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第百二十六話~豫州遠征 一~


第百二十六話~豫州遠征 一~



 建安二年(百九十七年)



 年も明けた春、劉逞は劉弁にある報告を行った。それは、士燮からの要請により派兵することが決まっていた豫州汝南郡に集結した黄巾賊残党の討伐についてである。とは言え、前述の通り既に決まっている事案であり、茶番に近いかも知れない。しかしながら、漢の最高権力者である皇帝からの命で行われたと言う事実は大きい。だからこそ劉逞も、あえて行っている節があった。


「陛下。我らはこれより出陣致します」

「うむ。朗報を待っているぞ」

「ははっ」

「これは朕よりの手向けぞ」


 すると、荀彧よりの指示の元、劉逞へ皇帝たる劉弁からのさずかりものが授けられる。恭しく受け取ったあと、劉逞は劉弁の御前より下がった。そして幼馴染であり親友であり、そして護衛でもある趙雲と夏候蘭の両名を伴いながら、宮殿を出て洛陽の郊外へと向かう。果たしてそこには、今回の出陣に当たって調えられた軍勢が集結していたのであった。


「みな、聞け! 我らはこれより出陣する!! 汝南にたむろう黄巾の残党を誅罰し、皇帝陛下のご威光を示すのだ!」

『おおー!!』  

「では、出陣!」 


 こうして劉逞は、士燮との約束通り汝南黄巾賊討伐の兵を起こした。彼は軍勢を調えた洛陽から出陣すると、司隷と豫州の境を越えて潁川郡へと入る。この潁川郡は荀攸や荀彧の実家となる荀家のお膝元であり、漢の丞相である劉逞の率いる軍勢を拒むようなことなどする筈もなかった。その後、劉逞の軍勢は、長社に到着する。この地は嘗て皇甫嵩や曹操が、黄巾賊の指揮官であった波才と激戦を広げた地でもあった。


「威彦、大儀」

「ははっ」


 討伐総大将としての威厳を見せつつ出迎えた士燮へ声を掛けた劉逞であったが、そこで彼は目をしばたたかせることとなる。それは、意外な人物が士燮の近くにたたずんでいたからであった。果たしてその人物が誰であるかというと、陳王劉寵である。実は劉逞と劉寵だが、ある因縁がある。と言っても、良からぬ因縁などではない。ならばどの様な因縁があるのかというと、二人は同じ人物から分かれた血筋なのだ。しかしてその人物とは、東漢(後漢)の二代目皇帝であった明帝であった。

 劉逞へと繋がる常山王は、明帝の八男に当たる劉昞となる。彼は常山王に封じられたあと、十数年後に死亡する。しかし彼が鬼籍に入ってから三年後、四代目の皇帝となる和帝が、劉昞の末子となる劉側を常山王へ封じたことで常山王家は復興しているのだ。以降は、劉側の子孫が常山王を継承してきたというわけである。なお、現常山王である劉嵩が亡くなれば、劉逞が跡を継いで常山王に封じられる。そうなれば、彼が第七世の常山王となるのだ。その一方で劉寵だが、彼は明帝の次男に当たる劉羨が祖先となる。劉羨は明帝の四男、即ち劉羨から見れば弟であった三代皇帝の遺詔によって陳王へ封じられた人物となる。その後は、劉逞と同様に彼の子孫が歴代の陳王を継承していたのであった。さて劉寵だが、前述した様に反董卓連合が結成された際にも、劉逞側に味方している。劉逞が率いた本隊と合流することはなかったが、一定の戦果を挙げて貢献した人物であった。


「陳愍王、そなたがいるとは、心強い」

「我もこの豫州に住まう者、黄巾をわずらわしいと思っていた」

「なれば、嘗ての戦果を、見せていただこう」


 劉逞と同様に劉寵もまた、黄巾の乱では目覚ましい働きをしている。というか、皇族において目覚ましい働きをしているのは、劉逞と劉寵ぐらいしかいないであろう。寧ろ、この二人こそが武功が少ない漢の皇族としては、異端であると言ってよかった。


「ならば我も、そなたの手腕を確かめさせてもらうとするか」


 劉逞の言ったある意味で挑発とも取れる様な言葉を聞いたあと、劉寵は不敵を浮かべながらこれまた呷るかのような言葉で返答する。その瞬間、この場を緊張感が覆い尽くす。しかしそれも、僅かのことであった。直後、劉逞と劉寵のどちらからか分からないが、笑い声が上がる。まさか二人が笑い出すとは思ってもみなかったことであり、直前まで覆っていた緊張感も相まって、笑い声をあげた二人以外は呆気に取られてしまう。そんな空気を知ってか知らずか、劉逞と劉寵は肩を並べながらこの地に存在している長葛城へと入城して行く。その姿に気を取り直した荀攸以下劉逞の家臣や駱統以下劉寵の家臣、さらには士燮などが慌てて二人を追って城内へと入ったのであった。

 彼らが長葛城内へと入ったあと、劉逞は宴にて士燮から歓待を受ける。汝南の黄巾党残党と対峙しながら随分との余裕であるが、そこに抜かりはない。士燮はしっかりと対策を打っており、汝南郡の拠点に集結した黄巾党残党は動くに動けない状況に陥っているのだ。その点については、趙燕率いる者たちからの情報により周知している。ゆえに、憂うことなどなく歓待を受けていたというわけであった。

 明けて翌日、早速にでも劉逞は軍議を開く。参画しているのは、劉逞が率いて軍勢から曹操などの主だった将に加え、豫州から士燮や劉寵となっている。その軍議の席で劉逞は、改めて士燮から報告を受けていた。しかしてその報告内容であるが、劉逞が手に入れている情報との齟齬はほぼないと言っていいだろう。この事実は、劉逞の元で情報の収集などを担当する趙燕たちが、優秀であるという示唆でもあった。


「ふむ……羊山か」

「はい。その地に集結しております」

「なれば、我らも向かうとしよう」


 早速にでも動くことを決めた劉逞は、長社を出でて羊山へと向かった。その地には、士燮らの働きによって動こうにも動けない黄邵と何儀と何曼が駐屯しているのである。そんな羊山に駐屯する黄巾賊残党を率いる三人だが、名目上は黄邵を大将格としている。しかし三人の中で、明確な格付けは存在していない。強いて挙げるとすれば、率いる兵数によって格付けがされているぐらいであった。そんな三人であるが、黄邵と何儀と何曼では態度が違っている。先に名を挙げた黄邵と何儀は、敵軍勢進軍との報に驚きを隠せていない。それは、相手が士燮だけならばまだしも、劉寵も敵にいるからだ。それだけでも憂鬱であるというのに、そこにきて漢の丞相である劉逞が自ら兵を率いて豫州……いや汝南郡へ現れているのだからその様子も当然であった。それでなくても劉寵には、嘗て張角の指導の下で漢に対して兵を挙げたいわゆる黄巾の乱にて手痛い損害を受けたと聞いている、その上、劉逞に至っては、事実上彼によって張角と張宝と張梁の三兄弟が討たれてしまっているのだ。もっとも、黄巾の乱の指導者であった張角は、劉逞と対峙していた頃には病気で意識がない状況にあったので討たれたとは言い難いかも知れない。それでも三兄弟は全員、劉逞によって首をはねられたことは事実であったからだ。

 しかしながら残りの一人である何曼だが、彼は愛用の獲物である鉄棒を振り回し、とても気力旺盛きりょくおうせいである。彼にしてみれば、劉寵も士燮も手強い相手以上の認識がないのである。強者である彼らと対峙して、そして勝利を自ら手にすること。これこそが、何曼の望みであった。なお、劉逞に関してだけは、強者との対峙とは別の思いを買掛けていることを明記しておくとしよう。


「……はぁ。どうしたものか……」

「確かに」


 嬉々ききとした表情を浮かべながら先にあげた漢の軍勢との戦いを夢想する何曼を視界の隅に収めつつ、黄邵と何儀の二人は愁いを帯びた表情を浮かべながらため息をつくのであった。





 ここで、どうして羊山に駐屯する黄邵らが率いる黄巾賊残党が動けないでいるのか。その理由を、述べておく。その理由が何であるのかというと、羊山の近くに彼らと敵対する勢力が存在している為であった。しかし彼らは、正式には漢の軍勢ではない。しかしながら同時に、豫州にて暴れる黄巾賊残党を苦々しく思っている人物が抱えている独立勢力であった。ところで、誰に率いられた勢力であるのかというと、荊州江夏郡から豫州汝南郡に掛けて勢力を持つ李通という人物によって率いられた軍勢である。この李通だが、飢饉が起きると自らの持つ財産を傾けるまで使って部下などに分け与えるなど厚い侠気を有する人物として知られていた。そんな彼だが、かねてより漢へ、より正確に言えば劉逞の傘下となることを模索していたのである。その様な頃、豫州刺史となっていた士燮よりある話が持ち掛けられる。それは、豫州黄巾賊鎮圧への協力であった。

こうして話を持ち地掛けられた李通だが、彼はすぐにここで手柄を立てれば、劉逞への手土産になると判断した。ゆえに李通は、士燮の提案を飲んだのである。とは言え、初めから軍勢を率いて協力したわけではない。彼は当初、あえて動かずにいた。これには勿論理由があって、要請された当初から下手に動いてしまうと、士燮らが考えていた豫州黄巾賊の集結という作戦に齟齬をきたしてしまうかもしれないと考えたからである。そしてその様な事態とならないようにする為に、士燮らと図って李通は動かずにいたのだ。この動きがみられない事実があったゆえに劉辟が亡くなったあとに軍勢を引き継いだ黄邵は、何儀と何曼とともに羊山に移動して黄巾賊の集結を行ったのである。しかし、これこそが士燮や李通の目論見であったことは前述した通りである。黄邵と何儀と何曼が羊山に駐屯したことが判明すると、李通は即座に調えていた軍勢を動かして羊山に進軍する。まさかここにきて警戒していた李通が動き、しかも対立をはっきりと表明するとは彼らにとっては寝耳に水の事態である。ここに黄邵ら豫州黄巾賊残党は、李通の軍勢と士燮の派遣した援軍の孫座によって羊山から動くことが出来なくなってしまったという実情が存在していたのであった。

ご一読いただき、ありがとうございました。



別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。

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