第百三十話~豫州遠征 五~
第百三十話~豫州遠征 五~
建安二年(百九十七年)
何曼と彼の副将であった理元が討ち取られたその日の夜、劉逞の軍で動きがあった。何と、陣変えが行われたのである。中央に陣取っていた大将の劉逞率いる軍勢が、羊山に籠る豫州黄巾賊から見て左へ移動。その後、中央には士燮や劉寵と言った豫州の軍勢が布陣したのだ。同時に劉逞は、旗下の者から嘗て袁術の配下であった者たちが多くいる兵団を、中央への援軍として派遣させる。なお、彼らを率いているのが誰かというと、文聘という人物であった。彼は南陽郡の郡府がある宛出身であり、当初は南陽郡を押さえていた袁術に仕官しようと考えていたこともある。しかし伝え聞いた袁術が同地に拠点を定めてから伝え聞いた噂にその気もなくし、暫くは誰にも仕えることもなく晴耕雨読の暮らしを送る。しかし、何時までも浪々の身では何も成すというわけにもいかない。そこで文聘は、荊州の刺史であり荊州北部を押さえていた劉表に仕官をと考えたのである。だが、時を同じくして董卓による東征が行われたこともあって移動もままならなくなり、またしても仕官の機会を逃してしまった。もしかしたら自分は運に恵まれてはいないのではなどと本気に考えた正にその時、転機が訪れる。その転機こそ、劉逞の南陽郡派兵であった。
袁術からの救援要請を大義名分として南陽郡へ軍を動かし、その結末については前述の通りである。その後、南陽郡は、事実上劉逞の領地となったのだ。しかも、同地が荊州の一郡であるにも関わらずである。この為、荊州刺史である劉表より返還要請が一度は出されていた。しかし、荊州南部の鎮定に忙しかったとはいえ援軍を出すことが出来なかった劉表と、袁術からの援軍要請があったとはいえ兵を繰り出して袁術を打ち負かした董卓の軍勢を蹴散らした劉逞では、どちらの発言力が上かなど言うまでもない。劉表の返還要請は黙殺され、南陽郡は劉逞の勢力下に収まったのであった。
因みに南陽郡だが、一郡でしかないにも関わらず一つの州に匹敵するとまで言われている。だからこそ袁術も、一郡太守でしかないのに、他の刺史や牧と対抗できるだけの勢力を維持することが出来たのだ。そして劉表の返還要請が出された理由も、この南陽郡が持つ地力ゆえである。無論、自身が刺史を務めている荊州の一郡であることもあるのだが、何よりも南陽郡が持つ地力を惜しんだからであるとさえ思われていたのだ。しかし、前述の通り黙殺されて劉表の思惑が通ることは無かったのであった。
何はともあれ、南陽郡を押さえた劉逞は、袁術の行った暴政の影響もあって荒れてしまった南陽郡を立て直すことに尽力している。その一環として人材の発掘があり、文聘もその時に見出された人物であった。こうして劉逞の陣営に加わった文聘だが、元から実力があった為か瞬く間に出世を果たしている。その才には、嘗て袁術に仕えていた橋蕤や張勲や雷薄や陳蘭や閻象も認めるところであり、元袁術の家臣である彼らではなく文聘が兵を率いている辺りにも表れているといってよかった。
さて、話を戻す。この陣変えは特に隠されて行われたわけでもないので、当然だが陣変えについては豫州黄巾賊を率いている黄邵にも報告されていた。
「ふむ……陣変えか……」
報告を聞いた黄邵は、顎に手を当てて頻りに考える仕草をしていた。最も、考える仕草をしているだけではなく実際に考えている。するとその時、龔都が黄邵へ声を掛けていた。
「何を悩む必要があるのか。この好機、利用しない手はないではないか!」
いささか声を荒げつつ彼のいう好機とは、一体何であるのか。それは、撤退する為の機会のことであった。何せ先の戦で何曼と理元が討ち取られた上に、手痛い損害も受けている。もはや彼我の実力差は十分であり、それは豫州黄巾賊一人一人が、骨の髄まで味わった……いや。味あわされてしまったのだ。前述した様に全滅すら齎されかねない状況にあり、その様な事態を迎えるぐらいならば撤退をという意見が出てくるのも当然であった。とは言え、黄邵も元よりその気である。だから彼も、豫州黄巾賊内に撤退という気運が蔓延することに対して、とりわけて手を打ってはいなかったのだ。その彼が、龔都が言う好機。即ち、陣変えによって生じるであろう「敵軍勢の隙を突いての撤退」という機会を前にして考えていることがもどかしい。その為、彼の言葉は本人の意思とは無関係に荒れてしまったのだ。
「そなたの言わんとしていることは分かる。しかしだな、何かが気になるのだ」
「何か?」
「そうだ。何かだ」
何ゆえに黄邵が、今さらになって躊躇いを見せているのか。その理由が、正にそれであった。彼自身、上手く説明が出来ないのだが、敵の陣変えに釈然としない何かを感じ取っているのである。だが、しっかりとした根拠のある話でもない。有り体に言ってしまえば、彼の勘みたいなものに過ぎないのだ。だからこそ黄邵は、気になると表現したのである。実は程度の差こそあるものの、何儀も似た様なものを感じ取っている。しかし黄邵と同様に上手く説明ができないので、彼も黙っていたのだ。
「そんな曖昧なもので、好機を逃すのか? 黄邵殿」
「…………分かった。そなたの言う通りにしようではないか」
そもそもからして黄邵の考えは、前述した様に勘の領域に近い。つまり根拠としては、かなり薄いのだ。一方で龔都の言う通り、敵方の陣変えは撤退の好機であることは間違いない。勘と、目の前で起きている現実。どちらに説得力があるなど、比べるまでもなかった。ともあれ、一抹の不安を抱えつつ、彼らは撤退の準備を始めたのである。だがしかし、黄邵や何儀の感じた漠然とした思いは、間違ってはいなかったのであった。
陣変えが行われてより二日後の夜、黄邵たち豫州黄巾賊はついに動きを見せた。彼らは、夜の闇に乗じて羊山からの、ひいては汝南郡からの脱出を試みたのである。彼らが向かう先は青州であり、より具体的に言えば管亥が押さえた斉国であった。斉国の嘗ての郡治所を本拠地とした青州黄巾賊を率いる管亥は、結果として他の州への攻めに失敗した張饒をも取り込んでいる。こうして勢力の一本化に成功すると、蝗害からの復興を画策している孔融の勢力へ手出しを始めたのだ。これには孔融も、動揺してしまう。まさかこの短期間に、攻め寄せてくるとは思ってもみなかったせいだ。それでなくても、張饒が冀州や徐州へ攻め込んでいる。つまり、兵力は減退している筈なのだ。だからこそ、孔融もすぐには攻めてこないと判断していたのである。それであるにも関わらず、彼は攻められてしまった。要するに、裏をかかれてしまったというわけだ。
「まずい! 持ちこたえられぬ」
何せ蝗害で発生した被害による治安の悪化を是正する為に、各郡へ太守と兵を戻している。兵を分散配置している状況に、兵を纏めた青州黄巾賊が襲い掛かっているという状況なのだ。しかも、管亥が最初の標的としたのは孔融に他ならない。何せ青州刺史である孔融は、同時に北海国の相でもあるのだ。ゆえに青州の州治府は元々あった斉国より北海国へと移動していたのである。その北海国へと攻め寄せた青州黄巾賊を率い得るのは、張饒であった。連敗しているのにと思われるかもしれないが、そもそも彼は青州黄巾賊の中では実力者の一人である。確かに連敗しているかもしれないが、その相手は劉逞配下でも屈指の実力を持つ張郃が率いた軍勢と、今や独立してしまったが当時の陶謙配下でも将の実力は間違いなく一位であった臧覇が率いた軍勢である。とどのつまり、相手が悪すぎたのだ。
一方で、今回の相手は孔融である。武将としては、お世辞にも優秀とは言い難い。最も、彼の本質は文官であり、武将としての能力が低いのは致し方ない側面はある。だが、戦場においてその様なことは関係ない。しかも彼は青州刺史であり、敵から狙われることは寧ろ当然であった。かくて一郡太守が持ち合わせることが出来る軍勢に多少の各郡太守が残した軍勢を加えた状況で、孔融は青州黄巾賊を率いる張饒と相対する羽目となったのである。しかも張饒は、この一戦に冀州と徐州で連敗した雪辱を果たす意気込みを持って臨んだのだ。孔融からすればいい迷惑かも知れないが、それこそ張饒には関係がない。こうして雪辱に燃える張饒と意表を突かれた形となった孔融による戦が開幕したのだ。しかしてその結末はというと、孔融の敗北である。意表を突かれたこともさることだが、何より攻め手であった張饒の率いた青州黄巾賊側の兵数がより多かったことが決め手となっってしまった。かくて孔融は敗れ、今となっては彼の生死は不明である。
兎にも角にも、首尾よく孔融を破った青州黄巾賊は威を取り戻し、青州での活動をまたしても活発化させていた。その様な青州へ、彼らは向かうつもりなのである。豫州黄巾賊が追い込まれたことで、今となっては唯一の黄巾賊が活発に活動できる地でもあるのだ。
「大きな物音は、まだ立てるではないぞ」
小声で指示を出しながら、黄邵たちは進軍している。彼らが突破する個所としているのは、士燮や劉寵や文聘率いる豫州の軍勢と、曹操など朝廷に仕える者たちによって組織された劉逞率いる本隊とはまた違う右翼を任されている軍勢との中間地点である。陣変えの影響によって、まだ両勢力における意思の疎通がしっかりしていないと判断しての動きとなる。しかしながらその思惑は、劉逞側に読まれていたのであった。
「今だ!」
行幸かそれとも黄巾の神の思し召しか、敵に気付かれなかった黄邵たちは、敵に混乱を与えるべく手近な敵陣へと押し寄せる。勢いのまま陣へと辿り着いたものの、何とそこは人一人いない空の陣であった。よく考えてみれば、敵陣へ攻めたにも関わらず反撃らしい反撃を受けた記憶がない。攻めた敵陣の本陣を攻めることに集中していたせいで、気付けなかったのである。しかし、ここまでくれば、幾ら何でも現状を把握することは出来る。それらの事実が示す結果、即ちそれは……
「しまった! 罠だ!!」
その直後、今まで暗闇に覆われていた周囲から一つ、また一つと松明が灯り始める。かくて羊山を出た豫州黄巾賊は、包囲されてしまったのである。そしてこれこそが、田豊の提案した策であった。
何曼と理元を討ち取ったあの日の夕刻、劉逞は軍議を開いている。そこには当然、軍に参加している諸将も参画していた。その軍議で劉逞は、田豊が自身に提案した策を説明させている。その上で、諸将に陣変えをする様に命じたのだ。この戦に参画している将は、今まで幾度となくともに戦ってきた者たちである。しかも劉逞自身、その実力は把握している。彼らの実力は折り紙付きであり、陣変え程度で浮きだってしまうとは思えなかった。
こうなると、寧ろ心配なのは文聘が率いる軍勢が援軍となった中央の軍勢となるわけだが、士燮や劉寵などは経験という点では言うまでもないし、元袁術配下の彼らも戦における経験は豊富である。彼らはこの程度の陣変え程度で、狼狽えるほどやわではない。それどころか、策を聞いてこれで勝てると考えていた節すらあった。実際、足を引っ張ってしまうのではないかと一番心配していたのは、文聘本人であったとさえ言われていた。彼の場合、才は間違いなくあるのだが、実戦経験がいささか足りていない。それゆえの心配であったのだが、自分より将としての経験が豊富な彼らの態度を見て気を落ち着かせることが出来ていたのだ。この様な経緯で陣変えが行われた結果、羊山に籠っていた豫州黄巾賊はおびき出されたというわけである。これが気になっていたことだったかと今さらの様に思った黄邵であったが、頭を振って気持ちを切り替えると生き残る手立てを考える。まずはまだ包囲網が完成しないうちに羊山へ戻ろうと考え、彼は視線を後ろに向ける。だが、誰もいない筈の羊山になぜか明かりが幾つも灯っていた。この理由は言うまでもなく、羊山の南側に陣取っていた李通率いる軍勢の仕業である。彼らの元には、劉逞から派遣された連絡役も兼ねている趙燕の配下がいる。その彼らを通して、今回の策についても通達されていた。流石に立地の関係上、李通が軍議に参加することが難しかった為である。ともあれ、趙燕配下からの偵察もあって羊山から豫州黄巾賊が消えると、李通は空となった羊山を占拠したというわけであった。
「……降参する……」
後方も遮断されたことで、これではもう手の出しようもない。しかも、時を置かずして劉逞率いる本隊も包囲網に加わることは明白である。もはやどうにもならず、二進も三進もいかないことは言うまでもない。そしてこの黄邵の宣言により、豫州における黄巾賊鎮定は終了した。
なお、後に論功行賞が行われ、士燮は刺史より牧へと出世する。最終戦の決着こそ劉逞に譲りはしたものの、ここまで豫州黄巾賊を追い詰めた功績を考えれば当然と言えた。また李通だが、正式に劉逞の家臣となっただけでなく、彼が事実上勢力としている地域の郡太守に任命されている。厳密には郡ではなかったのだが、この為に新たに郡を一つ創設して李通を郡太守に命じたのだ。これにより、李通は袁紹の勢力と劉表の勢力と接することになる。南陽郡を任されている文聘と並んで、重要な地を任されることとなったのであった。
何曼の副将「理元」ですが、オリジナルです。
ご一読いただき、ありがとうございました。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
https://ncode.syosetu.com/n4583gg/
も併せてよろしくお願いします。