第十六話~駆逐~
第十六話~駆逐~
中平三年(百八十六年)
丁原からの返答を受け取った劉逞は、それから間もなく廮陶より出立した。そのまま北上して常山国に入ると、元氏の両親を尋ねる。并州西河郡へ赴任する前に、一度顔を出そうと考えたからであった。どのみち、常山国の西にある山岳地域にいる黄巾賊の残党を丁原と共に討つつもりであり、一時的な拠点として常山国内の西にある上艾に駐屯する予定である。その旨を改めて伝えるという意味合いもあって、挨拶も兼ねて両親へ顔を出したのだった。
劉逞と両親の再会は、崔儷との婚儀から数えておよそ四ヵ月ぶりである。息子である劉逞からすると四ヶ月程度でしかないが、やはり両親となると違うらしく二人とも笑顔である。特に母親が、とても嬉しそうであった。
内心で劉逞は「旅から戻った時もそうだったな」などと考えていたが、あえて口にすることはない。代わりに并州へ使匈奴中郎将として赴くことと、山岳地帯へ逃げ込んだ黄巾賊の残党を討つ為に丁原と歩調を合わせて攻める旨を伝えていた。そのとても事務的な反応に、母親が寂しそうな表情を浮かべる。しかし父親の劉嵩は違って、真面目な表情となっていた。
「上艾を拠点にするのだったな」
「はい。父上」
「話は通してある。存分に働くがいい」
「はっ」
とはいえ、一旦并州まで赴けば次はいつ戻ってこられるかも分からない。今までのように同じ州内にいるわけでもないし、何より并州は冀州より危険なのだ。そこで、戦の前の休暇も兼ねて数日程、留まることにする。これには母親が喜色を表し、出発までの間は捕まっていた。その為か、元氏から出立する際、劉逞は少しやつれ気味であったという。
何であれ元氏より出発した軍勢は、無事に上艾へ到着する。そこで彼は、丁原の使者と会うこととなる。しかしてその者は、劉逞にとっても懐かしい人物だった。
その者は高順と言って、丁原の配下である。そして彼も、劉逞が丁原のところに寄った際に知り合った者でもあった。その高順だが、清廉潔白で厳格な性格をしている。そして酒もたしまないので、丁原が使者を派遣する場合には彼を指名することが多かった。
「そなたが来たということは、建陽殿の使者と考えていいのだな」
「はい。建陽様は、既に晋陽を出立しております」
「随分と早いな」
「最近は、鮮卑の対応などで忙しいものでして」
その言葉で、劉逞は納得した。
前述した通り并州は、黄巾賊残党対応や場合によっては鮮卑への対応がある為に臨戦態勢に近い。つまり、いつでも将兵を動かせる状態にあったのである。そこに劉逞からの要請が来たのだから、動くまでが速いのは道理であった。とはいえ、丁原とて動き始めてから間もない。どうしたところで暫くは、時間が掛かるのであった。
丁原からの書状に納得した劉逞は、高順へ渡す書状を認める。その書状を受け取ると、彼は上艾より出立して丁原の元へと戻って行った。使者となる高順を送り出した劉逞は、書状に認めた通りいつでも動けるようにと準備を調えた。同時に密偵を派遣して、標的となる黄巾賊残党の情報を集めさせたのである。やがて戻ってきた密偵からの情報によれば、黄巾残党の数自体は嘗て撃退した頃よりは減っているようである。敵が減っていること、それは有難かった。
「しかし、本当に博陵郡での戦が役立つことになるとは。流石だな、子幹」
「役立たない方がよろしかったのですが」
博陵郡の戦とは、今は平難中郎将となっている張牛角との戦のことである。この時に劉逞は、盧植からの諭されたこともあってある意味で山賊のというか山岳地域においての戦い方を学んだのである。勿論、敵相手に教えて欲しいなどと馬鹿正直に言ったわけではない。山賊を多数束ねていた張牛角と戦うことで、いわば実地で学んだのだ。そして今回の戦場となるのは、間違いなく山岳地域となる。博陵郡で得た経験が生かせる、絶好の機会でもあった。
「そうだな。だが、知らないよりはやり易い」
「その点は同意致します」
それから暫くした頃、漸く丁原が到着する。その丁原へ劉逞は密使を出して、待つ間に散々調べていた情報を提供した。その得られた情報に従い、丁原も動くことになる。その為、劉逞も丁原も合流はせずにそれぞれが独自に兵を率いている。なぜかと言えば、元黄巾賊で今は山賊の標的が、大きく二つに分かれていたからであった。
この事実を把握した時、劉逞は驚きそして安堵する。彼が驚き安心したのは、黄巾賊残党が集合していなかったことに対してである。もし単独で彼らと相対していた場合、手が足りなくなる可能性があった。しかし丁原の兵力もあるので、それぞれが相対すればいい。これであれば、十分に対応できるのだ。このことは、丁原としても同じである。結果として、お互いを補完している形となっていたからだ。
「何が幸いするか分からん。まさか、このような事態になるとは」
『確かに』
思わずこぼした劉逞の言葉に、彼の家臣や従事の職にある者たちは揃って頷いたのであった。
冀州と并州の境となる山岳地域にある砦のような建造物、つまりは元黄巾賊の者たちによって建てられた拠点である。といっても、国が作るような本格的な砦ではない。それでも、ないよりは遥かにましといえるものであった。しかもその拠点は、先に述べたように二つに分かれている。小さいものならば他に幾つかあるが、今回はとりあえず無視をする。まずは、主力を討つことに重点を置いていたからであった。
無論、襲っているのは劉逞と丁原が率いている軍勢である。標的とされた元黄巾賊の山賊も、劉逞と丁原の軍勢が近隣に駐屯していたことは流石に知っていた。しかし、まさか二つの拠点が同時に襲われるとは夢にも思っていなかったのである。しかも二人は、共同戦線を張っている。それだけに漏れが少なく、黄巾賊残党は逃げていたが大抵は捕縛されるか討たれるかしていた。
勿論、全ての者がそのような状況に陥ったというわけではない。前述したように小さな臨時の駐屯場所にいた者もいるし、何とか網をかいくぐって逃げ遂せた者もいるからだ。しかしそれは、全体から見れば僅かでしかなかった。
「お頭! もう、どうにもなりません!!」
「いいから、さっさと逃げろ!」
『へい!』
大きく二つに分かれたとはいっても、元は同じ集団である。その為、拠点同士は繋がりを持ち続けていた。だからこそ多少なりとも状況を把握できていたのだが、こうも同時に襲われてはその繋がりも生きてはこない。彼らにできることは、生き残る為に必死に逃げることだけだった。
しかし、その者たちも執拗に追撃を受けている。こうなっては、さらに山深い地へ逃げるしかない。流石にそこまで逃げられては、劉逞や丁原であっても諦めるしかないからだ。だが、それで助かるかと言われればそこは運次第となる。何せ山深くまで逃げれば、そこは野生動物の領域となる。今までは、集団でいたことと砦擬きを築いて拠点としていた。そのことで、野生動物からの脅威からも逃れていたのである。だが少数で山深い地に侵入すれば、どのような結果となるかは推して知るべしでしかない。それでも、軍勢から逃げるにはその選択を行わないわけにはいかなかったのだ。
こうして、劉逞や丁原の率いた将兵からの魔の手を辛うじて逃れた元黄巾賊も、野生動物の餌食となりほぼ壊滅したのであった。
黄巾賊残党の砦を襲撃し、彼らを捕縛なり討つなりしてほぼ壊滅させた劉逞と丁原は、ある場所にて会合を果たしていた。その場所とは、黄巾賊残党が拠点としていた砦擬きの一つであった。
「婚儀以来です、常剛様」
「建陽殿も壮健で何よりだ」
「そうは申されますが、我も髪に白髪が混じり始めました」
「何を言う。まだまだ、若い」
確かに顔を見れば皴もあるし、本人が言う通り髪にも白いものが混ざって入ることが分かる。だが、その体つき見ればまだまだ頑健そうであり、十分現役で通用するのは間違いない。実際、彼は自身が軍勢を率いて砦を一つ落としていることがその事実を証明している。それだけの活躍ができるのだから、老いからはまだまだ遠いと言っても差し支えはなかった。
「ははは。誉め言葉として受けておきましょう」
「お世辞では、ないのだが」
「そうでしたか。それならば、嬉しゅうございますぞ」
その後、彼らは現在いる砦ともう一つの砦に兵を分けて駐屯させる。そこで数日ほど留まって、戦いの疲れを癒す。その後、丁原の先導で晋陽へ向かうのであった。
なお劉逞の赴任する西河郡は、太原郡の西になるの。どのみち劉逞も晋陽に向かうことになるので、并州刺史と共に向かうのは都合が良かった。
晋陽へと向かう途中で黄巾賊残党の復讐などといったことなどなく、無事に治府のある晋陽まで到着する。郊外で兵を駐屯させた劉逞は、兵を韓当と程普に任せると残りの将と少数の護衛を連れて丁原の元へと向かった。本来ならば、韓当と程普も連れて行きたいところなのだが、流石に率いてきた兵を放っておくわけにもいかないのである。そこで副将の韓当と彼の補佐として程普の二人を残し、残りの者は劉逞と共に晋陽へ赴いたというわけであった。
そして赴いた理由だが二つあり、一つは西河郡へ向かう前に改めて并州刺史である丁原に挨拶をするというものである。しかしそれ以上にもう一つの理由となる、歓迎の宴を開いてくれるという事案があった。
こうして開かれた宴であるが、劉逞の連れてきた将たちは丁原の将たちと親睦を深めている。特に嘗て旅をしていた際に同行していた趙雲や夏侯蘭、張郃や関羽は顔見知りであり、彼らと旧交を温めていると言ってよかった。その一方で劉逞は、丁原と話している。彼は、歓迎される側の長となるからだ。
二人は、劉逞が故郷の常山国へ戻る為に晋陽を離れてからのことを話していた。その中には当然、鮮卑のことや黄巾賊に関する事がらもあった。それによれば、冬近くになると鮮卑の活動が活発化する。その為、これからが侮れないとのことだった。
「それと、黄巾賊の残党か」
「ですが今回の一件で、太原郡と上党郡は大分楽になり申した。その分は他に回せることを考えれば……いや。まだ、あ奴らがおるか」
「あ奴ら?」
「ええ。しかも、常剛様の向かう西河郡です」
実は西河郡には白波谷と呼ばれる場所があり、その地を拠点として構えている者たちがいる。地名からか、彼らは白波賊と呼ばれている。その勢力は、今や平難中郎将となっている張牛角には及ばないまでも、決して軽んじることはできないものとなっていた。しかも彼らは、嘗て張牛角とも繋がりを持っていたようであり、その関係からか黄巾の乱の頃は黄巾賊に加担している。しかし張三兄弟も討たれ、張牛角も漢に帰順した以降はわざわざ黄巾を名乗るようなことはしなくなっていた。しかし、彼らが今でも漢に反抗する賊であることも変わりがなかった。
「ほう。平難中郎将殿との繋がりか」
「ええ。一応、中郎将殿へ確認はしました。嘗て繋がりがあったことは間違いないとのことです。ですが今はその繋がりも断たれているようで、詳しいことはよく分かりませぬ」
「しかし、建陽殿が警戒するぐらいなのだから手強いのだろうな」
「それは、間違いなく」
その時、劉逞は純粋に彼らを欲しいと思った。丁原や彼が率いる将兵の強さは、よく知っている。その彼らをして手強いというのだから、決して侮れない相手ということだ。逆に言えば、味方に付けることができれば頼もしいことは間違いない。これから鮮卑との戦があるのはほぼ間違いないと判断している劉逞からすれば、強い味方は多いに越したことはないのだ。
「ふむ。どのようにすればよいか……」
「いかがされました、常剛様」
「あ、いや。何でもない」
「そうですか。なれば、このような話はもうやめましょう。今は宴の席にございますれば」
そう丁原が言うと、一人の女性が劉逞の盃に酒を注いだ。その時、劉逞はその女性に違和感を覚える。それは、どこかで見たことがある気がしたからである。それに、女性の持つ気配もどこか知っているような気がしていた。
思わず女性を見詰めてしまった劉逞だったが、その視線に気づいたのか顔を上げてくる。年の頃なら十五歳前後、といったところだろうか。だが、このような宴席に出るにはいささか若いと思わないでもない女性である。するとその女性は、小さく笑みを浮かべた。その瞬間、劉逞の脳裏にある笑顔が浮かび上がる。その笑顔を浮かべているのは、十歳ぐらいの女の子と言っていい存在であった。
「もしかして、香姫殿か?」
「はい! お久しぶりにございます。常剛様」
とても嬉しそうに返事をした女性、それは劉逞も知っている。彼女の名は丁茜香姫といい、丁原の娘となる。彼女は劉逞の婚儀の際には廮陶へ訪れておらず、実に三年ぶりの再会であった。
「お気づきになられましたか」
「しかし、建陽殿。何ゆえこの場に息女を?」
「娘から頼まれました」
劉逞が丁原の元で一時的に世話となっていた頃、彼女はまだ十一であり子供と言ってよかった。しかし三年も経ち、だいぶ女性として成長している。まだまだ大人の女性とは言い難いが、それでも三年前に比べれば大分違っていた。
「奇麗になられたな、香姫殿」
「そ、そんな……お恥ずかしゅうございます」
「ところで香姫殿、おてんばは相変わらずか?」
小さく頬を染めていた丁茜であったが、劉逞の言葉を聞いた途端、頬は赤いまま膨らませていた。その様子に、劉逞もそして父親の丁原も笑い声をあげていた。
それというのも丁茜は、父親の影響からか武の嗜みを持っていたのである。劉逞たちがいた頃は、手合わせを何度も申し込んできたのだ。劉逞たちは勿論、丁原の家臣である呂布たちも負けるわけがない。それでも彼女は、何度も手合わせを申し込んでいたのであった。
そのような頃のことしか印象にない劉逞であり、彼がそういうのも無理らしからぬことである。しかし言われた丁茜からすれば、むくれるに十分であった。
「失礼にございます、常剛様」
「すまぬ。これは、我が悪かった」
おどけたような雰囲気を醸し出しながら、劉逞が詫びを入れる。すると、丁茜も丁原も噴き出したように笑い声をあげたのであった。
因みに丁茜だが、今でも武を嗜んでいる。それもまた、事実であった。
本編中に出た丁原の娘ですが、独自のものですのでご了承ください。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。