第二十八話~管子城の戦い 三~
第二十八話~管子城の戦い 三~
中平四年(百八十七年)
管子城近くで対峙した劉逞と丘力居の軍勢は、対照的な陣を敷いていた。劉逞側は、敵を包み込むような布陣となっており、鶴翼の陣かもしくは横陣を敷いている。一方で丘力居率いる軍勢は、大将である丘力居が先頭に立っており、偃月の陣を敷いている。これは劉逞の方が率いる兵が多く、丘力居の方が少なく劣勢であった為であった。
味方の数が少ないことが分かっていた丘力居は、大将自らが吶喊することで乾坤一擲とばかりに大将である劉逞に的を絞ったのだ。少数が多数を撃破する上で、一番手っ取り早い方法ではある。しかし、そうした丘力居の意図は劉逞の軍師たちによって見破られてしまっていたのであった。
丘力居の布陣から、敵の意図を見破った盧植たちはいかな対応を取るか思案する。その時、劉逞に対し程昱がある進言を行った。その進言とは、敵を罠に嵌めることである。基本的に、劉逞側のような陣を敷いた場合、総大将が中央に陣取るのが常識である。しかし程昱は、その常識を逆手に取る提案をしたのだ。
「我が、中央にいないだと?」
「はい。丘力居の目標が常剛様にあることはお分かりかと思います」
「うむ」
「しかし、もし総大将たる常剛様の行方が分からないとなればどうなりますか?」
つまり程昱は、総大将となる劉逞の行方を敵からくらますことで、丘力居の意図を前提から崩す旨を進言したのだ。具体的には、本陣を示す旗を当初は掲げておかないのである。こうすれば当然、敵からも大将の行方が分からない。しかしながら総大将たる劉逞を討たねば勝ち目の見えない丘力居としては、どうしても首を挙げたい。となれば、ここは常識に従って大将がいる可能性が高い中央へと突撃を仕掛けるだろう。その時点で、劉逞の軍勢は、各所から本陣を示す旗を上げる。こうすることで、敵大将は別にしても率いる兵が混乱するのは必至であった。
このような状況となれば、どちらが有利かなど言うまでもない。兵数でも、そして士気でも上回る劉逞の方に軍配が上がるのは当然の帰結であった。
「……ふむ。仲徳の策は分かった。だが、策に嵌められたことが分かれば、丘力居もこれまでとばかりに死出の道連れを! などと考えるやも知れぬぞ」
「はい。ゆえに中央は、我が参ります」
「我が行こう」
程昱が策を提案した者の責任だと言わんばかりに自身が中央に布陣すると進言するが、同時にもう一人からも声が上がった。その声を上げたのは、并州刺史である丁原である。まさかの人物から出た言葉に、策を提示した程昱すらも驚きの表情を浮かべていた。
そもそも、程昱は誰かが声を上げるとは思っていなかったのである。だからこそ、策を提示した自分が名乗りを上げたのだ。しかし丁原が名乗りを上げたことで、その前提自体が崩れてしまっていた。
「……分かった。中央は建陽殿」
「常剛様!」
「そして、仲徳に任せる」
先陣争いというわけではないが、こういった布陣を決める際、言い出した者が勝ちという側面が無きにしも非ずといったところがある。その意味では、ほぼ同時に名乗りを上げた二人に権利があるとも言えるのだ。ならば、両者に任せればいい。劉逞は、そう考え二人に中央を任せることにしたのだ。
それに何より、軍の中央は大事である。たとえ策のためとはいえ、軍の中央を破られるといった事態は避けたいとの思いもある。となれば、中央を厚くすればいい。その意味でも、程昱だけでなく将兵を多量に抱える丁原を軍中央に配置するというのは、悪い話でもなかったのだ。
「よいな」
「ははっ」
「常剛殿、任せよ」
こうして軍中央を担当するのは、丁原と程昱に決まったのであった。
丘力居は、自らが率いる烏桓勢の先頭に立っていた。そんな彼の視界には、劉逞の軍勢が立ち塞がっている。しかし彼は、前日までの報告からそう判断しているに過ぎない。なぜかというと、通常は軍勢に立っている将を表す旗が見られないからだ。だがこうして対峙をしている以上、敵であるのはまちがいない。ならば事前に決めた通り、敵を粉砕するだけであった。それから間もなく、丘力居が先頭に立ち突撃を開始する。何せ烏桓は、騎馬兵が多い。当然ながら機動力は、劉逞の軍勢より上である。その烏桓兵が先に動くというのは、納得できるものであった。それに丘力居からすれば、どこに敵の本陣があるかの判断できない状況にある。となれば、通例に従わざるを得ない。それゆえに彼は、劉逞の軍勢の中央へと吶喊したのである。そしていよいよ、もう少しで接敵するという段になったその時、一斉に劉逞の軍勢から旗が立ち上がる。しかしその全てが、劉の軍旗であった。
「な、何だと!」
予想していなかった事態に、思わずと言った形で丘力居は馬の手綱を引いてしまった。流石に、騎馬民族の血を引く烏桓兵である。急制動しようとも、落馬するような者は出なかった。しかし代わりに、騎馬の持つ最大の特徴となる機動力と突進による攻撃力を失う形となってしまったのである。それは正に、劉逞側の想定した状況であった。
「今だ! 攻撃を仕掛けるのだ」
『おうっ!!』
劉逞の命に従い、旗下の軍勢が攻撃を掛ける。機動力と衝力を失った騎馬兵など、いい的でしかない。それでなくても、丘力居が率いる兵の方が少ないのである。一対一ならばまだしも、数人に囲まれて攻撃をされては、対処の仕様がなかった。そしてその事態を証明するかのように、戦場に怒号と悲鳴と気合が籠った声が木霊している。しかし怒号と気合が籠った声を上げているのは、殆どが劉逞の率いる兵である。代わりに烏桓兵があげているのは、殆どが悲鳴というか断末魔の声であった。ことここに至り、漸く嵌められたことに丘力居は気付く。その直後、彼は怒りのあまり怒髪天を突いていた。それは策に嵌ってしまった自身に対する思いと、策を弄した劉逞に対する怒りがないまぜになったものである。そのような丘力居に対して一人の兵が槍を突き出すが、彼はその一撃を避けると同時に一合の元に切って捨てていた。
「者ども、続け! このまま、仕掛ける!」
『はっ!!』
元々、大将の劉逞がどこにいるのか分からなかったが、このような状況では判断できる筈がない。ならばせめて、一人でも多く涅槃へ叩き込んでやろうと丘力居は考えたのだ。流石に、丘力居の周りにいるのは精鋭である。後の先を取られてしまったことである程度は討たれてしまったが、それでも生き残り動ける者は多い。その精鋭を従えて、丘力居は突撃を再開した。もはや、ほとんど死兵に近い者たちによる突撃である。その力はすさまじく、何と最前線を抜かれてしまった。だが、それだけでは目的を果たしたことにはならない。何としても、敵大将の劉逞を討たねばならないからだ。すると、丘力居の視界の先に面頬のような物を被っている男の姿が見てとれる。希望的観測を込めて大将だろうと判断した丘力居は、その男に肉薄するべく愛馬を走らせたのであった。
なお、面頬をしている男は劉逞ではなく丁原である。その丁原へ丘力居が肉薄しようとしたその時、一人の男が立ちはだかる。だが丘力居は、馬足を緩めることはしない。勢いのまま突進すると、立ち塞がった男を払いのけるように武器を振るっていた。
馬の突進力も加わった攻撃であり、普通であれば相手が払い飛ばされる筈である。万が一飛ばされないまでも、たたらを踏むことは間違いない。そんな未来を彷彿とさせる一撃であったのだが、攻撃を受けた男に訪れたのはそのどちらにもならなかった。何と立ちはだかった男は、手にしていた戟で丘力居の一撃を完全に受け止めたのである。その為か、丘力居の表情は驚愕に彩られていた。
「ば、馬鹿な……」
普通に考えれば、馬の方が人間より力が強い。その馬が生み出す突進力を加えてまで放った一撃を、受け流すならまだしも一歩も引かずに受け止めるなど信じられないことであった。およそ考えられない事態に、丘力居は次の攻撃を躊躇う。有り体に言えば、それは一瞬だけとはいえ対峙した男を恐れてしまったのだ。しかし、その一瞬だけでも思ったことが次の行動を決めてしまう。但し、実際に決めたのは丘力居ではない。彼の騎乗していた、愛馬であった。
自らに乗る主の恐れを敏感に感じ取ったその丘力居の愛馬は、主の身を慮るあまり目の前にいる男から距離をおくことを選択したのだ。それこそ狂ったように、丘力居の愛馬はその場より離れていく。その行動に我を取り戻した丘力居が手綱を引いたが、従う様子はない。丘力居の愛馬は口から泡を出しながらも、主を助ける為に馬は駆ける。その様相は殆ど暴走と言ってよく、とてもではないが制動できるような状況ではなかった。
そして立ちはだかった男も、足で馬に勝てるわけがない。そこで手にした戟で馬に一撃を当てて止めようとしたが、切っ先が馬の尻に浅くはない傷を作る。しかし丘力居の愛馬は、その傷にも頓着することなく走り続けたのであった。
「逃がしたか……っと、そちらは不味い!」
丘力居と彼の愛馬が人馬一体となって繰り出した一撃を真っ向から受け止めた男、即ち呂布はといえば馬が向かった先を見て慌てる。その理由は、丘力居が向かった先に本当の意味での本陣があるからである。慌てて馬に乗り追おうとするが、敵味方入り乱れておりとてもではないが追跡ができそうもなかった。
一方で程昱の策に嵌った丘力居の軍勢を次々と討ち取っている劉逞の元へ、急報が入る。それは、真一文字にこちらへ向かってくる小集団があるというものせであった。その報告に眉をしかめた劉逞であったが、何が起きるか分からないのが戦場である。すぐに彼は、迎撃する体制を調えていた。
それから間もなく、殆ど暴走に近い馬に乗る丘力居にかろうじて付き従っている一部の烏桓精鋭と劉逞率いる本隊が激突する。しかしながらこの攻撃は、劉逞の方が有利であった。それと言うのも、精鋭とはいえ烏桓兵が状況を完全に把握していないからである。それでなくても、丘力居が率いた兵数は多くはない。そのような状況で、十全に力を出すなど土台無理な話であった。
そして劉逞だが、このような事態を想定していなかったわけではない。流石に丘力居が率いているとは思っていなかったが、それでも敵の精鋭による攻撃がないとは微塵にも思っていなかったからである。想定外と思える事態と想定内と思える事態であれば、後者の方が対応は早い。しかも劉逞が率いる軍勢の中枢は、黄巾の乱が始まる前より劉逞や程普などが自ら鍛えた精鋭中の精鋭である。これでは、結果など火を見るより明らかであった。
幾許かの敵兵を道連れにしつつもそれ以上の損害を被りながら次々と討たれていく烏桓兵の中にあって、愛馬のお陰で何とか丘力居は生き残っていた。だがその幸運も、最後まで続くとは思えない。敵の精鋭に囲まれているということもあるが、何より跨っている愛馬の負っている傷の方が深刻なのだ。何せ主たる丘力居の代わりにこの馬は、自身の体を盾にしているようなものだからである。もし包囲網を突破せずに馬が倒れれば、そこで丘力居の命運は尽きる。だからこそ彼の愛馬は、命を懸けて敵勢の中を駆けていたのだ。
しかしながら、その献身とも言える愛馬の頑張りも流石に包囲を抜けるまでは持たない。ついには力を使い果たし、倒れてしまった。それでも馬は、丘力居を助ける為にどうにか立とうとする。だが、怪我とけがによる流血がおびただしく、もはや馬首を上げることしかできないでいた。
「もうよい。よく頑張った」
「ひひーん」
宥めるように愛馬の首を撫でる丘力居と、主に対して悲しそうな嘶きを上げる馬。その情景に、劉逞の兵は武器を向けて包囲こそ行っているが攻撃を仕掛けることはなかったのであった。
ここまで頑張った愛馬の馬首を撫でながら休むようにと言うと、丘力居は間もなく命が尽きると思われる愛馬に止めを刺すべく剣を添える。すると丘力居の意図を感じたのか、馬が抵抗することはない。その姿を目に焼き付けたあと、丘力居は愛馬に止めを刺したのである。それから静かに愛馬の目を閉じさせると、高らかに自身の名を告げたのであった。
「我は烏桓大人が一人、丘力居なり。我と思わんものは、掛かってくるがいい」
丘力居が喧騒渦巻く戦場において、隅々まで届くようにと自身の名を宣言する。その宣言を聞いて劉逞が進み出ようとしたが、彼の前に二人の男が立ち塞がった。誰であろうそれは、趙雲と夏侯蘭である。劉逞は下がるようにと視線で命じるが、二人は静かに首を振り拒否した。その態度に一瞬、力任せに二人を退かせようとした劉逞であったが、彼らの目を見た瞬間に思わず動きが止まってしまう。その理由は、趙雲と夏侯蘭の目に断固としてこの場は譲らないという意思が明確に映し出されていたからだ。劉逞は何度か声にならない声を上げようとしたが、声にはならず代わりに首を何度か振る。それはまるで、諦めたかのようであった。
「……して子龍、衛統。あそこで息巻いている男は、どうするというのだ?」
『我らのうち、どちらかが相手を致します』
「……分かった。そなたらに任せるとしよう」
幼馴染みであり、そして仕える主でもある劉逞にそう返した二人は、その場で二言三言だけ言葉を交わす。間もなく趙雲が相手することが決まり、夏侯蘭は引き続いて劉逞の守りにつく。その後、趙雲は静かに進み出ると丘力居の近くに立つ。そこで高らかに、名乗りを上げたのであった。
「劉常剛が家臣、常山の趙子龍なり! 我が、相手を致そう!!」
「おう。漸く出てきたか!」
そう言うと丘力居は、愛用の武器を構える。その構えに応える様に、父より送られた愛用の涯角槍を構える。戦場の喧騒からまるで切り取られたかのように静かに対峙した二人であったが、やがて丘力居が趙雲に向けて突進する。すると趙雲もまた、間合いを詰めるべく動きだしたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。




