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第百十五話~交州派兵 五~


第百十五話~交州派兵 五~



 興平三年(百九十四年)



 日南郡の治府が存在する西巻は、戦場より逃げおおせた区連を追撃した袁紹率いる討伐軍によって、十重二十重とえはたえに取り囲まれていた。東西南北全てに兵が配置されており、もはや蟻の出る隙間もない程である。その様な重囲を、区連は壁の上からじっと眺めていた。


「完全に包囲されておるな。もはや逃げ出すことも叶わぬであろう。流石は、汝南袁氏の者と言ったところか」


 その様にのたまう区連であるが、その表情に恐怖はない。寧ろ、これだけの重囲を布陣している敵、即ち袁紹に対して賞賛の気持ちすら持ち合わせていた。既に討ち死にの覚悟を決めている区連にとって、敵の大小などもはや関係がないのである。彼にとって心配ごとは、どれだけ長い時間、袁紹の軍勢をこの地に留めておけるのか。ただ、それだけであった。一時でも長く袁紹の軍勢を釘付けにすることが出来れば、その分だけ落ち延びさせた范熊を筆頭とした数少ない一族の安全が高まることになる。自分の命ですら既に道具であると割り切っている区連からすれば、包囲が重囲であるほど歓迎する出来事であった。

 因みに、西巻の住民だが、ほぼ全てが町から避難している。区連が、町の住民を自身の矜持に巻き込みたくはないとした結果であった。ただ極一部、それも老年に近い年配の者が自ら志願兵として区連の旗下へ入っている。正直言って、区連からすれば驚き以外何物でもない。まさか、必敗必死の戦に志願兵が出てくるとは思っていなかったからだ。確かに一人でも多くの兵が欲しい区連にとって、ありがたい申し出である。だが、それでも負けが確定である戦に志願してきた彼らへ区連は思わず理由を問いかけていた。


「どうして、志願などを言い出したのだ?」

「我らは、今まで蔑ろにされてきたばかりか、搾取もされてきたのです」


 志願してきた者の中で一番年上の男が答えたその言葉には、実感がありありと籠っていた。元々交州という地は、漢という国内においても辺境となる。それだけに中央からの目が通り難く、歴代刺史の中には必要以上の税を徴収し、さらには着服してきた者もいるのだ。勿論、全てがその様な者だったわけではない。しかしながら総じて見ると、その様な人物が多いのは違えないようがない事実であった。

 しかも交州は、治安が決して良くはないことと反比例するかのように、貿易による経済については高い利率を叩き出していたのである。しかもその貿易の品の中に漢の中央で特に珍重されている玉があることが、拍車を掛けていた。金銭だけでなく玉すらも賄賂として有効であったことが、不幸と言えるかも知れない。中央の漢民族の者からすると、この地域はほぼ南蛮と変わりがないと言える。歴代王朝に対して反骨極まりない南方の民族に対する蔑称となる四夷の一つとなる南蛮と変わらないと思われているだけに、その搾取は苛烈を極めていた。実は、区連の旗揚げの理由にこの中央から派遣された者からの搾取が少なからず関連している。特に日南郡は、士燮の父親が郡太守を務めたことがあっただけに、その後に中央より派遣され太守となった者との差が明白に表れたのだ。つまり彼らは、士賜による日南郡のことを考えた施政と、それ以外の中央より派遣されてきた者たちが行った施政の両方を経験している人物なのである。それだけに、ここで何もせずにただ粛々と負けを受け入れては、以前の様な搾取が降り掛かってくるのではと危惧したのだ。それでなくても袁紹は、四世三公を輩出した漢国内でも名門の汝南袁氏の者である。しかも間もなく一族の当主となるかもと噂されている人物であり、彼らの抱いている危惧が全く的をえていないとは、彼らの立場からすれば言い切れないのであった。


「……分かった。せめてあの者どもに、一矢報いてやろうではないか!」

『おうっ!!』


 ここに、少数でも死兵しか存在しない集団が出来上がったというわけである。だからこそ、彼らが大軍を前にして恐れるなどといったことはあり得なかった。当然ながら、つい先日勧告された降伏など一笑に付したのである。そればかりか区連は、使者を捕らえ首をはね、戦前の神事としてそのはねた首を捧げたのだ。さらに神事のあとで、区連は捧げた首だけを送り返している。そして首のない遺体については、壁の上から投げ捨てていた。


「…………あ奴らには、仁義も礼儀もないようだな」

『しかり』


 降伏を勧告する使者は首を討たれ、その首を送り返しただけでなく遺体は壁の上から投げ捨てるという振る舞いに、袁紹は表情の消え失せた顔をしつつ一言漏らしていた。戦の最中さいちゅうであろうとも、送使者に対しては礼節を持って対応するというのが暗黙の了解である。その暗黙の了解を守る気がないどころか、死者に鞭打つと言っていいだけのことをしでかす区連に対して、慈悲など掛ける必要がないのだと袁紹は決意を固めたのだった。


「現在、西巻にいる者たち全てを血祭りにあげるのだ!」

『はっ』


 区連が事前に町より逃した殆どの住民は、既に袁紹が確保している。町より出された以上、彼らが身を守る為に袁紹に対して庇護を求めるのは当然だった。つまり、西巻としては降伏していると言っていい。それでも立て籠もる区連に対して、表向きは慈悲の心を現すということで降伏勧告の使者を送ったわけだが、その返答が今回の出来事なのである。袁紹が慈悲を掛ける必要がないと判断するのも、そして血祭と言う名の殲滅を指示したのも、当然と言えば当然であった。

 こうして一連の区連による反乱騒動の最終戦が、西巻を舞台に始まったのである。当初は圧倒的な兵力の差から、殆ど時間を掛けることなく戦の終焉を迎えると思われていた。しかし驚いたことに、西巻に籠る区連は攻撃の最初となる一日を凌ぎ切ったのである。これには寧ろ、袁紹の方が気分を害してしまったのである。だが、それも当然であった。十倍ではきかない兵力差があるにも関わらず、即日で西巻を落とすことが叶わったのだ。これが、片手間に攻めたというのであればまた違ったであろう。しかしほぼ全軍で攻めた結果がこれでは、総大将としての面目は丸潰れであるといっていい。袁紹の怒りが爆発するのも、分からなくはなかった。


「その方ら! あまりにもふがいないではないか!!」

『…………』


 袁紹の癇癪に対し、この場にいる諸将からの返答はない。誰しもが、ただうつむいているだけであったからだ。しかしてその様な反応をする味方の不甲斐なさに、袁紹の苛立ちが増していく。そんな気持ちを証明する様に袁紹は、机の上に置いた手の指で机の面を叩いていた。


「何か言うことはないのか!」


 誰も答えず、ただ沈黙だけが流れていることについに堪忍袋の緒が切れた袁紹がさらに声を荒げる。しかしながら、相変わらず誰も答えようとしなかった。そのことに袁紹は、ついに業を煮やすとある宣言をする。それは自身が先頭に立って、西巻を落とすというものであった。流石に、この言葉へは諸将も反応してしまう。特に筆頭軍師である、郭図の反応は物凄く速かった。彼はほぼ間髪入れずに、軽挙を待つ様にと進言したのである。だが、その言葉に対する袁紹の目は、とても冷ややかであった。


「公則。待って、どうするというのだ? まさか、だらだらと攻め続けるとでも言うのか」

「あと一日、あと一日だけお待ちください」

「そうすれば、落とせると、そう言うのだな」

「は、はい!」

「そうか。なれば、もしできなければ罰を受けてもらうが、それも相違ないか」

「む、無論にございます」


 本音を言えば、罰など御免である。無論、この気持ちは郭図だけではない。この場にいる諸将も同様であった。彼らからしてみれば西巻など、もう落ちたも同然なのである。だからこそ、無用な損害など被りたくなどないし、生きて勝利の美酒に酔いたい。その気持ちが、彼らから必死さを除いてしまったのである。ゆえに彼らは、一瞬一瞬に全てを掛けて戦う区連率いる少数の兵に、勝ちを収めることが出来なかったのだ。しかしながら、袁紹が罰を受けて貰うと宣言したことでそういうわけにもいかなくなってしまった。ここで郭図が言った通りに明日で勝ちをもぎ取らなければ、区連が死んでしまう前に最悪の場合、自分たちが死を賜るかも知れなくなってしまったのである。こうなってしまっては、被害云々や勝利の美酒などと言っているだけの余裕はない。意図したわけではないが郭図へ伝えた一言によって袁紹は、彼らを背水の陣へと追い込んだ形であった。


「なれば一日、一日だけ待つ」

「は。必ずや、明日に落として見せまする!」

「ふむ。楽しみにしておくぞ」


 そう一言だけ残したあと、袁紹は立ち上がって軍議を行っていた天幕より出ていく。彼の後ろ姿を見送った諸将は、すぐに自陣へと戻り明日に備えたのだった。明けて翌日、前日の不甲斐なさなど全く感じさせない軍がそこにある。その様な彼らからは、気概の様なものを感じられていた。

 昨日とは打って変わった敵勢の雰囲気に、区連も気付く。そして彼は、どうやら今日が最後となりそうだと思っていた。その区連の近くには、昨日の一戦によってさらに少なくなった兵がたたずんでいる。確かに昨日は、西巻を落とされなかった。しかしながら、兵を損耗し減っている。それでなくても絶対的な、兵数の差があったのだ。寧ろ、昨日一日持っただけでも奇跡だと言えるかも知れないのである。その上、敵からは昨日の攻めでは全く感じることが出来なかった決意の様なものが雰囲気として感じ取ることが出来る。これで今日も勝てるなどと思える者がいたら、それは稀代の楽天家か馬鹿ぐらいであろう。


「我ら、最後の一兵となるまで、抵抗を止めることは能わず!」

『おうっ!!』


 疲れ切ってはいるものの、彼らは意気軒高いきけんこうである。その証拠というわけではないが、彼らの姿とは裏腹に声は力強さが感じられていた。だが、まさか彼らの声が聞こえたわけではないのだろう。籠城する兵が区連の檄に答えた直後、攻め手の采配が降られたのである。彼らは本当に昨日と同じ兵なのかと思わせるぐらい、遮二無二しゃにむに西巻へ攻め立てている。必死に防衛に努めている籠城側であるが。いっそ必至と言って差し支えない苛烈な攻撃に、一人また一人と討たれていく。開戦して数時間後にはついに防衛の頂点を超えてしまい、壁を乗り越えられてしまう。こうなってしまっては、最早守ることなどできるわけがない。数の利点を生かされ、今までの苦戦は幻ではなかったのかというぐらいに次々(つぎつぎ)と蹂躙じゅうりんされてしまった。


「これまで、だな」


 町の中央にある建物から、町のあちこちで起きている蹂躙劇を見ながら一言呟いた区連は最上階に上がっていく。そしてすぐ足元からは、敵兵が挙げる怒声が聞こえていた。その様な中で最上階に上がったわけだが、そこには大量の油壷が置かれていた。それだけに留まらず、床や柱などにもたっぷり油が染み込ませてある。しかも区連の手には、今まさに火を付けたばかりの松明が握られていたのだ。もはやいつ、火の海となってもおかしくはない正にその時、最上階に敵兵が雪崩れ込んできたのである。因みに彼らは、士燮旗下の交阯郡の兵であった。 


「反乱大将、区連か!」


 幾つもある壺を訝しがりながらも、飛び込んできた少数の兵を率いていると思われる人物が区連へ問い掛ける。すると区連は鷹揚に頷いてから口を開くのであった。


「いかにも。我が、林邑国国王、区連である! 王の御前だ、頭が高い!!」

「たわけ。漢へ反乱した者が偉そうなこと抜かすな! 大人しく、縛につけ!」


 この場にいるのは区連の他には、老年の兵が二人だけである。そのうちの一人は、志願した際に区連が問い掛けた志願兵の纏め役であった。


「区連様、ここは我が時を稼ぎます」

「任せた」

『はっ』


 老兵の二人は、年齢を感じさせない動きで士燮の兵に迫る。まさかここで飛び込んでくるとは思ってもみなかっただけに、本の一時であるが、味方の数が多いにも関わらず均衡を保たれてしまう。しかしそれも僅かな時間であり、二人とも討たれてしまったのである。だが、彼らを討ち取った瞬間、最上階には「ごうっ!」という音と共に、火が広がったのである。理由は区連が手にしていた松明を床へと投げたからであった。士燮の兵へ区連に付き従った老兵二人が攻勢を仕掛けて稼いだ僅かな時間、その時間で油がたっぷりと染み込んだ床や柱へ火が引火したのだ。一度引火してしまえば、瞬く間に広がってしまう。文字通り、最上階は火の海と化してしまったのであった。


「ははははは! 我の首が欲しくば、火の海を越えてくるがよい」


 彼らは士燮旗下の兵であり、士燮が弟で九真郡太守を務めていた士䵋の仇を討ちたいという思いを知っている。だからと言って、この火の海を越えていくことはどうしても憚られる。というか、物理的に無理である。彼らは火の海の中で高笑いを続ける区連を睨みつけたあと、逃げる様に階段を駆け下りていった。


「ふん。興ざめよ」


 視界から敵兵が消えると、区連は高笑いを止めた。最後に、階段がある辺りを一瞥したあと、頭を下げる。それは最後まで付き従ってくれた老兵に対する、せめてもの礼であった。間もなく頭を挙げた区連は、自分に服に火がついていることなど全く頓着せず、剣を抜く。そして、剣身を自身の首筋に当てていた。


「良き、生であった!」


 まるで宣言するかの様に声を張り上げると、剣で首を掻っ切ったのである。これにより、交州の反乱は一応の決着を見たのであった。

ご一読いただき、ありがとうございました。



別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。

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