第二十話~鮮卑来襲~
第二十話~鮮卑来襲~
中平三年(百八十六年)
年末まであと一月となった頃、ついに鮮卑が漢の国内へと侵攻した。
その鮮卑を率いている和連は、幽州に来寇しこの地を席巻したのである。この知らせが届くと、劉逞はすぐに兵を調えてから美稷へと移動を開始する。同時に、匈奴を率いる羌渠と并州刺史である丁原や并州各郡の太守へと連絡をしていた。
なお、なぜに劉逞が主体的に動いているのかというと、それには理由があった。本来ならば迎撃の軍を率いる役目を持つ筈の度遼将軍が、空位だからである。度遼将軍は、匈奴や鮮卑などの異民族を抑え監視するのが主な役目である。また、もし異民族が反乱など不遜な動きをしたら、軍を率いてこれを討伐する役目も併せ持っていた。しかし前任者は、劉逞が使匈奴中郎将を就任する少し前に解任されており、それ以降はなぜか任命されていない。その為、劉逞が代理のような形になっていたのだ。
話を戻す。
劉逞より知らせを受けた丁原は、太原郡を防衛するに必要な最低限の兵を残すと、守将には秦宜禄を任命。自身は残りの兵を率いて、美稷へと向かったのであった。とはいえ、太原郡と西河郡は隣同士である。さしたる時間も掛けずに、丁原は美稷へ到着していた。
「建陽殿。合力、感謝する」
「流石に、他人ごとではないのです」
それは、その通りだった。
幽州に侵攻した鮮卑の情報は、少しずつであるがこの并州にも届いている。彼らはそれこそ、根こそぎ持っていくかのような振る舞いである。幽州刺史や護烏桓校尉の公綦稠なども対応してはいるが、正直に言えば後手へと回っていた。
そのような鮮卑の侵攻だが、幽州で終わるとは到底思われていない。ほぼ間違いなく、并州へ移動すると考えられていた。并州刺史の丁原としては、幽州の二の舞は御免被る。何としても、鮮卑を撃退する必要があった。無論、劉逞もそのようなことは分かっている。彼とて、西河郡太守の地位にある。その意味では、丁原と同じ立場であったからだ。
同月の末になると、并州各郡の太守。それから、右賢王である於夫羅が兵を率いて美稷へと現れた。しかし并州各郡の太守は兎も角、於夫羅が率いていた兵数は決して多くはない。それというのも、匈奴内で燻っている単于に対しての不満が影響しているからであった。今さらだが、匈奴は漢へ服属している。それゆえに、正式な要請があれば断りきれない。実際、羌渠が漢からの要請を受けて送り出した黄巾賊討伐の際に派遣した援軍の規模は大きかったとされている。しかし匈奴の持つ国力を超えるような規模であったので、一気に国内で不満が溜まってしまったというわけであった。
そのような匈奴の現状を知っていた劉逞であり、実は今回の鮮卑侵攻に対して兵の当てにしてはいなかった。それでも匈奴へ知らせた理由は、拝命している使匈奴中郎将の役目だからである。それ以上は、期待していなかったのだ。しかしながら鮮卑の動きは、匈奴としても無視できるものではない。そもそもからして、匈奴と鮮卑は対立しているのだ。そのような鮮卑が幽州で行っている略奪の矛先を、匈奴へ向けないという保証はどこにもない。その為、知らせを受けた単于の羌渠は、こうして少なくても兵を送り込んだのである。息子の於夫羅に率いさせたのは、彼が劉逞と何度か顔を合わせていたからであった。
こうして急遽侵攻してきた鮮卑に対応する為に出来上がった漢と匈奴の連合軍であるが、総大将は劉逞が務めることとなる。并州刺史の丁原だと、匈奴に対する指揮権などを有していない。そして匈奴は、漢に服属しているのだから初めから軍の指揮権など考慮されていない。その結果、丁原と匈奴のどちらにも影響力を持つ劉逞が総大将となるのは、当然の帰結であった。
「ところで、常剛様。鮮卑の動きですが、いかが相成っていますか?」
「建陽殿。少しずつであるが、西に移動している。恐らくだが、来月に入れば并州に入るであろう」
劉逞と丁原と於夫羅が揃う軍議の場で、丁原から質問を受けた劉逞が現状分かっている鮮卑の動きを伝える。その報告を聞き、盧植や劉備。それから程普や韓当などは、表情を歪めていた。既に鮮卑の動きについて知ってはいたが、それでもいい気分はしない。彼ら四人は幽州出身者であり、故郷が受けている被害の報告だからだ。
彼らも本音では、すぐにでも幽州へ行きたいのである。しかし劉備以外は劉逞に仕えており、その劉備も使匈奴中郎将の従事を拝命している。そのような彼らが勝手に幽州へ向かうなど、許されない立場にあったのだ。
「して、いかがいたしますのか」
「手は打ってある、仲徳」
「はっ」
劉逞に指名された程昱が一歩進み出ると、地図を指し示しながら策の説明を始めた。
彼の述べた策とは、鮮卑を誘引して損害を与えるというものである。鮮卑の動向から察するに、并州へ入るのは雁門郡からで間違いはない。そこで迎撃の為に出撃するが、その際に兵糧の集積地をあえて鮮卑へ流すのだ。勿論、これは鮮卑を誘引する為であるので実際にその場所へ兵糧を配置するつもりはない。鮮卑を騙す為に幾許かの兵糧を置くが、全体からすればとても微々たる量でしかなかった。
何ゆえにこのようなことをするのかというと、鮮卑の捕捉が難しいからである。彼らは、騎馬民族であるという特異性をいかんなく発揮して、それこそあちこちに襲撃を掛けているのだ。それゆえ、彼らの襲撃という知らせがあった地へ急行しても、到達した頃には既にいない。だから、これだけの被害が生まれてしまったのである。別に幽州刺史や各郡の太守が、無能だからというわけではないのだ。ゆえに程昱は、このような策を献じたのである。この誘引策に嵌り、鮮卑が現れたところに奇襲を掛けるのだ。機動性さえ封じてしまえば、討つことも難しいわけではない。さらに言えば、陣という限定された領域に閉じ込めているのだからなおさらであった。
「ふむ……悪くない」
「建陽殿。鮮卑は、ほぼ間違いなく策に掛るであろう。して、異存はないな」
『はっ』
丁原と於夫羅の同意を得られた劉逞は、早速にでも鮮卑撃退の為に軍を動かしたのであった。
幽州へと侵攻した鮮卑を率いる和連は、劉逞が軍議で述べたように西へ西へと移動しながら略奪を繰り返していた。この略奪では、韓当の故郷となる遼西郡や程普の故郷となる右北平郡も被害を受けている。しかし盧植や劉備の故郷となる涿郡での被害は、先の二郡に比べればかなり抑えられている。それでも被害が全くないわけではなく、少ないなりにも被ってはいるのだ。
勿論、幽州で何もせず座して見ていたわけではない。各郡の太守や幽州に配されている護烏桓校尉なども迎撃に奔走していたが、前述したように遊牧民族である鮮卑の移動速度の前に翻弄されていたのだ。何せ、報告受けて向かってみれば既に移動しているという事態の方が多いのである。時には間に合うこともあったが、襲撃の回数を考えれば微々たる数でしかなかった。そのことに彼らも悔しがるが、間に合わなければ意味がない。結局、被害だけが積み重なっていった。
こうして幽州を散々に荒らした鮮卑は、幽州の西の端となる代郡から隣接する并州の雁門郡へと入る。それから間もなく、和連は劉逞を筆頭とした漢の軍勢も雁門郡へ入っているという情報を掴んでいた。しかし、そのことに怯むことなどない。それは幽州での略奪成功が、大きく影響していた。一応、被害も受けてはいるが、そのようなことなど霞むぐらいの利益を得ている。所詮、軟弱な漢などこのようなものだと彼は奢っていたのだ。
そんな和連の元に、さらなる情報が入ってくる。その情報とは、劉逞の兵糧が置かれている集積地についてであった。この情報を聞いた和連は、大いに哄笑する。何せこの兵糧を得られれば、さらなる戦利品となるからである。幽州で得た分も併せればかなりの量になり、そうすれば彼を侮蔑する味方に対しても大きな顔ができるというものだからだ。
しかも敵の兵糧を得られれば、相対的に劉逞が率いる軍勢の士気が落ちる。そこを襲えば、戦利品の上積みも可能なのだ。それゆえ和連は、何としてもこの兵糧を得るという決意を表していた。また、彼に従う鮮卑にしても、戦利品の上積みという魅力には耐えられず賛同してしまう。だがこれらの情報は、前述右したように劉逞が意図的に流した偽情報である。こうして和連以下鮮卑は、至極あっさりと仕掛けた策に嵌ってしまったのであった。
得られた情報を頼りに劉逞の兵糧があるという場所へと赴いた和連率いる鮮卑は、夕刻となった頃に陣が設えてある場所近くへと到達した。夕日に照らされたその陣は周囲を堀に囲まれており、柵も作られている。入り口に相当する箇所も東西に二か所しかなく、中々にしっかりとしたつくりの陣であった。その様子から、もし事前の情報と違っていたとしても、劉逞にとって重要な場所であることを和連は推察する。その上、前線から離れているからであろう。陣の警戒も緩く感じられ、兵も決して多いとは言えない。それはまるで、襲ってくださいと言わんばかりの陣であった。
「これは好機! ものども、征くぞ!!」
『応!』
「掛かれー!!」
嬉々として命じる和連に従う者たちからも、同様に嬉しげな雰囲気が溢れる。その感情に従って、鮮卑たちは自ら操る馬を駆け出していた。
しかしこの襲撃は、すぐに陣を守っていた将へと知らされる。事前に分かっていたことなので、鮮卑が襲ってきたことに彼は勿論、兵も慌てはしない。しかしながら、奇襲を掛けられたとしなければならない。ゆえに陣を守っていた将兵は、実に下手な演技をしながら陣から逃げ出していったのであった。
そんな敵の様子を、鮮卑を率いる和連は蔑みながら見ている。追い掛けたくもなるが、少数を追ったところで大した戦利品は得られない。そのような無駄のことをするよりも、目の前にある陣にある戦利品を確保する方が遥かにましである。だからこそ、和連も彼の率いる鮮卑の軍勢も逃げる敵を追わず陣へと入って行ったのだ。
そのような和連たちに対して、劉逞たちはといえばじっと隠れて報告を待っていた。鮮卑たちの動きについては、趙燕の配下によって監視されている。あとは和連ら鮮卑が陣へと入ったという情報が入り次第、動き出すだけであったのだ。
「常剛様。和連以下、陣へと入りました」
「そうか。趙燕、建陽殿へは既に知らせてあるな」
「はい」
趙燕の言葉を聞き、劉逞は頷く。それから隠れている将兵へ、進撃を命じた。その直後、劉逞旗下の兵が動き始める。それは、別の場所に隠れている丁原も同様である。彼もまた、旗下の兵を動かしたのであった。
動き出した劉逞と丁原は、それぞれ騎馬を中心にした者たちが先行している。彼らの役目は、鮮卑たちに直接的な損害を与える為ではない。では何が目的かというと、東西にある陣への入り口に掛かっている木の橋を焼き払うことであった。和連たちが占拠した陣は前述した通りしっかりと作られており、陣の周りにある堀も深いので守りという意味では堅いと言っていいだろう。だがそれらの事象は、裏を返すと陣から逃亡を図りにくいということでもあった。
つまり、二つの入り口に掛かっている橋を落としてしまえば、陣から出ることは一気に難しくなるのだ。しかも、陣には兵糧はそれほど多く置いているわけではない。前述したように陣自体が策の一環でしかないので、兵糧などといった重要な物資を真面目に備蓄するわけがないのだ。そして和連たちも略奪を目的としていた為に、移動の足かせとなる今までの戦利品を護る者たちとは別れて行動している。この状況で陣に閉じ込められれば、たとえ襲撃から生き永らえたとしてもどのような結末が待つか改めて考えるまでもなかった。
『撃てー!』
矢が届く射程まで到着した騎馬隊は、一斉に火矢を放つが陣の外側までしか届かない。堅牢な陣に到着したことで安心もあった鮮卑たちは、劉逞たちの騎馬隊を笑い飛ばしている。彼らからすれば、奇襲であったにも関わらず殆ど損害を与えられない攻撃だったからだ。しかしその余裕も、橋が落とされるまでであった。
陣と外を繋ぐ橋に火矢が幾つも刺さり、間もなく炎に包まれる。そして時を経たずして、件の橋は音を立てて崩れていった。ことここに至って、彼らも漸く自分たちがいかなる状況に追い込まれたことを認識したのである。だからといって、彼らに何かができるのかと言われればできないとしか言えなかった。
陣の外へと繋がる二つの橋が落ちたことで閉じ込められた彼らは、最大の武器とも言える騎馬を利用した攻撃を封じられている。馬を捨てて陣を守る柵を乗り越えることはできるが、よしんば乗り越えたとしてもその先には深い掘がある。どうやっても、彼らが無事に逃げることなど難しかった。
この事実を認識した途端、つい先ほどまで優越に浸っていた筈の鮮卑たちは混乱に陥ったのである。もはや彼らに、組織だった行動など期待できない。それゆえに彼らは、逃げ道が非常に少ない陣の中でてんでばらばらに行動を始めていた。
劉逞たちは、鮮卑たちの様子など全く頓着せずに攻撃へと移っている。現状、鮮卑から攻撃されることなどないだろうが、それでも警戒は怠らなかった。それを証明するように、郭泰ら白波衆の者たちが矢避けの盾を構えつつ慎重に陣へと近づいていく。やがて彼らが持つ弩の射程へ入ると、騎馬隊が焼き落した橋があった陣の東西から一斉に攻撃を始めたのだ。
劉逞たちだが、初めから突撃して陣に突入する気などさらさらない。今や袋のネズミとなった鮮卑たちに惜しみなく矢を放ち、針鼠にするつもりだった。その目論見に従って、次々と弩から矢が陣へと放たれていく。鮮卑の中には、自前の弓で反撃する者もいたがそのような行動をとれた者など極僅かでしかない。殆どの者は、反撃すらできずに射殺されていく。無論、それは反撃に転じた僅かな鮮卑の者についても変わりはしなかった。
「ふ、ふざけるな!! 我は、こんなところで死ぬような男では……がっ!」
次々と襲いくる矢の雨の中、喚きながら必死で死地である陣から逃げ出そうとしていた和連であったが、そのようなことはかなり無理がある。実際に彼は逃げることも能わず、慌てふためく彼の額に矢が刺さってしまう。その直後、彼は大きく目を見開き硬直する。そして動きが止まった和連に対して次々と矢が刺さり、ついには彼も絶命したのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。




