表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

銀杏

作者: 星河七海
掲載日:2009/09/01

 目が眩むほどの鮮やかな黄色を、今でも私は覚えている。

大きな手が、私の手を優しく包み込む。私はその風景に圧倒され、目を輝かせながら、その手から離れ、イチョウの葉が舞い散る並木道を駆け出していった。

私を呼ぶ声―――。

その声で振り返ると、そこには優しい笑顔を浮かべた祖父の姿があった。


「杏奈、起きなさい!」

「あと少しだけー」

「それ、何回目だと思ってんの!」

「一回目」

「五回目よっ!いい加減起きなさい!」

いつもと同じ日常が始まる。母に無理矢理掛け布団をはがされ、急に寒さを感じた私は、猫みたいに丸まった。九月も終わり、もうすぐ十月入る。つい最近まで、あんなに暑かったのになぁ。低血圧で寝起きの悪い私は、布団の上でまどろみながら、そんなことを思っていた。ぼんやりとしながら、ふと時計に目を遣った瞬間、一気に目が覚めた。

「いやーーーーーーーー!」

悲鳴が家中に轟く。私は驚異的なスピードで着替えをすますと、階下へと続く階段を乱暴に降りた。無論、これもいつもの日常。居間に行くと、テーブルには、すでに朝食が用意されており、父は新聞の次のページをめくりながら「おはよう」と言った。がっつくようにご飯と味噌汁をかき込み、焼き魚の身を頬張ったところで、ようやく気付いた。いつもと違う日常の一欠片に。

焼き魚の傍に、茶碗蒸しがあった。

出勤する時間が迫ってるのにも関わらず、時間を忘れて、その茶碗蒸しをじっと見つめ、スプーンで中身を掻き回した。視線がつと、仏間の方へといく。

仏壇に飾られた遺影、今は亡き祖父が、あの時と変わらない笑顔で微笑んでいた。

(もう十五年、か)

私は、そっと目を伏せて、銀杏の入ってない茶碗蒸しを食べ始めた。

その茶碗蒸しは、どこか物足りなく感じたのは、もう大人になったからだろうか。それとも―――。

窓越しに見える縁側には、もうあの姿はない。


「おじーちゃん。銀杏食べてー。杏奈、いらない」

そう言って私は茶碗蒸しの中から、銀杏だけを取り出し、祖父の茶碗蒸しにぽとっと落とした。祖父は、そんな孫を愛しそうに見て、相好を崩した。

「杏奈。こんなに美味しい物、嫌いなのかぁ?」

「うん。だって苦いし、なんか変な味がするでしょ」

口を尖がらせ、小さな舌を出す。私は、小さい頃から偏食が激しかった。


あれ嫌い、これ嫌い。よく、母を困らせていたっけ。

「こら、杏奈。好き嫌いしないで、ちゃんと食べなさい!また、おじいちゃんのお皿に銀杏入れて……。ごめんなさい、お義父さん」

そう、こんな風に―――。だけど、そんな時いつも、決まっておじいちゃんがかばってくれるのだ。

「いいや、可奈さん。いいんですよ」

「ほらー。おじーちゃんだって、いいって!」

「杏奈!」

したり顔をした私を、母は厳しい表情で咎めた。

「杏奈は、本当におじいちゃんが大好きなんだなぁ」

そんな様子を見ていた父は、おじいちゃんによく似た笑顔で笑いかけて、そう言った。

「うん。私、おじいちゃんのこと、大好き!」

「そーかそーか。いい子だ、杏奈。こっちおいで」

そう言って、ぱんぱん、とおじいちゃんは自分の膝元を叩いた。私は言われるがままに、おじいちゃんの膝の上に座った。一日の大半を縁側で過ごすおじいちゃんは、いつもお日様の匂いをさせていた。

そんなおじいちゃんが、私は大好きだった。

「お義父さん、あんまり杏奈を甘やかさないで下さいね」

「大丈夫、大丈夫。なー、杏奈」

「ねー」

あの頃は、とても幸せだった。

何も知らない私は、本当に幸せな時間を過ごせたのだから。


 元陸上部の足を活かし、全速力で駅まで走ったものの、結局間に合わず、電車を一本逃してしまった。勤め先と家までは、三駅くらい離れている。免許のない私にとって、交通手段は電車しかなかった。しかも、私の家の最寄駅は一時間に一本止まるくらいなので、朝は一分一秒が命がけ。いつもは、間に合うんだけどなぁ。今日に限って、珍しく信号に引っ掛かってしまったのだ。

「あーあ、遅刻決定だぁ」

八時にならないと人がいないため、遅刻の電話もできない。家まで帰るのが、なんとなく億劫だった私は、あのイチョウの並木道へ向かった。

 

 十五年経っても、何ら変わらないイチョウの並木道を見て、感慨深く溜め息をついた。今年も綺麗だなぁ。実は毎年この時期になると、このイチョウ並木を見に来ていた。このイチョウ並木は、私とおじいちゃんが最後に見た、風景だからだ。鮮やかな黄色に色づいた葉、刈安かりやす色のイチョウの絨毯じゅうたん。時折、降ってくるイチョウの葉をつかまえようと、一生懸命に追いかけたあの秋の日。

私は、あの日を一生忘れない。


「ごらん?あれが、じいちゃんの好きな銀杏が成る、イチョウの木だよ」

「ふーん。あんな不味いのに、こんなに綺麗なんだね」

「ははは、杏奈も銀杏が美味しいと思う日が来るさ」

そんな私の台詞に、からからと楽しそうに笑うおじいちゃん。

「えー。そんな日なんて、来なくていいよぉ」

「杏奈は、どんな大人になるんだろうなぁ。何か、将来の夢はあるかい?」

遠い目をしながら、私の未来に思いを馳せていた。

きっと、おじいちゃんは分かっていたんだ。私が大人になった時、そこに自分がいないってことを……。

「先生になりたい!」

「そーかそーか。教師になりたいのか」

「うん。でね、おじいちゃんみたいな優しい校長先生になるの」

そう、それが私の夢だった。小さい頃から、ずっと決めていた夢。

「うんうん。頑張りなさい、杏奈。たった一度きりの人生だ。

思う存分、楽しむんだぞ」

「はーい」

無邪気な笑顔を浮かべ、私は、そう返事をした。

その日の夜、おじいちゃんは帰らぬ人となった。真夜中の近所に響いた救急車のサイレン音。血のように赤いランプが、回転する。号泣する母親。必死に涙を堪えている父の姿。白い布を被って、ぴくりとも動かない祖父の身体が、布団の上に横たわる。私は泣くこともなく、ただただ「死」というものを、いつまでも受け止められずにいた。


一陣の風が私の頬を叩く。


 気が付いて時計を見ると、次の電車の時間が近付いていた。私は、今度こそ電車を乗り過ごさないようにと、慌てて駅へと足を急いだ。駅の構内に入ると、何故か周囲がざわついており、いつもの様子と違っていた。何かが変だと感じ、私は忙しそうに飛び回っていた駅員をつかまえた。

「何の騒ぎですか?」

「列車の脱線事故が発生いたしまして、運転を見合わせているんです。どうやら多数の死傷者も出たとか。すみません、ちょっと急ぎますので」

「え……」

そう言って、走り去っていく駅員。それは、私が乗ろうとしていた列車だった。力が抜けて、ぺたんと冷たい床に座り込む。一気に恐怖感が押し寄せてきた。

もし、あの電車に乗ってたら―――。

両肩を両手で抱いて、唇を震わせる。すると、バッグの中の携帯電話が鳴った。家からだった。

『あ、杏奈!ニュース見たわよ、大丈夫?』

「うん……電車乗り過ごしちゃって」

『良かった、無事で。今日に限って、電車乗り過ごして良かったわね』

「……違うよ、お母さん」

『え?』

「……おじいちゃんだよ。おじいちゃんが、守ってくれたんだよ」

今日はおじいちゃんの命日。毎年、おじいちゃんの命日には、食卓に茶碗蒸しが出る。きっと、おじいちゃんが、私を守ってくれたんだ。そうじゃなきゃ、今頃、生死の境を彷徨っていたはずだ。止め処なく流れる涙を拭おうとせず、私は子供のように泣いた。



 バッグの隙間から、国語の教科書と授業で使う漢字テストが覗いている。

私はそれを見て、ふっと笑った。

おじいちゃんに伝えたい事がある。


―――おじいちゃん。私ね、国語の教師になったんだよ。


その国語の教科書をバッグから取り出し、裏を見た。

そこには、おじいちゃんの名前がかかれていた。校長になる前、おじいちゃんは国語の教師だった。その時、使っていた教科書を形見としてもらった。

私は名前をそっと指でなぞり、ぎゅっと教科書を抱きしめた。


―――ありがとう、おじいちゃん。


                       END




このお話は、すごく、思い入れのある作品で、私にしては上手くまとめられた短編かなって思います。人生で一度は、身内の「死」に直面してしまいます。

これを読んで、何か感じてもらえたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ