第三話~常山防衛戦~
第三話~常山防衛戦~
光和七年(百八十四年)
安平王である劉続を捕らえたあとで彼を討った黄巾賊だが、その後に彼らは鉅鹿郡を経由して常山国へと向かっていた。それでなくても鉅鹿郡は、張角がいることもあって勢が特に強い。そして現在も、弟の張梁が鉅鹿郡を落とすべく太守がいる廮陶へ向かって出陣しているぐらいであった。
その鉅鹿郡の北部を抜けた安平国で蜂起した黄巾賊は、高邑へ進軍する。既に冀州刺史が逃げ出していたということもあって、冀州の治府であるにも関わらず呆気なく落とされてしまった。彼らはそのまま進軍するかと思われたが、なぜだか分裂してしまう。普通に考えれば愚策以外何物でないのだが、それも仕方がないのかも知れない。どこまでいっても、賊は賊でしかないということだ。
無論、当初の目的である常山王の捕縛を完遂しようとしている者たちもいる。しかしそれは一部であり、他の町へ向かい略奪をと考えた者たちも少なからずいたということに他ならなかった。
この黄巾賊側の動きについての知らせを聞いた劉逞は、何とも複雑な気持ちとなる。これから当たる敵の数が減り分裂したことは、対峙前の情報としてはありがたかった。しかし分裂したということは、他の町や村が危険にさらされることと同義である。となれば、早々に常山国内へ侵攻してきた敵を蹴散らす必要があるからだ。
しかし、まずは高邑から進軍してくる敵を討伐するのが先決である。すぐにでも出陣した劉逞は、そのまま欒城へと移動した。欒城へ到着すると、郊外に駐屯して待ち構える。すると劉逞から遅れること数日の夕刻になると、漸く黄巾賊が到着した。
確かに兵数はそれなりではあるが、それとて分裂したことで兵が減っているからか脅威に感じない。しかも彼らには、軍の規律などがあるようには全く見えなかった。劉逞らと違って、陣なども敷いていない。その有り様は、取りあえず到着したから休んでいるといった感じにしか見えなかった。その様子を見て、実は罠ではないかと警戒したぐらいであった。
実際劉逞は、趙燕に命じて物見をさせている。そのような反応を示すぐらいだから、本当に罠を疑ったのだろうと思えた。果たして物見の結果はというと、見たままであった。それでも一応警戒ぐらいはしているようではあるが、到着した黄巾賊の者の大抵はただ座ったり寝転んだり雑談したりという具合である。つまり、どうみても休憩しているようにしか思えなかったのだ。
「……馬鹿なのか、それとも馬鹿にされているのか……子幹、そなたはどう思う?」
「単純に、休んでいるのでしょう」
「つまり、我らは馬鹿にされているということか」
「いえ、そうではないと思われます」
盧植の言葉に、劉逞は眉を顰めた。
敵を前にして陣を敷くでもなく、ただ休憩しているなど自身たちを敵だと思っていないからに他ならない。少なくとも劉逞は、そう判断している。それだけに、盧植から違うと言われて眉を顰めたのだ。
「ならば、何だと思うのだ?」
「恐らくですが、兵法を知る者がいないのでしょう。だからこそ、敵を前にただ休むなどということができるのだと思われます」
「…………」
盧植の言葉に、劉逞は絶句してしまった。
小規模、それこそ多くても数十人程度の戦いを幾度か経験し、そこで敵となった者を殺したこともある彼だが、こと戦に関しては初陣と言っていい。そんな戦の経験が非常に少ない彼であったとしても、敵を前にしてあのような碌に警戒もしないで休むなどということをしたいとは思わない。だからこそ彼は、しっかりと陣を作っていたし警戒もしていたのだ。
だが対峙する黄巾賊はといえば、あの体たらくである。しかも盧植の言葉通りなら、挑発などという策の為にしているわけでもない。進軍をしてきたから、文字通り疲れたから休みたい。ただそれだけなのだと言われては、呆れるより他なかった。
しかしそれは、彼らが油断しているということと同じである。ゆえに劉逞は、ちょっかいを掛けたくなっていた。とはいえ、大将が勝手に動くなど避けたいのも事実である。そこで彼は、盧植へ提案してみることにしたのだった。
「夜襲、仕掛けてみるか?」
「そうですな……よろしいかと」
師であり軍師でもある盧植の賛同も得られたので、劉逞は今夜にでも行うことにした。彼に命じられて夜襲を行う将の名は、程普という。幽州出身で郡役人となっていた人物だが、同じ幽州出身の盧植の推挙によって常山王家にと言うか劉逞へ仕えた人物である。また、同じ幽州出身ということで、盧植は韓当という人物も家臣にと引き入れていた。
その程普であるが、精鋭を率いた上で夜に紛れて進軍を行う。幸い月明かりもあるし、何より案内役として周辺の地理を調べた趙燕配下の者が同行している。それゆえに彼らは、迷うことなどなかった。軍を率いる程普にとってはとてもありがたいことに、これといった問題が発生することもない。実に呆気なく、彼は敵へ接近することに成功したのである。そして夜もふけた頃まで潜んだあと、ついに夜襲が行われたのだった。
これは完全な奇襲であり、しかも眠っている者が多い夜という条件も重なったことで襲撃を掛けられた黄巾賊は混乱してしまう。そんな敵に生まれた隙を劉逞が、何より軍師である盧植が見逃す筈もない。もはや軍の体などなく、ただそこにいるといった感じでしかない黄巾賊へ向けて、一斉攻撃を仕掛けたのだ。
黄巾賊は奇しくも挟撃を受けたような形となり、その事実を認識した途端に彼らは士気も含めて瓦解してしまう。しかし、彼らを見逃す気など劉逞は持ち合わせていない。彼らも確かに民ではあるが、同時に反乱軍でもあるからだ。ゆえに劉逞は、撃破後に間髪入れず追撃を命じる。家臣もそれに応え、敵の悉くを討ち果たしていくのであった。
首尾よく、常山国へ進撃をしてきた黄巾賊の主力を討つことに成功した劉逞ではあったが、それで常山国内が落ち着いたのかと言われれば必ずしもそうではないのである。それは言うまでもなく安平国より進軍してきた黄巾賊が、治府高邑を占拠したあとで分裂してしまっているからだ。とはいえ、彼らも完全に散り散りとなったわけではない。大きく分けて、三つに分かれているだけだった。
三つに別れた黄巾賊のうちで、一つは高邑から北へと向かっている。もう一つは、西へと向かったのである。最後に高邑に残った者たちが、先に劉逞が撃破した黄巾賊であった。
さて残りの二つのうち北へ進路を取った黄巾賊が向かう先には、平棘がある。そして、高邑の西には房子があった。彼らはそれぞれ、そこを目指して別れたというわけである。その別れた二派を討たない限り、常山国内へ侵攻してきた黄巾賊を鎮圧したとは言えなかった。
そこで劉逞は、軍を三つに分ける決断をする。一つは自身が指揮し、冀州の中枢となる治府がある高邑を占拠する。そして残りの二つは、それぞれ韓当と程普が指揮して、別れた黄巾賊を追撃する。元々、張角による武装蜂起が起きる前に各県長や県令へ知らせてある。その為、別れた黄巾賊の分隊が向かった地も防衛体制が調えられており、無防備ということはない。彼らが籠城するなりして時間さえ稼げれば、劉逞が派遣した軍によって打ち取ることができるのだ。これに関しては、盧植からもお墨付きを得ている。余程の予想外な事態が起きない限り、この対応で問題はないとのことであった。
三つに分かれた常山の軍勢において、一番初めにその役目を果たしたのは劉逞である。その理由は至極単純で、大将が率いる軍勢とはいえ隷下の兵が一番少ないからだった。何せ高邑から冀州刺史は逃げ出しているし、その後にその高邑へと入った黄巾賊の中で現地に残った者たちも既に劉逞に討たれている。つまり高邑は、殆ど空き城といっていい状況なのだ。
そこに漢のというか常山王の軍勢が現れたのだから、取り返すなど容易かった。何より黄巾賊の進軍から逃げるのも間に合わず高邑へ残っていた民から、劉逞は諸手を挙げて迎え入れられていたのだ。
とはいえ、ここからが問題でもある。まずは同地の治安を安定させなければならないし、同時に復興へも力を尽くさねばならない。とても頭の痛いところで、あるからだ。しかしながら、放っておいていい問題でもない。劉逞は、着実に一つずつこなしていった。
一方で韓当と程普が率いている軍勢ではあるが、盧植が予想した通りの状況となっていたのである。北と西に分かれた黄巾賊は、途中にある小さい村などを襲撃しつつそれぞれが目的とした平棘と房子に辿り着いていたのだが、目的地に近づくとそれぞれに進軍を停止していた。
その理由は、どちらも籠城して待ち構えていたからである。仮に首尾よく門を突破できたとしても、無事に中へと入らなければ、手に入る物も入らない。何より、城を落とさなければ、張角へ差し出すこともできないのだ。ゆえに彼らは、数に物を言わせた総攻めを始める。もっとも官軍のようにちゃんとした将に率いられているわけでもないある意味で有象無象な軍勢なので、彼らではこれぐらいしかできないというのが本当のところであった。
そんな雲霞のように攻め立ててくる黄巾賊に対して籠城側は、しっかりと守り城壁を超えさせていない。一向に城が落ちないことに苛つき始めた黄巾賊であったが、その苛つきもあるできごとがふりかかったことで一挙に混乱へと変貌してしまった。
それは言うまでもなく、劉逞の命を受けた二将が率いる援軍が到着したからである。そもそも簡単に落とせると思っていた彼ら黄巾賊であり、援軍が襲来するなど想定していない。そのような彼らの元へ本当に援軍が到着したとなれば、混乱しない筈がなかった。
さらに言えば、黄巾賊へ容赦する気などない。だからこそ房子に向かった韓当も、そして平棘へ向かった程普も果断に攻め掛かっていた。この時点で黄巾賊など、所詮は烏合の衆である。士気などあっという間に瓦解したばかりか、逃げ始める者も出てくる始末であった。
この時、今まで籠城していた守備隊も打って出ている。彼らは事前に派遣された劉逞からの使者によって、事前に知らされていたのである。だからこそ彼らは降伏も逃げ出しもせず、しっかりと守り抜いていたのだ。
平棘へ向かった黄巾賊は、散々に打ち負かされたあと必死に安平国へと逃げていく。そして房子へと攻め寄せた黄巾賊は、隣の并州との境にある山岳地域へとほうほうの体で逃げ込んだのであった。
「勝ち鬨を上げよ!」
奇しくも房子と平棘という全く違う場所で、大した時間差もなく勝敗が決したのであった。
無事に房子と平棘を守り抜いた軍勢が高邑へと戻ってきた頃には、月が替わっていた。
ここにきて、漸く朝廷の軍勢が動き始める。大将軍へ任じられた何進は、与えられた権限を用いて各地へ軍勢を派遣したのである。豫州へは右中郎将に任じた朱儁を派遣し、そして冀州には左中郎将に任じた皇甫嵩を派遣していた。
その頃、劉逞が何をしていたのかというと、趙燕に命じていた冀州内の情報を精査していたのである。
「やはり、廮陶が問題か」
「安平国も甘陵国も問題ではありましょうが、地理的に言って廮陶が一番でしょう」
廮陶は常山国隣の郡となる鋸鹿郡に属するのだが、その地は同時に鋸鹿郡太守となる郭典のいる治府となる。つまり、平たく言えば郡の中枢なのだ。張角が廮陶を落とす為にわざわざ弟を大将として派遣していることを考えれば、その重要度が分かるという物だろう。それにもまして廮陶は、今いる高邑からも近い。もし廮陶が陥落すれば、先の戦の仕返しとばかりに張梁が郡の境を超えて攻め込みかねない。いや、それどころか父親となる劉嵩やその妻を害するかも知れない。そのような事態を防ぐ為にも、劉逞としては廮陶を黄巾賊に落とさせるわけにはいかなかった。
「となれば、だ。ここは動くべきか……子幹はどう思う?」
「動くべきと愚考します。ですが勝手に動きますと、何かと文句をつけてくる輩もおります。そこで、左中郎将殿へ我らの動きを知らせておきましょう」
「それも……そうか」
何せ、派遣軍が動き始めたばかりでしかない。しかも冀州に派遣された皇甫嵩が率いる軍勢が向かうのは、鉅鹿郡の治府がある廮陶ではなく、広宗になるだろう。その地には黄巾賊首領となる張角がいるのだから、至極当然な話だと言えた。
もしかしたら援軍ぐらいは派遣してくれる可能性もあるが、それも過度に期待しない方がいい。ならば劉逞は劉逞で、対応するしかないのだ。
「いいだろう。左中郎将殿へ繋ぎを取りつつ、こちらも動こう。みんなを集めろ!」
「御意」
「失礼します!!」
今後の対応も含めてすぐに軍議を開こうとした劉逞であったが、そこに兵が飛び込んでくる。盧植が誰何すると、兵は手にしていた書状を差し出した。何かと思い劉逞が目を通すと、そこには救援要請が記されている。しかも差出人は、鉅鹿郡太守の郭典となっていた。先に述べたように彼は、鉅鹿郡太守である。そして、劉逞と彼は知り合いでもあった。
嘗ての旅の途中で、非公式という形であったが顔を合わせていたのである。その郭典の救援要請も、実は苦渋の決断であった。本来ならば派遣されてくる軍勢の大将となる皇甫嵩に対して救援要請を行いたかったのだが、彼を待っていては廮陶が落ちてしまう可能性が高い。それゆえ知り合いでもあり、かつ常山国へ侵攻してきた黄巾賊を蹴散らしたという劉逞へ救援要請を行ったのだった。
一方で助けを求められた劉逞だが、この好機を見逃す気などない。すぐに、行動へと移ることにした。まず、郭典が派遣した使者と顔を会わせるべく呼び寄せる。その後、連れられてきた使者の顔見た劉逞は、またしても驚いていた。その理由は、使者の顔も彼が見知っていたからである。
「お久しぶりです、常剛様」
「公仁殿! そなたであったか!!」
使者の名は董昭公仁といい、廮陶にて県長の役職にある人物であった。
劉逞と彼が知り合ったのは、郭典と同じ頃である。というか、同時に会っていたのだ。今回、彼が使者となった理由も知り合いだからである。全く知らない人物が使者となるよりも、知り合いの方がいいだろうと董昭が郭典に進言したことで生じた結果であった。
「常剛様! お願い致す。廮陶を、お救いくだされ!!」
「分かっている。要請に応えましょう」
「おお! 感謝致します」
元々その気であった劉逞は、すぐに要請を了承した。
だが、常山の全軍を挙げてというわけにもいかない。幾ら攻め寄せてきた黄巾賊を蹴散らしたとはいえ、他に黄巾賊がいないわけでもないからだ。そこで、程普と趙翊を常山国へ残すことにする。彼らに防衛に必要と思われる兵を預けて常山国に残すと、劉逞は使者であった董昭を伴って廮陶へ進軍を開始したのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。