第百二十三話~青州黄巾賊 三~
第百二十三話~青州黄巾賊 三~
興平四年(百九十五年)
青州黄巾賊の軍勢に取り囲まれた蕭建の籠る莒の近郊へと到着した臧覇と陳登は、早速軍議を開いた。とは言え、敵に気付かれた様子はない。この好機を逃す気はない二人であり、いかにして奇襲を仕掛けるかを話し合っていたというわけである。理想としてはそれこそ最後まで敵に気付かれることもなく、襲い掛かることが出来ればいい。だが、そう簡単に上手く奇襲が成功するとはとても思えないのもまた事実であった。
「さて。いかにするべきか」
さも意味ありげに臧覇は、陳登へと問い掛けた。問われた彼は、少しの間だけ視線を上に向ける。それはまるで、自身の考えを纏めている様であった。やがて考えが纏まったのか、陳登は臧覇へ考えを告げる。話を聞いた臧覇は面白そうな表情を浮かべると、その表情に合う様な声で笑い始める。そして一頻り笑ったあと、陳登の肩を二度三度叩いたのであった。
「いいだろう。そなたの考え通りに行おうではないか」
「宜しいのか?」
「構わぬ」
こうして策は決まり、彼らは動き始めるのであった。
臧覇が到着してより数日後の早朝、彼の軍勢は徐州出身である昌豨を先鋒にして莒へと近づいていた。果たして彼の軍勢だが、できうる限り音を立てずに進軍している。その目的は言うまでもなく、取り囲んでいる黄巾賊への奇襲である。そして昌豨が臧覇より命じられたのは、朝駆けであった。
「もう少しで、接敵できるか」
「そうだな」
昌豨が話し掛けたのは、臧覇から同じく命を受けた呉敦である。彼は兗州出身の臧覇と共に若い頃から行動を共にしていた人物であり、他にも同じ様な境遇の者としては孫観と尹礼という人物がいた。実は彼等だが、とある事情で昌豨の出身地である徐州の東海郡へと落ち延びたのである。その地で臧覇らは昌豨と出会い、昌豨は臧覇の器を知って迎え入れたばかりか主としたのであった。
ところで、何ゆえに臧覇が兗州より徐州へと落ち延びたのか。その理由は、父親にあった。最も、父親こと臧戒が罪を犯したなどという理由ではない。寧ろ、父親は法に厳格な人物であった。しかし、その法に厳格なことが厄介を招いてしまったのである。若かりし頃の臧覇は、父親の臧戒と共に出身地である兗州泰山郡で暮らしていた。しかし当時、泰山郡の郡太守が不正を行い、罪のない者を複数処刑しようとしたばかりか、臧戒へ彼らの処刑を命じたのである。だが前述した様に法に厳格であった臧戒は、この命を公然と拒否する。自身の命に従わなかったことに怒りを露にした郡太守は、兵を調えると臧戒を捕らえたのだった。
「そんな、馬鹿なことがあるか!」
私用があり、出掛けていた臧覇であったが、当時食客として臧戒の家に厄介となっていた孫観から話を聞くと怒りに体を震わせながら大声を上げた。しかし、それも当然であろう。悪いのは臧覇の父親となる臧戒ではなく、郡太守なのだ。
「だが、事実だ。して、どうする?」
「父上を、取り返す」
孫観の問い掛けに対して臧覇は、間髪入れずに捕らわれた父親の奪回を宣言する。その返答を聞いた孫観は、不敵な笑みを浮かべていた。
「そなたならそう言うと思って、声を掛けておいたぞ」
するとそこには、孫観を始め呉敦や尹礼などといった臧戒が世話をしている食客十数人が、武装を調えて集まっていたのである。そんな彼らに笑み浮かべたあと臧覇は、彼らを率いて捕らわれた父親を追い掛けたのだ。まさか捕縛された者を奪回に来るなどとは夢にも思っていなかった郡太守の部下は、急襲されてしまう。そればかりか這う這うの体で逃げ出し、臧覇に臧戒を奪回させられてしまったのだ。しかし、これだけのことを仕出かしたとあっては、彼らも泰山郡に留まることなどできない。面目を潰された郡太守が、さらに兵を出してくることが明白だからだ。そこで臧覇は奪回した臧戒や一族と共に、徐州の東海郡へと落ち延びたのだ。そして前に述べた様に東海郡で昌豨と出会い、一廉の勢力を持つに至ったというわけである。のちに陶謙の目に叶い、騎都尉として彼の幕下に加わったというわけであった。
話がそれた。
ともあれ、先鋒を任されていた昌豨であったが、いかに朝駆けといえども完璧に奇襲を成功させることは出来なかった。あと少しでというところで、見付かってしまったのである。しかしながら、迎撃の準備を碌に調えさせなかったのは事実である。黄巾賊は、不利な状況で迎え撃たなければならなかった。
『押せ! 押せ!』
奇襲が叶わなかった以上、静かに動く必要などない。昌豨と呉敦は、莒を囲う黄巾賊に穴を穿つべく攻勢を仕掛けたのだった。
正体不明の相手から急襲を受けたとの話を聞いた張饒は、眉を顰めた。彼は、今回の蝗害が起きた際に劉逞の領地がある冀州へ攻め寄せた黄巾賊を率いていた人物である。しかし、張郃を大将とした国境を守る軍勢に負けて青州へと舞い戻った人物でもあった。それだけに徐州への侵攻は、場所こそ違えども前回の負け戦の雪辱を晴らす機会である。その雪辱を晴らす機会がもう少しで実現しようかといったところで、降って湧いたかの様な今回の話である。彼が怒りを露にしたのも、仕方がないと言えた。
「さっさと追い返せ! いや、蹴散らせ!!」
「はい」
数だけは多い黄巾賊である。莒を囲う以外の兵を回すことも、まだ可能であった。ゆえに張饒も追い返すだけでなく、蹴散らせと命じたのだ。しかしてその命によって、青州黄巾賊は敵の策に嵌ることとなる。それは、昌豨と呉敦の軍勢を迎撃してから暫く経った頃に起きた。自分がいる本陣の後方から、なぜか騒動が起こったのである。初めは、奇襲を仕掛けられかけたことに対して、一部の味方が慌てたせいかと思ったのだが、それだけでは説明がつかない。何せ味方を落ち着かせようと伝令を放ったにも拘らず、一向に落ち着いた様子がないからだ。
いや。
それどころか、さらに騒動が拡張している雰囲気がある。流石にこれはおかしいと感じた張饒は、状況をより正確につかむべく物見を派遣した。それから暫く、慌てて物見が戻って来たと言うわけであった。しかし彼も動揺しており、言葉が支離滅裂である。その様な物見に対して張饒は、一喝した。彼も、長年戦場に関わった人物である。そんな彼の一喝であり、動揺が激しかった物見もどうにか言葉を伝えられるぐらいには落ち着きを見せていた。
「それで、何があった」
「は。ははっ。仔細は分かりませんが、奇襲を受けております」
「いや。急襲ならば受けたであろうが」
そう言いながら、張饒は前線に目を向ける。そんな彼の視界には、数の多さを利用していまだ維持している最前線の様子が見て取れていた。しかしながら物見は、首を左右に振る。それから、改めて自分が見た様子を張饒へ伝えたのだ。果たして物見が目の当たりにした状況だが、彼の言った通り奇襲である。但し、奇襲を仕掛けていたのは戦線で戦っている昌豨と呉敦でもなければ、臧覇でも孫観でも尹礼でもない。それであるならば誰が率いている軍勢であるのかというと、陳登であった。そもそもの話であるのだが、何ゆえに莒の近郊にまで到着していた臧覇の軍勢が奇襲を仕掛けるまで数日を要していたのか。その答えの一つが、張饒のいる黄巾賊の本陣後方で起きた奇襲であった。実は陳登が臧覇に提案した策だが、二段構えのものであった。今さら言うまでもないことだが、軍勢として行動している以上、どうしても敵へ気付かれてしまう可能性が常に付き纏っている。そこで陳登は軍勢を二つに分けた上で、莒を落とそうと囲んでいる黄巾賊へ奇襲を仕掛けると臧覇へ提案したのだ。
「軍勢を二つにのう」
「うむ。理想は宣高殿と我が率いる軍勢が、敵である黄巾賊に奇襲を仕掛けること。だが、そう簡単に上手くいくとも思えない」
「確かにの」
「そこで、二つに分けた宣高殿の我が率いる軍勢による奇襲を仕掛けるのだ。そうなれば、気付かれた片方が囮となる」
「……ん? あー、そういうことか」
つまり陳登は、軍勢を二つに分けることで、別れた軍勢のどちらかの奇襲が成功するように仕向けたのである。そして話を聞いた臧覇は、前述の通りの態度と返答を示したというわけであった。この陳登の提案した策は、見事、図に当たったというわけである。これにより、黄巾賊の動揺は味方内に大きく広がりを見せることとなった。それでなくても既に、奇襲から急襲へと変わってはいるものの攻撃を受けている。そこにきて、まさかの完全な奇襲である。しかも、それだけではない。陳登率いる軍勢による奇襲は、黄巾賊の本陣へと向かっているのだ。このままでは、そう遠くないうちに本陣への攻撃が届きかねない。もしその様な事態が起きてしまえば、どうにか維持している黄巾賊の最前線に影響が出るのは必至である。そしてその時点で、徐州へ攻め込んだ黄巾賊は崩壊しかねなかった。
ことここに至っては致し方なしと考えた張饒は、撤退を開始した。無論、秩序だった撤退ではない。何せ大将の張饒が、我先に逃げ出しているのだから状況は推して知るべしだと言えた。勿論、この様な戦場の変化を臧覇も陳登も見逃す筈もない。臧覇は、最前線へ増援として孫観と尹礼を送り込んだ。そして陳登も、攻勢をより強めたのである。当然ながら戦場の様子は、莒に立て籠もっている蕭建からも見て取れる。さらに言えば、臧覇や陳登の掲げる旗が靡いていることも確認ができた。
「味方の増援と見て間違いはない! 門を開け!! 雪辱を果たすぞ!」
『おー!』
蕭建の言葉に呼応して、鬨の声が上がる。そんな味方の様子を満足気な表情を浮かべながら見た蕭建の命によって莒の門が開くと、間髪入れずに打って出た。彼らは今まで攻められ続けた鬱憤を晴らすかのごとく、黄巾賊へ攻撃を仕掛けたのである。この攻勢によって、さらなる混乱が黄巾賊に広がっていく。ついには、軍の体を成すことは不可能となり、青州へと逃げる黄巾賊は次々と討たれてしまったのであった。
なお、この話には後日談がある。実は臧覇だが、蕭建に請われてそのまま莒へ駐留を続けることとなった。張饒率いる青州黄巾賊によって兵を大きく減らしている事情を鑑みれば、仕方がないともいえる。そこで陳登は、報告もかねて陶謙の元へと戻ったのである。だが、問題はこの後に起きた。何と臧覇が、陶謙の元から離反して独立したからである。彼は治安維持の名目で、琅邪国内に兵を派遣して治安を回復させていたのだが、理由は分からないが琅邪国の相であった蕭建が臧覇の配下になってしまったのだ。すると彼は、主となった臧覇に琅邪国の印綬を譲渡する。直後、陶謙から離反し独立したのであった。
のちに一連の報告を受けた陶謙は、歯ぎしりをしたと言われている。しかしながら自身の配下で一番の武を誇っていたのが臧覇であり、その彼が郡一つとはいえ地盤を得て独立を果たしてしまった。陶謙は忸怩たる思いを抱きながらも、臧覇の動向を黙認するしかなかったというわけであった。
高邑にて青州黄巾賊の動きに関連した一連の報告を受けた劉逞は、苦笑を浮かべるしかなかった。確かに青州黄巾党の動きを押さえつけることに成功したことに関しては、喜ばしい限りではある。しかし青州では、蝗害の発生によって受けた被害への対応に手一杯となってしまい、刺史の孔融が思うように動けなくなっていた。また、徐州は徐州で問題だ。青州黄巾賊の侵攻と蝗害に加えて、臧覇の事実上の独立と相まって陶謙も徐州から動けそうにない。兗州も蝗害の発生と、以前からあった青州黄巾賊の侵攻もあって防衛ならば兎も角、青州への侵攻となると心もとない。結果、青州黄巾賊を討伐する勢力が近隣には存在しないこととなり、青州の黄巾賊はまたしてもその命脈を保つこととなったのであった。
因みに劉逞はどうなのかというと、少なくとも今年は動くことが難しい。蝗害の影響ももちろんあるのだが、それ以上対応しなくてはならない事案があるせいだ。とは言うものの、決して悪い話ではない。寧ろ、目出たいといった類の事案なのだ。はてさて件の事案が何であるのかというと、それは洛陽へ皇帝劉弁が移動すると言う話であった。蝗害が発生したせいでもう少しで完了という状態で止まっていた洛陽の再建であったのだが、いよいよ今年度中に完了する目途が立ったのである。そうなると劉弁としても、新年は洛陽で迎えたいと言う思いが出てくる。今まで、色々なことがあった洛陽だが、それでも彼にとって生まれ故郷であることに変わりはない。それは弟の劉協も同じであり、できれば洛陽へ戻りたいと言う思いは兄弟の胸中にあったのだ。
翻って劉逞としても、皇帝を洛陽へ戻すことに否はない。彼は劉弁と劉協と違って、生まれてからこのかた洛陽で過ごした時間などあまりない。だから劉弁や劉協ほどの思いは洛陽にはないが、それでも洛陽は漢の首都である。何より洛陽へ皇帝を戻す環境が揃った以上は漢の宰相として、そして皇族の一人として手筈を調える必要があった。そこで劉逞が選出した人物だが、一人目は馬日磾である。二人目は王允であり、三人目は楊彪である。また、自身の配下からも蔡邕を選び出していた。この四人を中心にして、洛陽へ移動の手順を任せたのだった。
「彼らに任せておけば、大丈夫であろう」
命を受けた四人が劉逞の前から辞していく姿を見送りながら、彼は小さく一言呟くのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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