第百三話~司隷鎮定 四~
第百三話~司隷鎮定 四~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
呂布や張遼らから少し遅れながらも前線へと到着した魏続と宋憲と候成の三将はと言うと、相対した敵の悉くを泉下へと送り続けていたのだ。その様な彼らの耳に、撤退を促す言葉が聞こえてきたのである。味方が押しているこの状況で、撤退の命が出るとは思えない。ならばこの聞こえてくる命を出しているのは、敵と言うことになる。しかもそれ相応に、高い地位にあることは間違いない。もしかしたら大将かもしれないと考えた彼らは、お互いに頷き合うと声がした方へと向かった。果たして到着してみれば、明らかに地位が高そうに思える人物が声を張り上げている。これは敵将に間違いないと確信した魏続と宋憲と候成は、揃って距離を詰めたのであった。
いかに命を出しているとはいえ、騎馬を駆る人物が複数で近寄ってくれば流石に気付きもする。しかしある程度の距離まで近づかれてしまったことに慌てて顔を向けた郭汜の視線の先には、これ見よがしに立ち塞がる三人が見て取れた。まさかの事態に郭汜は、思わず舌打ちをして悪態をついてしまう。だが、それも仕方がないと言えた。これが一人、もしくは二人であればそこまでの態度は示さなかったであろう。だが、立ち塞がるようにしている人物は三人なのだ。しかも彼らは、立ち塞がるだけでなく徐々にではあるものの郭汜を囲む様に動いているのだ。その様な動きを見せるだけでなく見覚えがない顔に、間違いなく敵だと認識する。もはや一刻も猶予はないと判断した郭汜は、おもむろに手にした得物を構えると同時に跨る馬を駆けさせていた。彼が向かった相手であるが、それは宋憲である。いきなりこちらへと駆けてきたことに驚きを見せた宋憲だが、彼も歴戦の将である。すぐに得物を構えると、迎撃の体勢を整えていた。そのことに気付いた郭汜は、微かに顔を顰める。彼としては奇襲を仕掛け、隙を作りそのまま駈け抜けてしまおうと考えていたからだ。しかし相手は、隙を見せるどころか既に迎撃の体勢を整えてしまっている。これでは奇襲など上手くはいかないかもしれないと思いつつも、郭汜は当初の思惑通り全力で宋憲へ獲物を撃ち据えていた。その衝撃は思いの外大きいものであったが、宋憲も有象無象の者ではない。勢いがある分押し込まれてはいるものの、それでも彼は受け止めて見せたのだ。これには郭汜も驚くが、それも僅かの間でしかない。すぐに彼は、激しい乱撃を宋憲へ浴びせ始めた。しかして宋憲も、甘んじて受ける気などない。彼もまた、郭汜の乱撃を真っ向から受け止めてみせたのだ。しかし、両者によるあまりに激しい攻撃の応酬に、魏続と候成もおろそかには手を出せないでいる。今、二人にできることは、一騎打ちに邪魔が入らない様に周囲を警戒しつつ行方を見舞るしかないのであった。
一方で李粛であるが、彼は郭汜以上に追い込まれていた。彼は今、必死に敵からの追撃から逃れるべく馬を駆けさせている。幸いなのは、一人での行動ではないことぐらいであろう。彼は、陳衛というもう一人の将と共に戦場より離脱しようとしていたのだ。とはいえ、その目論見は成功しているとは言い難い。確かに、まだ捕まってはいない。しかし李粛と陳衛は、後方から三人の敵将より、追い立てられているからだ。この様に李粛と陳衛を追撃している者たちが誰かというと、張遼と魏越と成廉である。彼らはまるで狩りで獲物を追い立てているかの様に、李粛と陳衛へ攻撃を仕掛けていた。初めのうちは気付かなかったが、そのことが続けば幾ら何でも気付く。だが、その理由が分からない。しかしながらその理由も、ついには判明することとなった。それは李粛と陳衛の向かう先に、一人の人物がたたずんでいたからである。立派な体格に、跨る馬も一目で名馬と分かる。さらには見事な鎧を纏っているだけでなく、手にはかなりの大きさを誇る戟を握っていた。その人物の姿を認めた李粛は、訝しげな表情をする。しかし次の瞬間、そこにたたずむ人物が誰であるかを認識すると、思わず馬の手綱を引いてしまった。
「りょ、呂布だと! いかん、止まられよ!!」
李粛は咄嗟に、共に行動していた陳衛へ向けて制止を投げかける。しかしてその声が彼に届く前に、陳衛は呂布の間へ到達していた。彼は邪魔だとばかりに、呂布へ対して手にした得物を振るう。しかし呂布は、その軌道を冷静に見極めると、最小限の動きで陳衛の攻撃を避けていたのである。しかも、ただ避けただけではない。同時に手にした戟を振るっており、呂布を捉えることができなかった陳衛の獲物目掛けて振るっていたのである。これにより強かに得物を撃ち据えられた陳衛は、その一撃によって手が痺れてしまう。完全に感覚をなくしてしまった陳衛は、意思とは無関係に獲物を落としてしまう。その彼に向けて呂布は戟を突き付けると、口を開くのであった。
「降伏しろ、次はない」
ただの一言であったが、そこには有無をも言わせない何かが籠っていた。しかも相手は、攻撃を最小限の動きで避けたその身のこなしを持っている。その上、力でも攻撃の鋭さでも力量が上回っていることが分かった……いや、今の一合で分からせられてしまったのだ。もはや陳衛に、呂布の言葉に逆らい反発するだけの気概は存在していなかったのである。とは言え、ここで勝手に降伏というわけにもいかないのもまた事実であった。これが一人で行動しているのであればまだ話は別だが、今は李粛と共に行動している。そこで陳衛は、どうにか視線で李粛の様子を確認する。しかしてその李粛であるが、追いついたのであろう敵将三人の手によって既に捕縛されていたのであった。
「……分かった。そなたに降伏する」
「賢明な判断だな、捕らえよ!」
『はっ!』
こうして李粛と陳衛は、劉逞の軍門に下ったのであった。
果たしてその頃、郭汜と宋憲の一騎打ちも終局へと向かっていた。当初は優勢に見えた郭汜であったのだが、相対する宋憲が攻撃のことごとくを凌ぎきっていたのである。そして時間が経つとともに、当初の目論見が外れてしまったことを理解せざるを得なくなってしまっていた。そもそも郭汜は、宋憲との一騎打ちに時を掛けるつもりなどなかったのである。彼としては早急に決着をつけ、宋憲を人質などにしてこの場から逃れることを画策していたのだ。しかしことは郭汜の思い通りには進まず、現状のような事態になってしまったのである。その一方で宋憲はと言うと、彼は微かに笑みを浮かべていたのだ。その理由は、漸く思い描いた状況へと移行したことを確信したが為である。
そう。
宋憲は、この状況を狙っていたのだ。郭汜との一騎打ちを始めてから二度、三度と刃を交えたときに彼がまず感じたことは、郭汜の持つ力量である。自分とほぼ同程度か、もしくは少し上かも知れないと宋憲は判断したのだ。それゆえに宋憲は、迂闊に攻め込むことを自身で戒めたのである。下手に攻めて隙を見せれば、討たれてしまう可能性があった為だ。ゆえに宋憲は、できる限り守って一騎打ちを長引かせることにしたのである。そもそもからして、戦は味方が押している状況なのだ。呂布より兵を任された高順が、首尾よく敵兵を分断し押しているからである。つまり時間は、宋憲の味方なのだ。そしてついに、前述の通りの状況となったというわけである。この好機を、逃すわけにはいかない。その直後、宋憲は今までの防御主体の戦い方から攻撃主体の戦い方に変更したのだ。いきなりの変化に、郭汜は一瞬だけ動きが遅れてしまう。しかし彼も、幾多の戦場を経験した男である。すぐに気を取り直すと、宋憲の攻撃を受け止めるべく自らの獲物を動かした。しかし、僅かに違和感を覚える。攻撃を受け止めることには成功しているのだが、自分が想定した受け止め場所より近かったのだ。確かに今まで演じた一騎打ちから、疲れもあるかも知れない。しかしその旨を考慮したとしても、想定を下回っているのだ。
「くっ! 何がどうなっておるのだ」
実は勝負を急ぐあまりに郭汜は、自身の力加減を見誤っていたのだ。その為、自身が考えている以上の疲労が彼の体に蓄積されていたのである。しかも厄介なことに、郭汜自身が自分の体の状況を把握していない。つまり彼は、いつもの感覚で防御をしようとした結果、想定以上に危険な状況に陥ってしまったというわけであった。
「ふっ。降伏すれば、命は助けよう」
「おのれっ! なぶるか!!」
宋憲は郭汜の状態をおおよそながらも判別できたがゆえに降伏を勧めたのだが、郭汜にとっては馬鹿にされたようにしか感じられない。先ほどに感じた焦りとも取れる気持ちも相まってか、頭に血が昇ってしまっていた。激情に駆られるかの様に、郭汜は愛用の獲物を振り回す。いつもならば力強く、そして鋭く振るわれる筈であるが、今は激情のままに振るっている為か精細と呼ぶには程遠い攻撃でしかない。しかも疲労が加味されていることもあって鋭さがなく、力任せに振るっているだけなのだ。その様な攻撃ならば、宋憲としても怖くなどない。冷静に郭汜が振るう獲物の軌道を見極めつつ、隙を見出していく。ついには大きく振りかぶったことで郭汜が自ら生み出してしまった隙を見極めた宋憲は、間合いを詰めて愛用の武器を突き出したのだ。大きな軌道を描く攻撃と、最速最小の動きで繰り出された攻撃のどちらが先に相手に到達するかなど論じるまでもない。郭汜の攻撃が宋憲を捉える前に、宋憲の獲物は郭汜の胸板を貫いていた。
「……がはっ!」
「敵将! 討ち取ったり!!」
宋憲の名乗りが、戦場へ響き渡るのであった。
これで残るは、李傕だけである。於夫羅が率いる匈奴の軍勢から見事な撤退戦を演じていた彼であるが、当てにしていた郭汜と李粛の軍勢からの助けがないという事態は想定外と言っていい。その証拠に李傕は、於夫羅の叔父となる去卑の弟にあたる藩六奚によって追い立てられていたのだ。当初こそ敵からの攻撃を受け流しいなしていた李傕であったが、助けがない状況でいつまでもその状況を維持するなどとてもではないができるわけがなかった。中には可能とする様な稀有な才を持った者もいるかも知れないが、少なくとも李傕にはできなかったのである。
「ええい! しつこいわ!!」
徐々に薄皮を剥くかの様に、味方が討たれていく状況に李傕の苛立ちが高まっていく。だがこの状況下では、有効な手立てなどあろう筈もない。今の彼にできることは、どうにか敵を撒いて生き延びることしかなかった。しかしながら、その願望が叶うことはなかったのである。それは、今まさにいる戦場こそが最大の要因であったからだ。何せ戦場は、騎馬民族である匈奴が一番力を発揮できる草原である。それだけに撤退に入った当初だけとはいえ、於夫羅を翻弄した李傕としての将としての力量は認めないわけにはいかないであろう。だが、もはや兵も散り散りとなっており、敵の足止めすらも叶わぬ状況にあるのだ。
「逃がすな! 捕らえろ!! できなくば、殺しても構わぬ!」
『はっ』
於夫羅なのかそれとも藩六奚のものなのか分からないが、敵将からの声が聞こえてくる。それだけでも、李傕の気を焦らせるには十分である。その上、その命に答える敵兵の声もあちらこちらから聞こえてくる。もはや李傕は。抜き差しならないくらいに追い詰められていった。
「……匈奴などに降らねばならぬとはな……」
もはや周囲に味方など数えるほどしかいないことなど、自明の理である。正に刀折れ矢が尽きといった状態と言ってよく、これ以上抵抗をしたところで勝ちに転ずるなどまず有り得なかった。ここに李傕も決断し、彼は藩六奚に降伏したのである。これにより、最後に残った戦線も劉逞側の勝利となり、董卓の軍勢は残らず劉逞及び劉逞側の勢力によって鎮圧されたのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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