」


 この寛大とも取れる劉逞の措置により匈奴は、漢と劉逞に対して大きな借りを作ることになった。その借りを返す為には、より大きな働きをもって答えるより他はない。そのことが理解できただけに、於夫羅から出た言葉には苦渋のような物が含まれているように感じられたのであった。

何はともあれ、劉逞の進軍に合わせて須卜氏に対する兵を挙げた匈奴とも合流を果たした劉逞は、彼らとともに単于庭の包囲を行う。これにより単于庭は、完全包囲されたのであった。果たしてその包囲網だが、それこそ蟻が這い出る隙もないほどに厳重である。正に彼らは、十重二十重とえはたえ単于庭を取り囲んでいたのだ。

 これだけの重囲となったのは、敵を誰一人として逃がす気などないからである。於夫羅の父である羌渠を討ったこと自体、劉逞は気になどしていない。所詮、匈奴内部の話でしかないからだ。しかしながら彼らは、漢という国家へ反旗をひるがえし并州へと侵攻している。このことを、許すわけにはいかなかった。それこそ、何年掛かろうが討伐し骨の髄まで分からせなければならない。二度と匈奴が漢に対して反旗を翻すような気を起こさせないようにする、これこそが肝要なのだ。その為には、鏖殺おうさつすらもいとう気はない。それぐらいの覚悟を持って、劉逞はこの戦にのぞんでいたのだ。

 そんな非常とも悲壮とも言える決断をしている劉逞だったが、ふとした際にある物資が目に止まる。それを見たあと、彼は眉を顰めてしまう。それから劉逞は、その物資の正体について尋ねたのであった。


「子幹。あれらの物資だが、もしかしたら」

「はい、常剛様。ご懸念の通りです。あれらは、長期の戦になった場合を考慮した越冬の準備です。輜重に関しましては、確保していますので年を越そうとも大丈夫です。しかしながら、寒さだけはどうにもなりません。もし冬にでもなろうものなら、今のままでは厳しいでしょう」

「……そういうことか」


 盧植の言葉に、劉逞は改めて納得した。

 それというのも、寒さに関しては思いたる節があるからだ。劉逞は若い頃、数年に渡り漢国内を旅している。その旅程において彼は、寒さに震えたこともしばしばだった。それゆえに、寒さがどれだけつらいのかについては十分理解している。ましてや、今いるのは旅をした地域よりもさらに北となる匈奴である。冬の寒さは、推して知るべしであった。


「子幹様、あなたの言い分は分かりました。しかし、使わなかった場合はどうしますのか?」

「公明よ。別に、ここで必ず使わなくてはならないということではない。のちのちにでも、使えるであろう」


 何ゆえに盧植は、このようなことを徐晃へ言ったのか。それは彼が、漢国内における今の情勢不安が解消されて安定するとは爪の先ほどにも思っていないからだ。とても嘆かわしいことではあるが、何か大きな問題でも起きれば一気に拡大するとすら考えている。そうなった場合、盧植は解決の立役者として劉逞に期待している。そして期待されている劉逞も、もしそのようなこととなれば皇族として事態鎮静に動くことはやぶさかではないとも考えていた。

 なお、盧植の言葉からすぐに思い至った程昱と董昭は外すとして、それ以外の者で劉逞のように同意した者はすべからく旅に同行した者たちであった。





 単于庭へと逃げ込んだ老王らは、一様に頭を抱えていたのである。并州刺史である丁原に手傷を負わせたのは、朗報といっていいだろう。しかしその代わりに、醢落と他数人の老王の命が失われている。さらには、彼らに付き従った兵を多数失ってしまった。総合的に判断すれば、完全に負け戦である。その上、逃げ延びるいとますらなく、単于庭は囲まれてしまっている。兵力差から、打って出ても蹴散らされるのは想像に難くない。それに加えて単于庭を囲んでいる兵の半数近くは、漢にというか於夫羅に付いた同じ匈奴の者である。様々さまざまなそれこそ紆余曲折うよきょくせつの末に敵味方になったとはいえ、できれば刃を交えたくはないという思いがある。勿論、そのようなことが許されるとは思っていない。それでも心情的には、刃を交えるのはできるだけ避けたいのである。だからといって、このままというのも無理であることも理解している。何といっても単于庭は、漢の都市のように壁に囲まれているわけではないのだ。野生動物への対策として、柵などで囲んではいる。だがそれも、堅牢というほどではない。劉逞が被害を度外視して攻め寄せれば、耐えきれるものではない。間違いなく、蹂躙されてしまうのは必至だった。

 もし唯一の可能性があるとすれば、冬が来訪することである。流石に冬となれば、兵を引くであろうと考えていた。彼らも、まさか盧植が冬をも越えて駐屯する用意を調えているとは思ってもみなかったのである。ただ、このまま冬に突入してしまうと、単于庭に籠っている彼らも、ただでは済まない。その理由は、食量などといった冬を越えるだけの蓄えがない状況にあった。

 年初に行った美稷侵攻での大敗北、これにより彼らの目論見は全て崩されたといっていい。それでも、今年がそのまま終わりを迎えることができればまだ体制を調えられた。しかしながら劉逞は、同年内に逆侵攻してきている。それゆえ、不本意ながらも行わざるを得なかった先の戦による損害。この二つの戦による影響が、大きすぎる。正に、想定外としか言いようがなかった。


「引くも地獄、進むも地獄……どちらにせよ、我らに未来さきはないということか」


 今となっては単于庭で最大の力を持つ老王が、大きなため息をつきながら小さく漏らす。だからといって、相手が手加減などをしてくれるわけがない。単于庭を取り囲んだ劉逞も、何もせず漫然と時を過ごしていたわけではないからだ。しかも今回は、侵攻前と違って調略などの動きをしていない。それは劉逞が、反旗を翻した彼らに対して降伏を許す気はないからに他ならない。もし於夫羅が嘆願してきたとしても、劉逞の考えが覆ることはない。今後の戒めとする為にも、手ぬるい対応はできないからだ。

 その劉逞が敵である彼らに対して何をしていたのかというと、それは嫌がらせに近かった。前線に布陣している兵に対して劉逞は、単于庭に対して間断ない攻めを命じていた。但しその攻め手は、全力ではない。あくまで、間を置かず絶えず攻めるようにさせていたのだ。程昱の指示で前線にいる兵は、まず八つの組に分けられていた。そしてその八つの組が、代わる代わる決められた時間に一定時間だけ攻めさせる。これを、それこそ日がな一日中続けるのだ。

 前線の兵が担当する時間以外、兵は警戒だけをしていればいい。しかも警戒に当たる兵は、単于庭攻めの時には絶対参加しないのだ。これならば休憩を攻めの時間以外に取っていることにもなるので、それほど兵が疲れることはない。しかしながら攻められている単于庭に籠る反乱分子からしてみれば、そのような悠長なことは言っていられなかった。

敵が攻めているのが、前線にいる兵の一部でしかないとはいえ、間断なく攻められていることに変わりはないからである。要するに籠城している者たちからすれば、常に警戒という名の緊張を強いられていることになるのだ。これが一日二日だけならば、まだ何とかなったかも知れない。しかし同じことが何日にも渡って続けられたら、限界がきてしまうのは当然のことであった。

 さらに嫌らしいことに、全く攻めない日も混ぜ合わせている。こちらに関しては完全に不定期であり、いついかなる時に攻めない日が、そして籠城している彼らからの立場から見れば攻められない日がくるのかなど敵味方共に分からない。この日程を把握しているのは、劉逞ら極一部の者だけであったからだ。

 このようなことを、都合一月近くも単于庭に対して行ったのである。とてもではないが、単于庭に籠る匈奴たちの緊張など持つ筈もない。一応彼らも攻撃されれば迎撃体制を調える対応しているが、その反応は押しなべて鈍くなっていた。その様子を報告された劉逞は、さらに自分の目でその有り様を確認する。そしてついに彼は、今が頃合いだと決断したのであった。


「仲徳の進言通り行ってはみたものの……あ奴らは相当に疲弊しているな」

「人はいつまでも緊張を続けることなどできません」

「そうだな……今の単于庭を見れば、とてもよく分かるというものだ」

「はい」


 いささか思うところがないでもないが、それでも今が攻め時であることは間違いない。それに劉逞自身、鏖殺おうさつをも覚悟したのだから今さらだった。


「子幹。これではそなたの打った手も、空振りとなるな」

「常剛様。あくまで、保険とした策です。使わないならば、それに越したことはありません」

「ふむ。それもそうだな。詮無いことを言った、許せ……では、於夫羅殿に伝令! 全軍、総攻撃だ!!」

「はっ!」

『承知!』


 直後、劉逞からの伝令が於夫羅の元を訪れる。彼としても劉逞が視察に訪れたことを知っていただけに、ついに始まるのかという思いの方が強かった。暗殺され掛ったとはいえ、単于庭に籠るのはかつての同胞である。今まで行っていた本気ではない攻めならばまだしも、今回は本気で攻めるしかない。それだけに、気は重い。だが、これからの為には必要なことでもあることも彼は理解していた。


「各氏族へ伝達しろ! 単于庭を攻める!」


 ついに、単于庭に籠る匈奴の反乱分子に対して総攻撃が行われたのである。当初、攻められた単于庭側もいつもの攻めだと思い本気で対応しなかった。しかしそれは間違いだったと、間もなく自身の命を対価とすることで学ぶこととなる。単于庭を取り囲んでいた軍勢が、それこそ一斉に単于庭に攻め込んできたからだ。今までは本気で攻めていなかったからこそ、城壁もなく柵ぐらいしかない単于庭が持ちこたえていたのである。しかし、今回の攻めは単于庭を完全に陥落させるつもりで行われている。しかも総大将の劉逞が、全滅させることも厭わない覚悟すら決めている。そのような決断と共に行われた攻めだけに、温い攻め手など一つもなかった。

 あまりにも激しい攻めに漸くそのことに気付けた彼らであったが、それは遅きに失していたと言っていい。元々もともと、兵力では圧倒的に攻め手の方が多いのである。その相手が、必殺の覚悟を持って攻めてきたのだ。しかも、攻め手側の重囲によって逃げることすら叶わない。実際に干戈を交えている於夫羅率いる匈奴勢の他にも、劉逞が率いる漢の兵がいるのだから当然だった。

 もう逃げ場はないと完全に理解した籠城している匈奴反乱勢は、死兵のごとく戦う決断をする。しかし、程昱の仕掛けた一月近くに渡る長期に渡る策によって、それもままならなかった。それでも一瞬だけならば力が湧いたが、それも長くは続かない。次々と現れる敵に、疲労困憊ひろうこんぱいの体がついてこないのだ。攻めてくる敵一人か二人を相手したところで、彼らは力が尽きてしまう。それでも必死に立ち上がろうとするが、体に力が入らずうごめくのが精一杯である。そして於夫羅の匈奴勢も、そのような相手に油断はしていない。程昱から劉逞を介して出された「嘗ての味方とは言え油断などしないように」との忠告もあり、たとえ相手が倒れ伏して動けていなかったとしても確認を怠らなかったのだ。

 その忠告も功を奏し、単于庭攻めが始まった暫くの間に刃を交えた以上に被害が増えることもなく制圧する。その過程で生き残った老王らを捕らえたばかりか、単于庭に籠っていた反乱勢力を文字通り全滅させたのだった。

 因みに捕らえられた老王ら反乱首脳陣の処罰だが、責任を取るという体で全員が討ち首となっている。彼ら反乱者の首は洛陽へと送られ、そこで晒されることとなったのであった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] これで匈奴は一段落か。現状軍事力という点では劉逞が一番力を持つ形になっていそう。 こうなると次は中央の動きが気になってきますね。この世界では十常侍と何進の政争がどうなるか楽しみです。 更…
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