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第百話~司隷鎮定 一~


第百話~司隷鎮定 一~



 光熹四年・初平三年(百九十二年)



 董旻が捕らえられ、彼が率いていた軍勢が降伏したことで、長安のある京兆尹において劉逞らに反抗できる可能性があるのは郿城に残っている董家の軍勢ぐらいである。しかしながら数としては決して大きくはなく、劉逞らを除けば京兆尹近郊で一番兵力があるというだけに過ぎなかった。しかも郿城に残っている者で名があるとされている将は、一族の董瑾ぐらいである。これは東征を行ったことも、大きく影響していた。董卓の配下で名が知られている将は、大抵が東征へ参画していたのである。だからと言って、郿城にいる軍勢を放っておいていいとはならない。下手に逆らい籠城でもしてしまうと、余計な損失を生みかねないからだ。もっとも、郿城に籠られたからといって落とせないということはない。それでも、被る損害などないに越したことはないのだ。それゆえに劉逞は、郿城での迎撃体制が調う前に兵を派遣することを決める。彼は朱霊と崔琰に兵を持たせ、即座に派兵したのである。また、劉逞が命じたことはそれだけではない。他にも、匈奴の侵攻によって国境へ派遣されている李傕と郭汜へ対処する為に、呂布らを派遣している。於夫羅が苦戦しているとの話はないが、それでもこちらの要請に従って軍を動かしているのは事実である。その於夫羅に対する援軍として、彼らの派兵を決めたのである。こうし二つの派兵を決めたあと、劉逞は援軍を率いている馬騰と韓遂を伴って長安へと入ったのであった。

 劉逞と馬騰と韓遂はそれぞれ護衛の人物を連れ、案内人として派遣されてきた士孫瑞に先導されて劉協がいる宮殿へと向かう。宮殿へ入る前に彼らは武装を預けようとしたが、劉逞だけが士孫瑞からそのままで問題はありませんと伝えられる。その答えを聞いて、劉逞は驚きの表情を浮かべていた。漢では、特別な許可でもない限り皇帝の前で武器を帯びていることは許されていないからである。事実、皇族の劉逞が劉弁との面会に臨む際においても、武装は許されていないのだ。そして劉協は、本人の意思であるかは置いておくとしても、仮にも皇帝の肩書を持っている。それであるにも関わらず、劉逞だけとはいえ武装が許されたのだから驚くなと言うのは無理な話であった。無論、劉協側においても問題がなかった話ではない。本当のところで言えば、王允辺りは反対の意を示していたのだ。彼曰く、前例がない措置であるからと。しかし劉協は、その様な王允の言葉を聞いても許したのである。劉協からしてみれば、劉逞は幼き頃より知っている同じ劉一族に連なる人物となる。何度か戦の話を聞いたこともあるし、その時に遊び相手をして貰ったことがある。つまり劉協個人とすれば、実は朱儁や王允より気が置けない存在であると言っていいのだ。決められたことを曲げることが嫌いな性質たちである王允だが、流石に劉協が決めたことは逆らいきれない。彼は苦言を述べただけに留め、それ以上強く諭すことはしなかったのであった。


「よくぞ参った常剛」

「は。伯和様に置かれましても、ご機嫌麗しゅう存じ上げます」


 劉逞は、あえて劉協を陛下とは呼ばなかった。現状、漢においては二人の皇帝が並立している。伝国の玉璽を手に入れ、改めて皇帝に就くことを宣言した劉弁と、董卓が意のままに操る為に皇帝へ就任させた劉協の二人だ。そして劉逞は、劉弁に仕えている。その彼が、皇帝の肩書を持っているとはいえ劉協に対して公式に陛下と呼ぶわけにはいかないのだ。たとえ、前述の様に劉協から面会の際に武装を許される命を聞いて驚きの表情を浮かべたとしてもである。

 とはいえ、劉協自身としては、皇帝の椅子も地位もさほどの興味はない。そもそもからして、当時は理由が分からなかったが、兄である劉弁から譲られた為に皇帝への就任を受託した劉協である。つまり彼の中では、自身が兄の代理であるとの思いがいまだにあるのだ。しかも現状、今なら分かるが劉協を皇帝にと強く推した董卓は捕らえられている。その上、兄の劉弁は伝国の玉璽を用いて再度、皇帝に就いている。もはやこの状況下では、劉協としても皇帝の椅子に固執したいとは思えなかった。それに礼記には「天に二日なく地に二王なし」とも記されている。劉協としても、現状からの脱却は寧ろ望んでいると言ってよかった。だからこそ、劉協は自身を陛下と劉逞を咎める様なことなどしない。そして劉協が咎めない以上、朱儁や王允なども取り分けて何か言うこともなかった。


「朕も会えて嬉しいぞ。兄上はご壮健か?」

「はい」

「そうか。それは何よりじゃ。さて、常剛よ。董卓、いや董卓一派であるな。そ奴らをそなた……いや兄上にお預けする」


 劉協の言葉を聞いて表面上は取り繕っていた劉逞であったが、内心では驚いていたのである。実は劉逞だが、董卓や彼郿城の一門に属する人物はもはや討たれてしまったのだと思っていた。しかし実際は生きており、それどころか処分については下駄を預けるとまで言っている。確かに劉弁より董卓の扱いについては任せるとの一任は取り付けているので、どの様に処分するかについては劉逞の胸先三寸であった。


「承知いたしました。董卓一派の身柄につきましては、預かりとさせていただきます」

「うむ」


 こうして董卓らの扱いについて話しが決着しところで、劉逞は郿城と国境に駐屯している李傕と郭汜へ兵を派遣した旨を伝える。完全に事後承諾であるが、そもそも劉逞は劉弁の配下であり劉協の配下ではない。少なくとも劉逞には、劉協の許可を取る必要などないのだ。それでも報告したのは、曲がりなりにも董卓を捕らえ長安も形の上では取り戻した劉協に対する礼儀の様なものである。但し劉協には、郿城へ派遣する兵力も、国境に駐屯している李傕と郭汜に対して兵を派遣するだけの余裕などない。それこそ長安をどうにか押さえるだけで精一杯であるし、何より劉協側の少ない兵を掌握しているのは、劉逞を通して劉弁に繋がっている朱儁となる。どの道、選択肢などなく、受け入れるしかないのだ。するとそこで、王允はある事案に気付く。それは、函谷関近くの鄭に駐屯している段煨と、臨晋に駐屯している董越に関してとなる。その点について王允は劉逞へ尋ねたが、前述している通り既に鄭へは太史慈を、臨晋へは張郃の両名に兵を持たせて派兵している。その旨を伝えると、王允のみならず劉協や朱儁や黄琬や士孫瑞も安堵の表情を浮かべていた。先にも述べた様に、劉協には司隷どころか長安のある京兆尹すらも押さえるだけの力はないからである。どうしたところで、劉逞が抱えている兵力を頼らざるを得ないからであった。



 大きな点についての話を終えたこともあって、劉逞たちは劉協の前から辞することになる。その後、彼らは董卓の元へと向かった。劉逞からしてみると、董卓と出会ったのはおよそ黄巾の乱以来となるので、実に約八年ぶりの再会であった。獄へと繋がれている状態で格子越しに見た董卓であるが、かつて会ったころに比べて体つきが一回りくらい大きくはなっているように見受けられた。その董卓であるが、変わらず案内人となっている士孫瑞を認めると、睨みつけている。また、同行者である馬騰と韓遂に至っても、それは同様であった。しかし、劉逞の姿を見た際には、訝しげに眉を寄せただけである。前述した様に、劉逞と董卓の間には八年という歳月が流れている。ましてや、初めて会った頃の劉逞は、二十になるかならないかといった年齢でしかない。確かに人となりなどは報告で入ってはいるが、顔などが分かるわけでもない。その様な相手の顔を見て、認識しろという方が難しい話であった


「久方ぶりだな、董卓殿」

「そなたは……誰だ?」

「気付かぬか。まぁ、仕方がないかもしれぬ。我が名は劉常剛である」

「なっ! そうか、うぬが後ろで糸を引いていたか……そなたの様な若造におくれを取るとは、この董仲穎、一生の不覚よ」


 三十にも届いていない劉逞であり、董卓は既に五十を超えている。つまり董卓からしてみれば、孫にも等しい様な小僧にしてやられたのである。彼の表情に悔しさの色が浮かんだことも、当然と言えるかも知れない。しかしながら、言われた劉逞としては苦笑を浮かべるしかなかった。もっとも、この様な董卓の態度をよしとしたわけではない。少なくとも、劉逞配下の者からすれば、許せるものではなかった。


「おのれ! 漢の反逆者が!! 恐れ多くも皇族に名を連ねておられる常剛様を愚弄するか!」

「その通りだ。慮外者めが!」


 声を張り上げたのは、趙雲と夏侯蘭であった。どちらかというと沈着冷静な雰囲気がある彼らであるから、意外と言えるかも知れない。しかし趙雲と夏候蘭にとって劉逞は、主である以上に竹馬の友と言っていい存在である。いかに敵とはいえ、董卓の態度は許せるものではなかった。しかし、そんな趙雲と夏候蘭の二人を一喝して押さえた人物がいる。それが誰かというと、趙伯であった。彼は劉逞の身も守る者たちを統括している人物であり、趙雲と夏候蘭の師でもある。その様な人物から強く言われては、趙雲と夏候蘭も引き下がるしかない。不承不承ながらも、二人は控えたのであった。


「相済みませぬ、常剛様。愚息と不詳の弟子への咎は我が受けます」

「よい、勲圭。二人も、我を思ってのことである。寧ろ、嬉しく思えたぞ」

「はっ」


 趙伯が頭を下げたことで決着をつけたとして、劉逞はこれ以上話を続けなかった。それから一つ咳払いをすると、改めて董卓へ視線を向けたのであった。


「さて董仲穎よ。そなたの身柄だが、我が預かった」

「そうか……どのような形であれ、我は敗れたのだ。好きにするがいい。ただ願わくは、家臣や女子供については許していただきたい」

「その旨について、我からの確約はできぬ。そもそもその方、陛下へ自身が仕出かしたことを忘れたのか?」


 董卓は李儒と結託して、劉弁に助けると約束した彼の実母となる何皇后を手に掛けているのだ。しかも、何皇后を助ける為の条件として皇帝からの退位を劉弁に了承させている。それであるにも関わらず、董卓は何皇后の命を奪っている。その様な男から今さらになって女子供を助けてくれと言われた劉弁が、その願いを簡単に承知するとは思えなかった。そしてその点については、董卓も理解はしているのだろう。劉逞の言葉を聞いていささか表情を歪めながらも、文句の一つも言わなかったことこそがその証明であると言えた。


「だが、そなたの願い自体は、陛下へ伝えるとしよう」

「常剛様……かたじけなく存じます」

「うむ」


 微かにであっても希望が持てる言葉を劉逞から聞いた董卓は、頭を下げつつ礼を一言述べたのであった。



 董卓との面会を果たした劉逞らは、士孫瑞にてとある屋敷へ案内されたのである。しかるにその屋敷とは、劉逞の為に用意された屋敷であった。また、馬騰と韓遂の屋敷も、劉逞の屋敷から少し離れているとはいえ用意されていたのである。その様に急ごしらえとはいえ用意された屋敷へ、馬騰と韓遂の両名もまた士孫瑞によって案内されたのであった。こうして用意された屋敷に腰を落ち着けたわけだが、すぐにその屋敷でくつろげるほど劉逞も気を許してはいない。事実、彼は長安郊外に駐屯させている兵を任せた副将の韓当へ、いついかなる時でも兵を動かせるように改めて命を出しているのだ。ともあれ、こうして手を打った劉逞は、劉弁へ現状分かっていることを記した書状を用意するのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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