第十一話~冀州黄巾賊最終戦 二~
第十一話~冀州黄巾賊最終戦 二~
中平二年(百八十五年)
皇甫嵩はどうしたらいいものかと、思案を巡らせていた。膠着状態となってしまった戦線は、いかんともしがたいものがある。かといって、今すぐに有効な手も思い付かない。つまり、完全に手詰りと言える状況にあったからだ。そんな皇甫嵩の元に、劉逞の来訪を知らせる先触れが到着する。いささか煮詰まっていた皇甫嵩だが、流石に皇族の来訪は断れない。それから間もなく現れた劉逞に、皇甫嵩は面会したのであった。
「常剛様。何用ですかな」
「将軍、戦に関することで話したいことがある」
「ふむ……聞きましょう」
「敵の将である、張牛角。こちらに、引き込まぬか?」
『!!』
劉逞の口から出た言葉に、皇甫嵩は驚愕して絶句する。いや、彼だけではない。この場にいた傅燮も、そして曹操も同様の反応を見せていた。暫くの間、天幕内が奇妙な静けさで包まれる。やがて皇甫嵩が大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。それから彼は、劉逞へ鋭い視線を向けていた。その視線からは、明らかに説明しろという雰囲気が溢れている。すると劉逞は、盧植へと視線を向ける。その視線を受け大きく頷いてから彼は、先程進言した策を皇甫嵩へ伝えたのであった。
盧植曰く、今敵対している張宝と趙牛角であるが、実際に主力を率いているのは張牛角である。言ってしまえば、張宝は神輿と言ってもいい。要するに、張牛角をどうにかできれば現状を好転させられる。だが、それが可能であるならば、このような事態になどなっていないことも明白であった。
そこで、盧植のたてた策の出番となる。その策とは、張牛角へ役職でも与えて先ほど劉逞が言った通り漢という国に取り込んでしまうというものであった。無論、低い役職では無理だ。最低でも都尉、できればそれ以上の官職であれば申し分ない。この与えた官職を持って、朝廷へ帰順させるというのが策の骨子であった。
黙って策を聞いていた皇甫嵩であったが、説明が終わるとすぐに口を開くと盧植へと問い掛けたのである。
「子幹。その策を実行するとして、張宝の扱いはどうする」
「この策を実行する条件は、張宝の身柄です。引き渡すなり討つなどさせた上で、張牛角を帰順なり降伏なりさせます」
「なるほど。我らは徳を、張牛角は漢へ仕えるという実利を得るということか……そなたがいわんとすることは、分かった。そして現状では、有効であることも認めよう。いささか、口惜しいがな」
皇甫嵩からしてみれば、賊を認めなければ状況を打破できない自分が不甲斐ないのである。その気持ちが、つい口に出てしまったのだ。そしてその気持ちは、劉逞としても分からないではない。しかしこのままだらだらと時が過ぎれば、またぞろ十常侍あたりが出てきかねない。それだけは、何としても避けたかった。
「将軍。気持ちは分からぬではない。だが、堪えて飲んでくれまいか」
「常剛様、それ以上はおっしゃられないでいただきたい。それに、別に採用せんとは言ってはおりません。問題は、朝廷が策を認めるかどうかです」
「そちらに関しましては、我からも働きかけを致します」
そう言ったのは、盧植であった。
実は彼の人脈だが、かなりのものがある。今は亡き馬融の高弟であったことも、そして師の馬融自体も盧植を認めていたこともあって、漢に直接仕えていないにも関わらず漢の高官に伝手があるのだ。
楊賜、楊彪の親子や、馬融の一族となる馬日磾。他にも張馴や韓説などと、相当に渡っているのだ。その伝手をも使うというのであれば、策の実現性も帯びてくる。どのみち、皇甫嵩自身も現状を打破できる策など持ち合わせていない。ならば提案されたこの策を実行するのも、吝かではなかった。
もっとも、先ほど彼が思わず漏らしてしまったように正直に言えば実行したくはない。だが一番大事なのは、戦乱の鎮圧であり国の安寧である。そちらを優先するべく、皇甫嵩は自身の感情を切り捨てる決断をしたのであった。
「分かった。しからば、やってみましょう」
「うむ」
こうして、劉逞の提案した盧植の策が実行されることになる。皇甫嵩は自身の名で大将軍たる何進へと進言し、そして盧植も先に挙げた人物などへの伝手を使い働きかけた。また、劉逞も動きを見せる。彼自身に朝廷に対する伝手はないに等しいが、その中にあって唯一といっていい伝手が父親の劉嵩となる。伝手としては皇甫嵩や盧植に比べると弱いかも知れない。だが父親から働きかけて貰うことで、多少なりとも援護になると考えて頼んだのだ。
すると、この頼みを知った甘陵王劉忠が、劉嵩へ協力したのである。勿論ただというわけではなく、引き換えにある提案がなされていた。しかもこの提案は、劉嵩の息子である劉逞に関係していたのである。だがある意味で渡りに船と言っていい事柄であった為、劉嵩はその提案を受け入れることにする。だが、なぜか当事者と思われる劉逞には知らされることがなかったのであった。
また、皇甫嵩は自身の伝手とは別に曹操の伝手をも使っている。それというのも、曹操の父親となる曹嵩が、司隷校尉という漢の高官だからだ。それに曹操としても、いい加減この進展のない戦にも飽きがきていたこともある。だからこそ、受諾して動いたのであった。
このような彼らの働きと、進捗がなく介入の機会を模索していた十常侍。さらには、内心現状にいささか辟易としていた大将軍何進の思惑が奇妙に一致し、異例の速度で許可が下りたのだった。
さて朝廷が用意された役職だが、何と中郎将である。完全に新設された中郎将であり、その名称は平難中郎将といった。また、それだけでない。何と張牛角へ、朝廷に対して孝廉に推挙できるという資格が与えられていたのである。これは事実上、彼の本拠地支配を漢という国が容認するというものに等しかった。
朝廷から想定を超える返答が届いたことに皇甫嵩と曹操、そして策を献じた劉逞や策を進言した盧植すらも思わず呆気に取られたぐらいである。何はともあれ、盧植の策を実行へ移す環境が整ったので、すぐに実行へと移されたのだった。そして策を実行するのは、皇甫嵩へ進言したのが劉逞ということもあり、彼が責任者となる。そこで劉逞は趙燕を使い、密かに張牛角との接触を果たすのであった。
一方で張牛角だが、当てが外れたと感じていた。
彼が張宝を匿ったのは、ある意味で義憤に駆られてと言っていい。しかしながら、いざ匿い近くで接してみれば彼、いや彼らは連日とは言わなくても頻繁に宴を開くなどしていたのだ。そのさまは、伝え聞く朝廷の腐敗とやらとあまり変わりがないようにも感じられていた。
勿論、張牛角たちとて宴会ぐらいはする。だがこの敵に囲まれた状況で頻繁に行われる宴会など、流石に考えられない。つまるところ張牛角は、張宝に失望したとのである。そんな頃、劉逞からの密命を帯びた趙燕が張牛角の元へ密使として訪れたのであった。
一瞬、会うかどうしようか迷う。しかし興味が勝り、張牛角は会う決断をした。取り次いだ眭固に命じて、使者を呼び寄せる。程なくして面会を果たした張牛角は、趙燕から書状を渡される。そこに記されていた内容は、先に挙げた条件であった。
その甘言とも言える内容に、驚きをあらわす。この条件を認めるということは即ち、漢という国に自身と自身の配下が認められたと言えるからだ。無論、形の上では降伏の体をとっているので表向きは勝ちというわけではない。だが実情を見れば、国家から勝利をもぎ取ったに等しかった。
「……まさか、騙す気ではあるまいな」
「それはありません。我は無論、我が主も。そして、総大将であられる皇甫将軍も保証致しておりますれば」
皇甫嵩は将として名を馳せているので、張牛角も彼に関しては聞き及んでいる。その皇甫嵩が保証しているというのであれば、信じられるような気がしてきた。それに、先に述べたように、張宝にもいささか失望していたところがある。ゆえに張牛角は、この条件を受け入れることを決めたのであった。
「皇甫将軍か……よかろう。この内容を持って、帰順致そう」
「ご英断、忝く」
こうして張牛角は、漢への帰順を決断した。こののち、趙燕を取り次いだ眭固を介して密かに書状のやり取りが行われ、具体的な手順が決められる。その手順に従い、張牛角は張宝を捕らえるべく動き始めたのだった。
何ゆえにここまで慎重にことを進めているのかと言うと、確実に身柄を押さえる為である。戦の混乱状況下にあったとはいえ、張宝は重囲にあった広宗から逃げ遂せた男である。とてもではないが、油断はできる相手ではなかった。
それに張宝の周りにも、数は少ないとはいえ命を捨てでも張宝を守りたいという者で固められていることは間違いない。彼らがそれこそ命を賭して張宝を守ろうとすれば、またしても落ち延びてしまうかも知れないのだ。二度とそのような事態を起こさぬ為、ことさら慎重にことを運んだのだ。
さて、張牛角の行ったこと、それは大体的な宴会である。前述したように宴会を頻繁に行っていた張宝だが、それでもいくらかは遠慮していた。いや、彼自身としては遠慮していたつもりなのである。もっとも、相手が不快に思っていれば遠慮をしていようが全く意味はないのだが、それは一まず置いておくとしよう。
しかし、今回のように張牛角や彼の配下である眭固らも加わっての宴会となれば話は別である。張宝も大いに酔い、そして大いに騒いでいた。それは、ここが戦場なのだということを忘れたかのような馬鹿騒ぎである。しかこの宴会は、一日で終わりを見せない。それこそ、連日連夜の大宴会となっていたのだ。
こうなると、張宝を守るべく周りを固めている者たちからも油断のような物が生じてくる。だが張牛角は、彼らをしっかりと酔い潰すべく油断なく策を実行していた。そしてこのようなことが可能だったのは、防衛を担っている張牛角と攻め手となる漢の軍勢が同調しているからこそである。そうでないならば、とっくに攻められていた筈であった。
「そろそろ、といったところか子幹」
「ええ常剛様。数日中には、実行されるでしょう」
「そうか……全く。もっと、早くならないものか」
「我慢することも、将には必要なことですぞ」
「……分かっている」
盧植が言うことも、劉逞は分かっていた。しかしそれでも、早めに決着がついて欲しいと願ってしまうのだ。しかし、ここで下手に動いてせっかくの策を無駄にしてしまうなど問題外だ。劉逞はぐっとこぶしを握り締めると、張宝がいる敵陣を睨みつけていたのだった。
それから数日後の夜、ついに策の総仕上げとなる。相も変わらず行われた宴会によって、張宝及び張宝の周辺の者は酔い潰れてしまっていた。それは張牛角や彼の配下も同じ……ではない。彼ら酔い潰れて眠っていた筈の目を見開くとゆっくりと起き上がっていた。
そう。
彼らは、全く酔っていなかったのである。張宝らが飲んでいたのは間違いなく酒であるが、張牛角らが飲んでいたのは酒ではない。いかにも酒を飲んでいるかのように振舞っていたが、中身は酒精など全くない水であった。
当然、水で酔える者などいないので、全員が素面である。なお、役者でもない彼らの演技が張宝たちに見抜けなかった理由、それは酒が入っていたからである。酔いが回り、張牛角たちの拙い演技が見抜けなかったのであった
起き上がった張牛角たちは、酔い潰れている張宝たちを静かに縛り上げていく。全員を縛り上げたあと、張宝たちを板に乗せると静かに運んでいった。
張宝たちを運んでいるのは、実は宴会に同席していた趙燕とその部下であり、そして張牛角の部下となる于毒である。やがて彼らは、皇甫嵩の率いている漢の軍勢へ到着する。これを持って策が成功したことを知った皇甫嵩は、実際に策を実行した責任者である劉逞を派遣して張宝たちの受け取りを行わせる。同時に曹操も派遣して、張牛角たちを迎えたのであった。
あえて張宝を起こさない為、劉逞は静かに皇甫嵩の陣へと向かっていた。やがて皇甫嵩のいる天幕まで来たのだが、ここまでくると張宝たちも目が覚め始める。初めは全く状況が理解できていなかったが、やがて彼らは自身が拘束されていることに気付がいたのである。
「な、なんだ! これは一体、どういうことだ! 答えよ、張牛角殿」
しかし問われた張牛角が、張宝へ答えることはない。彼は冷たい一瞥を張宝へくれたあと、静かに皇甫嵩の前に立つと拱手をしつつ頭を下げていたからだ。
「こちらが、張宝にございます。帰順の証として、連れてまいりました」
「ば、馬鹿な! 裏切ったのか」
「ふん。自身の胸に手を当て、よくよく考えるのだな。自業自得というものよ」
それだけ張宝に言うと、もう興味はないとばかりに視線を切った張牛角は、皇甫嵩へと視線を向ける。それと言うのも、まだ返答を貰っていないからだ。
捕らえた張宝らがいささかうるさいが、彼らを無視して皇甫嵩は返答をしたのである。
「確かに、受け取った。この功を持ち、その方へ平難中郎将を与える」
「ははっ」
この時点で彼らは賊ではなく、立派に漢の臣となったのである。その後、張牛角たちは皇甫嵩の前から下がると、漢の陣営の一人として加わる。その様子に、漸く張宝は嵌められたことに気付いたのだ。
それから彼は、およそ思い付く限りの雑言を張牛角へ、そして皇甫嵩へと浴びせかける。しかし彼らからすれば馬耳東風、馬の耳に念仏である。はっきり言って、負け犬の遠吠えぐらいにしか感じていなかった。
それでも張宝は、あらん限りの罵倒を浴びせ続ける。やがて、その言葉もなくなっていき、もはや静かににらみつけるぐらいしかできなくなる。漸く静かになると、黙っていた皇甫嵩が口を開くのだった。
「逆賊、張宝! そなたの身柄は、洛陽へと送る。兄弟揃って首を晒し、己の罪を身に沁みさせるがいい。さがらせろ」
「蒼天、既に死す! いつかはそなたらも、その言葉の意味を味わうがいいわ!」
最期にそう吐き捨てた張宝は、兵によって連行される。そののちに彼は、一緒に捕らえられた者たちと共に首を切られる。こうして張宝は、黄巾の乱を指導した最後の逆賊、黄巾賊の首謀者として、首を洛陽にて晒されたのであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。