第百二十話~蝗害 四~
第百二十話~蝗害 四~
興平三年(百九十四年)~興平四年(百九十五年)
不本意ではあったものの、劉瑁の益州刺史就任の引き換えに行った食料等の輸送により、雍州や涼州や京兆尹周辺地域が食料不足による危機的な飢饉となることは回避することは出来た。とは言うものの、まだまだ油断はできない。それゆえに劉逞たちは、次なる手を打っていた。具体的には、蝗害の被害に晒されなかった地域からも食料等の物資を集めたのである。そもそも蝗害が発生してから幾許かの時間が経ったことで、蝗害を被った地域がおおよそ確定した。先に上げた涼州や雍州は無論のこと、司隷や豫州や兗州西部にまで広がりを見せていたのである。しかしながら、蝗害の拡大は急速に衰え始める。これは、冬が間近となったせいであった。ともあれ、これで蝗害も終息するのではないかとの楽観論が朝廷でも広がりを見せ始める。しかし劉逞は、そのことに疑問を感じていた。それというのも、蝗害だが発生した年によって被害に違いが生じるからである。確かにこのまま終息を迎えるのであるならば、それに越したことはない。しかし過去には、蝗害が終息したと思ったあと、翌年の春になって再度発生するといったことが起きているからだ。しかもその様なことは、一回や二回だけではないのである。だからこそ劉逞は、広がり始めた楽観論など無視し、食料等の確保に努めさせていたのであった。
幸いにして、劉逞の基盤となる冀州や劉備が州牧を務める并州や徐璆の治める幽州などは蝗害が発生していない。しかも劉逞は、於夫羅が単于を務める匈奴からも物資を集めたのである。但し、強制的に集めたわけではなく、購入と言う形であった。さらに言うと、袁紹が州牧を務める揚州や劉表が刺史を務める荊州からも集めていたのである。こうしてできうる限り広い範囲から飢饉が起きない様に手広く集めるとともに、劉逞はこの物資を納めておく倉も大量に建築していたのであった。
「蝗害が発生しても、蝗に食べられないような倉を建てるのだ」
何せ蝗は、それこそ何でも食らう。だからこその、貯蔵庫建築の命であった。そこで建てられたのが、石造りの倉である。幾ら蝗と言えど、石でできたものまでは食えないだろうと言う安直とも取れる考えからであった。これにより、蝗害が発生していない冀州や并州を中心に倉が建てられていき、そこへ集められた物資が納められていったのである。なお、幽州だが、冀州に近い地域であれば別だが、それ以外となると倉が建てられることは少なかった。これは、鮮卑が近い為である。劉逞との繋がりもあって有効度が高い匈奴と違って鮮卑は、いつ嘗ての和連の様に国境を越えて侵攻してくるか分からないのだ。まだ内訌が治まっていないのでそれほど心配する必要はないのかも知れないが、逆に言えばいつ内訌が終わるのか分からないということでもある。何より劉逞は、まだ若い頃に鮮卑と直接対峙した経緯もある。だからこそ劉逞は、趙燕に命じて鮮卑の情報を集める様にしていたのだった。
冬になったからか、蝗害はついになりを潜めていた。そのお陰か、どうにか劉逞たちは無事に新年を迎えられたのである。しかしながら、蝗害の被害は甚大であると言っていい。幾ら国内各地より物資を集めたとはいえ、余裕があるのかと言われるとその様なことはなかった。何より、もしかしたらまたも蝗害が発生する可能性すらある。なおさらに、無駄に消費することは出来ない。その為か、劉逞の周辺は皇帝たる劉弁も含めて侘しい年の始まりであった。
その一方で、袁紹はと言うと、いつもの年より輪を掛けて派手に新年の祝いを取り行っていた。中央からの要請によりある程度の物資は送ったもの、全て送ったわけではない。何より、交州への侵攻が終了した直後と言う状況を利用して、送る物資の領を少なく抑え込んだのである。劉逞側としても、自身たちが動けなかったことで、袁紹へ命じて代わりに侵攻を行わせた事実がある。その為、彼らの行いに対して強く言うことが出来なかったのだった。
「いい気なものよ」
「本初殿は、わが世の春。と言ったところですかな?」
「知らぬわ、仲徳」
はっきり言って、袁紹の行動は劉逞たちの神経を逆なでしている行為である。果たしてその行為がわざとか、それとも無意識で行っているのかその点は判明しない。だが、殆ど皇帝たる劉弁を含めて喧嘩を売っているに等しい行為であると言ってよかった。しかも問題があるのは、袁紹の行動を諫めている雰囲気が彼の家臣から感じられないことにある。つまり、好きにさせていると言うことであった。
「しかしながら、陛下の臣である筈の袁家当主が配慮を欠くとは……」
「やはり、そういうことなのであろう」
まだ確実にそうであるとは言い難いものの、まず間違いはないであろうと言うことがほぼ確信できたと言っていい。やはり袁紹は、亡き劉焉と同様に独立の意思があると見て間違はなかった。しかし、厄介なことは、こちらもまた劉焉と同じくあからさまには表明していなことである。証明することが出来ない以上、どこまで怪しいと思っても疑いの域を超えることは出来ない。これが、それなりの名家程度であればどうとでもなるのだが、袁紹は四世三公を輩出した汝南袁家当主である。いかに朝廷か揚州牧として派遣されたとはいえ、決して扱いを軽んじるわけにはいかないのだ。
「厄介な御仁であらせられますな」
「本当よ。この点については、同族とはいえ伯安殿に一言申したいわ」
前述したことであるが、袁紹を揚州牧へと推挙したのは劉虞となる。彼は幽州牧としてたとえ相手が内訌の最中であったとはいえ、鮮卑の南進を食い止めていた。それだけに彼が持つ影響力もまた、無視できるものではなかった。何せ反董卓連合を曹操が企てようとした際、盟主候補の一人としてあげている。彼の男が名を挙げるぐらいには、漢国内にて名声を持ち合わせていたのだ。
「しかしながら、今さらにございます」
「まぁ、そうだな」
袁紹の揚州牧就任に関しては、劉逞にも責任がないわけではない。確かに袁紹の揚州牧就任は劉虞からの推挙によるものが大きいものも、劉逞も最終的には反対していないのだから全く責任がないわけではないのだ。ともあれ、現時点において劉逞たちにできることはそう多くはない。何より今は、本当に蝗害が治まったのかを見極める必要がある。放置していい問題ではないが、優先順位を間違えると自身たちがより追い込まれてしまうことになりかねないのだ。
「仲徳。まずは、蝗害への対処だ。最も、探りは入れておく必要はあるだろうがな」
「はい。人は派遣し続けておりますゆえ、ご安心ください」
「うむ。頼むぞ」
「は」
程昱が頭を下げて了承したのを見届けたあと、劉逞は立ち上がり奥へと下がる。そして、程昱も下げていた頭を挙げるとその場を辞したのであった。それから数か月、ついに蝗害が沈静したのかが分かる時がくる。それはある知らせが、劉逞の元へ届けられたことで判明したのであった。
「……そうか……収束などはしてはいなかったのだな……」
「はっ」
劉逞へ齎された報告、それは蝗害が忌々しいことに再度、発生したことであった。涼州や雍州、司隷では前年に比べて小さな被害しか再発しなかったが、豫州や兗州では前年に匹敵しかねない規模で再発したのである。しかも蝗害は彼の地では留まらず、さらに東へと広がることとなる。つまり、徐州や青州へと蝗害は拡大してしまったのだ。無論、豫州や兗州、そして徐州には注意喚起をしていたこともあって、前年に被害を被った地域ほど飢饉が発生することは避けられている。しかしどうにか飢饉が発生していないだけであり、物資的には厳しいことに変わりなかった。
「やはりこうなると、青州の黄巾賊残党がどう動くかが鍵となるかもしれぬか」
「念の為、渤海郡との境には、儁乂殿に兵を移動させております。また、甘陵国へも注意を促しておりますし援軍も派遣しておりますので、早々に問題は発生しないかと思われます」
「子幹、兗州の猛卓殿にも知らせてはおるのであろうな」
「無論にございます」
「ならばよい」
蝗害が青州へと伝播してしまった以上、あの地に屯している黄巾賊残党が、どのような動きをするか全く予測がつかない。このまま雲散霧消するのか、それとも飢えて食料を求めて他の州へ押し寄せるのか、それとも青州内での動きを活性化させるのか、皆目、見当がつかないのだ。理想は、このまま勢力を激減させてしまい、維持できなることである。そして最悪は、それこそやけになって無秩序に暴れ回ることであろう。公称百万を号している者たちであり、実質にそれほどの兵力はなくともやはり脅威とならないわけがない。ゆえに劉逞たちは、事前に手を打っていたのであった。
因みに、蝗害であるが、海へと到達したことで収まりを見せることとなる。正確には、そのまま海上へと向かったのだが、流石に海を超えるほどの数はなかったらしい。蝗たちはみな力尽き海へと墜落し、全てが魚などの餌へとなり果てたのであった。
ご一読いただき、ありがとうございました。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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