第百五話~司隷鎮定 六~
第百五話~司隷鎮定 六~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
長安に入っている劉逞だが、董卓のこととは別に頭を悩ませる問題が発生していた。それは、朱儁が捕らえた董卓派の者の中に、益州牧となっている劉焉の息子がいたことだ。実は劉焉には、四人の息子がいる。そして長男と次男と四男は長安にあって、董卓からそれぞれ役職を与えられていたのだ。長男の劉範は左中郎将に任命されており、次男の劉誕は治書御史に任命されている。最後に四男の劉璋だが、奉車都尉に就任していたのだ。これは益州にいる劉焉が敵対勢力とならない様にという、董卓からの配慮でもあった。一方で劉焉としても、事実上漢の最高権力を有していた董卓の傍に肉親を置いておくことは、それがたとえ表向きだけであったとしても敵対しないという姿勢を見せることになる。無論、最後の手段として、息子三人は切り捨てる覚悟もある。だからこそ劉焉は、四人の息子の中で最も気に入っていた三男だけは手元に置いているのだ。
何はともあれ、こうしてそれぞれの思惑もあって、劉焉の長男と次男と四男は表向きには劉協に。実質的には董卓へ仕えていたのであった。当然ながら、朱儁や王允が彼らを味方と見る筈もない。ゆえに捕らえられたわけだが、だからと言って仮にも劉家の一族として名を連ねる三人を、捕らえて獄へ繋ぐことなど難しい。結局、劉範と劉誕と劉璋の三人は軟禁という形でそれぞれ別々の一室に隔離されていたのだった。
これだけならば、そこまで悩むことはないかもしれない。しかし、劉焉に関してはある噂が纏わりついて離れないのだ。果たしてその噂とは、漢からの独立である。そもそも劉焉は、今は亡き時の皇帝であった劉宏こと霊帝に牧州制度の奏上を行い、認めさせた人物である。そもそもからして州牧制の導入こそ、独立を考えてのことでないかとの話もある。もっとも裏付けが取れた話というわけでもなく、あくまで噂の域を超えてはいない。しかし、火のないところに煙は立たないともいう。いつまでも消えない噂があるだけに、悩むこととなってしまったのだ。もし噂がただの噂でしかないのであるならば、このまま捕らえ続けるのもどうかという話になりかねない。だからと言って、噂が本当であるならば、彼らには色々と使い道が出てくることになるからだ。
「はっきりせぬことには、扱いが難しい」
劉焉を呼び出して真意を確かめるという方法がないでもないが、彼は益州から出てこない。だがこれには理由があり、この理由だけ聞けば納得せざるを得ない話でもあるのだ。その話というのは、益州の漢中郡に勢力を広げた宗教にある。五斗米道と称した彼らは漢中郡太守の地位にあった蘇固という人物を殺して、漢中郡を自らの地盤とした。実はこの事実にも裏話があって、実際に裏で糸引いていたのが劉焉なのである。彼は漢からの独立構想の前準備として、五斗米道を利用したのだ。さらに劉焉が狡猾なところは、蜀の桟道を寸断しているところにある。彼は五斗米道による漢中郡襲撃の際には、必ず道の寸断をする様にと言い含めていたのだ。それというのも漢中郡を含めた益州という地は、天険の要害と言っていい地となる。それだけに益州へ向かうには、蜀の桟道と名付けられた厳しい道を通らねばならない。逆に言うと、この蜀の桟道を寸断してしまえば攻め入ることは非常に難しくなるのだ。こうして劉焉は、事実上漢から益州を切り離したわけだが、形の上では漢に対して対立している形にはまだしていない。あくまで漢中郡の五斗米道を率いている張魯が、蜀の桟道を寸断したが為に益州から移動できないという体を取っているからであった。
「常剛様。ここは、今まで通りとしておくのがよろしいかと存じます」
その様に劉逞へ進言したのは、賈詡であった。降伏時に劉逞へ勧誘された際に断った賈詡であったが、その理由は董卓によって家族を殺される可能性を潰す為である。しかし董卓が捕らえられ、彼の持っていた軍勢が劉逞の軍門へ降った今となっては、彼の懸念はほぼなくなっていると言っていい。そしてなにより、懸念していた家族の安否も判明している以上、断り続ける理由はない。ゆえに賈詡は、劉逞からの勧誘を受けて家臣の一人として加わったのであった。
「今まで通りか」
「はい」
それは即ち、劉協へ仕え続けるという形を劉弁に仕えるという形に変えるということである。但し、賈詡は進言の際に今まで様なそれなりの要職に据えるべきではないとも合わせて伝えていた。これは、劉弁からある程度距離をとらせつつもそれなりの役職、できれば名誉職を与えるべきであるとの考えによっているからであった。劉逞としても、その考えに異論はない。敵か味方か分からない様な人物を劉弁の近くに置くなど、のちにいかなる事態が起きるか分からないからだ。しかも、それだけではない。これは、盧植などから進言されたことで劉逞が認識した話となるのだが、彼ら三人を劉弁の近くに置き続けると、それこそ益州の劉焉から三人の息子へ劉弁の命を奪うかの様な密命でもあった日には冗談では済まない事態となってしまうのだ。つまり、賈詡の進言は、劉弁やその周辺に訪れるかも知れない危険を回避しつつ、同時に皇族である三人の立場を尊重しているという形にすることができるというものであった。
「……よかろう。流石に勝手はできぬので、陛下に事情を離した上でとなるだろうが」
「無論にございます」
まだ確定したわけではないが、それでも対処は可能である旨が判明したことで、取りあえず安堵した劉逞であったが、そんな彼の元へさらなる要件が届けられる。その要件であるが、それは父親である劉暠からの書状であった。果たしてその内容だが、それは言うまでもなく董卓の一件についてである。書状に記された内容に目を通した劉逞は、取りあえず胸を撫で下ろしていた。それは、当初の目論見通り、董卓の母親の一件については父親である劉暠預かりとなったからである。父親からの書状に目を通したあと、劉逞は家臣たちへと渡した。彼らも目を通したあとは、主である劉逞と同じような反応となっている。例外があるとすれば、賈詡である。流石にこの一件については、彼もまだ知らないことであったからだ。
「常剛様。して、董仲穎……いや董卓の母親については、いかがなさるのでしょうか」
「…………亡くなってもらう。それだけだ」
そう答えた劉逞の顔には、およそ表情というものは感じられなかったのであった。
劉暠からの書状が届いた二日後、劉逞は董卓の母親である池陽君の元を訪れていた。本来であれば自分が命令を出せばそれで済む話なのであろうが、劉逞はあえて自身が伝える形を取ったのである。一方で池陽君も、まさか劉逞が自身もとを訪れくるなどと夢にも思っていなかった。だからこそ驚きを隠せなかったのだが、それでも彼女は劉逞を受け入れていた。しかし面会が叶ってからも暫く、劉逞は口を開こうとしない。ただ静かに、時が経っていたのであった。
「常剛様。こたびのご訪問は、いかなる理由でありましょうか」
ついにしびれを切らした池陽君は、失礼に当たるかもしれないと思いつつ要件について尋ねる。その言葉で踏んぎりがついたのか、劉逞は小さな陶器製の小瓶を机の上に取り出していた。
「御母堂。何も言わず、お飲みいただきたい」
池陽君も、初めは意味が分からなかった。しかし彼女も、董卓の母親である。やがて、どのような意味を持つのかを理解したのだ。実は彼女も、噂として息子の董卓が一族の女子供を劉逞へ、そして劉弁へ助命嘆願をしたという話を聞いていたのである。しかし彼女は、その嘆願が全て通るとは思ってもいなかった。その理由は、劉弁の母親の件である。池陽君も、息子の董卓が、劉弁の母親である何皇后を殺させた話を知っていたからであった。
「常剛様。お聞きしたいことがございます」
「言ってみよ」
「その小瓶の中身を飲めば、わが愚息の嘆願をお聞き願えますか?」
「御母堂が飲めば、我が名に懸けて」
「……承知致しました」
その夜、池陽君は眠る前に小瓶の中身を飲み込み、文字通り眠るように永眠したのであった。
明けて翌日、劉逞は董卓の元を訪れる。今になって彼が自分の元へ現れるとは思っていなかった董卓は、驚きを露にしていた。しかし、それも長く続いたわけではない。間もなく董卓は、思わず浮かべてしまった驚きの色を抑えると、劉逞へ訪問してきた理由を尋ねたのである。しかしすぐには答えなかった劉逞であったが、やがてゆっくりと口を開き訪問した理由を告げたのであった。
「そなたの御母堂だが……亡くなられた」
「……え?」
劉逞の口から出た言葉を聞いた董卓であったが、すぐには理解しきれないでいた。確かに彼の母親は齢九十と高齢ではあったものの、少なくとも自身が知る限りでは病などにかかってはいなかった。しかも、老齢を理由とした心身の衰弱と言った状況にはなかったのである。要は、急死する様な状況ではなかったのだ。それであるにも関わらず母親が急死したのだから、董卓が言葉を理解できなかったとしても仕方がなかったと言えるだろう。実際、彼は暫くの間、呆けた様に劉逞を見ていたのである。しかし、徐々に理解できたのであろう。彼は唐突に立ち上がると、獄の柵越しに劉逞へ詰め寄ったのであった。
「母上が急死するなどあり得ぬ!! 一体何があ……った……まさか!」
そこで董卓は、ある可能性に気付く。それは、母親が殺されたのではないかということであった。普通ならば、この様なことを考えつかないかも知れない。しかし董卓には、身に覚えがあるのだ。何せ、劉弁の母親を殺したのは自分である。となれば、劉弁が復讐の為に母親を殺しても不思議はない。それに、自身が捕らえられたあとに劉逞と顔を合わせた際、女子供の助命を頼んでいるが、そこで他でもない劉逞から釘を刺されたのだ。劉弁の母親に対して、何をしたのかと。
「それは、高邑からの指示であるのか?」
「陛下はその様なことは命じておらぬ。この一件は、常山王家が預かったことだ」
「……そうか……それは、大変なことよの」
劉逞の言葉を聞き、董卓はおぼろげながら事態を把握した。恐らくは、劉弁が望んでいたのだ。しかし目の前の男は、常山王である父親の劉暠を巻き込んでまで、劉弁の命としなかったのである。つまり、常山王と劉逞はあえて泥を被ったのだ。
「劉常剛様、母は立派であられたか?」
「うむ。見事な最後であった」
董卓の母親である池陽君は狼狽えることもなく、透明とも言えるような笑みを浮かべながら用意された毒をあおったのである。劉逞から見事とまで言われた最期を迎えたことに董卓は、流石母上であると感心する。同時に、自身は親不孝者であると考えていた。実際、董卓の野望に巻き込まれたと言っていい形であるので、彼の思いは強ち間違いではなかった。
「では、母上の最後を看取った貴君に礼をせねばなるまい」
「礼とは?」
「うむ。劉弁様の周囲にいる者どもには、気を付けることだ」
董卓の言葉に、劉逞は眉を顰めた。それは、董卓の言わんとすることが朧気ながらでも理解できたからである。実は皮肉なことではあるのだが、ある意味で董卓のお陰で朝廷に巣くっていた魑魅魍魎ともいえる者たちが討たれたという事実がある。しかしながらそれは同時に、劉弁の周囲にいる輩は粛清ともいえる事態を乗り越えた曲者であるとも言えるのだ。それこそ、一癖も二癖もあると言っていいだろう。一方で劉逞自身、漢の中枢と言っていい朝廷からは距離を取っていた。それゆえに陰謀に巻き込まれるという身の危険から遠ざかることができていたのである。だが、これからはそうも言っていられない。今までは董卓と言う排除しなければならない絶対的な存在がいたことで、足並みを揃えることができていたわけだがこれからは違う。外を見れば劉弁を擁する劉逞に対して微妙な立ち位置を取る袁紹や、敵か味方か分からない益州に陣取る劉焉。また、劉焉と歩調を揃えているであろう漢中に割拠する張魯もいるのだ。この様な勢力に加えて、これからは内にも気を付けなければならないということだ。
前述した様に劉逞は、朝廷から距離を置いていたせいか謀略と言うか陰謀にやや疎いところがある。その点について劉逞は、今まで自覚が足りなかったと言っていいだろう。しかしそれが表面化していなかったのは、師である盧植や程昱などが補っていたからだ。だが、これからそれでは不味い。それは劉逞が、間違いなく朝廷の中枢にいる存在となるからである。つまり董卓は、その旨を指摘しているのだ。
「陛下の周囲……か」
「そうだ。そなたは、その方面の経験は少なかろう。今まで以上に、気を付けることだ」
「忠言、わが胸に刻み込んでおこう」
劉逞がそう言葉を返すと、董卓は不思議な表情を浮かべる。それは、笑みとも慈愛とも取れる様な、何とも不思議な表情だった。あまりにも場違いな表情を浮かべる董卓を見て、劉逞だけでなく同行していた趙雲と夏候蘭も驚きを現してしまう。しかし、次の瞬間には董卓の表情が消えていたこともあって、劉逞たちが浮かべた驚きの表情も消えていた。
「して常剛様、我はいつ討たれるのか」
「間もなくだ」
「自死か?」
董卓は母親の様に自ら死を選べるのかと尋ねたが、劉逞は静かに首を振る。劉逞が、引いては劉弁が董卓に勝利したことを天下に知らしめるためにも、見える形で董卓を討たなければならないからだ。これには、捕らえている董家の一族も含まれることになるは言うまでもない。ともあれ董卓を筆頭に、董家の一族は劉逞の命によって首を討たれさらされることとなる。但し、董卓の懇願を受け入れているので、劉弁からすれば不本意ではあるが女子供に関しては既に自死を賜っている董卓の母親を除いて助命されたのであった。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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