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第百二十一話~青州黄巾賊 一~


第百二十一話~青州黄巾賊 一~



 興平四年(百九十五年)



 蝗害が沈静化したことは幸いではあったが、残した爪痕は大きかった。特に新たな被害地となった、徐州と青州は論ずるまでもないだろう。それでも、徐州はまだマシであった。曲がりなりにも、陶謙によって治められていたからである。劉逞ら朝廷からの事前勧告もあって備蓄も行っていたし、何より蝗害が発生していない地域よりの物資が届いた。そのお陰もあって、どうにか飢饉が発生する様な事態にまではなっていなかったからである。しかしながら、青州に至ってはその限りではなかった。



 ここで話は、少し遡る。どれくらいかと言われればかつて、反董卓連合が結成された頃であった。この頃、青州を治めていたのは刺史であった焦和となる。しかし彼は、黄巾党残党が青州で暴れているにも関わらず、連合へ参加しようとこころみたのだ。しかしながら、彼は反董卓連合へと参画することは叶っていない。それは合流する為の進軍の途中で、青州黄巾残党の勢力に襲撃されたからである。しかもかなりの大敗を喫してしまい、彼と彼の率いた軍勢はほうほうの体で青州治所がある斉国の臨菑へと逃げおおせていたのだ。どうにか彼の地へ辿り着いた焦和は、すぐに軍勢の立て直しを図ろうとするものの、大敗直後であり思うように進まない。だからと言って、反董卓連合が組まれようとしているこの時期に青州の各郡や国からの援軍を募ることも難しかった。そして相も変わらず、青州内では黄巾賊の残党が暴れ回っている。この様な状況の中で、援軍を送るように要請することは流石に難しかった。それでなくても、青洲における主力であった焦和の率いる軍勢が大敗している。当然ながら黄巾賊残党の活動は活性化しており、なおさらに援軍を送ることなど難しかった。


「まずい、不味いぞ! せめて、兵を徴収しなければ!」


 ここで焦和は、斉国の民を強制的に徴兵した。青州内の国や郡からの援軍を期待できない以上、他に手がない。少なくとも、彼には思いつかない。だから今回の強制徴兵も致し方ない措置ではある。少なくとも、彼の中ではその様な結論となっていた。しかしながら、えり好みは出来ない。何せ焦和は、反董卓連合への参画を決めた際にも、徴兵を行っているからだ。つまり、えり好みが出来ないのではなく、えり好みをするだけの余裕がないのだ。焦和は老若男女ろうにゃくなんにょ問わずかき集めることで、どうにか数字の上では軍勢を復活させていた。これで漸く一安心と、彼は思ったのだが、それも長くは続かなかった。それは臨菑へ、青州黄巾賊残党の主力が攻め寄せてきたからである。知らせを聞いた焦和は、自ら先頭に立って迎撃した。これには、二つの理由がある。一つは再建した軍勢が、前述した様に有象無象うぞうむぞうの集団でしかないことにある。碌に訓練も行き届いていない兵であり、大将が自ら兵を率いて味方を鼓舞しなければまともに戦うことすらおぼつかないのである。また、これはもう一つの理由にも繋がるのだが、兵を率いる将が少ないのだ。実は、先の反董卓連合へ参画しようとした際に行われた青州黄巾賊残党との戦いによって、将にも少なからず損害が出てしまっていたのである。撤退時に幾人も討ち死にしており、文字通り大敗を喫していたのだ。とどのつまり、焦和の意識がどうであれ、青州において一番上の地位にある焦和が自ら兵を率いるしか選択肢がなかったのである。しかし、やむを得なかった事態であるとはいえ、このことが彼の命運を決めることとなった。前にも述べた様に、彼が率いている軍勢は徴収して間もない者たちが大半である。一方で、黄巾党の残党は、青州国内で焦和や各国や郡の官軍相手に叩きを繰り広げていた。当然ながら、経験において比べるものでもなく、その結果を論じることは難しくなかった。両軍勢が戦い始めてより一日と持たず、大勢は決してしまったのである。言うまでもなく、黄巾賊残党側の勝利であった。折角再建した軍も壊滅と言っていいだけの損害を被ってしまい、そして兵を率いる将に至っても同様である。しかもその損害の中には、官軍の総大将である焦和の姿もあったのだ。彼もまた、名もなき一黄巾党兵によって討ち取られてしまったのである。その後、黄巾賊の残党は、臨菑へと攻め寄せていた。そして間もなく、臨菑は黄巾賊の手に落ちてしまっていた。これにより青州黄巾賊の残党は、拠点を持つことになる。それと言うのも、今まで明確な拠点までは持ち合わせていなかった。しかし青州の治所であり、また斉国の治所でもあった臨菑が黄巾賊側の手に落ちたことで青州各地にて暴れていた青州黄巾賊が自然と集結することになってしまう。だがある意味では、別々に活動していた今までと違って黄巾賊を叩き易くなったと言えるかもしれなかった。とは言うものの、何せ敵兵たる青州黄巾賊は数が多い。その上、焦和が戦死したことで青州自体を纏め上げる者がいなくなってしまっている。この状況下では、とてもではないが集合した青州黄巾賊へ戦いを仕掛けるどころの話ではなかった。そこでその時点でまだ生存していた董卓は、新たな青州刺史として北海国の相であった孔融を任命している。孔融も本音を言えば断りたいところであったが、そう簡単にはいかないのである。何と言っても当時の董卓は、皇帝の地位にあった劉協を手中の珠としていたからだ。即ち董卓の命は皇帝劉協からの命でもある。孔融は内心で不満たらたらであったが、それでも命自体は拝命したのだった。

 ここに新たな青州刺史となった孔融は、青州の奪還を行うこととなる。しかもこれは結果的な話であるが、青州黄巾賊が斉国へ集結したことで青州の他の地域での黄巾賊が低調化しており、軍勢を集めるだけの余裕が生まれていたのだ。孔融からの命を受け、青州各国や各郡から集められた連合勢は斉国と孔融が相を務める北海国との国境付近にて戦うこととなったのである。何せ斉国の治所である臨菑だが、北海国との国境に近い。この臨菑を拠点と定めた黄巾賊残党を打ち破るには、都合がよかったのだ。北海国の東安平にある酅亭へ集まった官軍は、臨菑へ向けて進軍を開始する。すると官軍の動きに呼応して、臨菑からも青州黄巾賊の残党が出撃した。こうして国境での戦いが始まったわけだが、戦況は膠着状態並行してしまったのである。実のところ孔融だが、将としての能力は決して高くはなかった。彼自身は儒教の始祖とされる孔子の二十世の孫に当たる人物であり、間違いなく名士ではある。だからこそ焦和の後継として青州刺史に任命されたのだが、どこまで行っても彼は文官であり武将ではない。防衛線であればまだしも自らが兵を率いて行う戦の機微や駆け引きにはとても不慣れであったのだ。しかして黄巾賊はと言えば、幾ら元は民衆出身者が大半であるとはいえ戦いの経験だけは豊富な者たちである。要は、戦に慣れていない者が総大将を務める軍勢と戦に慣れた者たちが多数いる軍勢との戦いであったのだ。ならばなぜに膠着状態に陥ったのかというと、兵の質によるところが大きい。戦慣れしている点で言えば、青州各地より集結した官軍も同じである。幾ら総大将が攻勢には慣れていないとはいえ、将兵の質と装備という意味では官軍の方が俄然高い。だが、兵の質と装備では劣っても、黄巾賊側の方が圧倒的に多いのだ。その結果が、膠着状態だったというわけである。以降、北海国と斉国境での戦に推移していたのである。だが、この様な時に発生したのが蝗害である。それでなくても戦が続いていることで、官軍と黄巾賊ともに貯えなどかなり消費されている。そこにきて蝗害であり、これでは戦どころの騒ぎではない。ゆえに彼らの戦は、ごく自然的に停戦となってしまった。というか、お互い的に構っている余裕などなくなってしまったのである。蝗害が青州各地に広まったことで、孔融は戦よりも治安を最優先しなければならなくなった。また、黄巾賊側も何より食料がなくてはまともに活動することも出来なくなってしまう。この様な事情もあって、彼らの戦はなし崩し的に停戦へと移行したのだった。


「最低限の兵を残し、今は治安を安定させるのだ」


 孔融は迎撃が可能な最低数の兵を酅亭へ残した上で、軍勢を各国や各郡へと戻す決定をする。これにより、青州内での連合軍は解散することとなった。碌な結果を残せなかった戦であり、拙い指揮しかできなかった孔融へ不満を募らせた連合であったが、しかし蝗害の広がりに対してすぐに軍勢の解散を決めたことに関して、彼らは孔融を少しは見直していた。

 一方で黄巾賊側であるが、彼らは大きく二つに分かれることとなる。一つは拠点としている斉国に留まる者たちである。そしてもう片方はと言うと、蝗害によって少なくなった食料等を求めた者たちであった。斉国内へ留まった勢力は兎も角、食料等を求めた青州黄巾賊残党は、新たな蝗害と言ってもいいかも知れない。彼らはそれ青州国内へ無秩序に散らばると、手当たり次第に略奪を開始した。そして孔融の指示によって各国各郡へと戻った官軍の兵たちと対峙することとなる。もっとも彼らの目的は食料との物資であり、官軍との戦いではない。略奪中に漢軍が接近しているとの情報が入ると、持てるだけのものを持って逃げ出すのだ。基本的に襲撃の報が届いてから動くことになる官軍であり、せいぜい逃げ遅れた者たちを討つしかできていない。それでも治安という意味では、役割を果たしていた。

 ともあれ、その様な鼬ごっこを続けていたわけだが、いつまでもその状況が続くわけがない。どうしたところで、青州内での物資には限りがある。それでなくても蝗害の発生直後であり、食料等の物資が多いわけがないのだ。その様な黄巾賊側が次の目標としたのが青州の外であった。まず彼らが目指したのは、蝗害が発生していない冀州であり、劉逞の領地でもある豊かな渤海郡である。しかしながら冀州渤海郡との青州との国境には、張郃を総大将とし、呂威璜と呂曠と呂翔を副将とした軍勢が展開しており、戦慣れしている青州黄巾賊といえでも彼らに勝つことは難しかった。事実、その旨を証明する様に侵攻した青州黄巾賊は、なすすべなく劉逞の軍勢によって撃退されている。しかもその隙に、青州の郡太守率いる軍勢が黄巾賊へ襲撃を掛けているのだ。とてもではないが戦線を維持できる筈もなく、彼らは敗走するしかない。しかもこのことは、冀州にある甘陵国へと進行するつもりであった青州黄巾賊でも同じであった。こちらは劉虞を総大将とした甘陵国の軍勢と、劉逞より派遣された蔣義渠を大将とし、蔣奇と麴義が率いる援軍が展開しており、こちらも撃退されてしまい彼らは敗走してしまう。そして最後に兗州へと攻め寄せた者たちも、渤海郡や甘陵国へ侵攻した者たちと同様の結末を迎えてしまう。こうして州を超えて攻め寄せようとした黄巾賊残党のことごとくが敗走したわけだが、彼らとしてもここで立ち止まるわけにはいかなかった。何せ彼ら青州黄巾族が無理をしてまで侵攻を行った理由は、食料等の物資を手に入れることである。つまり食料等を手に入れることが出来なければ、壊滅するしかない。その様な彼らが次の目標としたのは、陶謙が牧を務める徐州であった。

ご一読いただき、ありがとうございました。



別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。

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