第百三十九話~荊州騒乱 一~
第百三十九話~荊州騒乱 一~
建安三年(百九十八年)
青州において黄巾賊残党の鎮定が終息したちょうどその頃、華南の地にても大きな戦が起きようとしていた。果たしてその戦が華南のどの地で起きたのかと言うと、それは荊州南部である。今さらの話ではあるが、荊州南部の鎮定はいまだに終わりを見せていないことは前述している。荊州北部に関しては劉表が達成していたが、南部に至っては騒乱の真っただ中だったのだ。勿論、劉表とてただ座していたわけではない。硬軟取り混ぜつつどうにか鎮定を試みていたものの、未だに捗々しい結果を得られてはいなかったのだ。その様な中、荊州南部で勃発した戦であり、普通に考えれば劉表が軍勢を押し出したと考えるところである。しかしながら、今回の荊州南部で起きた戦については、彼をしても寝耳に水だったのである。しからば、誰が荊州南部に軍勢を押し出したのかと言うと、それは袁紹であった。
これは以前にも述べたことだが、袁紹の考えとしてはまず中華南部を手に入れることを画策していたのである。具体的には、既に手に入れている揚州と交州に続いて荊州を手に入れる。無論、そこで止まる気はない。さらには益州をも手に入れ中華南部を完全に掌握する。その上で北伐を行い、劉逞と雌雄を決するという腹積もりであったのだ。
「揚州手中の珠とし、交州を掌握した今こそ! 荊州に手を付ける」
「誠に好機にございましょう。今劉逞は、青州に掛かりきりとのことにございますゆえ」
「うむ。では、進め!」
こうして袁紹は、荊州南部への進軍を開始したのであった。
さて、以前劉表にとって袁紹の荊州南部侵攻は寝耳に水だと述べたが、これは劉表に対して反旗を翻している荊州南部の者たちについても同様だったのである。確かに袁紹は軍兵を調えてはいたことは知ってはいたものの、まさか荊州南部へ侵攻してくるとは夢にも思っていなかったのだ。警戒心が足りないと言われればその通りかもしれないが、それも仕方がなかったと言えるだろう。荊州北部を押さえている劉表と対峙するにあたって、そちらへ集中しないわけにはいかなかったという実情があったからだ。勿論、全く警戒していなかったわけではないことは言うまでもない。だがそれでも当面の相手は劉表であり、その劉表にしても勇将や良将や賢人を揃えている。つまりどうしても、対劉表に力を注がないわけにはいかなかったのである。寧ろ袁紹が、現状を上手く利用したと言った方がいいのかも知れなかった。
「ふざけおって、袁紹め……とは言うものの、いかにしたものであろうか」
そう漏らしたのは、荊州南部の反乱を現在率いている蘇代である。実は荊州の反乱だが、途中で二度率いる者が変わっている。最初に反乱を起したのは区星であるが、彼は若かりし頃の孫堅によって討ち果たされていた。その後、荊州の刺史であった王叡が死亡後に刺史となった劉表に対して、やはり荊州南部にて反乱がおきてしまったのだ。しかしその反乱も劉表の手により首謀者が討たれたことで鎮圧され掛けたのだが、彼の後を引き継いだ蘇代が上手く反乱勢を纏め上げたのである。これにより成功するかに見えた劉表の荊州鎮圧は、出鼻を挫かれてしまう。それでもどうにか荊州北部だけは確保した劉表は、自身の意地にも掛けて荊州鎮圧を行っていたのだ。その様な情勢の中で突如として起こった、袁紹による荊州南部の侵攻である。攻められた蘇代としては、愚痴の一つでも零したくなるというものであった。
とは言うものの、愚痴をこぼしたところで状況が好転するわけでもない。一刻も早く、手立てを打つ必要があった。実のところ、蘇代が一番警戒しているのは、今回の袁紹の侵攻が、劉表と示し合わせて行われた場合であることは言うまでもない。北に劉表、東と南は袁紹そして西は、劉瑁が刺史を務める益州がある。この三人ともだが、内心は兎も角表向きには漢へ逆らっていない。一方で蘇代率いる反乱軍だが、彼の内心は別にして事実上漢に逆らっている勢力である。当然ながら劉表は無論のこと、侵攻してきた袁紹も、そして父親である劉焉の死後、不気味なぐらいに動きを見せない劉瑁とも手を結べるわけがない。どこまでいっても、蘇代率いる勢力は漢に対して反逆している者たちと判断されているからだ。詰まるところ、蘇代ら反乱軍の置かれた状況は、四面楚歌と表現しても差支えがなかったのである。
「こうなっては選べる手は三つ。攻めるか降るか、はたまた逃げるかでありましょう」
蘇代に対してその様に進言したのは、陳生であった。彼は元々、江夏郡から南郡を領域としていた賊である。とは言っても山賊とは違い、川や湖などといった水上を縄張りとする者たちであった。そして彼は、友である張虎と共に劉表に対して反旗を翻している。最終的には南郡の襄陽に立て籠もってまで劉表とは対峙し続けていた。しかしながら彼らも、ついには力尽きてしまう。いよいよ降伏か死かと言う段になって、彼らは蘇代によって救出されたのだ。これにより九死に一生を得た陳生は、張虎とともに蘇代の反乱軍に合流する。以降は蘇代の右腕として、張虎と共に彼を支え続けていた。
「逃げると言っても攻めると言えど、またまた降ると言えども、どこへと言うことになる」
確かに蘇代が言った様に、逃げたところで行き場など見つかるかと言うことになる。前にも述べたことだが、周囲は完全に囲まれているからだ。その一方で攻めるとなると、これまたどこへと言うこととなるい。攻め寄せてきている袁紹は、侵攻軍と言うこともあって兵力は多い。それでなくても彼は、揚州と交州を押さえている。皇帝たる劉弁と漢の丞相を務めている劉逞を除けば、一番力を持つ存在であろう。ならば北の劉表かと言われると、こちらも難しいと言わざるを得ない。確かに長年に渡って干戈を交えた存在であるが、総合的に見た場合、反乱軍側の方が不利なのである。何せ一度は、壊滅寸前まで追い込まれたこともあるのだ。いまでは一廉の勢力まで回復してはいるものの、はっきり言ってこれ以上は無理である。現状維持が、精一杯だと言っていい。要するに、いずれは押し切られてしまう可能性は大いにあった。
「ならば答えは、もう出ているのではありませんか?」
意見を述べたのは貝羽と言う人物であり、蘇代と共に反乱軍へ加担した人物である。そして彼が言った通り、現状で一番良い選択は降伏だけであった。しかし、問題は誰に降伏するかと言うことである。まず西の劉瑁だが、こちらは為人が掴めなさ過ぎている。ならば袁紹はどうかと言うと、実はあまり良い噂を聞かないのだ。確かに名門袁家の現当主であり、血筋家格と申し分ないのだが、個人としてと言われると些か疑問符が残る。それでは劉表はどうかと言うと、こちらはこちらで難しい。それと言うのも、良くも悪くも彼らは長く戦い過ぎたからである。その為、お互いに色々と抱え込んおり、おいそれと降伏できる状況にはないのだ。
「いっそのこと、朝廷へ降るか」
『そ、蘇代様!?』
「ほ、本気にございますか!」
現状を把握したことで暫く流れた空白の時間の後、蘇代が漏らした言葉に反乱軍幹部と言える陳生と張虎、そして貝羽は驚きの声を上げていた。しかし、それも仕方がない。まさか、朝廷に降ると言い出すとは夢にも思わなかったからだ。直接、中央の兵力とは干戈を交えていないとはいえ、立場上は漢の臣下である劉表とは刃を交えている。何より、どの様にして渡りをつけるのかという問題が出てくる。この懸念を払拭することが出来なければ、降ることも叶わないのだ。しかしながら、蘇代には伝手があったのである。果たしてその伝手であるが、実は意外に近いところにいるのであった。
蘇代から命を受けた陳生は、伝手を頼るべく長江を降っている。船が一番早いからこそこの手段を用いたのだが、問題がないわけではない。それは、長江を下るとやがて揚州に入ってしまうということにあった。陳生も嘗ては、荊州でも名を馳せた存在ではある。しかし彼の力は、荊州内のしかも江夏郡から南郡に掛けてでしかない。荊州の外である揚州での影響力は、かなり限定的となってしまうのだ。そこで陳生は、少々気は進まないがある人物の力を借りることにしたのである。しかしてその人物だが、荊州において劉表は勿論、蘇代にも所属していない勢力となる。ただ、どちらかと言うと、劉表よりは蘇代に近い人物であった。
「助かったぞ、興覇殿」
「構わん。しかと金はもらっているのだ。その金に見合う仕事はする……それに何より、俺も袁紹は好かんからの」
「そうか。それは何より」
豪快に笑い声を上げながら陳生の背を叩きつつ同意した人物こそ、力を借りた人物である。果たしてその人物だが、名を甘興覇という。彼は陳生と張虎が蘇代の勢力に与したことで空いてしまった領域を、結果として手に入れた人物なのであった。
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