第百三十五話~青州遠征 三~
第百三十五話~青州遠征 三~
建安三年(百九十八年)
萊蕪の地に到着した劉逞だが、その日と翌日は兵に安息を命じていた。そして到着から二日後、彼は軍議を行うべく諸将を集めている。最も、大まかな内容については各将ともに把握している。ゆえに今回の軍議は、青州への侵攻に当たって行う最終確認の様なものであった。
中央からの将や兗州で踏ん張り、侵攻を食い止めていた将。さらには冀州からの将などが混在する場に、趙雲と夏候蘭を伴って劉逞が入ってくる。なお、彼の家臣や幕僚なども、既にこの場に居ることは明記しておく。ともあれ上座に移動した劉逞は、頭を下げている諸将に対して顔を上げる様に命じる。その命に従って彼らは、一様に顔を上げる。すると彼らの表情には、決意とも高揚感とも言える何かが滲み出ていた。その様な彼らの表情を一瞥したあと、劉逞は小さく笑みを浮かべる。だがそれは一瞬のことであり、次の瞬間には既に表情を引き締めていた。
「曹孟徳。貴公は、主力を率いて敵と当たれ」
「はっ」
「劉和。貴公は別動隊を率いて進軍せよ」
「はっ」
「また、この場にはおらぬが、徐州より軍が越境する。三方より兵を推し進め、黄巾賊を殲滅するのだ!」
『おう!!』
明けて翌日、主力を率いる曹操を大将とする第一陣が進軍を開始する。それから間もなく、劉和率いる軍勢が進軍を開始した。そして最後に、総大将の劉逞が率いる軍勢が萊蕪より進軍を開始したのである。また、遅れること一日、陶謙と臧覇の軍勢が徐州より進軍を開始していた。但し、陶謙と臧覇の両軍勢だが、一緒に進軍しているわけではない。その理由は、先の青州黄巾賊により徐州侵攻の際に起きた臧覇の独立騒動に由来していた。
とは言うものの、臧覇だが陶謙についてそれほどには意識していない。既に彼より、分離独立を果たしているからだ。しかし、陶謙からすれば心穏やかならずと言っていい相手ある。臧覇の技量を買って大軍を任せたにもかかわらず、その答えが先に記した通りなのだからそれも致し方がないだろう。しかし陶謙は、取りあえず自身の気持ちを飲み込んでいた。今は実質、勅命と言ってもいい青州黄巾賊討伐に従軍しているのである。ここで自身の気持ちを優先させて仮に負けてしまう様ならば、しっ責どころでは済まないからだ。下手をすれば、死を賜ってしまうかもしれない。その様なことは、真っ平ごめんである。最近、年齢のせいか体を壊すことは増えたが、不名誉な死など御免被りたい。ゆえに彼は自分の気持ちを押し殺し、粛々と将兵を率いていたのであった。
「とはいえ、腸が煮えくり返ってくるわい」
「お気持ちは分かりますが、ご自重ください」
「分かっておる、元龍。軽挙妄動などせぬわ」
実際、陶謙だが何らかの行動を起こす気などない。だからと言って、前述した様に気分が悪いことに間違いなかった。だからせめてでも彼は、離れたところで兵を率いて行進していると思われる臧覇がいる方角を睨みつけているのだ。しかし当の臧覇は、どこ吹く風である。それがどうしたとばかりに、彼の様子が変わることはない。鈍感なのか、それとも肝が太いのか、ともあれ彼の様子に変わったところは全く見られないのであった。
管亥が率いている青州黄巾賊であるが、こちらも出陣していた。彼らは、現在本拠地としている青州の治所がある臨菑にて軍勢を調えると、その地より南下して斉国の南東にある臨地へと入る。その地を本陣に定めると、率いて生きた軍勢を再編して四つに分けたのだ。公称、百万を号する青州黄巾賊である。実際にそこまでの数の兵がいるわけはないのだが、それでも兵数が多いことは事実であった。
さて青州黄巾賊の主力となるのは、言うまでもなく青州黄巾賊を率いる管亥の軍勢となる。その管亥の他にも張饒などへ兵力を渡しており、彼らもまた軍勢を率いて劉逞が率いてきた官軍と対峙している。その様な青州黄巾賊を遠目から目にした劉逞は、思わず一言漏らしていた。
「兵の数だけは多いな」
「はい」
傍に控えていた趙雲が相槌を打ったように、敵兵の数は多い。そして青州黄巾賊は、その兵数によって勝利を重ねてきたと言っていいだろう。彼らは被るだろう多少の損害など気にせず、兵力差を武器として敵対勢力と相対してきたのだ。とは言え、それは仕方がない側面もある。何を隠そう黄巾賊の大半は、元農民などの庶民にて構成されている。その様な彼らを率いて複雑な動きを伴う軍事行動など、まず無理な話だからであった。無論、黄巾賊に所属する者が全員、そうだというわけではない。事実、彼らの中には、しっかりとした学問などを修めている人物だっているからだ。しかしながらその様な者たちなど極一部であり、やはり大半は庶民なのである。その様な彼らと装備も充実し、兵としての訓練もしっかりと積んでいる中央の軍勢たる官軍と干戈を交えればどうなるかなど論じるまでもなかった。
「ひ、引けぃ! 臨地へ逃げ込むのだ」
「逃すな! 今度こそ、あ奴らを追い詰めよ!!」
そう。青州黄巾賊は、這う這うの体で戦場から引いたのである。これがもし、今までの戦いと同様に黄巾賊側の兵数が圧倒的に多いという状況であれば結果は違ったかもしれない。しかしながら、今回は相手が悪かった。そもそも今回の遠征は、黄巾賊残党最後にして最大勢力を誇る青州黄巾賊の討伐である。しかも、皇帝となる劉弁直々の勅命であると言っていい。それだけに官軍側も、兵数は相当数投入しているのだ。その上、装備も兵としての力量も劉逞率いる軍勢の方が上である。流石に兵数だけは弱冠とはいえ青州黄巾賊の方が多いだろう。だが、今までの様に兵数の差で押し切れるほど兵力差があるわけでもない。その様な両軍勢が戦えば、装備と質が上の軍勢に凱歌が上がるのは自明の理であった。
ともあれ戦場より撤退した管亥や張饒など青州黄巾賊は、本陣としていた臨地へと逃げ込むと籠城の体勢を取った。そして彼らの思惑だが、ここで粘りつつ敵を引き付けた上で援軍を呼び寄せ、城に籠る兵と援軍で挟み撃ちにするつもりなのである。しかしながらその様な考えなど、劉逞側も当初から予想していた。ゆえに青州黄巾賊に大きな損害を被らせたことで浮いた兵力を使って、彼らは新たに別動隊を組織したのである。その別動隊を率いるのは、今回の遠征に参画していた劉備である。さらには、公孫瓚をも加えたその別動隊の力で、青州黄巾賊の本拠とも言える斉国の治所を制圧してしまったのであった。
瞬く間に本拠地としていた臨菑をも落とされてしまい、管亥らはいよいよ追い詰められたと言っていいだろう。ゆえに彼らは、一日千秋の思いで青州各地からの援軍を心待ちにしていたのだ。しかしながら、いくら待てども臨地へと現れることはなかったのである。その事実を前にして彼らは、ついに焦りすら覚え始めていた。ところで、どうして青州黄巾賊の援軍が臨地に現れないのか。その理由は、青州各郡太守の働きによるものであった。実は劉逞だが、青州鎮圧に際して青州の各郡太守を参軍も召集もしていない。普通ならば、各郡太守を招集して自軍の兵数を増やすところである。それであるにも関わらず、各郡太守を集めていなかったのであろうか。しかしてその答えが、現状なのであった。そして劉逞は、自身の幕僚たちから上申された策略通り、事前に青州の各郡太守へ通達を出していたのである。その通達だが、劉逞からの命があり次第、各郡において黄巾賊への攻勢を開始せよというものであった。今や青州各郡が被った蝗害からの損害も、癒え始めている。現状であれば、郡内限定の軍事行動を起こしてもどうにかなるからだ。
だからこそ劉逞は、青州各郡太守を招集しなかったという側面もあった。しかしながら、それでは各郡太守が抱える軍勢が遊軍となってしまう。そこで、各郡での軍事行動という策が実行されたのである。果たしてこの策は図に当たり、青州黄巾賊は各郡において官軍に対応するのが手一杯となってしまい、援軍どころの話ではなくなってしまったのであった。
青州の各郡に存在する黄巾賊には青州での本拠地を落とされたという情報も、管亥や張饒ら青州黄巾賊の首脳部が臨地にて包囲されているという情報もどうしてか少しずつではあるもののまことしやかに流れてきていた。それだけに、彼らの士気が上がらない。そこにきての各郡太守からの攻勢であり、そのことが余計に彼ら青州黄巾賊の士気を落としてしまっていたのだ。こうなると、彼らの中から抵抗する気力さえも失われていってしまう。何せ、他の郡から援軍が来ることも難しくなってきているかもしれないと考え始めているのだから当然だった。しかも、事実管亥や張饒ら青州黄巾賊の主力は包囲されて動くに動けないのである。この様に色々な意味で分断された状況では、士気を保つことも軍勢を保つことも難しいことは言うまでもない。間もなく青州黄巾賊は、青州各地で徐々に窮地へと追い込まれていくのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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