第百十一話~交州派兵 一~
第百十一話~交州派兵 一~
興平三年(百九十四年)
洛陽を舞台とした巨大巨額汚職事件に断固とした態度で臨み、一応の決着を見ることとなった。しかしながらその代償として、事前に懸念した通り文官の不足という事態に陥ってしまったのである。但し、このこと自体は予測されたことであることは前述した通りであり、それでも彼らは決断し決行したのだ。それこそ丞相たる劉逞を筆頭に、皇帝である劉弁に仕える廷臣だけでなく、劉逞などそれぞれの者たちが抱える家臣たちすらも動員して対処したのである。彼らはこの事件に対して断固たる決意を見せることで、これからの戒めとしたのだ。しかして彼らは、仕事に忙殺されていくことになったわけである。その間にも、罪の問うたことで文官の不足という穴を埋めるべく、新規の者たちを雇用していったのだ。実に半年近く対処に追われた彼等であったが、ここにきて落ち着きを見せ始めたのである。漸く一息つけたことで劉逞たちは、安堵の心持となったのであった。
「もう春も半ばか」
屋敷の庭に咲き誇る花たちを眺めつつ、劉逞は何とはなしにそう漏らしてしまう。最も、意識して出た言葉ではないので、劉逞自身喋ったという認識はなかった。多少の息抜きなども出来ていたが本当に多少であり、汚職事件の対応について決定した朝議以来、劉逞以下の者たちは仕事に追われていたと言っていいだろう。だがその仕事も、漸く落ち着きを見せたことでこうして庭をただ眺めているという余裕が生まれたのだ。しかし、忙しくともある意味では張りがあったともいえる期間ではあった。その為か劉逞は、どこか気が抜けた様になっていたのである。しかしながら、その余裕とも気が抜けたとも取れる安穏とした時間は長く続かない。それは劉逞の元へ、ある知らせが舞い込んできたからだ。果たしてその知らせとは、交州でのこととなる。それは、揚州牧の袁紹がついに兵を率いて揚州から交州へ侵攻した件についてであった。しかもその軍勢には、袁紹のいとこに当たる袁術が合流している。一時は骨肉相食むと言ってもいいぐらいに対立していた両者が、いかに一方の勢力であった袁術が落ちぶれていたとはいえ同じ陣営にいるとは劉逞も驚いている。事実、曹操から両者の仲の悪さについては聞き及んでいたので、驚きは一入であった。
「だが、大丈夫なのか?」
それでなくても劉逞は、袁紹や袁術対してあまり良い印象は持っていない。二人と出会った当初は兎も角、今の彼の中ではどうしても先の反董卓連合での出来事が残っている為だ。戦力を有しつつ碌な戦果も上げられなかった袁術に関しては言わず物がなであるし、袁紹にしてみても正直に言って袁術と似たり寄ったりの印象を持ち合わせている。それだけに彼らの評価としては、劉逞は首を傾げざるを得ないのだ。とは言うものの、現状では揚州牧である袁紹を頼るしかない。いまだに荊州南部を鎮圧できていない劉表ではあてにならない上に、距離と金という二重の障壁が劉逞への足かせとなっているからであった。
「……まぁ、兵の数を揃えれば、勝つことは難しくないか」
幾ら劉逞が不安に思っているとはいえ、数の力は大きいのもまた事実である。しかも今回の場合、相手となるのは中央の混乱と兵を挙げたその勢いに乗って支配領域を広げた存在となる。油断はできないであるが、兵数さえ揃えてしまえばよほどの不手際を生じさせない限り問題なく駆逐できる筈なのだ……但し、普通であればだが。
ともあれ、袁紹に任せた以上は、彼からの報告を待つしかないと言うのもまた事実である。いずれ届く吉報を信じつつ、袁紹による交州侵攻の報告が届いたあとの劉逞は、静かに庭を眺めることを再開したのであった。
揚州から出陣した袁紹は、順調に交州へと兵を進めていた。その交州では、区連が兵を起こして瞬く間に占有した日南郡はもとより、日南郡の北にある九真郡をも版図としていたのである。勿論、区連の動きがそこで止まるわけもない。袁紹が交州へ兵と共に入った頃には、区連の矛先は交阯郡へと向けられていたことからも分かるというものだ。しかしながら、彼の率いる軍勢の勢いは、その交阯郡にて足止めを余儀なくされていたのである。果たしてその理由が何であるのかというと、交阯郡の太守が士燮であったことにほかならなかった。前述の通り、彼が交阯郡太守と兼任して交州刺史の代理を務めている。その士燮が交州の各郡太守に声を掛け、各郡の軍勢を集結させたのだ。最も、交州にある九つの郡のうち、三つの郡は士一族が太守を務めている。先に挙げた士燮は交阯郡太守であるし、弟の士壱が合浦郡太守を、さらにもう一人の弟となる士武が南海郡の太守に就任しているのだ。その様に力を持つ士一族当主となる士燮からの呼びかけである上に、彼は先にも述べた通り刺史代理を務めているのだ。その様な有力者からの要請に、断る様な太守はいない。兵数の差はあれども、区連が勢力下においた日南郡と九真郡以外の太守が集結していた。因みに、士燮にはもう一人弟がいる。それは、士䵋という人物だ。しかし、今となっては居たと表記した方が正しいだろう。それは士䵋が、九真郡太守であったからだ。士䵋は兄である士燮からの助けを受けて九真郡で区連を止めるべく戦っていたのだが、力及ばず敗れてしまったというわけである。敗れた士䵋はどうにか脱出を図ったが、もう少しで兄が太守を務めている交阯郡への郡境を超えるという時に捕らえられてしまったのだ。彼の身柄は、九真郡の治府があった胥浦に本陣を置いている区連の元へ送られることになる。そこで士䵋は、斬首させられてしまったのだ。つまり士燮にとって区連との戦は、漢中央からの命令だけでなく弟の敵討ちという意味合いも併せ持ったことになる。もはやそう簡単に敗れるわけにはいかない、戦に代わっていたのだ。
「何としても、討ち果たしてくれるわ!」
交阯郡の治府がある龍編からさらに南部にある朱䳒に移動した士燮は、今や区連率いる軍勢との最前線となっている交阯郡と九真郡との境近くにある定安を睨みつけていた。そんな士燮の元へ、ある知らせが舞い込む。その知らせこそ、袁紹の軍勢が南海郡へ入ったというものであった。報告を受けた士燮は、手元にある全軍で区連の軍勢へ攻め立てたいという思いに囚われそうになる。袁紹率いる軍勢さえあれば、区連を攻める兵力としては十分だからだ。それに、袁紹の軍勢と合流すれば自分が総大将にはなれない。中央へ援軍を要請したのは自分であるが、命を受けたのは袁紹だからだ。それゆえに、士燮は自分が総大将であるうちに弟の仇を討ちたいと咄嗟に考えてしまったのである。しかしながら、彼がその様な命を口に出すことはなかった。正確には命を出す寸前であったのだが、正に寸でのところで士燮は押し留まったのである。ここで全軍を持って打って出たとしても、勝ちを手にすることが出来るのかと問われると確率は五分五分だからである。兵の数自体は、七つの郡から兵を集結させた士燮の方が上である。しかし区連率いる軍勢には、僅かな時間で二つの郡を落としたという勢いがある。しかも、士燮の弟となる士䵋が討たれていることで、士気の点でも忌々しいことに区連の軍勢の方が上となっている。つまり、兵の数では士燮側に、軍勢の勢いと士気では区連側が上となっているのだ。この状況で明確に勝ちを手にするとは言い難かったのだ。前述した様に士燮は、区連に勝って弟の敵を討ちたいという思いがある。寧ろ、その思いの方が今となっては主となっているぐらいなのだ。それゆえに、士燮は最後の最後で押し留まったというわけである。総大将にはなることはもう叶わないが、代わりにほぼ確実に弟の仇は討てるだろう。自らの手で弟の仇を討つことと、ほぼ確実に弟の仇を討つことが出来るだろうという二つの事象を自身の中で天秤にかけた結果、士燮は後者を選んだというわけであった。
兎にも角にも、全軍で打って出るという愚をどうにか抑え込んだ士燮は、前線へ命を出す。それは、できうる限る軍勢の傷を抑える様にというものであった。具体的には、定安に籠城させるというものである。それというのも定安が、九真郡との境にある拠点としては最も大きいからだ。勿論、区連としては、ある程度の軍勢を置いて定安に籠る軍勢を牽制し、本隊は北進するという手を使用できないわけではない。だが、残念ながら区連にその様な手を打つことは難しかった。その理由はただ一つ、区連が率いている軍勢の方が、寡兵であるというこの一点に尽きる。とどのつまり、区連側には十分な数の別動隊を組織するだけの余裕がないのだ。せめて交阯郡を落とすことができていれば、また違ったであろう。しかしながら現実として交阯郡を落とすどころか、交阯郡と九真郡の郡境を少し交阯郡側へ押し込んだところで足止めされている。この状況では、とても軍勢を分けることなどできない。だからと言って、籠城した軍勢を放っておいて北上しようものなら、後方から襲われることは必定である。要するに攻め手側であるからこそ負けられないという葛藤に、区連は苛まれていたのだ。
「ええい! 忌々しい!!」
どうやら籠城態勢に入ってしまった定安に対して区連は、歯ぎしりしながら睨みつけたていたのであった。
図らずも士燮を暴走させ掛けさせるも結果的に押し留め、区連に葛藤を味あわせた袁紹はどうであったのか。今さら言うことでもないが、彼の率いる軍勢が進む道は最前線から程遠い。当然ながら、敵などいない行軍である。その軍勢を率いる袁紹は、意気揚々と進めていた。南海郡から蒼梧郡、そして合浦郡を経由した軍勢は、ついに交阯郡へと到着したのである。袁紹はその行軍中に、士燮からの知らせで最前線の定安で軍勢を籠城させた報告を聞く。そのことに袁紹は、眉を顰めたのであった。
「公則。これはどういった意図があるのだ?」
「どうやら刺史代理殿は、敵を完全に足止めさせる模様です」
知らせを聞いて郭図は、士燮の思惑を完全に読み解いたのだ。この辺りは、荀彧や荀攸や鍾繇らと共に潁川郡の太守であった陰脩から官吏として朝廷に推挙されただけはある。なお郭図だが、彼は袁紹の筆頭軍師となっていた。
それはそれとして、郭図から士燮の思惑を聞いた袁紹はなるほどと納得する。同時に彼は、交州を手にする為には士燮とその一族は排除する必要があるとも考える。これは郭図も同様であり、のちに袁紹から相談を受けた郭図は、許攸や逢紀とともに士一族を除く為に動くこととなる。ただ、それは先の話であり、勿論今ではない。まずは、反乱を起こした区連とその一派の鎮定を行うことが先であった。
「そうか。ではまず、朱䳒へ向かうことだな」
「御意」
こうして袁紹は、軍勢の行進を速めるのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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