第百四十一話~荊州騒乱 三~
第百四十一話~荊州騒乱 三~
建安三年(百九十八年)
揚州と交州、二つ州を手にしている袁紹は、意気揚々と進軍していた。
さて、彼が進軍の大義名分としたのは、救援である。いまだに反乱鎮圧が覚束ない荊州鎮定の手助けを行うとして、兵を率い揚州から出陣したのだ。但し、今回の大義名分など表向きの理由でしかない。本当の理由は、荊州を手中へ収めることにあった。前述した様に袁紹は、華南をその手に掴むことを目的している。今回の荊州への進軍……いや。進撃もその一環でしかない。彼の、と言うか彼ら陣営の思惑では、荊州全土を押さえることを最上と考えている。仮に最上の結果を得られなかったとしても荊州南部の四郡、即ち長沙郡と武陵郡と零陵郡と桂陽郡は押さえておきたいとしていた。
「そろそろ、丞相殿にも我らの動きが伝えられておるかのう」
「……いかがでしょう」
進軍中、ご機嫌に自らの愛馬に跨がる袁紹は、傍らを同じく馬に跨がって進軍している許攸へと話し掛けた。すると彼は、少しの間考えたかと思うと、曖昧な答えを返してきたのであった。無論、理由はある。それは、まだ早いように思えたからだ。確かに彼は、情報を重視しているように見受けられる。実際に知り合いである袁紹から聞き漏れる情報から人となりを判断しても、強ち間違いではないと判断していた。しかしながら今回の場合、知るには時間が早いと思えるからである。それでなくても劉逞は、青州へ軍勢を率いて進軍している。今頃は、青州黄巾賊と一戦を展開していると思われる。その様な状況で、いち早く知らせが届くのか判断しかねたからだ。とはいえ、豫州には孫堅が駐屯している。距離的な事案も考慮すると、彼にならば情報が届いていても不思議はない。その彼を通せば、もしかしたらこちらの予想より早く知ることができる可能性がある。その意味でも、明確に答えることが躊躇われたのだ。
しかして袁紹だが、許攸が明確に答えなかったことへ苛立ちを覚えている様子は見られない。寧ろ、許攸が明確に答えなかったことに、楽しげととれる雰囲気を醸し出していた。
「刎頸の友であるそなたでも、分かりかねるとは」
「申し訳ございません。我が不徳のいたすところにございます」
「何を言っておる。別に責めてもおらぬし、気にしてもおらぬ。安心せい」
「はっ」
騎乗したまま、許攸は頭を下げる。彼のその仕草を見て小さく笑みを浮かべながら一つ頷くと、袁紹は視線を前へと向ける。すると彼の視界いっぱいに、旗下の兵たちの姿が見て取れる。彼の軍勢は少し行軍を乱れているが、それでも規模を鑑みれば十分に整然と進軍していると思えるものであった。
「我が軍勢であれば、荊州を我が手にすることも容易かろうて」
「はっ」
まだ戦端も開いていない状態であり、楽観しすぎるのではないかと内心思わないでもなかった許攸ではあったが、折角機嫌が良い袁紹の気分を損ねる必要もないかと考え、彼はその言葉に同意する。そして返答を聞いた袁紹は、ますます笑みを深めるのであった。
ところ変わり、華北。
ひとまずの対応を終えた劉逞は治安の安定のために残している部隊以外全ての将兵、これには徐州の軍勢を率いる陶謙や琅邪国の相である臧覇、劉和の率いる甘稜国及び冀州にある劉逞の領地を守る張郃をも含まれている。その様な軍勢を率いて落葉へ凱旋するべく進軍していた。やがて彼らの軍勢は、青州と兗州との境を超えて泰山郡へ到達する。そして軍勢が萊蕪の郊外へ到着すると、そこで劉逞は全軍を停止する。しばらくすれば夜のとばりが落ちる時間ということもあって、今日はここで夜を明かす為であった。その夜、もう眠ろうかと劉逞が考えていた正にその時、彼の元へ密偵からの急報が到着したのである。果たしてその内容だが、袁紹が軍勢を率いて荊州方面へと進軍を開始したというものであった。しかして書状を受け取った劉逞ではあるが、読み進めるうちに眉を寄せ始める。そのような主の様子を見て、荀攸が声を掛けるのであった
「いかがされましたか、丞相様」
「……うむ。本初殿が荊州南部に向けて兵を向けたそうだ」
「それは……何と、判断しかねますな」
「ああ。全くだ」
ところでなぜゆえに二人が判断しかねているのか、それは袁紹の意図が読み切れないためである。これが孫堅が派遣され駐屯している豫州や、劉表の勢力下にある荊州北部であれば単純であった。もし仮に、袁紹が先に挙げた地方へ進軍していたら、謀反と断じていい。しかし今回、袁紹が進軍したのは荊州南部となる。この地は、劉表に対して反旗を翻している蘇代率いる反乱勢力の勢力下にある地域なのだ。つまりこの地へ向けての進軍となると、反乱勢力を討つ為に尽力するためなのか、それとも謀反を企ているのか判別がしにくいのだ。
「ここは何が起きてもいいように、手を打っておきましょう」
「そうだな。取りあえずは、州牧の士燮や境の守りにつけた李通に命じての州境の防衛強化だな」
「それで、よろしいかと思われます」
「うむ」
現状の対応としては、まずまずだと言っていい。もっと情報が入っていればまだ打てる手を思いつけるが、現状ではあまりにも情報が少なすぎる。さらなる手を打つには、続報が待たれると劉逞や荀攸は考えていた。
「時に丞相様。追加として、文台殿の軍勢を動かせる様に命じましょう」
「そうだな。折角派遣しているのだ、その彼が動ける根拠は示しておいた方がよいか。たとえ文台殿が、既に軍勢を集めている可能性あったしても」
「それは、どういう意味でしょうか」
「書状に書いてある、それ読んでみよ」
劉逞から荀攸へ手渡された書状には、確かに軍勢は調えているかとも記されている。そもそも彼は、劉逞が青州に向けて軍勢を率いて出陣する際、袁紹に対する備えとし派遣されている。そのことを考えれば、今回の袁紹が起こした行動は、軍勢をいつでも動ける様にしておいた方がいいと孫堅が判断しても何らおかしいことはないのだ。
書状を読んで、劉逞が孫堅に対して軍勢を調える様に命令を出す雰囲気がないことに合点がいった荀攸は、それ以上何も言わず引き下がった。
「しかしこれでは、この地での駐屯は伸ばした方がいいだろう」
「その方がよろしいかと存じます」
「うむ」
華南にて勃発した袁紹の荊州南部に対する軍事行動により劉逞は洛陽への凱旋をひとまず中止すると、洛陽に残る盧植や皇帝である劉弁に対して書状を携えた使者を派遣したのである。同時に彼は、群議を開き諸将を集めた上で経緯を説明している。その理由は、下手に事態を隠すよりも、早急に知らせておいた方がいいとの荀攸ら軍師より進言を受けた為であった。すると劉逞は、少し考えた後で彼らの考えに賛同している。確かにここで隠し通すことができたとしても、彼らも遅かれ早かれ彼らは知ることとなる。たとえ諸将が知ることとなるまでにどれだけ時間が掛かったとしても、洛陽に辿り着いてしまえば間違いなく知ることとなるだろう。そうなってしまえば、なぜに知らせなかったのかと彼らから不信感をもたれかねない。その様な事態となるぐらいなら、速やかに知らせて情報を共有していた方がいいのだ。果たして数刻後、劉逞に命じられた諸将が、本陣へ参集する。そこで劉逞は、荊州南部で発生した事象について、現在分かっていることを隠すことなく全て開示した。そこで彼ら諸将の反応だが、大多数は不審げである。彼らもまた、袁紹に対しては疑いの眼差しを向けていたからである。そもそも、皇帝である劉弁が袁紹に対しては疑いの目を向けているのだ。大っぴらに宣言したことはないが彼らにとっては周知の事実であり、それゆえに袁紹のとった行動に対する不信感が如実に表れていたのだ。
「ところで丞相様」
「何か? 玄徳殿」
「あなた様の見解は、どのような物なのでしょうか」
若い頃からつきいもあり、何より同じ師を持つ者同士ということもあってか比較的気軽に劉備が劉逞へ考えを尋ねる。その劉備をしばらく見やった後、彼は自身の考えを披露した。
「見解のう……ついに行動を起こした。そう見る」
「で、しょうな」
確かに袁紹が侵攻した荊州南部は、劉表に対して反旗を翻している勢力の影響下にある。その地域に兵を派遣すること自体は、間違っているとはいえない。但し、実際に干戈を交えている劉表からの援軍要請などがあったわけでもない。ましてや、中央からの命があったわけでもないので、袁紹の独断専行でと言っても過言ではないのだ。
前述の通り、袁紹が中央に対して反骨の意があることは、前述している通り周知の事実である。その彼が、劉逞による青州進行を行っている最中に兵を起こし動かしたのだ。劉逞の返答を聞いた劉備が同意した旨は、そのまま諸将の思いででもあった。すると、何ともいえない沈黙が群議を支配し掛けたのだが、そこにさらなる情報が齎されることとなる。しかしてその情報が何であるかというと、それは急使の書状でも言及されていた孫堅からの書状であった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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