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第三十七話~匈奴遠征 三~


第三十七話~匈奴遠征 三~



 中平五年(百八十八年)



 醢落が得物を振り上げたことに気付いた丁原は、咄嗟に回避行動に出た。しかし、無理な体勢から急に動いたからか、肩に負った傷から痛みが走る。その為、一瞬だけだが動きが遅れてしまった。それでも回避行動はしていたので、止めとはならずに済んでいる。しかし代償となったのは、痛めている肩とは反対側の足であった。

 まさかあの状態で避けるとは思ってもみなかっただけに、醢落は驚きの表情を浮かべている。その隙を狙って丁原は立ち上がろうと試みたが、それは叶わなかった。新たに傷を負った足が痛み、思うように力が入らないのである。足の傷自体は、肩の傷よりは軽いと思われる。それは足の傷から流れ出る血の量が、肩の傷に比べて少ないことからも分かった。それであるにも関わらず、痛みが走るせいで思うように力が入らない。結局丁原は、片膝をついて醢落を見上げるしかできなかった。

 その様子に、今度こそは討てると確信した醢落は、今一度愛用の得物を振り上げる。そして人が悪い笑みを浮かべたあとで、それを振り降ろしたのだ。さしもの丁原も、足に力が入らない状態では思うようには動けない。しかも自身の得物は手放しており、受け止める事も叶わない。流石に覚悟を決めた丁原であったが、その覚悟は無駄に終わることとなった。


「な、何だと!」


 醢落が止めを刺すべく繰り出された一撃は、丁原に当たる直前に差し出された武器によって止められていたのである。果たして醢落の繰り出した一撃を止めたのは戟であり、その武器の持ち主は呂布であった。



 前線に出た呂布であったが、彼は愛用の馬に跨りながら八面六臂はちめんろっぴの働きをしていたのである。碌に数合も持たせず、殆ど一撃のもとに敵を葬る呂布から敵兵が距離を取り始めた。その為か、呂布に周囲を見回すぐらいの余裕が出る。するとその時、呂布は丁原と醢落の一騎打ちを認めたのであった。しかも丁原は、怪我を負っているようで腕を押さえており、しかも相対している敵は自分の得物を振りかざしている。そのような丁原と醢落の姿を見た呂布は、居ても立ってもいられなかった。彼は跨った馬を駆けさせて二人に近付いたかと思うと、飛び降りるように馬から降りる。そして呂布は、間一髪のところで醢落の一撃を受け止めていたのであった。



 完全に予想外だった醢落は、邪魔をしたものを確認するべく誰何した。しかしてその問いに、答える者はいない。代わりに聞こえたのは、丁原を心配する声であった。


「建陽様、御無事ですか」


 呂布の声に、丁原は傷を押さえながらも頷く。その様子に安堵したが、次の瞬間には眉をひそめていた。これはすぐにでも治療をした方がいいと判断した呂布は、ある人物の名を呼ぶ。すると間もなく、呼ばれた人物である高順が現れた。彼は丁原が傷を負っているのを認めると、即座に駆け寄り具合を見る。すると思ったよりも重傷な様子に眉を寄せたが、すぐに丁原が負った傷の中で特に重傷な二か所へ血止めの手ぬぐいを巻き付ける。その際、高順はきつめに縛った筈であったが、丁原の負った傷から流れ出る血は多少減るも止まらなかった。


「奉先殿。我は建陽様と共に下がる」

「うむ。ここは任せて貰おうか」

「逃がすか!」


 高順が丁原を抱えて下がるのを、醢落も黙って見逃すつもりはない。呂布によって止められていた得物を引きつつ高順へ切り掛かかったが、その目的を達することはできなかった。醢落の動きに反応した呂布によって、またしても止められていたからである。一度ならず、二度までも妨害された醢落は警戒心をあらわにしたのだ。それゆえ、止めを刺そうとして高揚していた彼の精神は落ち着きを見せる。すると醢落は、あることに気付く。それは、自身の一撃を止めた呂布に対するものであった。


「この男、我の一撃を片手で止めておった……」


 醢落が思わず呟いてしまった通り、呂布は醢落の一撃を片手で受け止めていたのだ。いかに疲れがあったとはいえ、力を込めた一撃をだ。となれば、片手間に相手などできる筈もない。今一度本気で相手をしなければ、明日どころか今日の月すら拝めないかも知れない。改めて気を引き締めた醢落は、しっかりと愛用の獲物を握りしめたのだった。

 その一方で呂布は、静かに醢落へ視線を向けていた。中々なかなかの一撃を繰り出してくる相手ではあるが、彼からすればそれだけでしかない。少なくとも劉逞や趙雲などとの手合わせ時のような緊張感は、感じられないのである。そのことをいささか残念に思いつつも呂布は、愛用の戟を構える。しかも、先ほどまでとは違って今度は両手でしっかりと構えたのだ。その様子を見て、醢落は警戒する。何せ片手でも、自身の一撃が受け止められていたのだ。その相手が、今度は両手に戟を持って構えている。これで警戒をしないわけがなかった。とはいえ、このまま見合っていても仕方がないのも事実。すると醢落は、少しずつであるが間合いを詰めていった。やがて呂布が持つ戟の間合いまで入った途端、一撃を振るってくる。両者が手にしている獲物の間合いで言えば、呂布の方が間合いは広い。それゆえの、先制攻撃であった。だが、相手に先手を取られるのは想定内である。醢落は少し後ろに跳び下がりその一撃を避けると、次の瞬間には踏み込んでいた。


った!」


 思わずそうつぶやくぐらいの一撃を、醢落は放つ。それはこれまでの生涯でも、上位に選んでもいいぐらい鋭い一撃だった。しかしながら、醢落の手が感じたのは武器が肉に刺さるような感触ではない。硬いもの同士がぶつかったような感触と、その感触を裏打ちするかのような甲高い金属音であった。


「遅い!」

「なっ! 馬鹿な!!」


 残念ながら醢落が放った渾身とも取れる一撃は、素早く戟を返した呂布によって防がれていたのである。即ちこれは、呂布と醢落の間に明確な技量差があることを示していた。そしてそのことが分からないほど、醢落は無能ではない。同時に彼は、どうやっても呂布に勝てないことを察してしまったのだ。それでなくても、丁原との一騎打ちで体に疲労がたまっている。その上、技量が上と思われる相手など、正直ご免であった。

 もし愛馬がすぐ近くにいたら、彼はすぐに飛び乗っていただろう。また、既に騎乗している状態であったならば、間髪いれることなく右に馬首を返していた筈である。しかし頼みの綱である愛馬は、近くにいなかった。彼の愛馬は、丁原の体当りを受けた際、驚きのあまり醢落を振り落すとどこかに走り去ってしまったからである。そのことに気付いた醢落は、怒りを覚える。するとその時、呂布が醢落へ話し掛けたのであった。


「さて、改めて尋ねる。その方、何者か」

「我……我は醢落だ」

「我は建陽様が家臣、呂奉先なり!」


 醢落の名を聞いて、呂布は凶悪な笑みを浮かべた。その理由は、彼の名を知っていたからである。それは匈奴で反旗を翻し、先代の単于である羌渠を討った者としてであった。しかしそれゆえに、醢落を逃がすことなどできなかった。

 すると次の瞬間、呂布から明確な殺気が放たれる。その殺気は、比較的近くにいた敵味方が思わず振り返ってしまうぐらいに濃密な物であった。その殺気を間近で、しかもまともに醢落は浴びたのである。彼は気遅れてしまい、表情に微かだが怯えが含まれていた。怯えは恐れを生み、恐れは硬直を生む。そこに生まれた隙を、呂布が見逃す筈もない。彼は一足飛びに間合いを詰めると、凄まじいまでの一撃を繰り出たのだ。もし醢落が呂布を恐れていなければ、避けることができたかもしれない。しかし、僅かでも体を硬直させてしまった直後では、避けることも受け止めることも叶わなかった。まるで吸い込まれるように戟の刃は、醢落の体を刺し貫く。しかもその途中にある、心臓も纏めてであった。


「敵将、醢落。丁建陽が家臣、呂奉先が討ち取ったり!」


 醢落が討たれたことで、敵の先鋒に乱れが生じた。その隙を突くかのように張遼が突出したことで、指揮系統に混乱が生じてしまったのである。そのような前線の様子だが、やや遅れてではあっても劉逞に届く。丁原の怪我については気に掛かったが、今は混乱した敵の先鋒を崩す方が先である。劉逞はここが押し時だと判断すると、白波衆に加えて徐晃を投入した。それでなくても醢落が討たれて混乱していたところにきて、追い打ちとばかりに敵が増強したのである。とてもではないが、耐えられるものではない。もはや彼らには、引くという選択肢しか残されていなかった。


「引け! 単于庭まで、疾く駆けるのだ!!」


 生き残っている老王から出た撤退命令を受け、戦場より引いていく。その敵を、張遼と合流した呂布が揃って追撃を掛けていく。丁原家臣の中で特に強い二将の追撃は凄まじく、彼らによって殿しんがりを務めた老王が一人討ち取られる損害を被ったのであった。





 事実上の決戦にて勝利を収めた劉逞は、軍の再編を行う。無事に再編を終えると、匈奴の首都である単于庭を遠巻きに囲んだのであった。こうして敵を押し込めたあと、劉逞は視察と称して并州各太守の元を訪れ、彼らをねぎらっている。一通り并州太守たちの元を尋ねたあとで劉逞は、丁原を見舞っていた。果たしてその丁原だが、命こそとりとめている。だが、醢落から受けた傷の影響は大きかった。特に肩に負った傷は予想以上に深手であり、治療に当たった医者も完治は難しいだろうと首を振っていた。実際、丁原の腕は思うように動かないでいる。その事実が、医者の言葉を裏打ちしていた。もはや丁原は、武器のような重いものを持ち上げることはできなくなっていたのである。また足の傷だが、肩に比べれば軽いのは幸いであろう。しかしこちらの傷も、完治できるかどうかについては運次第であろうと告げられていた。


「建陽殿。こたびは、不覚であったな」

「常剛様、面目次第もありません」

「なに。勝ち負けは兵家の常、そこまで気にすることもなかろう」

「そう、ですな」


 劉逞の言葉に少し詰まりながらも答えた丁原であったが、自分の体のことなど自身が一番分かっている。彼はもはや、自身が武人として十全に力を発揮できない状態にあることなど存分に理解していた。かと言って、事務仕事などは彼がもっとも苦手とするところである。実は彼の性格によるものなのか、丁原の家臣には事務系の仕事を不得手としている者が多い。勇猛で鳴らした呂布に主簿を任せているぐらいなのだから、それは相当な物だと言えるだろう。つまるところ丁原は、武を生かすしか将としての生きる道を見出せない男なのだ。

 だが、息子に譲ることもできない。その理由は、彼の子供に男がいないからだ。勿論、丁原が成人してから一人でも男児が授からなかったというわけではない。しかし生まれた男児は、ことごとくが夭逝するなり戦で失ったりしていたのである。それゆえに彼が隠居をしてしまうと、丁家としてもそして彼の抱える軍勢としても維持することができなくなるのだ。だが、猶子としてならば呂布がいる。しかしあくまで猶子であり、丁原の後継として家督や兵権などを継承するにはいささか難しかった。だからこそ丁原は、呂布や張遼や高順などといった主だった家臣たちと今後の身の振り方について話し合っていたのである。その結果が、劉逞に丁原の長女となる丁茜を側室として輿入れさせるというものであった。


「いかがされた?」


 丁原のやや歯切れが悪い返事に、劉逞は怪我以外にも何かあったのかと思い疑問を投げる。そこで丁原は顔を上げると、暫く劉逞の顔を見る。やがて意を決すると、彼は口を開いたのであった。


「……実は常剛様、お願いの儀がございます」

「願い? 出来ることなら、叶えよう」

「はい。我が娘、香姫を側室として輿入れさせてはいただけませぬか?」

「……建陽殿、今何と言った!?」


 丁原から提案された話を聞き、劉逞は問い返してしまう。それぐらい、彼の言葉は唐突であった。それは思わず、いぶかしげに丁原を見てしまうぐらいである。しかし、当の丁原はとても真剣な眼差しを向けているのだ。その様子は、とても冗談を言ったとは思えない。丁原の申し出が本気であることを察した劉逞は、丁原の言葉が持つ意味を考える。やがて、丁原の言葉が持つ意味の示す答えに辿り着いていた。

要するに、甘陵王である劉忠の行ったことと同じである。だが、そのことを指摘するのも野暮だと判断した劉逞は、関連する別のことを尋ねていた。


「……そなたの言い分は、まぁ分かった。だが、奉先たちはそれで構わぬのか?」


 劉逞が尋ねたのは丁原ではなく、この場にいる丁原の家臣たちである。すると彼らは、全員揃って頷いていた。先に述べたように、既に丁原と彼らは事前に話し合って決めている。その彼らに、今さら異論などある筈もないのだ。もっとも、彼らも人となりも実力も把握している劉逞だからこそ、納得して受け入れたのである。もし他の人物であったら、呂布以下揃って首を横に振っていたかも知れなかった。


「どうでしょう、常剛様。申し出、受け入れてもらえますかな」

「よかろう。そなたの息女、香姫殿を我が側室に迎え入れるとしよう」

「おお! ありがとうございます!!」


何はともあれ、丁原旗下の将兵は揃って劉逞の旗下に収まることとなる。しかし今は遠征の真最中であり、すぐにというのは難しい。そこで遠征が終わったあとで、詳細を詰めることとしたのであった。


「して、建陽殿。そなたはどうするのだ」

「我が家と呂布たち家臣のことは、常剛様に託せました。何よりこの体ですので、我は大人しく隠居を致そうかと考えております」

「そうか。では、建陽殿。一つ、願いがある。以前にも言ったことだが、我が家臣とならぬか?」

「……本気でおっしゃられているのですか? 我はこの通り、もう十全には動けぬのですぞ」

「構わぬ。たとえ体が不自由でも、建陽殿が今まで戦場いくさばで経験したことを伝授して欲しいのだ」


 戦場における経験則、これだけはどうしようもない。その意味で言えば、丁原は今までに相当な経験を積んでいる人物だった。そして劉逞は、その万金にも代えがたい経験を欲したというわけである。また丁原としても、この条件ならば劉逞の要請を受けることにやぶさかではない。何より必要とされ、そして自身の経験を伝えられることは嬉しくもあった。


「分かり申した。残り少ない我が生、常剛様に預けましょう」

「うむ。では頼むぞ、建陽どの……いや建陽」

「ははっ」

「おおっ! 建陽様、祝着に存じます」

「そうだな、文遠」


 最初に丁原へ祝いを伝えた張遼は勿論、呂布などほかの四人も喜んでいた。

 因みに、この場にいる丁原の将だが、呂布と張遼と高順と張楊と秦宜禄である。彼ら五人は、丁原が特に重用したとされる家臣であった。

連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

併せてよろしくお願いします。


ご一読いただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 呂布の運命が変わった?
[一言] 呂布はもちろん張遼や高順が加わるというのは凄まじいの一言ですね。特に張遼はリアルで化け物ですし。それにしてもここで一線から退いたお陰で丁原の最期がマシなものになりそうなのが皮肉というか。 …
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