第百一話~司隷鎮定 二~
第百一話~司隷鎮定 二~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
劉逞が軍を派遣した四か所における戦場であるが、まずは長安から一番近い郿城での戦いについて話をしていこう。まず郿城を守っていた将が誰かと言うと、董卓の甥に当たる董瑾であった。しかし城を任されていた彼に打てる手など、実は殆どなかったのである。そもそも軍勢を派遣した劉逞は、自身の行動を秘匿する気などなかった。ゆえに董瑾も、迫ってくる軍勢に気付かないということはあり得ない。当然彼も気付いたわけだが、ここで問題が出てきた。それは、郿城へと近づいてくる軍勢が、誰の手によるものかが分からなかったことにある。現状の京兆尹において、董一族へ逆らおうとする勢力などある筈がないと思っていたからだ。だからと言って、現実に軍勢が近づいてきている以上、対処しないわけにはいかない。董瑾は内心で迷いながらも、迎撃体制だけは調えたのだ。しかし現状の郿城には、目ぼしい将や力量のある兵と言うものは存在していないと言っていい。その上、城に駐屯している兵数に至っても、近づいてくる軍勢より遥かに少なかったのである。それでもどうにか不完全ながらも迎撃態勢を調えられたのは、敵とも味方とも分からない軍勢が郿城を取り囲むように展開する直前のことであった。
「しかしながら、軍を率いるのは誰なのだ?」
始めは、旗印に朱という文字があるので朱儁の軍勢なのかとも考えた。しかし、覚えがある朱儁が使用する旗印とは違っているように思える。そして、もう一つの旗印である崔に心当たりがない。この二点を根拠として、董瑾は首を振って自身の考えを否定していた。しかしながら、そうなると余計に分からなくなるのである。ゆえに彼は郿城を包囲した軍勢を眺めつつ、正体を暴こうと思案していた。そんな矢先、董瑾の元へ書状が届けられる。果たしてその書状の差出人、それは朱霊であった。
郿城攻略の軍勢を率いている朱霊であるが、彼としてはできるだけ味方の損耗は被りたくなかった。そこで朱霊が取った手順だが、まず率いてきた軍勢で郿城を取り囲んだのである。こうして圧力を掛けつつもその裏では、一つの策を実行していた。しかしてその策と言うのは、郿城に籠る董瑾らへ長安で起きていることを知らせるというものである。なお、この策を朱霊に提案したのは、崔琰であった。
「城内へ、情報を流す? それは、なにゆえだ?」
「うむ。恐らくだが、郿城へ籠る董瑾らは、現状を把握してはいないだろう。そこで情報を流して、相手に認識させるのだ。籠城など続けても無意味である、と」
情報を流すという話を聞いたとき、朱霊は訝しげな顔をしていた。何せこれから干戈を交えるかも知れない相手へ情報を流しても、敵に利することはあっても味方に利が生まれるとは到底思えなかったからだ。だが崔琰は、董瑾らに現状を把握させる方がよいと判断していたのだ。確かに、郿城に籠る董家の生き残り軍勢に、長安の状況など分からないことなど想像に難くない。その様な彼らに開城を勧告したところで、受け入れるとは考えづらかった。しかし、長安で起きている現状を把握すれば、また違った答えが見えてくる可能性がある。何せ董卓は既に虜囚の身であるし、董旻と董卓が率いていた将兵は討たれるなり捕らえられるなりして、最早全滅の憂き目となっているのだ。これらのことが伝われば、抵抗を続けたところで状況が変わるかもしれないという希望など湧く筈がない。確かに徹底抗戦を宣う可能性は無きにしも非ずではあるが、彼我の兵力差を考えれば城に籠っていることを差し引いたとしても徹底抗戦など無謀以外の何物でもない。そして何より、郿城内にいる女子供の存在もある。彼らの存在もまた、徹底抗戦へと靡くより開城を受け入れるという判断をする一助になるであろう。その様なことから崔琰は、朱霊へ進言したというわけであった。
崔琰から進言を受けた朱霊は暫く、思案したあとで彼の策を実行に移す許可を出したのである。すると彼は、すぐにでも郿城へ対して長安で起きた一連の事案に対する情報を流していく。間もなく策は図に当たったらしく、郿城内部の様子がおかしくなったのは言うまでもなかった。
籠城を指揮する董瑾であるが、彼は頭を抱えていた。それは、齎された情報がとても問題であったからだ。朱霊の軍勢が城を取り囲んでから間もなくした頃から流れ始めた情報はと言うと、それこそ彼の元には董卓は既に死亡しているなどと言うものから、捕らえられてしまっていると言うものまで様々だからである。挙句の果てには郿城周囲に展開している軍勢の正体は、何と董卓の命を受けた軍勢であるなどといったものなどと言う、嘘とも本当とも判断がしづらい情報が届いてくるのだ。それでも明らかな嘘と分かるような情報ならばまだ判断のしようもあるのだが、微妙にあり得るのではないかと判断できてしまいそうな情報が混じっていることが厄介極まりない。そこにきて、董卓が向かった長安で挙兵があったなどと言った情報まで流れてきている始末だ。しかもその情報だが、城内に流れ始めていた情報よりも信頼できると言ったおまけまでついている。しかもその情報だが、自分のところへ届く前であるにも関わらず、先に流れていた情報とも噂ともつかない話を追い掛けるかの様に城内へ流れ始めているのだ。もはやは郿城には、虚々実々の話が城内に流れており、そしてその噂話を嘘である断じることもできないでいた。これでは、不利な情報だと董瑾が判断したとしても、隠しきることなどできはしない。そしてそのことが、余計には郿城内の兵に疑心暗鬼を生んでいたのであった。
「董瑾様。味方の士気が」
「分かっておる!」
城内に流れる噂は留まることを知らず、それだけにあらゆる憶測が生まれていく。そして憶測が生まれれば生まれるほど、引き換えの様に士気が下がっていく。無論、士気がずっと下がり続けているわけではなない。しかしながら、士気が全体的に下がり傾向なのは明らかな事実であった。これでは遠からず、城内から降伏者が出てくるのは必至である。そして、そのような事態が生じてしまえば、あとは雪崩を打ったように降伏者が出てくるのは間違いなかった。
「……条件を付けることができるうちに、降伏するよりないか……」
このまま事態が推移してしまえば、降伏の条件どころの話ではなくなってしまう。だからせめて、その前に降伏の意を示すしかなかった。董瑾は暫く目をつぶったあとで、ついに降伏の決断をする。彼は使者を送り、降伏の意を朱霊に対し示したのだ。一方で朱霊としても、幾ら敵兵が少ないとはいえ堅城と名高い郿城への攻撃を行わないで済むならばそれに越したことはない。それゆえに、董瑾の降伏を受け入れることにしたのである。それから暫しの時が経った頃、武装を解除した董瑾を筆頭に郿城へ籠っていた者たちが姿を見せる。女子供はすぐに保護され、そして董瑾らは捕縛される。こうして郿城の制圧を終えた朱霊は、城に崔琰を残して長安へと戻ったのであった。
朱霊が郿城で保護した者たちと共に長安へ戻った時よりも暫く経った頃、長安に到着した軍勢があった。果たしてその軍勢を率いているのが誰かと言うと、太史慈である。なぜに皇甫嵩に対する援軍に向かった彼が長安へ来ているのかというと、函谷関周辺を巡る戦いが終わりを迎えていたからであった。
劉逞が牛輔を破ったあと、彼からの命を受けて函谷関を出陣した皇甫嵩だが、同じく鄭を出陣した段煨と対峙していた。名将と言う名に相応しい戦歴を有する皇甫嵩であるが、相対する段煨とて将としての実力が劣るわけではない。兵力の差がある分だけ押し返すことはできていなかったが、それでも皇甫嵩に敗れることなく戦線は維持し続けていたのである。何せこの地を抜かれてしまうと、長安まで侵攻されてしまうことは必至である。だからこそ彼は、兵力が劣勢な状況下でも踏ん張り続けた問うわけである。しかしながら段煨の頑張りも、ある情報が飛び込んできたことで破綻をきたしてしまったのであった。
「何だと! そ、それは真か!!」
「……はい。鄭が落ちましてございます」
「ば、馬鹿な。いったい誰が、落としたと言うのだ……」
段煨に驚愕の表情を浮かばせた鄭の陥落を行ったのが誰かと言えば、劉逞の命を受けて皇甫嵩の援軍を率いている太史慈であった。進軍を急ぎつつも斥候を欠かさなかった太史慈は、鄭の守りが思いのほか薄いことを知ったのである。そもそも鄭は、董卓の勢力下において東を守る要衝であり、同時に中枢でもある。即ちこの地を奪取してしまえば、皇甫嵩は無論のこと臨晋に駐屯する董越にも影響を与えることとなるのだ。それだけに鄭の守りを手薄にすることは、段煨にとり苦渋の決断である。しかし皇甫嵩を迎え撃つには必要な措置であり、彼は最低限まで残す兵を絞ると出陣したのであった。
無論、その様な裏事情があることを太史慈が知る由はない。しかし絶好の好機であることに間違いはなく、ゆえに太史慈は全力を持って鄭を攻めたのである。守備側となる鄭も必死に防衛するも、衆寡敵せずの言葉通りついには陥落してしまう。しかも短時間での落城であり、救援を呼ぶ暇すらなかったのだ。今知らせにきた者も、落城時における混乱を突いて脱出に成功した者であった。
「しかとは分かりませんが、恐らく常剛様配下の者だと思われます」
「常剛様の配下だと!?」
さらなる驚愕が、段煨を襲った。今自分が対峙している最前線に敵将が現れただけならば、そこまでの驚きはない。しかし、鄭が今まで影も形もなかった劉逞の軍勢に落とされたと言うならば話は別である。この事実が導き出す答えとは、牛輔が敗れたことに他ならないからだ。と言うか、それしか考えられないのである。段煨にしても董越にしても、前線を抜かれていないのは厳然な事実である。それであるにも関わらず後方に劉逞の部隊が現れたことが示す答えなど、現状ではそれぐらいしか思いつかないからであった。
「前後を挟まれた、か……」
「いかがする?」
現状を端的に表した段煨の言葉を聞いて彼に問い掛けたのは、牛輔の命を受けて段煨と同様に函谷関への牽制任務を担っていた張済であった。鄭を出陣した段煨は、張済と張繍の軍勢と合流していたのである。これにより兵を増やしていたわけだが、その事実をもってしても、段煨が率いている兵数は対峙している皇甫嵩よりいささか少ないのだ。そこにきて後方となる鄭もが押さえられてしまい挟まれてしまったとなれば、もはやどうすることもできない。ことここに至り段煨は、挽回は不可能であるとして皇甫嵩へ降伏の使者を送ったのである。使者からの口上を聞いた皇甫嵩も了承し、段煨を筆頭に張済と張繍も虜囚の身となったのであった。
こうして勝利を得た皇甫嵩であるが、このまま長安へ向かうわけにもいかなかった。太史慈が落とした鄭をも含め、辺りを安定させる必要があるからだ。ゆえに皇甫嵩は、援軍の太史慈に捕らえた段煨ら董家の将を引き連れて長安へと向かわせることに決めたのである。間もなく鄭へ到着して太史慈と合流すると、段煨らを託して長安へと向かわせたのであった。
同時に皇甫嵩は、臨晋で起きている戦を憂慮して属官であった公孫瓚と徐栄を派遣している。既に張郃が向かっているので、皇甫嵩も孫堅が負けるとは思っていない。だがそれでも、何が起きるか分からないのが戦場である。つまり皇甫嵩は、より万全を期する為に彼らを援軍としたというわけであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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