第三十五話~匈奴遠征 一~
更新を間違ってしまい、もう一つの連載話となる「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」に更新してしまいました。
改めまして、「劉逞記」最新話として更新致します。
誠に、申し訳ありませんでした。
第三十五話~匈奴遠征 一~
中平五年(百八十八年)
西河郡へ戻った劉逞は、すぐにでも動き始める。彼が最初に手を付けたのは、度遼将軍の属官となる司馬と長史の任命であった。それぞれの役職はぞれぞれ二人ずつ選べるのだが、劉逞が司馬に抜擢した人物は家臣からである。一人は、長年副官を務めていた韓当を当てている。そしてもう一人は、趙翊を抜擢した。当初は韓当と程普を考えていたが、両者が抜けてしまうと軍を抑える者が一気に若返ってしまう。そこで程普は残し、代わりに若い者の中ではいささか年齢が上の趙翊を任命したのだ。
一方で長史だが、使匈奴中郎将時代に従事を務めていた田豊と荀攸を引き上げている。彼らは使匈奴中郎将以来の付き合いであり、人格や仕事ぶりも全く問題がないので、長史としたのであった。
こうして司馬と長史という属官を決めた劉逞が次に手を付けたのが、匈奴の現状把握である。先の美稷攻防戦の影響がどれだけ出ているとか、手傷を負ったはずの自称単于の容体はいかがなものなのかなど欲しい情報は幾らでもあるのだ。とはいえ劉逞は、自身が洛陽へと向かう前から匈奴に対する今まで以上の情報収集を命じている。しかしながら、匈奴の情報が集まるまでは少し時間が掛かりそうではあった。ゆえに焦る気はなく、じっくりと集めるつもりであったのだ。
だが、現状でも手に入れられる情報はある。何せ、実際に匈奴にいた於夫羅たちが手元にいるのだ。その彼らからも、情報を手に入れればいい。ただ時間は経っているので、最新の情報は無理である。それでも、匈奴内の実態と言うか力関係のような物は判明するのだ。先に匈奴へ潜らせている密偵からの報告もやがて合わさることを思えば、様々なことが可能となる。すぐに思いつくところで例を上げるとすれば、調略だろう。だが、必ず調略ができるとは限らない。情報の内容によっては、無理と判断するだろう。しかしたとえ無理であったとしても、付け込みどころが判明する可能性はある。そうなれば、実際に攻める際の突破口になり得るのだ。
「して、於夫羅殿。教えていただきたいのだが?」
「……承知しました」
於夫羅たちからすれば、今は敵味方になってしまったとはいえ故郷の内部情報である。あまり教えたくはない類の情報であり、それゆえに躊躇いもある。しかし、今の於夫羅には劉逞の力が必要なのである。何せ於夫羅にしても弟の呼厨泉にしても、そして二人の叔父に当たる去卑にしたところで、現状では兵力など持っていないのだ。せいぜい、身の回りの世話ができる者がそれぞれ数人いるだけでしかない。そのような彼らが、劉逞からの要請を断れるわけもないのだ。
その一方で、ここで嘘偽りなく内情を告げることで、信を得られるという側面もある。その意味でも、劉逞からの要請には誠実に応えるのは一番早い手段といえる。つまるところ於夫羅からすれば、匈奴の内情を伝えること以外に切れる手札がないと言うのが正直なところであった。
内心でいささか葛藤をしたあと、於夫羅は亡き父親が行っていた左部と右部に対する待遇の違いなどについて自身が知る限り余すところなく伝える。以前よりある程度の情報を集めていた劉逞たちからしても、それは思わず呆れてしまう実態だった。一瞬だけだが、於夫羅の父親である羌渠を討ったという右部に同情すらしてしまう。だからといって、漢に対して反旗を翻していいわけではないからだ。
そもそもからして、於夫羅を追放もしくは暗殺を仕掛けた匈奴の右部が漢を攻める理由などないのである。それであるにも関わらず匈奴が反旗を翻したのは、彼らの抱えていた事情が原因である。要するに漢からすれば、とばっちりでしかないのだ。
「……自分たちの問題ぐらい、自分たちで何とかしろよ」
「はぁ。面目次第もありません」
「とはいえ、漢も人のことは言えないか……何か、身につまされる。そうは思わないか?」
『…………』
劉逞からの問い掛けられた者たちは、誰も答えることができなかった。しかし劉逞は、気にした様子はない。元から彼も、答えなど期待していなかったからである。言ってしまえば、愚痴でしかなかったのだ。
「まぁ、今はいいか。それより子幹たちは、於夫羅殿たちと共に調略を行ってくれ。そのような内実を抱えているのであれば、付け込む隙を見付けるなどそなたたちなら造作もなかろうて」
『ははっ』
こうして一まずの方針が決まり、早速にでも動き始めたのだ。
その一方で劉逞は、軍勢の準備にも取り掛かっている。先にも述べたように、無理をしてまで性急にことを起こす気などはない。多少の時間は掛かっても、じっくり進めるつもりなのだ。ゆえに彼は、調略を行っているといえる。被害が少なくなるのならば、それに越したことはないからだ。
「子幹。できれば、今年中には動きたいな」
「そうですな、常剛様。最上の結果を出せれば、そこまでは難しくはないでしょう」
「ああ……そうなれば最高だな」
「常剛様。刺史様たちが参られました」
劉逞が匈奴へ遠征するに当たって、并州刺史及び并州各郡の太守が旗下に入ることとなっている。そこでまずは、彼らを集めておこうと考えたのだ。彼らが旗下となる以上、どうしてもすり合わせは必要となる。どのみち、一回で終わる話でもないのだ。ともあれ知らせを受けた劉逞は、并州刺史である丁原や并州各郡の太守と面会する。喜色をたたえた顔で彼らを受け入れたあとは、歓迎の宴を開いて歓待したのであった。
匈奴に対して調略を始めてから、三月ほど経った。しかしてその手際は、劉逞の予想以上であったと言えるだろう。前述していたことではあるが、匈奴の中でも完全に意思の統一が行われた上で并州への侵攻が行われたわけではない。そこにこそ、劉逞たちが付け込む隙があったからだ。
劉逞からの指示を受けて於夫羅の弟となる呼厨泉や二人の叔父となる去卑は密かに匈奴へ戻ったあと、并州侵攻にどちらかと言えば消極的な立場であった左部に対して働きかけを行っていたのである。先の美稷で行われた戦で手痛い損害を受けたこともあってか、その感触は悪くなかった。その上で劉逞は、匈奴内である情報を流したのである。それは、右部が一方的に推戴した単于が死亡したというものであった。実はこの情報だが、嘘でもなく本当の話である。彼は美稷での戦に大敗して撤退する際に、太史慈の放った矢によって負わされた傷が元で亡くなってしまったのだ。大敗直後という時期だったこともあり、右部はその事実を隠蔽したのである。そして政は、実際に羌渠を討った醢落を含めた老王と呼ばれる幹部たちによって執り行われていたというわけであった。しかしながら単于の死を、いつまでも隠蔽するなど無理な話でしかない。果たして単于の死に関しては、劉逞の放った密偵によって探り当てられてしまっのであった。
「仲徳! それは、真か!!」
「はい。漸くですが、探り当てました。右部の者により推戴された単于ですが、亡くなっております」
「だが、急な話だな。病にでも掛ったのか?」
「いえ。どうも、状況から判断致しますと、先の戦で負った怪我が原因かと思われます」
「怪我か……ともあれ、これは利用できるな」
「はい。既に呼厨泉殿と去卑殿には知らせております。また、噂として匈奴内に流します」
「うむ。流石は、我が軍師たちよ」
劉逞の幕僚たちである盧植らから書状で知らされた呼厨泉や去卑は、すぐに調略を行う際に利用し始める。初めのうちは疑いの目を向けてはいた相手も、ほぼ時を同じくして匈奴内へと広がった単于死亡の噂が実しやかに流れ始めると、虚報だ流言だとは無視できなくなる。ついには疑心暗鬼に陥り、真のことなのかと醢落ら老王たちに対して確認を求める者たちまで出てきたのだ。
「……まさか、単于の死が流れてしまうとは」
「しかし、どうする。まだ先の戦の傷が、立ち直っておらぬ。この状況で、単于死亡など到底言えるものではないぞ」
「分かっている。隠し通すしか、あるまい」
「事情は認めるが……できるか?」
「できるかできないか、ではない! 隠し通さねば、ならぬのだ!! 我ら自身の為にも!」
認めるわけにはいかない老王たちは、揃って否定した。しかも彼らは説得力を持たせる為に、影武者すら立ててあくまで流言であるとしたのだ。しかし、幾ら否定しても一向に噂が途絶えることもない。ついには痺れをきたしたのだろう、独自に調べる者たちが出てきたのである。そして独自で調べ始めた者たちの中で一部は、ついに真実へと到達したのである。実は噂こそが事実であり、醢落ら老王たちの言葉こそが虚言であるという事実に。
さらに厄介なことだったのは、真実に辿り着いてしまったのが貴種四姓と呼ばわれるくらいに有力な一族の一つである呼衍氏だったことにある。呼衍氏は、亡くなった自称単于の出身である須卜氏と並び称される有力氏族である。その有力氏族が須卜氏に従っていたのは、匈奴で内訌を起こさせないことと共に、曲がりなりにも右部で実力を持つ須卜氏から単于が推戴されていたからであった。
しかしその推戴された単于も既に亡くなっており、その事実が隠蔽されている。それゆえ、次の単于も選出すらされていない。ことここに至り、彼らが須卜氏に従う理由は雲散霧消したと言ってよかった。
すると呼衍氏族は、呼厨泉の働きかけに一族を上げて応じる決断をしたのである。右部が事実の隠蔽を続けている以上、今となっては於夫羅が唯一の単于といってよい。何より於夫羅は、漢から認められているのだ。つまり現状では、須卜氏及び於夫羅の代わりに推戴した単于の死を隠蔽している老王たちこそが反逆者であると判断しても間違いはない。これでは、どちらに大義名分があるかなど思案する必要もないからだ。
しかし、今すぐと言うのは無理である。有力氏族とはいえ一氏族だけが現状の匈奴より離反しても、その先に見えるのは族滅の可能性である。そこで、於夫羅が進軍を開始したらという条件であった。呼厨泉と去卑にしても、それで何ら問題はない。寧ろ、侵攻までは今少し時間が掛かる現状においては、寧ろ都合が良かった。
ともあれ、こうして有力氏族である呼衍氏が於夫羅に、ひいては度遼将軍である劉逞についたことで匈奴内における勢力図が確実に変化を始める。それは、呼衍氏に引き続いて同じく貴種四姓に名を連ねる蘭氏が於夫羅側についたことにも表れていた。その蘭氏にしても、条件は呼衍氏と同じである。しかしこれにより匈奴は、二つに分かれたと言っていい。しかもその勢力で言えば、漢を完全に後ろ盾としている分、於夫羅の方が優勢であると言ってよかった。そうなると、須卜を除いた最後の貴種四姓となる丘林氏の動きが重要となる。彼らの動きが事実上、度遼将軍である劉逞の動きを決すると言って間違いないからだ。
そして……その時がきたのであった。
「劉逞様! ついに、届きましたぞ」
「子幹、何がだ」
「匈奴からの書状にございます。丘林氏がこちら側へ着きました」
これにより、状況は揃ったと言っていいだろう。あとは、動くだけである。だが動き出す前に劉逞は、まず於夫羅を呼ぶ。そして彼へ、ことの仔細を告げたのであった。
「では、いよいよ」
「うむ、於夫羅殿。そこで、そなたにはこちらについた匈奴の者へ文を送ってもらいたい」
「承知しました。それと、我が一族も、動かします」
実は於夫羅の一族となる攣鞮氏(虚連題氏)だが、表向きには中立を保っていたのだ。
彼ら一族が於夫羅に同調していないという体を見せることで、醢落らから向けられている疑いの目をそらしていたのである。しかし彼らも、全く動いていないわけではなかった。匈奴国内へ密かに入り込んだ呼厨泉や去卑が動けたのも、そして劉逞の送り込んだ密偵が自由に動けたのも彼らの協力が大きかったのである。だが、劉逞が兵を動かすとなればもう隠れ蓑を被っている必要はないというわけだ。
「頼むぞ」
「承知した」
於夫羅は劉逞の前から辞すると、すぐに動き始める。彼は檄文と言っていい書状を、味方に付くと約束した者たちへ送ったのである。その激文に答え、貴種四姓のうちで須卜氏を除く呼衍氏と蘭氏と丘林氏の三氏だけでなく、他の氏族も兵を動かしたのであった。
その一方で并州勢も、即座に集められていた。すぐに対応できた理由は、劉逞の命で匈奴の蘭氏が漢側に降った時点で并州各郡の太守などを集めていたからだ。しかも一気にではなく、段階的に増やしていったのである。それはまるで、真綿で首を締めるかのごとくであった。実は丘林氏が味方すると言ったのも、この圧力によるところも大きかった。
「聞け! これより出陣する!! 漢より認められし正しき単于である於夫羅殿を、匈奴へ凱旋させるのだ!」
『おおー!!』
ここに於夫羅を大義名分とした匈奴遠征軍が、いよいよ出陣したのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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ご一読いただき、ありがとうございました。




