第十三話~太守~
第十三話~太守~
中平二年(百八十五年)
崔儷との婚約が成立してから半月もした頃、劉逞は鉅鹿郡へと向かった。やがて到着した廮陶にて劉逞一行は、今まで太守の地位にあった郭典の出迎えを受ける。なお郭典だが、鉅鹿郡太守解任後は中山郡の太守となることが決まっていた。
「お元気そうで何よりです、常剛様」
「貴公こそ息災で何より……とは言いづらいようだ」
「ははは……はぁ」
劉逞が心配したように、郭典の顔色が悪かった。その理由は、言うまでもなく鉅鹿郡の立て直しの為である。鉅鹿郡の西側は劉逞が黄巾賊を早期に鎮圧したこともあって、それほど荒れていたわけではない。だが反比例するかのように、郡東側の荒廃は酷かったのである。これには、激戦の地となった広宗の存在も大きかった。
ゆえに彼は、郡内の立て直しに文字通り東奔西走していたのである。それはあまりにも忙しく、論功行賞が行われた洛陽に行けなかったぐらいである。流石に朝廷もこれには目を瞑っており、事実上暗黙していた。だが郭典の必死の働きによって、鉅鹿郡は漸く最悪を脱して好転の兆しが見えてきていたのである。だが、それで苦労は報われるが疲労が癒されるわけではない。それは、郭典の現状が物語っていた。
実際、あと一月も劉逞の着任が遅れていたら、郭典は倒れていたかも知れない。それぐらい、ぎりぎりの状況であった。
「あー、えっと。あとは任せておけ」
「……よろしくお願い致します」
兎にも角にも、こうして劉逞は鉅鹿郡太守となったのである。その後、郭典からの引継ぎを終えた。するとこれで肩の荷が下りるとばかりに喜びを全身から滲ませながら郭典は、次の赴任地となる中山郡へ移動したのであった。
新たに鉅鹿郡太守となった劉逞は、郭典の事業を踏襲しつつも手を打っていく。その事業を担当したのは、董昭であった。彼は前述したように、廮陶の県長を勤めている。その為、鉅鹿郡の内情については劉逞たちなどよりは遥かに詳しい。そこで、彼に一任したのであった。
同時に、程普などを郡内に派遣して鎮定にもより勤しむ。自身が倒れる寸前まで頑張っていた郭典の尽力によって最悪の状態を脱し掛けていたことも相まって、鉅鹿郡は徐々にではあるが回復していった。
それはここにきて漸く、劉逞に鉅鹿郡より離れることができるだけの余力が生まれたと言えた。すると彼は、趙伯と程普と趙雲、それから夏侯蘭と趙燕を伴って廮陶を出立して甘陵国へ向かう旨を皆に伝えたのであった。
これには、二つの理由がある。一つは、今回の婚姻で義祖父となる劉忠への挨拶だ。しかし、それ以上に大きな理由がお礼であった。劉忠には、騎都尉就任と張牛角に対する漢への取り込み時、都合二回ほど力添えをして貰っている。どちらも劉忠の思惑があったので、それほどにまで気にすることはないのだが、それでも劉逞に対する力添えに違いない。そこで、義祖父への挨拶を兼ねた甘陵国への訪問であったのだ。
黄巾賊を討ち張三兄弟の首を刎ねたとはいえ、黄巾賊を殲滅できたわけではない。最盛期より黄巾賊の数はかなり少なくなっているが、それでも少なくはない残党はいるのだ。その為、目的地が鉅鹿郡の隣となる甘陵国であっても、お気楽に移動というわけにはいかない。だからこそ、将兵を率いての移動となった。その甲斐もあって、一行が賊に襲われるなどといったこともなく無事に甘陵国の境にまで到着する。そこで劉逞たちは、出迎えを受けたのである。一行を迎えたのは、黄巾賊討伐後に甘陵国の相となった劉虞であった。
劉虞も、劉逞と同じく皇族である。彼は、光武帝の長男で東海恭王の地位にあった劉彊の子孫となる。彼自身も優秀であり、黄巾の乱がおきる前には幽州刺史をも務めたことがある。彼が幽州刺史であった頃は、異民族すらも彼の徳に感化され、国境を荒らすこともなく大人しく朝貢をしていたぐらいであった。
そのような人物の治世となれば、民も大人しく従う。ゆえに彼が刺史であった頃の幽州は、辺境とは思えないぐらいに安定していたのである。だが刺史在任中に病気に罹ってしまい、療養の為に職を辞して郷里に戻っていたのだ。
しかし劉虞は、病気の快癒後も朝廷には戻らず郷里に留まっていたのである。もしかしたら彼は、そのまま郷里で余生を過ごすつもりであったのかも知れない。しかし黄巾の乱という国中を巻き込んだ争乱が、彼をそのまま大人しくしていることを許さなかった。間もなく劉虞は、朝廷からの命により呼び戻される。そして、甘陵国の立て直しに尽力するように要請されたのであった。
一方で劉虞としても、同じ皇族である劉忠が治めている甘陵国のことである。しかも、甘陵王家に連なる者は、現当主となる劉忠以外は一人の孫娘を残しているのみという有様だ。流石に無下にするのも忍びないとして、劉虞はその命に同意する。こうして、甘陵国の本格的な立て直しの為に彼が相へと任じられたのであった。
因みに劉虞が甘陵国の相へと就任した経緯については劉逞も知っていたのであった。
「甘陵王の命により、お迎えに上がりました」
「これは、劉相殿。忝く存じます」
前述したように劉虞は、名を馳せている。しかも同じ皇族であり年上である。それゆえに劉逞は、礼を失することないように対応していたのだ。
その後、劉虞自らの案内によって甘陵国の治府がある甘陵へと到着する。すると劉逞は、程普と趙雲と夏侯蘭を伴い、劉忠と何れは正室となる崔儷と一年以上ぶりに再会したのであった。
「お元気そうで何よりです、甘陵王殿」
「うむ。常剛殿……否、常剛も太守を拝命し、祝着である」
「はっ」
劉逞によって助け出されたあと一ヶ月ほど顔を合わせていた二人だが、いささかであるがぎこちなさが目立つ。これは嘗ての時とは違い、新たに義理とはいえ祖父と孫という関係となる両者であるということを考慮すれば、仕方がないだろう。だがそのような空気を破ったのは、当事者の一人でもある崔儷であった。
彼女はとても嬉しそうに劉逞へ、そして祖父の劉忠へ話し掛けているのだ。そんな彼女の様子に、この場の空気が和んだのである。これには、劉逞も劉忠も微苦笑を浮かべるしかない。そんな二人の様子を見て今度は、崔儷が首を傾げていた。しかしその仕草が、この場に新たな笑みを呼び込む。その為、先ほどまでとは違いこの場は一気に穏やかな対面場所となっていた。
何であれ挨拶を済ませた劉逞は、それから数日ぐらい甘陵へ留まっていた。しかし、いつまでも甘陵国内へ留まるわけにもいかないのだ。甘陵国にしても復興は道半ばであるし、それは劉逞が太守を務める鉅鹿郡も同じである。寧ろ、黄巾賊との戦いによる荒れ方が激しかった分だけ、鉅鹿郡の方が大変であった。
そこで当初の目的を果たした劉逞は、甘陵から辞する旨を劉忠と劉虞へ告げる。二人も彼が抱える実情については理解しているので、引き留めるようなことはせずに送り出していた。するとこの時、崔儷は甘陵の城壁に登り、視界から消えるまで見送り続けていたという。これは婚約者の見送りという側面もあったが、何より彼女の気持ちも絡んでいた。
黄巾賊という彼女にとってみればわけの分からない相手により両親と伯父夫婦といとこが討たれ、しかも祖父が捕らえられた。崔儷自身も捕らえられる寸前にまで陥ったのだが、祖父の劉忠や両親などが命を懸けたお陰で彼女だけ助かり逃げ遂せたのである。それから三ヵ月近く隠れ住んでいたが、匿季雍から甘陵国内での劉逞の活躍を聞いたのである。しかも本人が、甘陵に現れたのである。彼女は藁にも縋る気持ちで、唯一の肉親となってしまった祖父の救出を頼み込んだという経緯があるのだ。
彼女の頼みを聞いた劉逞は、あくまで彼女の視点から見ればだが、否応もなく了承している。しかも間髪入れずに甘陵への攻めが行われ、劉逞は依頼した通りに祖父の身柄を助け出したのである。そればかりか、甘陵国内からも黄巾賊が駆逐されたのだ。崔儷からしてみれば、とても頼れる男性である。その憧れに近い気持ちが、やがて密かな恋心へと変わっていったのだ。
それゆえに、婚儀の話を持ち出された時は嬉しさのあまり祖父へ抱き着いたぐらいである。つまり劉忠にとって婚儀の話は、甘陵王家としてもそして可愛い孫娘の為にもなる話であったのだった。
無事に鉅鹿郡へ戻ってきた劉逞は、郡内への復興にさらなる力を入れることとなる。その彼だが、鉅鹿郡内の治政と並行して人材の確保にも努めていた。趙燕隷下の者が集めてきた情報、そこには漢各地の情報もあるし人材についての報告もある。その中の一つに、兗州での話があったのだ。
先の黄巾による蜂起の際に、兗州の東郡にある東阿県丞の地位にあった王度という男が黄巾賊に同調したのである。すると彼は略奪の限りを尽くしたのだが、一方で東阿の県令は逃亡して行方知れずになっていた。その時、薛房などと言った地元の豪族へ、逃げた県令を探し出して呼び戻せば王度に勝てると説得した人物がいたのである。その者の名は、程立といった。
果たして程立の説得に応じた豪族たちであったが、彼らと違って近くの山へと避難した官吏と民衆は同意しなかった。そこで程立は、官吏と民衆に対して謀を仕掛けて城に呼び戻してしまったのである。その上で程立は行方不明となっていた県令をも探し当てると、官民一体となって籠城を進言する。ことここに至り県令も腹を括ったらしく、程立の進言通り、籠城したのだ。
このことを知った王度は、怒りに任せて攻め掛かった。だが、程立は自ら兵を率いて城から打って出る。そして、徹底的に王度を打ち負かしたのだ。流石に彼を討つことまでには至らなかったが、勢力としてはほぼ壊滅させている。結果として東阿は、安全となったのだった。
「ふむ。これほどの者がいるとは……欲しいな」
趙燕の報告を一読したあと、劉逞は程立を家臣に招きたいと考える。特に必要ならば、味方にすらも謀を仕掛けるその非情さを買っていた。程立のような男は、自分の家臣にはいない。しかし漢が荒れ始めていると感じていている劉逞にとって、その非情さも必要ではないかと感じていたのだ。
そこで劉逞は、幼馴染みの夏侯蘭を代理として派遣した。但し、無理強いするつもりはないので強引の招聘は禁じている。そればかりか劉逞は、招けるのであれば客将でも構わないとまで言い幼馴染みを送り出したのだ。
命を受けて出立した夏侯蘭は、程なくして東阿に到着する。事前に趙燕配下が行った根回しもあって、無事に程立と面会を果たす。そこで彼へ書状を渡し、数日は留まることを告げていた。
それは夏侯蘭としても、すぐには決断できないだろうとの見込みがあったからである。しかし翌日には程立が夏侯蘭の元に赴き、客将ならばと返答していた。そのあまりにも早い回答に、夏侯蘭はいささか驚きを現す。その後、気を取り直した夏侯蘭は、程立へ今すぐにでもと申し伝えたが、それは流石に無理である。この東阿の地を離れる以上、やらねばならないことがそれなりあるからだ。それならば夏侯蘭は、自身の証となるものを程立に渡していた。
「これを見せれば、必ず話が通るように段取りをしておきましょう」
「分かりました」
そう返答すると、証を受け取った程立は、辞して帰っていった。
さて程立が客将の立場であっても招聘に応じた理由だが、有り体に言えば劉逞に興味が湧いたからだ。黄巾の乱が始まると同時に現れたかと思うと、あっという間に功を挙げてしまう。そして官位までも賜り、今や太守にまでなっている。皇族であるということを差し引いても、異常な出世速度であった。
しかも劉逞には、これといった悪い話もあまり聞かない。無論、皆無ではないが、聞こえてくるのはどちらかと言うとやっかみから出ているのではと思えるものばかりだ。そこで、この招聘を利用して自身の目で見極めてみようと考えたのである。
夏侯蘭へ返答したあと程立は、前述した通り自身の身辺整理を行う。やがて無事に終えた程立は故郷を発つと、廮陶へと向かっていった。やがて到着すると、城を守る兵に対して夏侯蘭から渡された証を提示した上で取り次ぎを頼む。夏侯蘭もしっかり手筈を整えていたこともあって、間違いなく話が通ったのである。それでも暫く待たされたのだが、やがて程立の視界には三名ほどが映っていた。
そのうちの一人は、言うまでもなく夏侯蘭であった。だが、残り二人に関しては見覚えがない。特に中央にいる人物は、太陽の光に紛れてしまい影としてしか見えないのだ。それでも夏侯蘭がいることは分かったので、程立は礼を失することなく一行に対して挨拶を行っていた。
「衛統殿。程仲徳、参りました」
「これは、これは。歓迎致しますぞ仲徳殿」
面識のある二人が、まずは挨拶を交わしていた。
「そなたが仲徳殿か。よく参られた。さ、顔を上げられよ」
中央の人物から発せられた声に従い、程立は頭を上げる。それはちょうど太陽と重なり、まるでそのものであるように見えていた。その様子は、彼が若き頃より何度も夢に見た光景を彷彿とさせていたのである。何せ程立は、若き頃より泰山に登り自身の両手で太陽を掲げるという夢を何度も見ていたからであった。
「もしかして、劉常剛様でしょうか」
「ああ。我がそうだ、仲徳殿」
「そうですか……申し訳ありませんが、客将の話はお断り致します」
きっぱりと言い放った程立の言葉に、夏侯蘭と趙雲が気色ばむ。しかし劉逞は、二人と違って小さく苦笑を浮かべている。それから彼は、残念そうな表情を浮かべたのであった。
「どうやら我は、そなたの目に叶わぬらしい」
「いえ。そうではありません。程仲徳……この程昱仲徳。家臣として、常剛様にお仕えしたく存じます」
「おおっ! まこと、に? ……失礼だが程昱と?」
「はっ。今日ただ今を持ちまして、我は程昱仲徳にございます」
いきなりの改名に、劉逞も趙雲も夏侯蘭も戸惑いが隠せないでいた。それを証明するように、三人はお互いに見合っている。とはいえ、これは本人からの申し出である。何か思惑があるのだろうと思案した劉逞は、それ以上は何も言わず彼の言を受け入れていた。
そして主君となる劉逞が受け入れたのであるならば、家臣である趙雲や夏侯蘭としても否はない。二人もまた、程立の言葉を受け入れていた。
こうして程立は名を改め、程昱となったのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。