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第百八話~汚職の結末~


第百八話~汚職の結末~



 興平二年(百九十三年)



 劉逞の元に、ある報告がなされている。その報告が何であるのかと言うと、洛陽における復興状況が遅々として進んでいない現状に対するものであった。


「……何とも、酷いものだな」

『はい……』


 提出された報告書に目を通した劉逞が、担当者である賈詡と鍾繇と荀彧を呼び出した上で眉を顰めながら漏らしたのが、愁いを帯びた一言である。その言葉に対して、担当者の三人が異口同音に漏らしたのが、劉逞の言葉を了承する一言であった。果たしてその内容だが、劉逞が眉を顰めるぐらいである。上は丞相である劉逞の調書から、下は現場働く労働者にまで及ぶ範囲であり、ある程度は三人によって簡略化されているもの、それでも多いのであった。

 さて、報告についてであるが、流石に丞相である劉逞やその重臣、そして三公と称される司空位にある劉虞。それから司徒となる种拂、大尉となる張温が関わったという事実は出てこなかった。そもそも劉逞が調査を命じたものであるし、三公である三名も一刻も早い洛陽へ皇帝の帰還を願っている者たちである。それゆえに、都の復興を邪魔するようなことはしていなかった。だがそれは、あくまで名を挙げた四名が関わっていないというだけの話でしかない。実際には、劉逞の一族である常山王家を除いた他の三名の一族の者が報告書の内容が多くなるぐらいに関与している。若しくは、関わっているどころか喜んで不正に手を染めていたりもしていたのだ。つまり、劉虞も种拂も張温も知らないところで、一族の者から洛陽復興に関する不正汚職事件へ関与していたという事実を突き付けられた形となったのであった。

 因みに常山王家が関わっていなかったのは、一族が少なかったことと、現在常山王の地位にある劉逞の父親が、そもそも中央に関わり合いが少なかったことからに他ならない。つまり、政治の主流から干されていたことで常山王家に関わる余地がなかったという実に皮肉な話であった。

 話を戻そう。

 洛陽復興にお明ける不正に関与した者がどれくらいいたのかと言うと、規模の大小問わずに言うならば、実に朝廷に仕えている者たちの四分の一ぐらいかと思われるぐらいの数に上っていたのである。正直に言ってしまえば、劉逞としてもこの数は想定の埒外であった。そしてこれだけの数を一気に処罰してしまえば、朝廷が機能不全になることは目に見えていることも容易に想像できてしまう。緊急措置として不正への関与が薄い者を除いたとしても、それなりの数に上ることとなる。どちらにしても、影響は避けられない事態であった。


「これは、一気に処罰するというのは無理だな。その様なことをしてしまえば、それこそ自分の首絞めることになる。そうなると、関与が深い者からとなるわけだが……伯安殿や穎伯殿や伯慎殿の一族から幾人も出てくることになる」


 数もさることながら、不正に関与した者で名が知られている者も多いのである。これでは、関係者だけを粛正して大きな事態とならないうちに処分することも無理であると言える。それなりに名が知られていることもあり、隠し切ることが難しいからだ。


『申し訳ございませぬ』

「ことここに至っては、もはや陛下御臨席の朝議に諮って処分を決めるしかないだろう」


 こうして思いのほか洛陽復興に関する不正に関与した人物が多かったこともあって、皇帝臨席の元で行われる朝議にて処分が決められることとなったのであった。



 劉弁臨席の元で開催された朝議だが、ここで紛糾することとなる。その理由だが、漢における刑罰にあった。そもそも漢の成立後、当然ながら刑罰も作られたている。だが、その中には五刑と言われる刑罰も制定されていた。この刑罰だが名前に五と記される通り五つあって、軽い罰から墨、劓、剕、宮、大辟に分かれていたのである。そして五刑のうち大辟を除く四刑は、肉刑と呼ばれていた。

 さて五刑のうち墨であるが、こちらは刺青のことであり黥とも呼ばれる刑罰である。次に劓だが、こちらは鼻を削ぐ刑罰である。次に剕と言うと、主に足を欠損させるもので、臏や刖とも呼ばれる刑罰である。さらに宮とは男性器を切断する刑罰であり、腐刑や椓刑や陰刑と呼ばれる刑罰となる。最後の大辟は死刑であり、殺とも呼ばれるものであった。

 しかしながら前漢(西漢)初期に名医と知られていた淳于意が、告発され肉刑が処されるという事件が発生する。だがこの告発はいわゆる讒言であり、淳于意に対する妬みからの告発であった。この際、彼の娘が時の皇帝であった文帝へ、肉刑では攻勢も不可能となると言った旨の上書を認めたのである。そして代わりに、自身が奴隷となるまで訴えたのだ。この上書を読んだ文帝は痛く感動し、淳于意への肉刑は取りやめとなり別の刑罰が適用されることとなる。この時、文帝は併せて肉刑を廃止した為、最も重い刑罰である大辟とそれ以外の刑罰との間に大きな差を生むことになってしまった。その為、鞭打ちや杖打ちの回数が増えたり、さらには死刑である大辟の範囲が拡大されたりと却って残虐であるとされ度々たびたび論議を生むこととなっていたのである。事実、最近でも陳紀から廃止されている肉刑復活についての意見も出されていた。しかしながら肉刑の廃止後、幾度となく議論となったことであり、なかなか結論が出ない話になってしまっていたのだ。

 かつて意見を奏上した陳紀は勿論、鍾繇や曹操などが肉刑復活の賛成派であり、今回の件を好機と捉えて肉刑の復活を目論んでいる。しかし当然ながら反対派も存在しており、議論は平行線をたどっていた。


「……そなたらに一つ尋ねたいのだが、他の刑罰を創設するというのは問題となるのか?」


 皇帝や丞相の前であるにも関わらず喧々諤々けんけんがくがくの議論を続けている者たちをじっと見ていた劉逞だったが、そこで彼らの姿を見て疑問に思ったことを尋ねたのである。そもそも肉刑を復活させることが問題だと言うのであるならば、別の刑罰を作ればいいのではないのか思ったからだ。これは劉逞に肉刑と言う刑罰の復活にそれほどの思い入れがなかったからこその意見であったのだが、この何気ない提案が彼らの議論に一石を投じることになるとは尋ねた劉逞自身も想定していなかった。

 そしてそのことを証明するかのように、今まで活発に行われていた筈の議論が止まり、朝議の場は静かな空間となる。それから間もなく、議論を行っていた彼らの視線がゆっくりと劉逞へ集まったのだ。流石の状況に、劉逞をして思わず身構えてしまう。そのまま視線を集めていた劉逞に対して、陳紀がゆっくりと口を開いたのであった。


「…………丞相様」

「何だ」

「その、お考えについてお尋ねしたいのですが……何か具体的な例でもありましょうか」

「そなたらほど、我は刑罰に詳しくないのだぞ。その様な我に、他でもないそなたらが尋ねるのか?」


 いわゆる法令集などの様な書物ぐらいは劉逞も読んでいるので、現行の状況については返答することはできる。しかし、新たに具体的な例と言われてもすぐに答えを出せる程でもない。どこまで行っても、彼は学者などではないのだ。しかし前述した様に、劉逞の一言は彼らに一石を投じたのは事実である。だからこそ揃って、何かあるのではないかと思い尋ねたというわけであった。


「それは、その通りなのですが……」


 傍から見ると、だいの大人がする表情とは思えない表情を浮かべている。その様子を見て哀れに思えてしまい、陳紀から逆に問われてしまった劉逞も無碍にすることなく暫く考え始めたのである。彼が考える間、またしても静かな時間が流れていく。やがて何かを思いついたのか、視線を中空に彷徨さまよわせていた劉逞の視線が陳紀へと向いたのだった。


「ふむ……思い付きだが、捕らえたあとに強制的に労働をさせるとかはどうだ?」


 劉逞が挙げた例を聞いて、議論をしていた彼は驚きの表情を浮かべてしまった。

 そもそも、彼らが肉刑を復活させるのかどうかについての根拠となっているのは、刑法の厳罰化である。賛成派としては、厳罰化することで罪の連鎖を防止できるだろうというという考えがある。一方で反対派であるが、まず考えの根底にあるのは残虐性である。その残虐性ゆえ、逆に犯罪を助長させるのではという判断がある。中には時期尚早じきしょうそうであるとか、部分的に肉刑を認めるといった考えを持どちらにもとれるような中庸的なものもあるが、その様な彼らとしてもどちらかと言えば反対派の立場となるのだ。その一方で劉逞の挙げた例に対してだが、反対派が懸念している残虐性は一見すると感じられない。しかし本人の意思とは無関係に労働をせる以上は、かなり厳しい物でもあることもまた事実なのだ。つまり賛成派、反対派どちらからもある程度の賛同を得られる案であると言えた。勿論、学者ではない劉逞の提案であり、しっかりと専門家による考慮は必要である。だが、一つの指針となる考えではあったのだ。ともあれ、議論が一段落したことで各々おのおのが冷静になることが出来たと言えるだろう。ゆえに彼らは、本来の目的についての話し合いに入ることができた。

つまり、漸く今回の、いわば巨大汚職事件への対処だが淡々と進むことになったのである。果たして刑罰の内容だが、軽いものだと財産の何分の一の没収程度で済んでいる。しかし、これは当たり前の話だが、罪が重くなるにつれて財産の没収額が大きくなっていく。やがて財産の没収では罪科に対しての釣り合いが取れなくなると、財産の全てを没収した上で捕縛されて牢獄入りとなった。しかも罪が大きくなるほどに、牢獄へ入っている時間は長くなる。さらに罪が重くなると大辟、いわゆる死刑が執行されたのだ。

なおこの死刑が適応されたものだが、主に三公の親族に対して与えられている。普通なら三公の地位にある司空の劉虞と司徒の种拂と大尉の張温が庇いそうなものだが、彼らは今回の一件に関わった者を誰も庇っていない。

 いや。

 庇うどころか、寧ろ彼らが死を与える様にと奏上したぐらいだったのである。要は、それだけのことを言い出すほど親族が関わっていたことに彼ら三人は、怒りを覚えていたというわけである。しかも劉虞と种拂と張温の三人は、職を辞するまで劉弁へ伝えたぐらいなのだ。幾ら事件に親族が関わっていたからとは言え、これには奏上され劉弁すらも思い止まる様にと答えている。しかし三人の意思は強く、皇帝である劉弁の言葉をもってしても翻意させることは出来なかった。ここに、三公全員の辞職という顛末すらも加えられた洛陽復興を舞台とした汚職事件は一応の決着を見たのであった。

 しかしながら、幾ら丞相の地位にある劉逞がいるとはいえ、三公が揃って空位というのはいささか影響が大きい。そこで、急遽三公が任じられることとなった。新たに選出された三公だが、大尉は楊彪が選出されている。そして司空だが、名門河内司馬氏の当主である司馬坊が選出されている。最後に司徒であるが、何と劉逞の師である盧植が抜擢されることとなったのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

https://ncode.syosetu.com/n4583gg/


も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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