第三十三話~度遼将軍~
第三十三話~度遼将軍~
中平五年(百八十八年)
敵大将となる自称単于に大怪我を負わせた上で、彼が率いた軍勢を蹴散らした劉逞ではあるが、それで全てが丸く収まったというわけではない。幸いなことに西河郡内の拠点となるような地は落とされなかったが、だからといって被害が皆無というわけではないからだ。それに大半は匈奴へと叩き返したとはいえ、全ての匈奴兵が郡内からいなくなったわけではない。これから劉逞は西河郡太守として郡内の治安回復や被害の調査や補填など、やるべきことはあるのだ。
しかも劉逞は、同時に使匈奴中郎将としての任務を果たす必要がある。それは、匈奴で現在起きている反乱騒動がなければ単于になる筈だった於夫羅の扱いであった。今のままでは、彼も単于の候補という立場のままなのである。そこで攻め寄せてきた敵を蹴散らしたことで匈奴が混乱している隙を突いて、於夫羅を早々に漢より認めさせて正式な単于として就任する必要があった。そして使匈奴中郎将である劉逞は、彼と同行して洛陽まで向かう必要がある。前述したように、匈奴の単于を守る役目を帯びているからであった。
とはいえ、物事には順番というものがある。劉逞自身、洛陽行きを長引かせる気はない。しかし短期間とはいえ、西河郡より離れるのは事実である。まず、西河郡内の治安を回復させる必要があった。
「さて、順番だが於夫羅殿。済まぬが、洛陽へは少し遅れる」
「……致し方、ありませんな」
於夫羅としては、一刻も早く漢より認められた単于に就任したいという思いがある。しかし今や兵すらいない於夫羅に取ってみれば、劉逞こそが頼みの綱である。その劉逞からの申し出とあっては、否ということは難しい。いささか不本意ではあったが、それでも於夫羅は劉逞からの申し出を了承したのであった。
こうして於夫羅から同意を引き出させた劉逞だが、だらだらと行う気はない。前述したように、於夫羅の就任は先延ばししたからといってそれが漢の為にも并州の為にも、そして劉逞に取っても利益にならないからだ。ゆえに劉逞は配下の将をすぐに西河郡内に派遣して、残党狩りを行わせたのである。大半は匈奴領内へと逃げ延びたようだが、全員が匈奴へと戻ったわけでもない。少数ではあるが、郡内にて留まっている者もいるのだ。そのような者たちを放置すると、適当な地で賊になりかねない。そうなる前に炙り出す必要があり、その為の体制を作り上げねばならないのだ。また劉逞は、并州刺史である丁原にも知らせを出している。この理由も、やはり残党狩りにあった。
劉逞が西河郡内へ派遣した将兵が、上手く敗残兵の全てを捕らえるなり討つなりできれば問題とはならないだろう。しかし、どう考えても無理な話である。そのような、水も漏らさぬ包囲網など現実的に不可能だと言っていい。となれば、并州の各郡へその旨を知らせておく必要がある。それには、并州刺史である丁原から注意を出して貰う方が都合がいいからだ。
同時に劉逞は、西河郡内での調査を行わせている。その理由は、今回の侵攻に当たって損害を被った地の復興の為だ。こちらの陣頭指揮については、董昭に任せている。彼には以前、黄巾の乱終結後に鉅鹿郡内の復興を任せたことがある。その経験を生かしてもらう為、彼を責任者へ任命したのだ。
こうして現状において打てるだけの手を打った劉逞は、漸く西河郡から洛陽へ向けて出立したのである。護衛としては、趙伯と趙翊と趙雲という趙家の者に加えて、夏侯蘭と関羽も当たっている。さらには、盧植と荀攸も同行したのであった。
なお西河郡太守の代理だが、韓当が任じられている。彼は劉逞の副将でもあるので、家臣から不満が出ることもない。また西河郡には、劉備と田豊も残している。これは、万が一にでも匈奴が再侵攻してきた場合への対応である。使匈奴中郎将の代理とした劉備や従事の田豊に兵を率いさせて、対処して貰うつもりであった。
さて西河郡を出発した劉逞たちはというと、順調に旅程を進めていた。その途中で襲撃などといった予想外の出来事に遭遇することもなく、無事に於夫羅たちと共に洛陽に到着した。もっとも、途中で襲撃者などがいたとしたら、逆にその襲撃者が後悔することになるだろう。ただ、後悔するとしたら現世ではない。間違いなく、あの世であった。
それはそれとして、無事に洛陽へと到着した劉逞は父親である常山王の劉嵩が洛陽に構えている屋敷に逗留する。既に一部の反乱分子が主導した匈奴侵攻については、朝廷へ報告している。それにこの一件は、於夫羅の単于就任も関連することであり、さほど待たされないと劉逞は判断していたのである。しかしながら彼らは、思いのほか待たされることになっていた。
「……やはり、こうなりましたか」
「そうですな」
「子幹、公達。どういうことだ?」
「今の朝廷にとり、匈奴などある意味でどうでもいいのです。それにもう一つ、州牧の制度が復活しました。ゆえにそちらの人事に関しても、選出を考えているのでしょう」
「州牧? ああ、あれか。確か、劉君郎殿が奏上したという」
「はい」
劉君郎とは、劉焉のことである。彼は今月に入って間もなく、黄巾の乱など世の乱れによって刺史や太守の力が衰微しているとして、清廉な者を地方へ派遣すれば解決するとの提言を皇帝である劉宏へ行ったのだ。すると劉宏もその進言に賛同し、ここに光武帝が改めて以来、実に百四十二年ぶりとなる州牧が復活したというわけであった。
その州牧へ任じられたのは、言い出した劉焉の他に、嘗ては甘陵国の相であり今は宗正へ就任している劉虞。そして、太僕を務めたこともある黄宛など錚々たる者たちであった。
「なるほど。だからといって、反乱を放っておく理由にはなるまい」
「勿論、憂慮している者もおります。ですが……」
「優先度は低いと、そう判断されているのか。とはいえ、いつまでも待っているわけにもいかぬであろう。何より、於夫羅に悪い」
「こうなっては、致し方ありません。大尉様……曹巨高様を頼りましょう」
曹巨高とは、曹操の父親となる曹嵩のことである。盧植の言った通り彼は、先年の十一月の時点で大尉へと任じられていたのだ。しかも一億銭という膨大な金額を皇帝へ献上した上であり、事実上買い取ったといってよかった。この任官について聞いた劉逞は、あまりいい顔をしなかった。しかし、彼の息子である曹操との関係もあったので、大尉への就任祝いと称して贈り物をしていたのである。その劉逞も、まさか大尉への就任祝いに送った贈答が生きるとは思わなかった。しかし、それよりも大事なことがある。それは、曹嵩が就任している大尉に他ならなかった。大尉とは現代風に言うと、防衛大臣や国防大臣となる。つまり、漢国内における軍事の総責任者と言ってもいい役職なのだ。
もし、於夫羅が漢から単于であると認められれば、何れは反乱を起こした匈奴に対する懲罰として軍が送られることとなる。その意味でも大尉である曹嵩を頼るのは、強ち間違いでもないのであった。
「巨高殿か……そうだな。このままでは埒が明かん、この際だから利用できるものは利用するか」
「はい。それでよろしいかと」
その後、劉逞は曹嵩との面会に臨むべく使者を送った。面会を求められた曹嵩にしても、嫡子である曹操の知り合いからの要請である。自身も見知っている相手でもあるし、何より相手は皇族である。その上、大尉就任時に贈られた品への礼ということもある。そこで曹嵩は、予定を調整して三日後に面会することを返答したのであった。
それから三日、約束通り曹嵩は劉逞との面会を果たす。しかもその席には、当事者でもある於夫羅を連れてきていた。於夫羅の存在自体は、曹嵩も知っていたので驚きはない。寧ろ、やはりそのことであったかと再認識したぐらいであった。その於夫羅はというと、曹嵩へ今回の事態において切々と訴え掛けている。すると曹嵩は、その間もずっと於夫羅の目を見つつ黙って聞いていた。それはまるで、彼を見定めているかのような眼差しである。しかし於夫羅は、その視線に怯むことなく訴えを続けていたのであった。
「……承知した、於夫羅殿。確かに、奏上は致そう」
「おお! 真であるか!!」
「だが、必ずそなたが単于へ任じられるかは分からぬ。それだけは、了承されよ」
「承知している。だがそれでも、無視され続けるよりはましである」
かくて面会から数日後、曹嵩によって於夫羅の単于就任に関する奏上がなされたのである。幾ら匈奴の一件が、黄巾の乱以降に漢各地で頻発している反乱騒動の一つに過ぎないからといって、就任への経緯は別にして大尉という地位にある者から出た話である。これまでのごとく、無下にするわけにはいかなかった。
こうして開かれた朝議において出された議題の一つに上がったわけだが、やはり北方の辺境地域にて起きた反乱ということもあったのであろう。朝議に参加した者たちも、あまり気にした様子がない。しかも、劉逞によって侵攻してきた匈奴が蹴散らされていることがなおさら彼らに楽観視させていたのである。そのような雰囲気の中で曹嵩は、軍事の責任者である大尉としての役目を果たすべく訴え続けていたのだ。
「……巨高よ。確か今の使匈奴中郎将は、皇族であったな」
「はい、陛下。常山王様のご子息にございます」
「おお、そうだ。常山王の息子であった。そうだそうだ」
皇帝である劉宏からの問われた曹嵩が、劉逞の血筋を伝える。すると劉宏は、とても嬉しそうな表情を浮かべたのである。その様子を見て朝議に参加している者たちは、思わず顔を見合わせていた。それは近年に、あまり見かけないくらいに機嫌がいいと思えるからである。しかし当の皇帝は、そのような様子など全く気にせず相変わらず嬉しそうな雰囲気である。その時、脇で控えていた宦官の張譲が、皇帝へ声を掛けていた。
「陛下」
「ん? おお、すまぬな。それで、常山王の息子……「劉常剛様にございます」趙忠よ大儀である。その常剛に任せれば、それでよかろう」
「匈奴を任せる……それはつまり、現在空位となっている度遼将軍に常剛様を就けるということにございますか?」
「うむ。そうだ、巨高。そなたらの話では、功はあるのであろう?」
「それは、間違いなく」
曹嵩の言葉に、この場にいる者で反論する者はいなかった。劉逞を忌避とまではいかなくても警戒している張譲たちのような宦官であっても、彼が挙げた功を否定はできないからだ。寧ろ否定できない程の功を上げているからこそ、宦官が劉逞を并州へ追いやったと言っていい。それは、中央である朝廷に劉逞を寄せ付けない為に他ならなかった。
「ならばよかろう。のう張譲よ」
「ははっ……皇帝陛下の仰せのままに」
こうして皇帝から出た鶴の一声で、度遼将軍の不在という案件が解決してしまった。
たが、この件に関しては劉宏の言い分は間違っていない。通常、匈奴で問題が発生した場合、度遼将軍が兵を率いて懲罰なり制圧なりを行うからである。しかしながら現在、明確な理由があったわけではないが、その度遼将軍が空位となっていた。これでは、懲罰の兵を送ることができない。そこで、新たに度遼将軍を任命することとなる。しかしてその白羽の矢が、皇帝によって劉逞へ立てられたのだ。
それでなくても劉逞は、既に三年近く使匈奴中郎将として并州へ赴任している。その并州でも侵攻してきた鮮卑を打ち払い、しかも鮮卑を率いていた当時の大人である和連を討ち取っているのだ。また、張純と張挙の反乱で上げた功績も著しい。さらに言えば、今回の匈奴反乱軍の撃退である。皇帝の言葉ではないが、挙げている功としては十分すぎるのだ。
何はともあれ、こうして劉逞へ度遼将軍の役職が与えられることとなる。その代わりに、使匈奴中郎将の役職は返上されることとなった。なお、新たな使匈奴中郎将だが、大尉である曹嵩に一任されることも併せて命じられている。そして本来の議題である於夫羅の単于への就任という案件に付いてだが、こちらに関しても正式な形で於夫羅の単于就任が承認されることとなる。これにより、新たに度遼将軍となった劉逞が匈奴へ派兵する大義名分が整ったのであった。
なお、劉逞の西河郡太守の地位だが、そのままとなる。本来であれば、これはあり得ない決定であった。それというのも、度遼将軍は五原郡曼柏に駐屯するからである。しかし、五原郡は匈奴が反乱を起こしたことで、現状においては漢の領地とは言い難い。そこで今回の騒動が終了後に、改めて扱いをどうするかについて再考することとなっていた。
それから数日後、劉逞と於夫羅は共に宮城へ参内する。そして劉逞は度遼将軍の印綬を、於夫羅は匈奴単于の印綬を授けられたのであった。
劉逞の度遼将軍就任と於夫羅の単于就任が正式に承認されてから二日後、劉逞は再び宮城へと赴いていた。その理由は、皇帝からの要請である。皇族とはいえ今まで殆ど接点のない皇帝からの召喚であり、劉逞としては首を傾げざるを得なかった。しかし皇帝からの召喚である以上、応じないわけにはいかない。ゆえに劉逞は、こうして皇帝と謁見したのであった。
とは言うもの、この謁見は公的な物ではない。そのことを証明するように、この場には他に重臣などがいないのだ。流石に護衛の者はいたが、その数も決して多いとは言えないのである。しかも劉逞からすると意外なことだったが、宦官が一人もいない。そのような状況であったが為か劉逞は、劉宏の雰囲気に首を傾げて何とも言えない違和感を覚えていた。それがなぜかというと、まるで観察でもされているかのようだったからである。それであるにも関わらず、劉宏の浮かべている表情が朗らかなのである。それはまるで、値踏みでもしているかのような印象であった。
しかしいくら皇族であるとはいえ、皇帝となる劉宏に対して理由を尋ねるなどできる筈もない。劉逞は内心で首を傾げながらも、問われるままに皇帝との会話を続けたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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