第百九話~甘陵 一~
第百九話~甘陵 一~
興平三年(百九十四年)
劉逞たちだが、家族揃って出掛けていた。とはいっても、遠出をしているわけでもない。既に漢の丞相に就任している劉逞であり、当然ながら相応の護衛が付き従っていた。しかして何ゆえに、彼らが出掛けているのか。一つは、劉逞も忙しい仕事の合間に行う息抜きである。それと同時に、丁原の娘となる劉逞の側室の丁茜の妊娠が判明したからからであった。比較的妊娠の判明が遅かったこともあって、暫くすれば無理には動かせなくなってしまう可能性がある。そこで前述した劉逞の息抜きもあって、まだ母体に負担を掛けずに動くことが可能な時期に出掛けたというわけであった。
さてこの妊娠の判明で、劉逞以上に喜びを現した人物がいる。誰であろうそれは、相談役として劉逞に仕えている丁原に他ならなかった。彼は嘗て匈奴で起きた漢に対する反乱鎮圧時に、当時使匈奴中郎将であった劉逞に対して新たに与えられた度遼将軍の地位と共に討伐命令が出されている。当然ながらその命に従って劉逞は匈奴へ侵攻したわけだが、その際に起きた一連の戦の中で丁原は大怪我を負ってしまったのだ。日常生活ぐらいならばどうにかなるが、少なくとも武人としては戦場に立てない体になってしまう。すると丁原は、呂布たち家臣のことを考えて劉逞の臣下になる道を選んだのだ。同時に彼は隠居を考えていたが、劉逞が丁原の持つ今までの経験を惜しんで相談役となることを促したのであった。しかしながらその彼が、どうして一番の喜びを現したのか。それは、丁茜の腹に宿る子が初孫となるからであった。そもそも丁原だが、彼は息子全員を原因は様々あれども失ってしまっている。その様な中で唯一生き残っているのが、他ならぬ娘の丁茜だったのだ。つまり并州丁家は、このままでいくと断絶してしまうのである。ゆえに丁原は、唯一生き残っている娘である丁茜を劉逞の側室としたのだ。そして劉逞と丁原との間で、側室とした丁茜との間に男児が生まれた場合、并州丁家の後継とする旨を約束したのである。だからこそ丁原は、唯一自分の血を引いている娘の丁茜が妊娠したことにことさら喜びを表したのだ。しかしながら、まだ妊娠した子供が男児であるという保証はない。それでも喜んでいるのは、たとえ妊娠している子供が女児であったとしても、その次にまで家が残る可能性が生じているからであった。
「香姫。無理はするでないぞ」
「はい」
腰を降ろしている丁茜に対して、劉逞がやさしく声を掛ける。丁茜は、少し膨らみ始めている自分のお腹に手を当ててゆっくりさすりながら、彼女も優しく返答していた。そのことに満足そうな笑顔を浮かべながら頷いたあと、劉逞は近くにいる丁原へ声を掛けたのである。
「そなたも無理はするな。もう若くもないのだから」
「怪我を負っているとはいえこの丁建陽、まだまだ若いぐらいには負けませぬ」
怪我の影響で、若い頃より愛用していた得物を扱うことが出来なくなっている丁原であるが、そこは歴戦の将である。まだ支障もなく動かせる片手を剣の柄へ手を置きながら、彼はそう答えていた。その父親を視界の端で見つつ丁茜は、少し呆れている。するとその時、劉逞は近づく気配を二つ感じた。しかし彼は、警戒をしない。それどころか動こうともしなかった。それから間もなく、劉逞の右足に抱き着く者がいる。それからやや遅れて、左足に抱き着く者が二人いる。果たしてその抱き着いた三人の人物だが、それは劉逞の二人の息子と長女であった。
「父上!」
『ちちうえ』
劉逞の足に抱き着いた三人の子供は、揃って足に抱き着いたまま顔を上げて父親を呼んだ。そんな三人の我が子に笑みを浮かべながら劉逞は、まず長男を抱き上げるとそのまま肩車をする。続いて双子を右と左それぞれの腕に抱える。視点が高くなった三人は、嬉しそうに声をあげていた。
『申し訳ございません!』
「気にせずともよい」
その時、劉逞に対して頭を下げて詫びを申し出ている者たちがいた。それは、劉逞の子供である三人に付けられている者たちである。まだ劉逞の子供が幼いこともあってか、彼らは家臣などではない。それでも彼、彼女たちは、劉逞の子供に付けられている人物なのだ。その役目は、言うまでもないが護衛と彼ら三人の相手に他ならない。つまり、三人の面倒を見なければならない者たちである。その様な役目を持っているにも関わらず、劉逞の子供たちが父親の劉逞へ抱き着くことを許してしまった。だからこそ、彼らは平身低頭して謝っていたというわけである。何せ最悪の場合、役目を果たせていないとして死と言う名の処罰を受けるかも知れないからだ。しかしながら、劉逞自身にはその様な気持ちなどない。自身も子供の頃はかなり腕白であったので、寧ろ心うちでは流石は自分の子供だと思っているぐらいなのだ。それだけに劉逞は、彼らを処罰する気などなかった。だが、劉逞の子供三人を自由にしてしまったこともまた事実である。そこで劉逞は、一言だけ釘をさすことにしたのだった
「次からは、しっかり頼むぞ」
『は(はい)!!』
そこで劉逞は、楽しそうに声を上げる三人をあやしながらも彼らへ、注意とも取れるし釘を刺したともとれる様な言葉を掛けたのである。一応でも皆の前で注意をすることで、けじめとした形であった。それから劉逞は、頭を下げている彼等へ頭を上げるように言う。それから右腕と左腕に抱えていた双子と肩車をした長男を地面に降ろす。それからしゃがんで視線を息子たつと同じ高さ、合わせたのだ。
「よいか。そなたらも、気を付けるのだ」
『はい!』
とても元気だけはいい返事を三人から聞いた劉逞は、小さく苦笑を浮かべる。それは、本当に自身の言葉が子供たちへ届いているのか確信が持てないからだ。それでも今日は、息抜きを兼ねて家族で出かけている。ここで明らかな説教をするのも、無粋というものだ。劉逞は再度、苦笑を浮かべてから立ち上がると、三人の頭を順々に撫でてやる。子供たちからすれば大きい手で撫でられたわけだが、三人から嫌悪感はない。それどころか、とても嬉しそうに受け入れていたのだ。その後、劉逞は三人と丁茜を連れて正室の崔儷や、やはり同行している両親の元を訪れたのであった。
日がな一日、家族で水入らずと言っていい時を過ごした劉逞は、気持ちも軽やかに高邑へと向かっていた。彼らがあと少しで高邑へ到着するといった頃合いに、危急の知らせが劉逞の元へと飛び込んでくる。その瞬間、子供や家族との触れ合いを大事にしていた父親の姿は鳴りを潜める。代わりに現れたのは、丞相としての劉逞であった。その変わり様には、三人の子供が驚きを見せたのを知れば推して知るべしだと言えるだろう。その劉逞が、夏候蘭を経由して齎された書状を読む。果たしてその内容はというと、甘陵王である劉忠が倒れたというものであった。そもそも甘陵王である劉忠だが、以前にも重病を患い倒れたことがある。しかし奇跡的の回復し、その後は大きな病にも掛からずに過ごしていたのだ。因みに劉忠が回復した理由は、劉逞の次男を孫娘たる崔儷が身籠ったからだと言われている。事実、崔儷が妊娠したことを聞いた直後に回復しているので強ち間違いではないだろう。
話がそれた。
ともあれ、病気より回復後は無事に過ごしていた劉忠だか、ここにきて限界が訪れたのかついに倒れてしまったというわけであった。書状に記された内容が内容だけに驚きを隠せなかった劉逞だが、頭を振って気をしっかり持つと華佗を呼び出していた。
彼は劉逞の旗下に入って以降、劉逞たちの筆頭典医という立場にいる。しかして華佗が呼び出された理由だが、それは甘陵王の元へ派遣する為であった。劉逞が知る限り、医者として最も高い腕と知識を有しているのが他でもない華佗である。その彼を派遣することで、甘陵王の治療と、甘陵王である劉忠の容態をはっきりさせるというのが理由であった。
どうしてはっきりさせる必要があるのか。それは、甘陵王劉忠との約束があるからだ。果たしてその約束とは、劉逞と崔麗の間にできた子供を一人、養子縁組させることに他ならない。実は劉忠だが、今や子供がいないのである。病や怪我でなくなった者もいるがそれとは別に最大の理由があり、それは黄巾の乱であった。黄巾の乱が起きた際、甘陵国内に黄巾賊らによる大規模な侵攻が行われている。その侵攻が直接の原因となって、劉忠と孫娘の崔儷以外の者は悉く黄巾の者たちによって討たれてしまったのだ。そこで劉忠は、甘陵王家存続の為に劉逞と崔儷の間にできた男の子を一人、養子とすることを望んだというわけである。劉忠より話を提案された劉逞は、当時存命であった霊帝の許可を得た上で父親の常山王と甘陵王を交えて話し合いの席を設けている。この話し合いの結果、生まれてすぐではなく暫く成長し適切な時期に養子縁組するということとなっていたのだ。だが、甘陵王が倒れたというなら話は別である。年齢もあって、下手をすればこのまま亡くなってしまうかもしれない。そうなってしまう前にできれば、養子縁組をしておきたいからであった。
「元化。頼むぞ」
「はっ」
劉逞は呼び出した華佗に事情を説明した上で、甘陵国へ向かうことを命じる。事情から一刻も早い自身の派遣を望んでいることを理解した華佗は、すぐに了承する。そして劉逞がつけた護衛と共に華佗は、甘陵王劉忠の元へ向かったのだ。
その後、劉逞はすぐに高邑へ戻り、劉忠が倒れたことを伝える。まだ知らせが届いていなかった劉弁や荀彧からしてみると、青天の霹靂である。劉逞が騙すわけがないと思ってはいても、齎された知らせに疑いの目を向けてしまう。しかしながら、のちに劉忠が倒れた旨を報せる伝令が現れたことで、嘘偽りのない話であることが判明したのだった。
「陛下。甘陵王家への養子縁組、進めても問題ありませぬな」
「……? 何を言っておる。当然、進めるがよい」
「ははっ」
何ゆえに劉逞が劉弁に尋ねたのか。それは、確認の為であった。確かに霊帝から劉逞の子供と甘陵王家との間に養子縁組を行うことについての許可は得ている。しかしながら、許可を出した霊帝がもはや亡くなっている。だからこそ劉逞は、改めて劉弁からの言質を得たのだった。
勿論、この養子縁組についての話自体は劉弁も知っている。そして、今は亡き父親が許可したこともまたしかりであった。何より、劉逞に庇護されたあとにも、他ならぬ劉逞から養子縁組の話は聞き及んでいたのである。それでも劉逞は、劉弁から改めて言質を得る為に拘ったのである。それは、あとから知らない、もしくは言ってはいないなどと言われない為の事前の手回しであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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