第十五話~并州へ~
第十五話~并州へ~
中平三年(百八十六年)
正式に使匈奴中郎将の印綬を受け取った劉逞であったが、趙雲や夏侯蘭など同行した者たちが待っている控えのままで戻った頃には、いささか微妙な表情を浮かべるようになっていた。その理由は、言うまでもなく今回の出世話である。前述したように悪い話ではない、それは事実である。しかし同時に、何とも言えないモノが胸の中に渦巻き始めていたのだ。
盧植の一件もあって、当初警戒した十常侍からの難癖ではない。その為か、毒気を抜かれたというのが正直な気持ちであった。しかしあの十常侍が、そう簡単に諦めるのかという思いが少しずつ胸の内で鎌首を持ち上げてきたのである。とはいえ、今回の出世話が十常侍の一件と結びつくとは思えないでいた。しかし、この短時間では答えなど出せる筈もなく、控えの間まで戻ってきてしまったのである。部屋に入ると、趙雲や夏侯蘭から祝福を受ける。だが、祝福を受ける劉逞の表情は、喜び一辺倒ではなかった。どうしても、胸の内に芽生えた十常侍に対する懸念が拭えなかったからである。その為、祝福を受ける劉逞の表情は喜びと不審がないまぜになったかのようになっていた。
すると、そのような表情を浮かべていることに気付いたのだろう。程昱が、劉逞へ話し掛けたのであった。
「常剛様、いかがなさいました?」
「いや。こたびの使匈奴中郎将への就任なのだが、どうにも裏があるような気がして納得がいかぬのだ」
その言葉を聞いて、趙雲や夏侯蘭は不思議そうな表情をする。校尉からさらに上の、中郎将である。しかも使匈奴中郎将は、匈奴との関係もあり重要な職責なのだ。確かに任地は并州となるが、間違いなく出世と言っていいだろう。それだけに二人は、不思議と思えてしまっていた。
「なるほど。常剛様の懸念は分かりました、流石ですな」
「……仲徳。それはやはり、何かの思惑が絡んでいるのか!?」
「はい。十中八九、裏に十常侍の思惑が絡んでいるでしょう」
流石は程昱である。彼はほぼ完ぺきに、十常侍の思惑を見抜いたのだ。だが、切っ掛けが宋典の嫉妬だとまでは分かってはいない。幾ら何でも、そこまで見抜くのは無理であった。
しかし程昱は、劉逞という急速に力を伸ばし始めた存在を十常侍が疎ましく思ったこと。そしてその力を削ぐために、并州へ追いやることなどを劉逞へ説明したのであった。
「またか! あの玉……」
『常剛!』
思わず「玉無しども!」と言いそうになった劉逞だったが、そこで趙雲と夏侯蘭が止めに入る。ここは宮中であり、どこに十常侍の目や耳があるか分からないからだ。思いの外鋭い幼馴染みの言葉に劉逞も、慌てて口を噤んだのであった。
「……と。すまん」
「いや、気を付けてくれ」
「そうだぞ」
「分かった。とはいえ、気分が悪くなる。しかし、命である以上は致し方ない。并州へ向かうとするぞ」
『承知』
さてこの使匈奴中郎将だが、属官を二人ほど付けることができる。だがこれは平時の場合であって、有事の場合は人員を増やすことができることとなっていた。そして今の并州は鮮卑の蠢動もあってほぼ有事であると認定されている。そこで、従事は三名まで許可された。但し、そのうちの二人は朝廷から派遣される。劉逞が選べるのは、一人だけであった。そこで劉逞は、選べる一人を昔馴染みの公孫瓉と考える。彼の持つ、騎馬隊を上手く操る技量を期待してである。しかし、その願いが届くことはなかった。
これは別に、十常侍が邪魔したとかではない。ただ単純に、公孫瓚がその要請を受けることができない状況にあったからだ。と言うのも、彼は涼州に赴いているのである。それは、まだ張温が涼州で左車騎将軍であった頃の話であった。
張温が涼州の地に向かうとなった頃、公孫瓚は涼州へ向かう将として立候補したのである。これは冀州よりいち早く、幽州が平穏を取り戻していたからであった。だが、冀州と幽州は皇甫嵩の管轄となっていたので、一応彼にも確認をしている。すると皇甫嵩は、許可したのであった。それは、冀州にて展開している軍勢だけでも張牛角に対処できると考えたからである。こうして公孫瓚は、幽州から涼州へ移動していたのだった。
なお、この話が出た時、公孫瓚の他にももう一人、張純という人物も立候補している。しかし張温は、公孫瓚が過去に鮮卑との戦いで数倍の兵力を蹴散らしたという実績を買って彼を選んでいた。このことが、のちに騒動を巻き起こすことになる。しかし、預言者でもない張温が知る由もなかった。
話を戻す。
この公孫瓚が涼州へ出向いていること自体は報告されていたのだが、劉逞はすっかり忘れていたのである。返答を聞いて漸く思い出したわけだが、ばつが悪かったようであり、誤魔化すつもりかその時は乱暴に自分の頭をかいていた。ともあれ、いない者をあれこれ言っても仕方がない。では誰にしようかと考えていたのだが、その劉逞の元に二人の人物がやってくる。その二人は、朝廷からの命を受け者たちであった。
「荀公達と申します」
「田元皓と申します」
「この度、我らは使匈奴中郎将様の従事となりました。宜しくお願い致します」
荀公達こと荀攸の名を聞いて、劉逞は内心で驚いていた。何せ荀攸は、豫洲の名門荀家の人間だからである。荀家は荀子の子孫とされている家であり、間違いなく名家であった。確かに劉逞も荀家のことは知っているし、旅をしている最中でも荀家に付いては幾度か聞いたことはある。だが今回のことでそんな名門出の者がくるとは、思ってもみなかったのだ。
そしてもう一人、田元皓こと田豊だが、実は劉逞と縁がないわけではない。それは、彼が鉅鹿郡出身だからだ。もっとも、劉逞が鉅鹿郡太守となった頃には既に田豊は朝廷に出仕していたので、面識は全くないのであるが。
その彼だが、若い頃から権謀に長け博学を称されていた。それゆえに茂才に推挙され、さらには侍御史にまで昇進している。だが、宦官の専横に嫌気がさしていたことから、職を辞して郷里にでも帰ろうかと考えていたのである。しかしその前に、新たに使匈奴中郎将となった劉逞の従事という話がきたのだ。
田豊としても、劉逞に興味がなかったわけではない。郷里の鉅鹿郡を急速に復興させており、気にならないわけがなかった。それに何より、従事の話を受ければ宦官の腐臭が漂う洛陽から離れられるのである。そう考えた田豊は、この話を受ける決断をする。そして、彼と同じく侍従の命を受けていた荀攸と共に現れたのであった。
「相分かった。公達に元皓、こちらこそ宜しく頼むぞ」
『はっ』
こうして荀攸と田豊を迎え入れた劉逞は、残りの一人については公孫瓚と並ぶ昔馴染みを候補にすることにする旨を進言した。すると、断られることなくあっさりと受け入れられたのである。その後、洛陽を出た劉逞は廮陶に戻る。その廮陶には、事前に連絡を入れていたこともあってもう一人の従事となる人物が待っていた。
誰であろうそれは、劉備であった。
彼の実力は十分に分かっていたし、本当は従事としたかった公孫瓚と同様に兄弟弟子である。盧植も付き合い易いだろうとして、劉逞は彼を抜擢したのだ。
そして劉備としても、悪い話ではない。県令からさらに出世しようとすれば、手柄を立てるのが一番手っ取り早い。そして現状、その手柄を立て易いのは争いの機運がある涼州と并州なのだ。それに劉逞とは黄巾の乱の頃に、暫くの間だが共に戦っている。元は同じ塾生ということもあり、上司としても付き合い易いのだ。
因みに、安熹の県令職は辞している。従事の要請を受けた時点で、安熹の県令に留まることは無理だからであった。
「玄徳。では、受けるのだな」
「ははっ」
こうして劉備をも加えて従事の三人を揃えた劉逞は、すぐに移動の準備を始めるように命じる。その間に、次期鉅鹿郡太守への引継ぎをしたのであった。
その一方で劉逞は、董昭と面会していた。彼は鉅鹿郡復興について活躍しているが、本来は廮陶の県長である。鉅鹿郡から離れることになる劉逞と違い、このまま廮陶の残ることとなる。しかし、彼の才と手腕は劉逞としても欲しいのだ。これから向かう并州も、少なからず荒れていると報告を受けている。黄巾賊もそうだが、何より鮮卑の蠢動も大きいのだ。それは赴任先となる、西河郡でも影響はある。それゆえ、董昭の手腕を発揮してもらいたいと考えていたのだ。
「どうであろう、公仁殿。そなたの力、発揮してはもらえぬか」
「つまりそれは……常剛様の家臣となると言うことですかな?」
「うむ、そうだ。我は、そなたを家臣としたい」
劉逞の言葉を聞いた董昭は、視線を上に向ける。それから目を瞑ると、じっと自身の考えに埋没する。実は董昭としても、この話は吝かではないからだ。
劉逞が鉅鹿郡太守となった以降、仕事を一任して貰い実に充実していた。それは、黄巾の乱が始まる前とは雲泥の差である。何せ劉逞は、任せただけでない。董昭が仕事を行い易いようにと、環境を整えるなど手助けもしていたのだ。たとえそれが、盧植からの助言によるものであったとしてもである。そこまで考えが至った時点で、董昭の考えも纏まっていた。
「承知致しました。これよりこの董公仁。常剛様にお仕えいたします」
「おお! そうか!! 期待しているぞ」
「はっ」
この話のあと、董昭は廮陶の県長を辞すると劉逞の家臣となったのであった。
こうして董昭を家臣に加えた劉逞は、あらためて家臣を集める。そこで彼は、ある話を始めた。その話とは、移動に関してとなる。実は劉逞、并州に向かう道筋として常山国を経由するつもりであった。その常山国の西には、山岳地帯が広がっている。ここには嘗て、常山国へ攻め込んできた黄巾賊の残党が逃げ込んでいるのだ。
その時から二年近くも経っているのだが、残党はいまだに山賊として屯している。どのみち通過するのだから、これを機に討ち取ってしまえないかと考えたのである。それに朝廷としても黄巾賊の残党は撃つことを奨励しているので、中央の意向にも沿えるからだ。
「出来ればあの残党どもを討ちたいが、難しいか?」
「……常剛様。ここは、并州刺史の協力を得てはいかがかと。彼とて、州境に跳梁する者どもは討ちたいでしょう」
「む、建陽殿か。確かに、悪くはないな」
建陽とは、盧植が言ったように并州刺史の地位にある丁原のことである。華燭の典に招待したように、彼と劉逞は顔見知りなのだ。その出会いは、黄巾の乱が始まる前にまで遡る。彼らが長期に渡る旅をしていた頃、既に武名を馳せていた丁原の元を劉逞は尋ねていたのである。対応した丁原も、若いとはいえ相手は皇族に連なる劉逞に対しては、粗略に扱わなかった。そしていざ会ってみると、かなりの年齢差があったにも関わらずお互いを気に入ってしまったのである。しかもその関係は、とても良好なものとなっていた。
当然だが、進言をした盧植はそのことを知っている。彼も一緒に旅に同行し、その時の二人を自身の目で見ているのだから知らない筈がないのだ。
「刺史殿であれば、話を聞いてくれるのではないかと」
「そうだな。一度、打診をしてみるとしよう」
その後、劉逞は盧植と程昱と董昭へ、黄巾賊の残党を攻める際の策の考案を任せる。それと当時に、丁原へ書状を出して協力の打診をしたのであった。
并州の治府は太原郡の晋陽にあり、并州刺史である丁原も当然ながらそこにいた。
現状、并州は準戦時体制と言っていい。何せ北からは鮮卑がたびたび攻め寄せてくるし、州内も黄巾賊の残党がいるといった状況にあるからだ。鮮卑に関しては使匈奴中郎将職にある王柔が匈奴と共に対応しているが、決して旗色はよくない。どうにか撃退はできている、そういった状態に過ぎないのだ。
そして并州を預かる者として、丁原も場合によっては援軍を出さないわけにもいかないのである。その為、并州内にいる黄巾賊残党の対応がいささか疎かになっているのは否めなかった。そんな丁原の元に、旧知でもある劉逞から書状が届いたというわけである。その彼が王柔の後継として使匈奴中郎将に就くことは既に知っていたので、そちらに関連したものかと思い書状を読む。しかしそこに書かれていたのは、全く違うことであった。
「これは……」
「いかがされました?」
「見てみるがいい」
丁原の傍にいたのは、彼が寵愛する家臣であり名を呂布奉先という。彼は特段武に優れており、実質丁原が持つ兵力の中で一番の強者である。主君である丁原よりも強いのだから、武は相当だと言っていいだろう。しかも彼は、武に偏っているわけでもない。実際、丁原の元で主簿(会計)に就いているのだから、武力一辺倒では職責を全うできる筈もないのだ。
「并州と冀州の境にいる黄巾残党の討伐とは……」
「だが、悪い話ではない。それに、お前も懐かしかろう」
「はい」
劉逞が丁原のところに滞在していた頃、既に家臣であった呂布とも顔を合わせている。お互い腕に覚えがあるので、劉逞たちが丁原の元にいる間は幾度も手合わせした間柄だった。
なお、勝敗に関してだが、相手が誰であろうとも呂布に軍配が上がる。劉逞も十分に強いのだが、流石に呂布が相手となると単独では勝率が下がってしまい簡単に撃破できないでいたのだ。
もっとも、一方的に負けるというわけでない。実際、劉逞が防御に徹した場合だと、呂布であっても打ち負かせずにいる。代わりに劉逞からは殆ど手が出せなくなるので、結果として判定負けという形となってしまうのだ。しかしその呂布も、劉逞と趙雲と夏侯蘭が手を組むと話は別となる。流石に彼ら三人を相手にしては、呂布とはいえ勝ちが全く拾えなくなるのだ。
ゆえに、前述の三人が相手をする場合、呂布も同じく丁原の家臣となる張遼と高順と組んで相手をする。この場合、どちらが勝てるかは分からなくなる。そして彼らが対峙すると組手とはいえとても危険なので、その場合は必ず丁原が傍にいることが必須であった。
「まぁ、その話は何れとして、だ。我は受けてみようと思うが、お前はどうだ?」
「我も建陽様と同じにございます」
「で、あろうな」
丁原にしてみれば、呂布と同様に気に入っている劉逞からの要請であり、しかも并州にとって利がある話である。このような提案を、受けない理由がなかった。丁原はすぐに返書を認めると、劉逞の派遣した軍使に渡す。彼は恭しく受け取ると、すぐに主の元へと戻ったのであった。
軍使を送り返した丁原は、すぐに戦の準備を始める。何せ今回の相手は、太原郡とその南にある上党郡、そして冀州常山国との境辺りに勢力を張っているのだ。即ちこれらを討ち取れば、冀州との境が安定する。それに、劉逞を通して常山国とも連携が取れるようになるので、とても成功させたい案件であったのだ。
「いい機会だ。何としても、成功させてやる」
ぐっと丁原は、力を込めて拳を握り締めながら、黄巾賊の残党がいるであろう方向を睨みつけたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。