第百三十二話~奪情従公~
第百三十二話~奪情従公~
建安三年(百九十八年)
新たな年を迎えてから数か月、ある会議が行われていた。その会議の議題であるが、それはある地域への進軍についてとなる。しかして軍の向かう地域がどこであるかと言えば、それは青州であった。要するに劉逞は、ついに青州の鎮圧に乗り出すことを決めたのである。そもそも青州の鎮圧だが、今より数年前に画策されたものである。しかしていざ実行という段へと思った矢先、大規模な蝗害が発生したのだ。しかもその蝗害だが、二年続けて発生したのである。しかも被害はかなりひどく、遠征を延期せざるを得ない事態へとなってしまったのだ。しかしながら先だって行われた豫州に蔓延っていた黄巾賊残党の鎮定が思いのほか順調に推移したこともあって、嘗ての計画を再燃させる気運が徐々に高まったのである。すると劉逞もこの機会を逃すことは無いとして、ついには青州鎮定へと乗り出した次第なのであった。
とは言うものの、無計画に軍勢を青州へ送り出すわけにもいかない。何せ青州に蔓延る者たちは、今となっては漢黄巾賊残党の国内における最大勢力である。易々と打ち破ることなど、そう簡単にはできないだろう。それだけに侵攻を行う劉逞側としては、綿密な計画を要求されることとなった。しかし、彼らにとって幸運だったのは、青州鎮圧は一度でも俎上に上った議題であったことに他ならない。つまり、叩き台ともいえる素案は既に存在しているのだ。無論、嘗ての計画をそのまま運用するなど憚られることは言うまでもない。時が移ろえば、事情も周囲の環境も変わる。そこで、現状に合わせる必要があった。ゆえに劉逞は、幾度となく青州へ実際に進軍して黄巾賊残党と干戈を交えることとなるだろう者たちや、洛陽などに残る者たちを交えた会議というか軍議を重ねていたのである。そのお陰もあってか、依然に計画した段階よりもより良くなっていると言ってよかった。
さて相手は青州に蔓延る黄巾賊の残党であるが、同時に黄巾の乱が起きてより十年以上に渡って青州で勢力を維持してきた者たちである。だからこそ、侮れる相手でもないだろう。それだけに、青州へ侵攻する軍勢に参画する面子も錚々たる者たちであった。まず軍勢を率いる総大将だが、こちらは以前の計画と同じく曹操が務めることとなっている。実は劉逞自身が兵を率いて鎮圧に赴いてはという話が持ち上がったこともあったが、最終的には曹操を総大将とした軍勢の派遣に落ち着いたのである。また他にも、参画する者たちがいる。兗州において青州黄巾賊の侵攻を受け止めている張邈などがそれであり、彼等もまた合流して青州へ派遣されることになる。さらには、孫堅や劉備や公孫瓚などといった者たちも名を連ねている。その上、青州へ派遣される軍政の副将も兼ねた軍監に近い立ち位置でありつつも、今や司徒の役職にある皇甫嵩なども派遣されることとなっていた。ところで司徒の地位だが、一まずは返上という形を取っている。そして青州の鎮定を首尾よく終え洛陽へと戻って来た暁には、彼が復職することになると言った次第であった。
なお今回の派遣に対してだが、皇甫嵩と並んで漢を支え続けていた朱儁も加わるという話もあった。しかし彼は、今年に入ってから体調不良となっており現時点で参軍するのは難しい。そこで劉逞は、洛陽に残りつつ後方の守りを受け持つ一人となっていたのであった。
この様に青州鎮圧軍の派遣の計画が八割ほど決まっていた頃、ある出来事が朝廷で起きることとなる。とは言うものの、別に朝廷内で騒動が起きたとか乱が起きたとかいった話ではない。それならば何が起きたのかというと、劉逞の父親である劉暠の容態が急変したという事態であった。実は彼だが、董卓がまだ存命であった頃に洛陽から落ち延びてきた劉弁を劉逞が保護して以来、劉弁へ仕えていたのである。彼は息子の劉逞や、劉弁の側近である荀彧や种払などの様に才があったわけではないが、誠実な人柄を持って劉弁から信を置かれていた。確かに彼の気性は漢を覆っている戦乱には合わないものであるが、その人柄ゆえに先にあげた側近の荀彧らとは違う意味で劉弁からの信頼を得ていたのである。因みに彼の妻、即ち劉逞の母親も仕えている、最も彼女は劉弁にではなく、彼の正室である唐姫に仕えている。彼女が劉弁の奥向きを纏める者として、唐姫を支えているのであった。
話を戻す。
しかしてその劉暠であるが、実は新年を祝う宴が行われてより間もなく体調を崩していたのである。その後、彼の容態は一進一退を繰り返す。その為か、起き上がることもままならなくなっていた。その様な最中に伝えられた事態というのが、父親の容態急変という事態であった。
この時、幸いと言えるかどうかは分からないが、劉逞が軍議や会議などは行われていなかったのである。それゆえにすぐ劉逞へと伝えられたわけだが、この知らせには流石の彼も驚きを隠せなかった。しかしながら劉逞はどうにか気を取り直すと、政務のことは配下に任せて急いで屋敷へと戻った次第であった。
知らせを受けて政庁から急いで家路へと付いた劉逞は、両親と共に住んでいる常山王家の所有する洛陽での屋敷へ到着する。そして彼は、その勢いのまま馬から降りて父親の元へと向かったのであった。しかしてその場に残された馬であるが、彼は馬としての身体能力もさることながら頭もいい。主である劉逞と違って特に慌てた様子もなく、自身の世話をしてくれているの馬丁の元へと向かったのだ。しかるにその馬丁も屋敷の主となる劉暠が倒れたことを知っていたので彼の容態がどの様なものであるのかと心配しており、不安が滲み出ていた。しかし、劉逞の馬が自分の元へ来たことで劉暠の容態について気にしつつも自らの仕事をこなしている。劉逞の愛馬より馬具を外してから馬房へ入れると、馬の手入れを行いつつも水と餌を与えていたのであった。
その一方で父親の元へと向かった劉逞は、父親の寝台の脇で診察をしている華佗へ声を掛ける。彼は盧植への治療を施して以来、常山王家の筆頭医師としての地位が与えられていた。当然、体調を崩していた劉暠についても任されていたのである。しかしながら名医の誉れ高い彼をしても、劉暠を治療し完治させることは難しかった。最も、劉暠が今も生きているのは、華佗の医師としての力量ゆえに他ならない。もし仮に、他の医師が劉暠の担当であったならば、とっくに今頃は彼も泉下へと旅立っていただろう。しかしそんな華佗をしても、もう劉暠の容態は手を施せないのだ。出来ることは、幾許かの延命ぐらいでしかない。寧ろ、延命させているだけでも素晴らしいことでもあるのだが、それでも華佗はおのれの力不足を内心で嘆いていた。勿論、その様な感情を表に出すようなことはしない。朗らかな笑みすらも浮かべながら、彼は出来得る限りの手立てを劉暠へ施していたのだ。
「元化。父上の容態はどうなのだ?」
「……御覚悟を」
「そうか……」
華佗から出た言葉に、間もないことを理解させられてしまう。何せ劉逞が知る限り、最高の力量を持つ医師が華佗なのだ。その華佗の口から出た言葉であれば、ほぼ疑う余地はない。それでも劉逞は、華佗へにじり寄っていた。
「どうにかならないのか!」
しかし華佗は、静かに首を振るだけである。すると劉逞がさらに詰め寄ろうとしたその時、ちいさいながらも一言だけ劉逞へ声が掛けられたのであった。
「静かに、せい。常剛」
「……父上!!」
「だま、れと言っておる」
苦しげな様子でありながらも黙る様に言ってきた劉暠であり、その彼に対する憚りもあったのか流石に劉逞も口を一旦閉じた。それから両肩を掴んでいた華佗を開放すると、父親が横たわっている寝台のすぐそばに近付く。それから両膝をつくと、父親の手を取ったのだ。その様な息子に対して劉暠は、力のない笑みを浮かべる。それからできる限り表情を引き締めると、億劫そうに口を開いたのだった。
「よいか、劉逞。これからは、我のゆ、遺言と思って聞け」
「な、何を!」
「いい……から聞くのだ。そなたは漢に尽くし、皇帝へいかを、お助けする、のだ」
いささか驚きの表情を浮かべながらも劉逞は、劉暠の言葉を聞く。その後、彼は頷きながらも劉暠へ返答していた。
「勿論にございます、父上。我は皇族として、そして丞相として漢と陛下に尽くす所存にございます」
「そう、か……なれば、安心よ……」
「父上……」
劉逞からの返答を聞いた劉暠は、いっそ涼やかと言ってもいいぐらいの笑みを浮かべていたのである。するとその笑みが、今度は穏やかなものへと変わる。その直後、劉暠は劉逞へ向けて口を開いた。しかしてそんな彼から出た言葉は、劉逞への感謝である。まさかの言葉に、劉逞は目を白黒させていたのであった。
「我は、そなたのお陰で愁いの無い生を……生きた気がしてならん。だからこそ、の感謝なのだ」
「もしその通りであるとすれば、息子として晴れ晴れしきことにございます」
そう返答した息子に対して劉暠は、深い笑みを浮かべる。その息子が浮かべた表情を少しの間眺めたあと、劉暠は自身の妻に対しても感謝の言葉を伝えていた。その言葉を聞いた彼女もまた、嗚咽を漏らしてしまう。すると劉暠は、力なく腕を伸ばすと自身の妻の頭を優しく一撫でする。そしてその行動が、今世における彼が行った最後の行動であった。
「父上!」
「あなた!!」
すぐに華佗が、劉暠の状況を確認する。それから間もなく、臨終したことを告げたのであった。
劉暠が亡くなったことは、すぐに皇帝である劉弁にも伝えられた。するとその翌日には、弔問の使者が劉逞の元へ派遣されている。しかしてその使者だが、劉弁の側近を務める一人である种劭が務めていた。彼からお悔やみの言葉を聞いたあと、劉逞は彼へあることを伝えようと考えていた。それは、喪に服すことである。そうなれば、当然ながら職を辞することになることは言うまでもない。しかも長期になることも、想像に難くはなかった。無論正式に劉弁へも伝えるのだが、その前に一まず彼を空きして伝えておこうと考えていたわけである。だが、劉逞が种劭へその一件を伝える前に、他ならぬ彼から劉弁より会いたい旨が伝えられたのである。すぐにでも喪に服したい劉逞であるが、皇帝からの召喚とあれば答えないわけにはいかない。劉逞は一つ頷くと、参内したのであった。
「常剛、父親が亡くなった時に済まぬな」
「他ならぬ陛下からの呼び出しとあればこの臣、常剛は赴きましょう」
「そうか……時に常剛、そなた喪に服すのか?」
「はい。正式に陛下からお許しをいただき、喪に服す所存にございます」
前述した様にどの道、劉弁へ意見を奏上するつもりだったのである。者のついでというわけではないが、劉逞は劉弁に喪に服す旨を伝えてここで許可を貰うつもりであった。無論、自身から問い掛けたのだから劉弁も劉逞の言葉は予測できていたのだろう。彼から驚いた様子はない。驚いた様子はないのだが、代わりに幾許かの憂いの様な雰囲気が醸し出されている。その様子を不審に思ったのだろう。劉逞の心情を現すかの様に、彼の眉が顰められていた。
「残念だが、それを許すことは出来ぬ。そなたには、奪情を命じる」
奪情……正式には奪情従公であり、その意味は喪に服している人物に対して公務に従事する様にと命じることである。父親が亡くなった場合、劉逞が考えていた通り普通は喪に服すことが通例である。その期間は人により様々だが、最長で三年ぐらいであった。そして劉逞だが、最長となる三年を考えていたのだ。しかしながら劉弁としては、許すわけにはいかない。丞相であり、そして最大の理解者である彼を長期間手放すなどできるわけがないからである。黄巾の乱から始まり、その後に起きた|色々な出来事で不安定となった漢という国が、ここにきて漸く復興の兆しを見せ始めている。その中心となっているのが、丞相として腕を振るう劉逞なのは言うまでもない。しかしここで長期に劉逞が政から離れてしまえば、再び混乱の渦が国内を席巻するかも知れないのだ。
皇帝として劉弁も、当然だがその様な事態を許すわけにはいかない。だからこそ彼は、劉逞に奪情を命じたのである。しかも皇帝から直々の命で奪情が行われたのであれば、それを理由にして讒言を行うことで劉逞を失脚させることも難しくなるといわけであった。
「…………分かりました……」
「おお! そうか!! 分かってくれるか」
「は。この劉常剛。漢の為、皇帝陛下の為、お受けいたします」
ここに皇帝の命で、劉逞の考えていた「長期の間、父親の喪に服す」という行為は覆されることとなる。だがそれは同時に、漢国内がまだまだ安定はしていないという状況の裏返しでもあった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
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