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第百十八話~蝗害 二~


第百十八話~蝗害 二~



 興平三年(百九十四年)



 蝗害と言う名の天災に対処するべく急遽始まった議論、これによってそもそもの目的であった劉焉の死亡など置き去りにされてしまったと言っていいだろう。正確に言えば優先順位が下がってしまったということだが、いかなる理由があろうとも後回しとなったという意味では同じことであった。


「さて……蝗害の規模ついては今少し時が掛かるだろうから置いておくとして、まずはいかに対処するかだ。その方ら、何か案はあるか?」


 劉逞の問いを受けて、盧植を筆頭とした彼らは一様に思案を始める。しかしながら、彼らをもってしてもそう簡単に答えが出るような代物でもなかった。その証拠というわけでもないのだろうが、彼らの中には思案に集中するあまり、意図せず唸り声の様なものを挙げている者すらもいたぐらいなのである。無論、言い出した劉逞も考えてはいた。しかし、彼にも名案と言える考えを捻り出すことは出来ないでいる。その様な中において、一人が顔を上げると口を開く。その人物とは、辛評の弟に当たる辛毗であった。


「丞相様」

「何だ、佐治。よき案でも思い付いたか」

「はっ。よき案かどうかは分かりませぬが、常平倉を開かれてはいかがかと」

「ふむ……常平倉か……」


 常平倉とは西漢(前漢)の時代、十代皇帝の頃に登場した備蓄倉庫である。しかしながらその目的は、主に軍需物資へあてられていた。しかしながら、この常平倉が出来たことで、漢の国軍を以前より素早く調えられる様になったと言えるだろう。なお、この常平倉だが、劉逞が丞相となった頃にはかなり枯渇しており、碌な備蓄もない有様であった。しかし今は、棗祗と韓浩の進言により始めた屯田の制度がかなり整ったお陰もあって、回復の兆しをみせていたのである。つまり辛毗は、ここで常平倉を開くことで主に軍事へとつかわれる備蓄した物資を蝗害の被害を受けた地域への支援とするつもりであったのだ。何せこのまま時が推移してしまえば、被害が出た地域で飢饉が生じかねない可能性は否定できない。そうなれば、下手をすれば反乱騒動が起きかねず、その様な事態を防ぐ為にも支援は行わなければならないのだ。


「それは、良き案である!」

「しかり、しかり」


 辛毗の言葉を聞いた劉逞の軍師たちは、次々に賛同の声を上げる。その様な彼らの様子を見て、劉逞もよいのではないかと思い始める。しかしその時、彼の目に腕を組んで眉を顰める蔡邕の姿が映ったのであった。


「どうした伯喈。何か、気に病むことでもあるのか?」

「……はい。常平倉となりますと、大尉殿がどの様な反応を示すのか分かりません」


 何ゆえにここで大尉が出てくるのか。それは、常平倉の管轄に理由を求めることが出来た。前述した様に常平倉は、主に国軍の軍需物資を備蓄する為の施設である。そして漢で軍事を司るのは、大尉の地位にある者であるからだ。基本、丞相とは政治に関与する存在であり、こと軍事においては大尉の方が上となる。もっとも劉逞の場合は、その限りではなかった。何せ彼は、大将軍を兼ねている。皇族であり大将軍であり、そして丞相である彼の方が大尉より上となることは言うまでもない。その様な身分である劉逞が命じれば、常平倉を開くことなど難しい話ではなかった。さりとて、常態であれば大尉は漢における臣下の最高位となる三公の一つである。そして現在、そんな大尉の職にある楊彪なのだ。いかに丞相兼大将軍の地位にある劉逞の命が優先されるとはいえ、彼としても事前に話も相談もなく、しかも頭ごなしで命令が出されては面白くはないと感じるだろう。それだけに不満から臍を曲げられて、感情的に反対されても劉逞としてもあまりよろしくないことは明白であった。


「なれば、いかにする」

「事前に根回しをすることが肝要かと」


 だからこそ蔡邕は、楊彪への根回しを進言したのである。その進言を受けた劉逞は必要なことなのかと微かに眉を顰めつつ盧植を見るが、盧植は頷いて見せている。その仕草を見た劉逞は、小さくため息をついたあとで頷いたのであった。


「そうか。必要であるならば致しかたない。伯喈、そなたに任せる」

「はっ」


 こうして劉逞からの許可を得た蔡邕は、会議の後に楊彪の元へと向かうこととなることに決まったのであった。

 その次に問題となったのは、ここで漸く益州の一件へと移ったのである。蝗害の発生によって優先順位が下がり後回しにしたとはいえ、それでも対応については決めておく必要があることに間違いはないからだ。とは言うものの、こちらはこちらで悩ましい案件ではある。これが蝗害の発生が発覚する前であれば、前述した様に強気で望むことが出来た。しかし、蝗害の発生により物資的な意味で余裕がなくなってしまっている。ここでその点をつけ込まれることは、何としても避けたいからだ。


「どうしたものか」

「丞相様、問題はないのではないでしょうか。普通であれば、その様なことを言ってくるとは思えませぬ」


 仲治こと辛評がこの様な表現をしたのには、当然ながら理由はある。通常、親が死ぬと子は喪に伏すからだ。その間は、当然ながら職などに就くことはない。喪に伏す期間は多少前後するものの、宗室の一人である劉瑁であれば数年は喪に伏すと考えていい。そうなれば、普通に新たな牧なり刺史なりを益州へ送り込むことが出来るからだ。ただ、例外的に喪に伏さないこともあるにはある。だが少なくとも、今回であればその例外に当てはまることはないとは思われていた。


「仲治よ。それでも言ってきた場合は、いかがする」

「それこそ、こちらの思う壺にございましょう。討伐の大義名分となり得ます」


 辛評の進言を聞いた劉逞は、納得した。益州は豊かであり、その地が朝廷の意向に素直に従うならば現状とても助かると言っていい。特に今回のような場合は、なおさらである。何せ益州は司隷西部や雍州や涼州などとは、漢中を挟むとはいえ近い。しかし漢中には張魯もいるが、そちらは別に対策を立てればいい。何より情報によれば、生前の劉焉と張魯は、繋がりを持っている可能性が高かった。それである為に、董卓を討ったあとでも張魯へはおいそれとは手出しできなかったのである。しかし劉焉が死亡した今であれば、動き様としては幾らでもあるからであった。


「……それもそうか……その点も、朝議の議題には上げるとしよう」


 ともあれ、蝗害と劉焉の死亡に関しての対処について一まずの答えを出した劉逞らは、すぐに動き始めた。まず蔡邕であるが、彼は会議を終えてすぐに三名の人物を伴って楊彪の元へと向かっていた。果たして彼が連れていたのは、荀攸と荀諶と荀悦である。荀諶と荀悦は名が示す通り荀家の者であり、さらに言うと荀諶は皇帝である劉弁の側近となっている荀彧の兄弟である。また荀悦だが、荀彧のいとこに当たる人物となる。比較的早い時期に宦官を嫌って隠居した為かあまり知る者もいなかったのだが、その様な中、荀彧が彼を尊敬していたのだ。しかして蔡邕が彼ら荀家の者を伴ったのは、言うまでもなく荀彧をも説得する為である。蔡邕が楊彪を説得している間に、荀彧を説得するのである。彼は、皇帝である劉弁からの信頼が厚い。その彼が下手に反対の意を皇帝へ進言してしまうと、楊彪を説得できても覆されてしまう可能性があるからだ。今さらであるが皇帝は、漢における最高権力者である。その彼が否と言えば、たとえ進言がとてもよい物であり筋が通っているものであったとしても却下されてしまう。その様なことを防ぐ為に蔡邕は、荀家の三人を荀彧の説得に派遣することにしたのだった。


「……ふむ。常平倉をのぅ……」


 荀家の三人を荀攸の元へ送り出した蔡邕は、楊彪の元へと向かう。彼は出迎えた蔡邕より話を聞くと、顎に手をやりながら考える様な素振りをした。前述した通り彼とて三公の一つ、大尉の職にある人物である。劉逞ほど詳しくはなくとも、蝗害についての報告は入ってきている。何より彼も、蝗害が齎す被害について蔡邕と同じく実際に体験した人物であったのだ。


「この事案を放置すれば、被害を被った地で反乱がおきるかも知れぬ。その様な事態を防ぐ意味でも、協力を願いたい」

「伯喈殿の言い分も分からなくはないが……」


 楊彪だが、あまり賛同はしていない。流石に洛陽や長安のある司隷は除くとしても、他の地域など切り捨てればいいとまで考えている為である。折角、国力が回復し始めているこの状況で、蝗害が発生したからといってまた折角回復の兆しを見せる国力を大きく落とす事態は避けたいと考えていたのだ。しかしながら、蔡邕は考えが違う。もし楊彪の考えている通り雍州や涼州を切り捨ててしまえば、今度はその影響が関中や中原にまで広がりかねないことと懸念している。その様な事態を防ぐ為に、ここはどうしても楊彪を反対する立場に置いておくことは出来ないのである。ゆえに蔡邕は、粘り強く楊彪の説得に当たっていた。これには、さしもの楊彪もついには折れてしまう。こうして蔡邕は楊彪から、賛成しない代わりに反対もしないという実に玉虫色の立場を取ることを約束したのであった。




 積極的な賛同こそ得られなかったものの、反対しないことが確約できたことは成果として十分である。蔡邕は頷くと、それで構わない旨を楊彪へ伝えていた。一方で、荀攸と荀諶と荀悦の三人だが、こちらは実にあっさりと説得に成功していたのである。実は皇帝の元には荀諶と同様に荀彧の兄弟に当たる荀衍が側近として仕えていた。だからこそ蔡邕は、荀家の三人を説得の為に送り込んだというわけであった。しかして荀彧と荀衍の兄弟だが、劉逞側から出た安について迷うことなく賛同している。そればかりか、彼と同じく皇帝の側近となる种払と种劭の親子を説得するというのだ。劉弁の傍にあって、荀彧と种払と种劭が側近中の側近である。この三人からの賛同が得られれば、朝議の場で皇帝を含めてまず反対が出てくるとは思えない。何せこの三人が、間違いなく皇帝をも説得するからであった。

 何はともあれ、事前の根回しを終えたことが報告された劉逞は、早速にでも皇帝臨席の朝議を開催することにした。その席で上がった議題は二つあり、一つは言うまでもないことだが蝗害についてである。だが、この件については根回しが行き届いていたこともあって、事態の大きさに比較してあっさりと承認されたのであった。なお、残りの一つは、益州における劉焉の死亡に関するものである。しかしこちらに関してはこちらに、前述した様に劉瑁も喪に伏すだろうという考えもあってか、それ程には重きがおかれていない。寧ろ、益州へ誰を送り込むかという方がより重要視されていた。


「……陛下。翁叔様ではいかがでしょう」


 そこで名が挙がったのは、馬日磾である。彼は名門馬氏の出身であり、大尉に二度も就いている。他にも太常や太傅なども経験しており、職歴としては申し分なかった。劉弁としても、彼であれば問題ないと思えるゆえに反対する理由もなく、問題なく了承された。こうして、朝議に上げられた議案は全て承認されたのであった。

ご一読いただき、ありがとうございました。



別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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