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神臓隠し

夢殿渡り

2000字程度の短編ばかりである、同シリーズ短編集に入れるには長めなので別個にしました。

 春眠暁を覚えず。

 春の暖かな日差しや空気は、例え年中温度管理された建物内でも意識を揺蕩わせる効果がある。

 二人の先輩にそう力説したところ――


「君は冬だろうが悪天候だろうが寝てない?」

「わかるわかる。俺も冬だろうが悪天候だろうが寝てる」


 と、まるで俺が年中寝ているかの如く言われてしまった。ちなみに、3人揃っての会話ではない。それぞれに、別々に言われたのである。畜生。

 だが仕方がない。眠いものは眠い。意識を奪う呪文を唱える教授陣が悪いのだ。


 そしてとある日も、佐渡講師の魔法によってウトウトと眠らされた俺だった。だが、その日は違った。


 ガタッ


 「!?」


 俺は勢い良く顔を上げていた。そしてすぐに「ああ自分は飛び起きたのだ」とわかった。それなりに音も立てた気がする。


 ――恥ずかし!


 周囲の視線を感じて顔に熱が上る。俺は気を紛らわすために、とにかくノートを取ろうと慌てて黒板を見た。


「えーだからこそ、聖徳太子の――」


 だが、幸いなことに佐渡には気付かれていない。……いや、気付いても何も言わないのかもしれないが、それはそれでラッキーだ。

 隣の誰かも熟睡中だし、やはり佐渡の声に原因があると俺は思っていた。しかも彼もちょっとうなされているし、きっと変な夢を見せる声なのだろう。


 黒板にはもう消された跡がある。見逃したところは多いが、俺はあくせくと途中から写していった。

 しかしながら、急ぎ手を動かす頭の片隅に、どうしても引っかかるものがあった。


「その逸話の中に、彼に、とある疑義が浮かび仏堂に籠った際、夢に金人、つまり仏様が現れ――」


 そう、夢だ。

 寝入る瞬間に体が跳ねるのはあくまで生理現象だが、これは違った。


 ――俺は確実に夢を見ていた。


 だが、その意識はあるのに、飛び起きるほどのその内容を覚えていなかった。


 パタッ


 雫がノートの文字を滲ませた。


 ――汗……。


 そういえば、なんだかいつもより暑い。


「――その説話にあやかり建立され名付けられたのが、夢殿だ」





「はっ……!」


 その次に飛び起きたのは、夜だった。

 寝巻きにしている高校時代のジャージが汗でぐっしょりだ。ちなみに部屋は肌寒いくらいだった。


 しかし、また肝心な夢の内容がさっぱりわからなかった。


 時計を見ると深夜1時。流石に気分転換に外に行くのも気が引けて、俺は仕方なく汗を拭いた。さっぱりしたのか気疲れしていたのか、それからは案外すぐに眠れた。


「っ!?」


 と思ったのも束の間、また俺は起きていた。時計を見ると、まだ1時間しか経っていない。

 この時も当然のように、夢は覚えていない……が、なんとなくずっと同じ夢を見ているような気がしていた。


 ――気持ち悪いなあ。


 恐怖というより、もやもやとした不快感である。俺は一体、何を見てこんなことになっているのだろうか。


 考えるほどに、頭は冴えて眠れない。

 まんじりともせず朝を迎えた俺は立派な寝不足だ。

 そんな日に限って、大学の講義は朝から夕方まである。こんな予定を組んだ自分を恨みながらも、サボることはしない。出欠席は記録されるのだ。


 ――ちゃんと行く俺は偉い。


 虚しく自分を褒めながら、フラフラと大学に向かった。


 そして、ものの見事に全講義で居眠りをするという快挙を達成した。しかも悉く飛び起きるというおまけ付き。何人かの先生にはバレて睨まれたり笑われたりと散々な目に遭った。

 隅に座った俺を先生達の視線から守ってくれた体格のいい友人、そして黙ってノートを渡してきた、居眠り一つしない男前な友人には感謝しても仕切れない。


「……ってことなんです」


 講義終了後、ラウンジでせっせとノートを写す俺は、先輩である(はなぶさ)にそんな話をしてみた。


「それで顔色があまり良くないんだね」


 その顔は心配そう……には見えないが、声音だけは気遣うように聞こえた。多分、心配しているのだろう。

 呆れられてるなんてきっとない。


「怖い夢なのかな?」

「わかりませんけど……正直、怖いというより、どうせまた飛び起きるんだろうなって身構えちゃって、寝ようとすると逆に寝られそうにないです」


 自分の体、自分の意識なのに、何とまあ不便なことである。どうせなら、良い夢が見れるように制御できたら良いのだが。


「聖徳太子みたいに、どうせなら仏様の夢でも見たいです」

「案外、渡井みたいな能天気が隣にいたら明るい夢見れるかもよ?」

「あはは。でもうちに泊まってもらうわけにはいきませんよ」


 イケメンの出張添い寝サービス……なんて怪しいんだ。だが、女性に人気が出ること間違いなしだろう。

 サービス枕――腕枕とか膝枕――だの、通常料金千円でふれあい料金一回五百円だの、おバカな計画を立てているとだいぶ気が紛れる。

 英は多分、それを見越して阿呆な話に付き合ってくれたのだろう。


「謳い文句は『あなたの夢殿、俺にお任せ☆』で!」

「うわダサ……でもあいつならめちゃくちゃ良い顔で言ってそう」


 そして一応は先輩である渡井本人が来た瞬間、俺たちは顔を見合わせて思わず吹き出してしまった。


「?」


 もちろん、渡井は不思議そうに首を傾げるばかりである。

 だが、俺がテーブルに広げるノートを見ると、パッと顔が明るくなった。


「しのくんしのくん」

「あははは……ぶふ……な、なんですか」


 精神的に疲れていたからか、些細なことで笑いが堪えきれなくなっていた。


「笑ったのは許してあげるから昨日の佐渡の講義のノート見せて。俺出てないんだ」

「あはは。良いですよ」


 そういえば、選択科目だから各学年受けられる。俺も来年にすればよかったかもしれない。

 そんなこと考えて軽く返事をしてしまったのだが。


「……まあそれ、僕のノートなんだけどね」


 そうだった。佐渡の講義に英も出ていた。そして俺はまだそのノートを写していない。


「じゃあ英を許そう」


 俺はその後、ご飯を奢ることになった。






「……あれ?」


 気付くと、俺は薄暗いトンネルの中にいた。


 ――ああ、またこの夢だ。


 すぐにわかった。俺はこの夢を何度も見ている。……情けないことに、夢を見て初めてそれを思い出した。

 そして、これから起こることも俺はもう知っている。


 ――ズル……ズル……


「ぁぁ……」


 小さな声と、何かを引きずる音。


 ――来た。


 そう思った時、俺はすでに身を翻して一目散に駆け出していた。


「ぁぁぁぁああ」


 声は遠ざかるところが音量を上げていく。足音はないが、何かが引き摺られるようにザーと擦れているのが聞こえた。

 その全ての音が、トンネルに反響して俺に絡みついてきた。


「あああああああああああああ」


 やはり追ってきている。

 俺は必死に足を動かした。足元が砂利ではなくコンクリートなのが救いだ。

 相手との距離はまだある。今のうちに距離を稼がなくてはならなかった。


 ――捕まってはならない。


 本能的にそう思っていた。




 走っても走っても、景色が変わることはない。

 このトンネルはいつも一方通行で、どこへ通じているのかはわからない……どこへも辿り着いたことはないのだから。

 だから俺は、いつもいつも夢から覚めることを願いながらまっすぐ走っていた。

 しかし目覚めてしまえば、覚えていないんだから対策も何もできずにまたすぐ寝てしまう。


「あああああああああああああ!!」


 ――ヤバイヤバイヤバイ!


 これまでにないくらいに、後ろの何かが近付いてくるのがわかる。


 ――なんで、なんでこんなことに!


 こんな現状を呪っても嘆いても、後ろの奴はいつも通りに俺を追いかけてくる。

 もう半泣きになりながらひたすら走った。俺にできることはそれしかなかったから。




 いつまでそうしただろうか。

 暗い暗いトンネルの奥、不意にぼんやりと緑の光が浮かんでいるのが見えた。何回も夢を見た中で初めてのことだ。

 微かだった光は走るほどにはっきりと主張してくる。


 ――非常灯だ!


 トンネルの壁の、少し上。

 ちゃんと確認する余裕はないが、俺の脳裏には、そこに逃げるピクトグラムの絵柄がはっきりと浮かんでいる。


 ――このトンネルから抜け出す道がある!


 その希望は、俺の速度を上げてくれた。

 俺は疑いもせずにそこに飛び込むように入った。その先には狭い横道が続いている。

 進むごとに、俺の足は緩むように遅くなった。


「はあ……はあ……」


 運動なんて遅刻スレスレダッシュしかしていない体には、もう体力が残っていない。夢だというのに頭に熱が上り、膝がガクガクして吐き気までしてくるのがやたらとリアルで苦しかった。

 だからこそ、ふらふらと細道を歩いて広いところにやっと辿り着いた時、俺は絶望した。


 また同じようなトンネルの中だったのだ。


 ――ザー……


「ぁぁぁぁぁ……」


 何かを引きずる音に、馬鹿の一つ覚えみたいな声は変わらず俺を追ってきていた。

 逃げなくては、と思うのに、もうどこへ行っても同じだという絶望が足を縫い止めてしまう。

 それでもずるずると非常口から離れると、俺は振り返った。振り返ってしまった。

 考えなしの行動だった。内心、観念してしまっていたのかもしれない。


「ぁぁぁあああああ」


 非常口の縁に、黒い……手らしきものが引っかかっている。


「あああああああああああああ!」


 黒いてるてる坊主みたいな、丸い頭。凹凸のない横顔。


「ああああああああああああああああああああ!!」


 あ、しか言えないだろう丸く開かれた穴のような口。黒一色の、枯れ枝のような手足。その後ろに、引き摺られてただろう古ぼけた袋が少し膨らんでいる。

 そして表情のない丸い目のような穴が、俺をはっきり捉えたのがわかった。


 横穴から這い出てくるその光景は、俺が最初に夢を見た時と同じ。


 ――そう、あれが鬼ごっこの始まりだった。


 ひゅっと小さく息を吸う音が聞こえた。多分俺だ。そう思った時、俺は一気に息を吐いていた。


「わあああああぁ!」


 もう、走れなかった。足がもつれて尻餅をつく。

 張り詰めていたものが切れた俺はがむしゃらに叫んで、頭を抱えて目を硬く閉じた。


 ――誰か……先輩……!





 ぐしゃ





「……?」


 衝撃は来なかった。あれほどうるさかった声は完全に止み、突然訪れた静寂に響く耳鳴りがうるさく感じた。


 ボキッ


 突然の音に、俺はびくりと体を震わせた。

 太いものが、勢いよく折れる音に――何か腐ったような臭いがあたりに漂ってくる。

 それが()なのか、考えると吐き気が込み上げてくる。

 何かを潰したり、折ったり……しかし、痛みも何もない。「夢で死ぬのはこんなものなのか」と俺は半ば気が抜けてそっと頭を上げた。


「え……」


 黒い布が目の前に広がる。目線を上げると、それは美しいグラデーションで白く変わっていき、緩く結ばれた髪がまたはっきりと黒い文様を残していた。


 ――衣服だ。これは誰かの後ろ姿だ。


 べちゃり

 ぽたり


 前の細い、おそらく女性の目の前には、異様な悪臭で濡れた雑巾みたいな音を立てる何かがいる。

 女性の黒髪が、音とともに揺れていた。

 その人の目の前で、一体何が起こっているのか……。


 ――そんなこと考えている場合ではない!


 やっと逃げることを思い出した俺の頭だったが、情けないことに夢の中だというのに腰が抜けてしまって、無様に硬い地面を後ずさることしかできない。

 その物音に気付いたのか、ゆっくりとその人が振り向くのを、俺は震えながら呆然と見ていた。


 ――ほんのり光る白い肌。赤い唇は真一文字。鼻筋は通っていて、そして……。




「東雲くん!」

「!?」


 俺は飛び上がった。

 目の前に現れた嫌味なくらい整った顔に、俺は振り子のように仰け反っては倒れそうになり、前の机にしがみついた。

 バクバクと落ち着かない鼓動に胸を押さえ、しばし茫然とその焦ったような顔を見ていた。


 ――光が眩しい。「あ」だけじゃない複雑な音の中に俺はいる……。


 ほーっと長い息をついて、今度こそ椅子にちゃんと座り込んだ。


「何をみたの? 渡井も起きないし、東雲くんすごいうなされてるし……」


 珍しく慌てる英に、安心感からか俺は今しがた見ていたものを全て話した。……何故か、今回は全部覚えているのだ。

 黙って聞いてくれていた英は、最後に出てきたあの女性のことを話すと首を傾げた。


「どんな人だった?」

「えと……ほとんど後ろ姿だけでよくわからなかったんですけど……」


 ――ほんのり光る白い肌。赤い唇は真一文字。鼻筋は通っていて、そして……。


「顔のところに、紙か布みたいなのが揺れてたような……」


 何か白いものが、顔の前を揺れた気がしたのだ。お陰で、横顔はなんとなく見えたのに「目」だけは見えなかった。

 そう言うと、今度は少し険しい顔で椅子に体を沈めた。


「そう……そうか」


 ちらりと机に突っ伏す渡井を見て、英は難しい顔で考え込んでしまった。


「……あ、あの……」


 英が醸し出す気難しい空気に、俺は耐えきれずに声をかけた。


「……もしかして、何か知ってるんですか?」


 ぴくり、と英の瞼が震えた。


「いや、知らない。でも……」

「え?」

「それだけ変な夢なら原因があったりするんじゃないの? 最初に夢を見た時、何かなかった? 君を追いかけたそいつはどこから来たの?」


 矢継ぎ早の質問に、俺は慌てて記憶を探る。


 ――悪夢の始まりは、トンネルの横穴だった。


 それを最初に見たのは、佐渡の講義。跳ね起きたその隣で、そういえばうなされている人がいた。


「それじゃあ……多分だけど」


 そう前置きして、英は俺を見た。


「その夢、もしかして移動してない?」

「移動? 夢が、ですか?」

「そう。横穴を通して、隣の誰かの夢のトンネルへ。……そうやって捕まえた何かを袋に詰めていってるんじゃないかな」


 ――もし、俺が捕まってたら。


 背筋が今更になってゾクゾクと震えた。


「でも誰も夢を覚えてないから、こいつが調べるような噂話にもならない。……回避しようがないね」


 英は、顎で渡井を示した。


「まあ僕自身が夢を見たわけじゃないし、断言なんてできないけど」


 ――だが、もしそれが本当ならば今、夢を見ているのは……。


 俺は渡井を見た。

 うなされることなく、気持ちよさそうな寝息を立てている。


「ああ、あの女の人が一応助けてくれたから、もう夢は……」

「でも、その人はどこから来たの?」


 ……どこからだろう。最後の夢まで一度も出てこなかったのに、気付いたらあの人はすぐそこにいた。横穴から移動した先に。

 英は真面目な顔で言った。


「それ、()()()()()()()()()()んじゃないの?」


 ぐしゃり、ボキリ……あの生々しい音は、今も脳裏にこびりついていた。


「わ、渡井先輩」


 俺は思わず声を上げ、渡井の肩を揺すった。


「渡井先輩! 起きてください!」

「んんぅ……?」


 心配したよりあっさりと、渡井は寝ぼけた声を上げた。その気の抜ける声に安心したのは初めてのことだ。


「……なに?」

「先輩、変な夢みませんでした!?」


 覚えてないかもしれないが、とりあえず聞いてみた。


「ゆめ……ああ」


 渡井はぼんやりと呟く。


「山盛りの唐揚げ、食べようとしてたら……全部消えちゃった……」


「……」

「……まあ結局、夢は夢だね」


 俺は唐揚げ定食を奢った。

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