第三十話~匈奴の政変~
第三十話~匈奴の政変~
中平五年(百八十八年)
常山国へと両親が戻ってから暫く、具体的に言えば同月の下旬となった頃のこととなる。程昱から劉逞へ、ある情報が届けられる。その情報とは、匈奴に対して行われた密偵からであった。
いかに右賢王であり単于羌渠と彼の実子である於夫羅との間で悪くはない関係を築けているとしても、匈奴は漢ではない。ゆえに劉逞は、情報収集の為に匈奴へ密偵を入れていたのだ。その密偵からの知らせを、程昱が持ってきたというわけである。知らせを受け取った劉逞は、その中身にいささか驚きの表情を見せる。その理由は、懸念されていたことが現実に起きてしまったからであった。
「そうか、羌渠が討たれてしまったのか」
「はい。残念ですが」
そこには、匈奴の単于である羌渠が討たれたことが記されていた。
元々羌渠は、匈奴の全てからではないにしても疎まれていた。だが彼も、単于就任当初から疎まれていたわけではない。そもそも羌渠が単于となったのは、寧ろ漢の側に理由があったのだ。羌渠は、先代の単于となる呼徴が亡くなったことで次代の単于に就任している。しかし呼徴が亡くなったのは、当時の使匈奴中郎将であった張脩との関係にあった。理由は分からないが、呼徴と張脩は非常に仲が悪かったのである。それこそ、張脩が呼徴を殺害してしまうぐらいに。
だが、張脩による呼徴殺害は完全に独断であり、漢の意向など全く考えられていない。それゆえに張脩は捕らえられ、死罪となっている。そして亡くなった呼徴の後継として単于となったのが、羌渠である。そのような経緯で単于となったこともあってか、羌渠は漢の要望によく答えていた。
羌渠は黄巾の乱の時にも、漢からの要請に従って兵を出している。そして今回の張純・張挙の乱についても、同様であった。だがこれは、匈奴国内の事情など全く無視して行われたものである。その為か単于就任当初と違ってこの頃となると、羌渠を疎んでいる者が匈奴内でも少なからずいたのだ。
無論、これは理由の一つでしかない。しかし匈奴にて欝憤が溜まっていたのは事実であり、ついにその欝憤が爆発した形であった。そして報告の通り羌渠は、彼を疎んでいた者たちによって殺害されてしまったのである。そして次代の単于として、於夫羅が継ぐことに匈奴内で決まったというわけであった。もっとも、匈奴は漢の従属国家となるので、単于就任には漢の皇帝から認められなければならない。しかし、余程の理由がない限りは認められないということなどまずなかった。
ともあれ程昱が言った通り羌渠が討たれたのは残念なことではあるが、それはあくまで匈奴の問題である。何れは於夫羅が、漢の承認を得る為に劉逞の元へ来訪するだろうと思われる。ゆえにそれまで、動く気はなかった。
「於夫羅が来れば、共に洛陽へ向かうことになるか」
「……ええ、そうですな」
しかしながら、程昱の様子がおかしい。何か気に掛かることが、あるように見受けられる。自身の軍師の一人でもある程昱の態度を見れば、劉逞も気にはなる。そこで、確証がなくてもいいから気になるならば言うように告げた。その言葉で踏ん切りがついたのか、程昱は自身が気になっていることを告げる。あくまで想像の域を越えないと、注釈しての進言であった。
「常剛様。兵を調えておいた方がよろしいかも知れません」
「……それは、どうしてだ」
「匈奴は、前任の単于である羌渠を討ちました。しかし彼らは、新たな単于としてその子である於夫羅を立てました。これがどうにも、腑に落ちないのです」
「血筋的には問題ないのではないか?」
「はい。ですが、於夫羅殿以外に候補がいないというならば我もそうは思いません。ですが、他にもいる筈なのです」
「それは……そうだったな」
実際、於夫羅の叔父に当たる人物もいるのだ。その点を考えれば、確かに於夫羅の単于就任は怪しいと言わざるを得ない。何せ羌渠を討った者たちからすれば、いつ於夫羅から意趣返しされるか分からないのだ。それであるにも関わらず於夫羅が新たな単于として就任したとするならば、そこに策略の匂いが感じられる。勘繰り過ぎるかも知れないが、警戒するだけならば損はない。もし何ら問題がなかったとしても、取り越し苦労だったとあとで笑い話の種になるだけだからだ。
「……分かった。情報共有する為にも、すぐにみなを集めるぞ」
「はっ」
急遽、主だった将が集められる。その場で、劉逞から匈奴で起きた政変について伝えられた。元々、匈奴の内部で部族間における燻りみたいなものがあったことについては彼らも知っていたので、その件についての驚きはない。しかし、劉逞のあとを継いで程昱から新たに於夫羅が指名されたことについては、首を傾げる者が何人であるがいたのである。その者たちが誰かといえば、盧植などいわゆる軍師級の者たちである。というか、盧植に董昭。それから、荀攸に田豊であった。
それ以外で言うと、武将の中でも若干数いる。それは、趙雲や夏侯蘭などである。しかし盧植たちのように不審に思ってというより、違和感があったからというのが理由であった。
ざわつく軍議の間であったが、そのうちに盧植が一歩進み出る。そして家臣を代表する形で、劉逞へ事の真偽を尋ねていた。
「常剛様。匈奴の新たな単于に推戴されたのが於夫羅殿とは、真なのですか?」
「うむ。少なくとも、報告ではその通りだ。子幹、そなたも不審に思ったのか?」
「はい。次の単于に於夫羅殿というのが、何とも」
「だから、そなたらを集めた。何よりその件に関連して、仲徳より兵を集めた方がいいと進言もあったのだ」
『え?』
『なるほど……』
劉逞の言葉に、違和感があった者を含めた将は驚きの声をあげていた。しかし、盧植など軍師を務められる者たちは納得したような声を上げている。面白いのは、驚きにしても納得にしても声が揃っていたことだった。つまるところ、将はそこまでの事態とは思っていなかったのである。一方で、盧植など軍師は今の事態が危険をはらんでいると認識していたということであった。
「子幹様、それほどなのですか?」
「うむ、文博。確実とまでは言えぬが、警戒するには十分ではあるだろう」
「子幹までもが怪しいと思うのだ、仲徳の進言を受け入れるのは吝かではない。とはいえ、まだ事態が起こっているわけではないのもまた事実だ。そこで、軍を集める適当な理由だが、何かあるか?」
「常剛様、訓練と称しておけばよろしいかと」
「訓練……妥当なところではあるな。では、そうしよう」
こうして、程昱が進言した通りに兵を集めることとなった。同時に劉逞は、并州刺史の丁原へ書簡を送っている。そこには程昱や盧植らが懸念した事態についての詳細が記されていた。その上で、并州刺史より并州の各太守への通達をお願いしておくのである。使匈奴中郎将として劉逞が行ってもいいのだが、并州刺史がいる以上はそちらから通達をして貰う方が筋も通るというものだ。
何せことは、匈奴だけの問題として収まるとは限らない。下手をすれば、匈奴がよからぬ動きをする可能性すら含まれているのだ。そしてもしそのような事態となったならば、侵攻の対象となるのは并州そのものとなるかも知れなかった。その場合、最初の危険にさらされるのがどこの郡になるか分からないのである。しかし、事前に用意できれば話は別である。その意味でも、刺史から通達して貰う方がよかったというわけであった。
なお、実のところ一番狙われる可能性があるのは使匈奴中郎将である劉逞である。つまり西河郡が、もっとも危険であると言える。だからこそ、程昱も兵を集めるまで進言したのだ。何はともあれ劉逞は、すぐに兵を集める命を出している。そしてこのことが、事実として劉逞を救うこととなったのである。そのことが分かるのは、もう少し先のことであった。
軍議が終わると、劉逞はすぐに準備へと移った。その第一歩として彼は、美稷へと移動していた。仮に匈奴が侵攻してくると仮定した場合、北からくることとなる。それに美稷は、本来使匈奴中郎将が駐屯する地である。劉逞は西河郡太守でもあるので郡治府のある離石にいることが多いが、通常ならば美稷こそが本拠地なのである。ゆえに彼は、美稷へ移動した上で訓練を行うとしたのだ。
劉逞が美稷へと入ってから一月も経った頃には兵も兵糧も揃ったので、実際の訓練に入っていた。名目上であるとはいえ、いや名目上であるからこそ訓練を行うのである。こうして訓練を始めてから半月もした正にその時、劉逞の元に危急の知らせが届く。その知らせとは、懸念していた匈奴による并州への侵攻であった。
どうやら程昱が予想した通りの動きを、匈奴は見せたようである。しかも彼らは、侵攻を行う前に単于へ任命した筈の於夫羅に対してもよからぬことを行った様子が見て取れていた。それは恐らく暗殺の類であろうとは推察されたが、確固たる証拠はないので追及は難しい。しかも匈奴は、於夫羅が急病で亡くなったとして代わりの単于を新たに擁立したのだ。
その新たに任命された単于の命として、あろうことか并州への侵攻が行われているのである。彼らの侵攻先は、前述した通り劉逞のいる西河郡だった。漢に反旗を翻す上でもっとも分かり易い相手として、使匈奴中郎将の劉逞が狙われたということである。これがもし完全に情報を秘匿できていたならば、この襲撃は奇襲となっていた。しかし劉逞は、警戒を怠ってはいない。しかも訓練を行っていたので兵と兵糧は揃っており、これでは奇襲となる筈がなかった。
劉逞は、すぐに軍議を開く。また、丁原へ改めて書簡を出して匈奴の動きを伝える。無論、朝廷に対しても同様の対応を行っていた。
「ご注進!」
「何だ」
軍議を開き侵攻を始めた匈奴への対応を決めているさなか、兵が飛び込んでくる。その者が伝えたのは、ある人物の来訪である。来訪といっても、平和裏に現れたというわけではない。取る物も取り敢えず、命からがらといった様子であった。その旨を知らされた劉逞は、即座に傍に控える崔琰へ命じてこの場に連れて来させていた。
できれば、休ませた方がよかったのであろう。しかし今は危急の時であり、具体的な情報を欲していたのだ。それから間もなく、崔琰に先導されて三人の男が軍議の間に現れる。そのうちの二人は、劉逞も見知った男であった。
「於夫羅殿、去卑殿。ご無事で何よりだ」
一人は、殺された羌渠の子で単于に指名されたはずの於夫羅である。そしてもう一人は、於夫羅と共に何度も従軍したことがある去卑であった。そして劉逞も知らない最後の一人が誰かというと、於夫羅の弟となる呼厨泉であった。
「な、何とか生き恥をさらしております」
「何を言われる。生きてこそ、次がある。そうではないか」
「……そう、ですな。ならばお願いがある、常剛殿! お力を貸していただきたい」
「無論だ、於夫羅殿。この常剛、喜んで力をお貸ししよう。まずは、進軍している反乱軍の撃破からだ。その後については、それから考えるということでよろしいかな」
「はい。よろしくお頼みします」
こうして劉逞は、於夫羅というある意味で大義名分を手に入れた形で、漢へ反旗を翻した匈奴と対峙することになったのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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