第百四十話~荊州騒乱 二~
第百四十話~荊州騒乱 二~
建安三年(百九十八年)
船の中で、陳生はいささか緊張していた。その理由は、彼が乗る船が揚州領内へと入ったからである。甘寧と彼が率いる一党を護衛としているものの、いつ彼らの気が変わって陳生を捕えて袁紹に差し出すかも知れないからだ。確かに甘寧も袁紹を嫌っているとは言っていたが、果たして本当なのかなど神でもない陳生に分かる筈もないからである。しかし、陳生の懸念は取り越し苦労となる。甘寧は依頼通り、陳生を無事に目的地へと届けたのであった。
ところで目的地がどこなのかと言うと、汝南郡南部で新たに創設された郡である。この地は、先の豫州鎮圧の際に劉逞の配下となった李通が太守を務めていた。ちょうど、揚州にも荊州に隣接している地となる、最も汝南郡は、そもそも荊州にも揚州にも隣接しているし、現状でもやはり荊州と揚州に隣接しているので今さらな話であった。ともあれ、陳生を護衛している甘寧の一党は、長江を降る途中で支流の一つに入る。そこから川を遡り、やがて川沿いの町である慎へと到着したのであった。
ところで陳生が目指した地が何ゆえにここであるのかと言うと、最近になってある人物が当地に赴任しているからである。果たしてその人物が誰かと言うと、孫堅に他ならなかった。この慎からは甘寧らが行った様に、川一つで揚州へと向かうことが出来る。その上、長江へも通じているのだ。現在、揚州を本拠地にしている袁紹を牽制するには塩梅がいい地でもあった。
因みにほかの候補地としては、徐州南部の広陵郡もあったのであるが、最終的には候補から外されている。外された理由としては、あからさま過ぎるのではないかと言うものがある。袁紹が丞相である劉逞に、ひいては看過へ反旗を翻すことはほぼ確定である認識されていても、実際に袁紹は未だに謀反などはしていない。中央の主力を青州へ派遣する宰相劉逞や皇帝劉弁側としては、まだ必要以上に刺激したくはなかったのである。その為、慎が孫堅を派遣する地となった経緯であった。
「して、陳生か。我の記憶が間違いでなかったら、江夏郡から南郡に掛けて力を振るったあの陳生で間違いないか」
「はっ」
嘗て(かつ)は荊州南部の長沙郡太守であった孫堅であり、当時から江夏郡や南郡にて力を持っていた陳生や張虎の話を知らないわけがない。しかも現状で彼は、荊州南部で荊州刺史である劉表に反旗を翻している反乱軍幹部の一人である。その意味でも、知らないわけがないのであった。
「なれば、その陳生が何ゆえに我の元へ来たのだ?」
「そのことに関しましては、こちらをお読み下さい」
そう言いながら陳生は、書状を取り出した。この書状を認めたのは、現状で劉表に対して反旗を翻している蘇代である。果たしてその書状を受け取った孫堅はと言うと、少し懐かしげな顔をしていた。ところで、孫堅と蘇代とはどの様な繋がりがあるのかいうと、実は孫堅と蘇代は同郷の出身なのである。そして孫堅が反董卓連合に参加する際、後を任せた人物であった。のちに孫堅が劉弁の旗下に入ったことで、蘇代は孫堅の代理と言う立場から正式に長沙郡太守へと就任した人物であった。それならば、何ゆえに劉表に対して反旗を翻しているのかと言うと、それは劉表を荊州刺史に任命した人物が亡き董卓だからである。確かに劉弁も劉逞も劉表を刺史と認めてはいるが、これは様々な紆余曲折があったからに他ならない。本来であれは董卓を討ったあと、解任も考えていたのだ。しかし彼は、荊州鎮定を成功する寸前にまで持っていったと言う実績がある。これにより、解任して人事の再編が難しくなってしまったのだ。それならば、その実績を利用して荊州鎮定を任せると言う判断をしたのである。しかも彼には、荊州鎮定の暁には荊州牧の地位を約束している。しかしまさか、そこから荊州が現状の様になるとは正に想定外であった。
何はともあれ蘇代の心情からすれば、劉表は漢を荒れさせた董卓が任命した男であり、到底従う気にはなれないのである。ゆえに劉表へ反旗を翻しているわけだが、彼自身は自分を漢の家臣だと思っている。だから行動が矛盾している様だが、彼の中では現皇帝の劉弁に、ひいては丞相の劉逞へ反旗を翻していると言う気持ちはなかったのだ。そうであるからこそ、漢に対して降伏するということを言い出したのである。無論、四面楚歌とも言える現状を打破する手立てが思いつかなかったと言うのもあるのではあるが。
「ふむ……よかろう。丞相へ話を通そう」
漢に仕える孫堅としても、荊州での争いが収まるのであれば悪い話ではない。また彼としても、前述した様に同郷出身である蘇代を見捨てると言うのも忍びない。さらに言えば、軍勢を進めた袁紹が、このまま南荊州を占領すると言うのもまずい様な気がしているのだ。実際、孫堅の軍師を務めている周異や周瑜は、孫堅の勘とも言える考えに似た考えを脳裏に浮かべている。その意味で言うと、武人の勘と言うのも侮り難いものであった。
「おおっ。よろしくお願いいたします」
翻って陳生からすれば、まさか受け入れられるとは思ってもみなかった。勿論、まだまだ問題は山積である。それでも、希望が見いだせたことに、彼は安堵したのであった。
蘇代の使者が孫堅と会っている頃、南郡の郡治所のある襄陽において、劉表は蒯越と蒯良を交えて謀議をしていた。彼らが話していることは無論、袁紹のことである。これが事前に話があったのであれば、大した話ではない。しかし、劉表に対して事前の知らせなど、どこからも全くなかった話なのである。ゆえに、配下で知恵者でもある両名を召し出して、今後についての話をしていたのだ。
「しかし本初殿は、何を考えているのか……どう思う異度よ」
「刺史様。袁本初殿は、荊州を得ることを目的としていると思われます」
「……子柔はどうか」
「我も同じかと」
劉表の問いに対して、異度こと蒯越も子柔こと蒯良も間髪入れずに答えていた。つまりお、二人は確信していると言っていい。そして劉表からしても、二人の考えには同意以外の答えを持ち合わせていなかった。それは即ち、劉表の身も危ういことと同義だと言える。確かに、いきなり攻撃をしてくることはないだろう。まずは、荊州南部の反乱を押さえる必要があるからだ。しかし、ことが上手く進めば、次に袁紹が劉表に対して刃を向けてくることは十分にあり得る。今となっては劉表も、漢に対して刃を向ける気もなくなっている。一時は、確かに考えもした。荊州を押さえ地盤とし、いずれは漢からの独立することをだ。実際、荊州を順調に押さえることに成功して入れば、表向きは兎も角、実状的には漢から独立していただろう。しかしながら、現状は見ての通りである。もはや劉表の中には、嘗ての気概はなくなっていたのだった。
「ならば、どうする?」
「現状を利用しましょう。蘇代と袁紹を争わせているうちに、我々は粛々と荊州を鎮定するべきです」
「そう……だな」
蒯越が提案したのは、二虎競食の計である。蘇代と袁紹、二人を争わせているうちに、勢力を広げる。そしてあわよくば、両者を討ち取る気ですらあったのだ。そしてこれだけの功績を上げれば、長引いてしまっている荊州鎮定に対する咎めもないと思われる。厳密に言えば家臣ではないが、殆ど劉表の家臣で軍師と言っていい蒯越の自身の出世すらも含んだ策であった。なお、蒯越の進言した策に対して蒯良とは言うと、反対はしていない。ただ、蒯越と違って、いささか眉を寄せていることから、賛同はするものの諸手を挙げてと言う状態ではないことが分かる。しかし現状において、味方の受ける損害を低くしつつ大きな功績を得る為には有効であることも認めざるをない。だからこそ蒯良は、難しい表情を浮かべつつも反対の意は唱えなかったというわけである。何はともあれ、こうして劉表側の動きも決まったことで、荊州は三つ巴の混沌とした状況へと事態は進行していくのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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